nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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風俗嬢とのガチ恋は、スタンダールの『恋愛論』と共に!


おそらく人生最後の恋となるであろう風俗嬢への想いを、スタンダールの言葉の理解にあてようと考えている。これなら、月一で5万円かけることの価値もあろうことだ。
「私は素っ気なくあろうと懸命に努めている。言うべきことがたくさんあると思っている自分の心をだまらせたい。真実を記したと思っても、実はため息を記したにすぎないのではないかと、つねに恐れている」
ブログを書いていて、風俗嬢へのガチ恋をテーマに、6記事も書いたけれど、上述したことにすぎないのではないか?
私は風俗で働く彼女へ、素っ気なくあろうと、あまり重く受け取らないでくださいと言ったり、帰りがけに手を振って余裕あるふるまいをしたりしているけど、内心は、言うべきことがたくさんあるようで、ため息に過ぎないのではないかという恐れがあるのだ。
「相手が自分に賛嘆の念を抱いているという確信がもてないうちは、相手の期待に沿ったふるまいをするのは控えるべきである。そんなことをすれば興をそいでしまい、恋の生まれる可能性をつぶしてしまうか、少なくとも相手の自尊心を刺激してやらないかぎり、元に戻すことはできない。
 人は愚直さにも、八方美人的なほほえみにもひかれない。したがって社交界ではしたたかに見せる必要があり、それが気品ある物腰とされる。あまりに卑しい植物からは笑いすらつみとれない。恋愛において、われわれの虚栄心はたやすく手に入れた勝利を軽んじる。それにどのような状況でも、人は相手から与えられたものの価値を大げさには考えないものだ」
 これが200年以上前に文豪が書いたものだと考えるだけで恐ろしい。昨今、YOUTUBEで女の口説き方等をレクチャーしている動画が結構多い。
キャバ人間の動画は、いずれも風俗嬢と付き合うための方法が中心であるが、彼のロジックは、ただ人生は金と女だに終始しているもので、時間ばかりかけて、再生時間を稼いでいるだけである。しかし、時々、実体験からくる金言があるもので、女性は追うより追われたい生き物だというのには納得した。
上述したスタンダールのテクニックは、下手な媚売りは、相手の女性から雑魚認定されるというのと同じである。卑しい植物からは笑いすらつみとれないというニュアンスは、やはりキャバ人間とスタンダールの言語レベルの差が歴然としている。比べるだけ無理があるか……。
社交界ではしたたかに見せる必要があるというのは、ホストクラブの売れっ子は、みなこのスキルを持っているといえるだろう。また、女性が賛嘆の念を抱くだけの容姿(男性的魅力や色気)があってこその話で、ガマガエルのような容姿の男性では、人がうらやむ財力や肩書がないと難しいのかもしれない。
スタンダールは、情熱を賛美し肯定しているゆえに、私の今回の恋に勇気を与えてくれる。無理でも構わない。恋愛の幸福は、所有することではなく、情熱を持つことにあるのだから。もう今夜は興奮しているから、映像の世紀バタフライエフェクトオイルマネーの録画をみてから、寝ることにしよう。寝る前に勇気をもらった言葉をここに記そう。
「小説が、人の心を知るための新たな見方を示してくれることについては、私は昔読んで身につけたものをよく覚えている。自分が本の余白に書きとめた見解を見つけるのも好きだ。ただしこの種の楽しみは、人間についての知識を深めてくれる小説にはあるが、小説の真の喜びである夢想とは無縁である。そうした夢想は書きとめられない。
 活発な想像力をもった偉大な詩人は、みな内気だ。つまり詩人は甘美な夢想を中断されたり、かき乱されたりするかもしれないという理由で、他人を恐れるのである。注意を向けることを恐れるのだ。他人は俗な興味から詩人をアルミーダの園より引きずり出し、臭気芬々たる泥沼の中に突き落とそうとするが、怒らせでもしなければ、詩人に注意を向けさせることはできない。偉大な芸術家が恋愛にすぐ近い位置にいるのは、感動的な夢想によって心を培う習慣がついており、俗なものを嫌悪するからである。
 偉大な芸術家であればあるほど、防御のための城壁として、肩書きや勲章を求めるはずだ。」
スタンダールの明瞭な知性は素晴らしい。これからは、スタンダールと共に、風俗嬢の彼女と向き合っていこう。
 

劇団四季『ひばり』ジャンヌの姿は、ガラスの天井に向き合う者達への賛歌である!

ジャンヌを見ていながら何度が眠りそうになった。面白くなかったというわけではない。ジャンヌが、女性でありながら、騎士になり、フランスのために立ち上がり、国を背負って戦おうとする姿勢を、両親ですら否定し、周囲は批判の目で見るばかりであった。困難にめげず前向きに進もうとする挫けないジャンヌの姿は、ガラスの天井に、女性であるコンプレックスと闘う女性達への賛歌であり、事実、この芝居を見て、泣いたという女性が多いとのことだ。







私の場合、5年ほど続いた婚活では、女性に相手にされず、会社では女性活躍社会の政府からの煽りを受けて、わざわざ女性のために役職を用意し、男性向きの仕事であるにもかかわらず、女性の部下をつけて育てろと無理強いされている。五所真理子のジャンヌの姿は、婚活で私を振った女性達を象徴しているようで、いい気持ちにはなれなかった。
ボーダレス社会、インクルージョンダイバーシティと叫ばれている現代日本においては、今回の『ひばり』の上演はとても良いことではある。私は今、ソープ嬢に恋をしている。年齢差があり過ぎるし、境遇の違いもあり過ぎる。このコンプレックスを乗り越えようとする言葉がジャンヌの姿だと感情移入を試みれば、クライマックスの戴冠式は、何よりの励みになる。人それぞれのガラスの天井はいつも存在している。この話は、それへの賛歌だと思いこめば、とても良い話だと、このブログに書きながら考えている。
カーテンコールでは、劇団四季恒例のスタンディングオペレーションになり、手を一生懸命振る観客は、女性ばかりであった。場面の変化もなく、セリフのみの芝居であるから、それぞれの役者の演技力そのものにすべてかかっているので、日本最高峰の力をもった劇団四季であるから、上演できるといっても過言ではない内容であろう。
ジャンヌと騎士が騎馬にのってお互い話ながら進むところは、身体の動きだけで表現されていて、その動きのたくみさにうなるものがあった。飲んだ水を笑いで噴き出すところも、身振り手振りで表すのみで、それがとてもリアルに伝わってくるのだから不思議である。
浅利慶太野村玲子が、今回ジャンヌの役をめぐっての不満から降板したということで、劇団四季内部における縄張り争いが勃発しているのだろうし、人間が織りなす社会では、いつもセクトをめぐっての争いごとが起きるようになっていると改めて思う。
明日から仕事だけど、どんな困難にもめげず意志を貫いたジャンヌの姿を励みに頑張るようにしよう。

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風俗で働く彼女との恋心に、ZARD『きっと忘れない』の慰めの歌を贈ろう!


風俗店で恋をしてから、もうすぐ2ケ月が経つ。風俗店のキャスト、スタッフ、客のいずれも、ただの肩書に過ぎず、一緒に話す分には、生身の人間がそこにいるのであって、惚れてしまうのは、おかしいことではないのだろう。私は彼女を前に、風俗遍歴等をあらいざらい話し過ぎたし、良く考えれば、客とキャスト以上の関係等、あるわけがない。しかし、風俗に通うようになった理由だって、婚活の失敗から来ていることもあり、彼女だって、生まれも育ちも良くて、風俗の仕事をしているわけがないのだ。
一月に一度通って、大してプレイもしないのに、5万円とは、金額だけ考えるとアホくさい。会ってみると、純粋に昔の花魁のような風情があるし、口を開けば、大金の話になると目を輝かせて喜ぶ。私と住んでいる世界がはっきりいって違うと納得し、恋心も、その場では雲散霧消する。それでも、離れてしばらくすると、まだ話したりないことがある気がして、彼女の着飾った出で立ち、濃いめの化粧の向こうに無邪気な人柄が顔を出していて、幼い頃に出会えたら、きっと心から仲良くできただろうになと、期待が過去にも未来にもあるような、一種、酩酊の状態になるのだ。
彼女のリピート率が出勤の割にいいのは、彼女の人柄を応援したい私のような輩がいるに違いない。リピート客が一月20人以上入っていることも知っているし、不特定多数の客から抱かれている姿を、毎週思い起こすと、私自身の身体をも苛むようである。
初対面で、両腕の黒子を韓国旅行の際に、切除してきたという話を聞いてから、私は彼女の身体に触ることができなくなった。それだけ自己投資をしている商品となる身体に触れることは、傷つけている気分になったからである。この時に、恋の芽は、気づかないところで、ふいと出ていたのかもしれない。
吉原ピカソの工藤(星)寿一オーナーに、4時間以上も生中出しの趣味講習を受けたことを聞かされた時の憤りは、私の心に、彼女を守らなくてはいけないと火をつけたというのもある。
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来月は行くと話をしたので、裏切るのはよくないし、プレイ無しで、気取らずに、まったく下心と見返りを求めずに、話してみよう。連絡先も聞かず、ただ、ありがとうと頭を下げて帰ればよい。本当に、私に価値?を感じてくれているなら、向こうから、会いたいというアクションがあるはずである。駆け引きはいらないのだ。
ソープで働いて、月50万円以上稼ぐというのは、お金がいる理由があるわけで、風俗を卒業したいとは言うけれど、まだ貯金は無いというし、お金が無いよりある方がいいという彼氏を作って時間をムダにするよりは、副業でセックスしている方がお金も入るしタイパやコスパがいいというニュアンスにもとれて、どうみても付き合えるはずがない。なぜ惹かれるのかは、以前、会社で境界知能の方と1年間ご一緒したことがあり、誰でもがわかる知的レベルにもついていけない人の苦労と、周りの苦労を経験したことがあり、なんか純粋な彼女の苦労が、以前よりも心に沁みて伝わってくるものがあるのだ。ちょっと、対応にしても稚拙なところがある。私がただ見返りも求めず愛していることを正直に伝えるには、目的を持たない洞察力によるいたたまれない感情が、そこにあること、それのみが存在している状態にすることであろう。
ポケモンが好きというから、キャラクターについての下調べもして行こうかな。もうダメだ、彼女と会って話す時のなんとも言えない喜びが、もう胸のうちに湧いてきている。今日は、103歳の祖母に会ってきた。まだ元気に笑っていた。私の顔を見て、魚屋だと思い出してくれた。人は肩書でイメージするものなのだろう。私そのものを見て欲しいという風俗で働く恋する彼女の言葉が浮かんでくる。両親は、着物をプレゼントしていた。祖母はもう買わなくていいからと何度も笑顔で口にした。部屋を後にした父が、もう一度会ってくるか? と聞いてくる。なんかお別れのような気がしたからだろう。私もふと寂しさが込み上げてきた。私を本当に愛してくれた方がいなくなる。本当にかわいがってくれた方がいなくなる。祖母を悲しませたくないという気持ちが良心となって、道を踏み外さずに生きてこれたのかもしれない。
風俗店で働く人達は、そういう愛の経験が無いのかもなぁと上から目線で考えたりする。
恥ずかしいことをしそうな時に、それを戒めるのは、彼・彼女を心から愛している人の目なのだろうから……
ジョーマロンのバスオイルを渡して、彼女と一緒に匂いをかいで、楽しく仲良くお店を後にするだけで良い。私が本気になることが、迷惑以外何ものでもないことを、理解はしているのだから。孤独になりたければ恋をしろとは言ったもので、ZARDの『きっと忘れない』を聴いて、もうすぐ43歳になる私の心にふと起きた恋心に、慰めの花を贈ろう!

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風俗嬢にガチ恋した。月一で通う約束に、ジョーマロンの香りと共に!


20日の大寒を前にして、不快になるほど寒い。でも、寒い方が、私の生理に合っている気がする。冬の寒い日に、その心に浮かんでくる枯れ枝の寂しさのようなものが好きだ。2月になった川崎にいる風俗で働く女性に会いに行こう。もう性行為はできないと話している。それでも行くとなると、相手にもプレッシャーをかけていることにもなるので、月1のスタンスは守るつもりだ。お付き合いできるか? という結果論ではなく、彼女のことを支えたいという単純な動機である。最終的に付き合えたらというのはあるけれど、彼女は、昼職と風俗の仕事を掛け持ちしていて、風俗店のオプションそれぞれが、すべてやりたくないほど、はっきりと抵抗があることを意思表示していて、話していても、とても女性一般と変わるところがない。部屋中をポケモンにしていると口にするほど無邪気さがあって、会えば会うほど愛しくなるようだ。これは、他の客も同じ心境なのだろう。風俗を目標額に達したら卒業したいとまで話している。彼女の無邪気な心をそのままに支えたいという気持ち、そして今にも崩れそうな姿を目にするとほっとけないよということになる。あの歌のように↓

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情が移ってできないということを話していたけど、嬉しかったんだけどどういうこと?
と聞かれた。
「何度か会ううちに、君の人柄とか、人格とか、価値観、好き嫌いに触れるごとに、人柄をもった青写真がより鮮明に浮かんでくるようになって、その人の嫌がることはしたくないと思うようになるんです。腰の動かし方は正しいのかな、よくない突き方をしているんじゃないかな、そもそも挿入していいのかなと、性行為を断ることができない環境ですることに、ひどく抵抗が出てくるんですね。傷つけるようなことをしたくないです。素人童貞という話をしたのは、もし仮に、彼女がいて恋人同士で性生活をしてきた、奥さんと10年にもわたって性生活をしてきた男性がいて、こうしていると、すべての女性が恍惚としていたとすれば、自信になると思うんです。風俗で性行為をするというのは、先ほど、耳に唾液を入れてくる人が嫌だと言ったけど、誰一人として、文句を口にする人、完全に否定する人がいないんですね。だから、セックスについて何も知らない状況で、相手が喜ぶのか知らないのなら、身体が反応してできないのです」
もし、何度も同じ女性をオキニとして指名し続けられる人がいるとしたら、相当のうぬぼれがあって、この俺がお金払ってまでセックスしてあげているんだ、気持ちいいだろう、いいことしてあげているなという心境なのかもしれない。私は3度目の来店で何度も萎えてしまい、4度目は、全くできなくなってしまった。膣内射精障害かと自問自答したが、一つずつ考えていくと、上記の結論に至った。良心を忘れない素人童貞、善良でスケベなたぬき、今にも沼に落ちて溺れそうなタヌキ……。
仏教の禅宗では、禅は無相を呈するというけれど、無を見るだけの目は、反対に、魅力的な形態に対しても鋭敏でなければならないはずだということからしても、私が、まず、彼女の容姿の魅力に惚れたからこそ、上述した答えに辿りついたことも、この定説が間違えていないという証左にならないかと考えたりもする。
相手を好きになるほど、最初にわいせつ目的で利用したことを詫びたくなる。なぜなら、彼女はお金のために身体を売ってはいるが、醜いのは、男性の若い女性の身体を欲しがる心にあるともいえるのだから、前回のディオールのハンドクリームに続き、今回は、ジョーマロンの入浴剤ということにする。
接客前に湯舟に浸かっていると話していたし、全身の保湿になるのと、上質な香りは、癒しになるそうだ。何も見返りを求めない、下心の無い姿を見せて、そこを去ればよい。私も前回を最後にするべきか考えたのだが、また来てアピールもあり、もう一度行かないと男が廃るという気にもなり、必ず2月になったら行くことにする。
風俗嬢に恋をするなんて、ハイリスクノーリターンで、爆弾物件で、お金をしゃぶられるだけだというのが、世間一般の評価であり、おそらくその通りなのだろう。相手だって、人が好きになるような心境ではないだろうけど、私の詩情や思考が、彼女に出会ってから、脳裏に溢れかえっていることを考えると、話して帰るだけでも、それ以上の価値があるようにも思えるのだ。以前の心を閉ざしていた私と違って、職場で人と向かい合っても、何も動じないで仕事ができるようになったではないか。彼女のことが、心の支えになっているのだ。でも、嫉妬には今から正直狂いそうだ。AVを見てしまうと、女優が、そのまま彼女に見えてきて、心苦しくなる。
もっと真摯に女性と付き合うことを考えてきた人は、水商売の女性に、心悩ませたりしないものだろうかなんて思うこともある。女性が男性を好きになるとどうなるかを知ることができるんじゃないか。ご飯でも食べないか? 行かないよ。 はい終了。実際は、そんなものなのかもしれない。本当に、私に価値を感じていたら、女性から関係を構築してくるものではないか。損切りをすれば良くても、惚れてしまえば、もう盲目だ。
ジョーマロンのバスオイルをプレゼントして、次回、彼女にどういった様子かを、もう一度見てみたい。
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ソープランドで恋をして!熱病癒えず!(♯風俗嬢にガチ恋した)


島田雅彦の純文学講座を受講することにする。カルチャーセンターのような、ただ書いた内容を添削するというものではなく、カリキュラムが一風変わっていて面白い。島田雅彦の講演会は、学生の頃に参加したことがあり、彼の知性的なところには大いに惹かれた。安部公房三島由紀夫に次ぐ文学的知性の持ち主といってもいいけれど、作品の完成度について疑問があったために遠慮していたふしがある。ただ、美的価値観が私との違いを感じていたともいえるかもしれない。しかし、現代作家で最も尊敬する人であるのは変わらない。
彼の言説によると、多くの人が信じている小説というものは、ロマンスに該当するとのことだ。ロマンスとは、予定調和であり、パターン化されている物語である。水戸黄門の時代劇における勧善懲悪、のび太が困った時に、ドラえもんが道具を出して助ける等、一般ピープルは、予定調和が大好きだということで、ほとんどの人が小説を書くと作者自身が主人公の日記になり、それはロマンスに過ぎないということだ。小説にするには、予定調和の物語に対する自己批評が必要で、また同じパターンをやってやがるとロマンスを見つめ、解剖したり風刺したりする視点が、小説には不可欠であるという姿勢には共感できる。小説を書くといっても、作文になっている私としては、正鵠を得た指摘である。
ブログがロマンスではなく、小説にするには、自己陶酔ではなく、自己批評を繰り広げていく視点が必要になり、もっと言えば、他人になりすまして書くことが必要になってくる。
講座では、ハーレクインロマンスの冒頭を原稿用紙3枚分書き直すということで、頑張ってみようと思う。図書館で代表的な作品を予約し、また、現在、風俗嬢にガチ恋をしているため、スタンダールの恋愛論も借りることにした。
風俗嬢へのガチ恋は、心身の働きを極限まで苦しめる。200年も前に生きたスタンダールの言葉が、これほどリアルに私の心に響くのだから不思議である。人は変わらないものだ。

「恋をするには、ほんの少しの希望があれば良い」


婚活ですべてうまくいかず、結婚をあきらめてから風俗通いだけで女性はいいと決めて安心していたのに、こんなことになるなんて、私の小さなうぬぼれと、小さな希望が原因だろう。私の普段隠しておきたいことを、包み隠さず話していても、笑顔で聞いてくれる彼女、日夜、セックスでお金を得ている彼女が、聖母マリアの化身のように思えてきて、キリスト教会の神父への告解の快楽がそれとなくわかった気がした。なんでも話せるし、彼女も、吉原ソープピカソのシャブ漬けオーナーから4時間に渡るレイプ講習を受けたこと等も話してくれて、
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心から落ち着ける場所を得たのは、ここ10年間初めてではないかと言えるほど、そばにいるだけで嬉しかったのだ。

「恋をすると、すぐ身近に、いくら願っても手の届かない、とてつもなく大きな幸福があるような気がする。しかもその幸福は、ただ一つの言葉、一つの微笑みにのみ左右される」

これは水商売をしている女性には、前回、盛り上がったところから、今回も続きがあると考えてはいけない。とても距離に開きがあるということを、以前、フィリピン人女性に恋をしていた時に経験している。風俗で働く彼女は、一か月に20人以上もの男性と性行為を繰り返しているのだから、すぐに私の存在等、薄まってしまい、こちらが、大切なことを話したつもりでも、彼女もその際、神妙になったこととしても、それから多くの男性と接しているうちに、わからなくなってしまうものだ。私がひと月ぶりに会うと、楽しそうにしていたが、私の話すことを、逐一思い出すようにしている姿は、距離を感じて哀しかった。会っている間は、もうこれで最後にしようと安心して風俗店を後にするが、数日経つとスタンダールの言う結晶作用が生じて、ザルツブルクの塩抗に投げ入れた小枝がたちまち結晶するように、私の心に、幸福の化身としての彼女が現れてくる。これを、古代ギリシャの精神、アテネと考えて生きていこう。

「恋の喜びは愛することにある。人は相手に起こさせる情熱よりもみずから感じる情熱によっていっそう幸福になる」

1人の女性を口説きたいなら、他に数名の女性を相手にすることで、余裕感が生まれ、のけぞった感じが出てきて、かえって本命の女性に好かれると、恋愛巧者を売りにしたブログやyoutubeで謳われているけど、それは、みずから感じる情熱による幸福のボルテージを下げることになるのであって、恋で盲目になり、他人から目を覚ませよ馬鹿と言われる方に、幸福はあるという逆説が生じているのであろう。心理はいつも逆説的である。

「恋とは甘い花のようなものである。それをつむには恐ろしい断崖の端まで行く勇気が無ければならない」
「恋というものはなんと恐ろしい情熱だろうか。それなのに世間の嘘つきどもは、恋をあたかも幸福の源泉のように言っている」

すべてを犠牲にしても、ソープで働く女性と一緒になりたいという気持ちでいっぱいだ。それも冗談ではない。幸福の源泉というより、私のいままで積み重ねてきた人生をすべて破壊してもいいというぐらい、大きな存在が、川崎のソープランドで日々働いている。かえって、彼女が距離をとってくれているのは、神の思し召しであるのかもしれない。本当に付き合えば、私自身のメンタルがやられると、ほぼわかっている。嫉妬に狂って自殺するかもしれないのだ。それでも、私は、断崖の端まで行かねばならぬ。次に行く時は、前回の反省を踏まえてプレーはしないようにしよう。そして、彼女の反応を見てから、この恋心の炎が、どのようになるか、またブログで書こうと思う。

「恋は熱病のようなものである。それは意思とは関係なく生まれ、そして滅びる」

私は何度も恋をしてきた。いつも将来に不安で自信が持てない時に恋をしてきた。熱病のようなもので、違う女性に興味をもつことや、振られて終わることがほとんどだった。今考えても、過去に好きだった女性を、今、同じように恋できるかといえば、できないだろう。そもそも関心すら無くなっている。これは、逆も言えるだろう。好きな女性を振り向かせるには、タイミングも必要だ。

最後は、今の私にぴったりなスタンダールの殺し文句で、この記事を終えたい。

「君のいない天国よりも、君のいる地獄を選ぶ」

この言葉、さだまさしの『デイジー』の歌を思い出す。

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ガチ恋したソープ嬢に関する過去の記事↓
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風俗嬢にガチ恋をした。プレイ無しで5万円払っても満たされる私はカモなのか?


川崎のソープ街に働いているソープ嬢に入るのは、今回4度目である。浜崎あゆみのような人形さんのように美しい女性である。生活レベルも高そうで、男性に、いくらでも声をかけられそうな風貌であるため、私が恋に落ちるとはちょっと前までは、考えられないことだ。2回目に入った時は、両腕の黒子を全部取り除いて、小さい絆創膏だらけになっていて、もう別の世界の住人としか考えていなかったのだ。即物的にさくっと抜いて、あくびをして帰るという癒しに満たされていたのは確かであった。42歳独身男性のこんな生活も悪くないという気分ですらあったのに、ふとしたことから沼落ちした。以前のブログ↓
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外見は、ブランドで身を固めているのだろうというぐらいお高い印象を受けるのに、話してみると、庶民的で、部屋中ポケモンのぬいぐるみに囲まれていることが幸せとか、今晩はスシローで贅沢をするかとか、私の生活レベルに合わせるような、親近感の湧くようなことを話してくれる。質素倹約という生活を送られているようで、家族への仕送りをするというから、不思議でしょうがない。ほとんど家族に金銭を送るため、手元に残っていないという。学費等と、金銭の上で迷惑をかけたからと言っても、首を傾げてしまう。しかし、ネットで、「風俗で働いたお金を家族に仕送り」と検索してみると、結構多くの書き込みが見られるから珍しくない現象なのだろう。
私の家では、両親が、いかにも大蔵大臣のような格好で、偉そうにしているから、なんで親と別居しているのに、仕送りなんてしなきゃいけないのという気持ちになるが、案外と、フィリピンから出稼ぎにきている女性のような家庭も、日本では珍しくないのかもしれない。
YAHOO知恵袋でその旨の質問をすると、風俗嬢の言うことをまともに聞いているだけで、もう負けだよと返答がきた。私はこのブログで5年に渡って書いてきたように、何度も女性に騙されてきた。惚れた私が悪いのは承知しているけれど……
川崎にいるソープ嬢の彼女とお付き合いできる確率なんて、年齢差、境遇からしても無に近いのに、また来月、5万円を払って会話だけのために絶対に会いにいかなければならないと、自分自身に命じているのだから救われない。目的をもたない洞察力が、我々をいたたまれなくさせる感情が愛だと三島由紀夫の評論に書いてあったことを思い出すと、私の彼女い会いに行く動機は愛だと誇りに思えば良い。
今回は、クリスマス期間を過ぎたのであるから、ディオールのハンドクリームをプレゼントした。アマゾンギフト券が最も喜ぶのは知っているけど、愛を匂わすことがなければ、ただのATMになってしまうのではないか。
随分と喜んでくれたので嬉しかった。90分コースで入って、最初会話だけでお50分ぐらい過ぎた。彼女がお風呂に入るの? と強い口調で聞いてきた。私は入ろうかなと答えた。
私は前回、胸が大きいとか、顔が綺麗とかではなく、私のことを見てくれないとと言う彼女に、人形のように美しいから、飾りたい、守りたい、大事にしたい、大切にしたいと思うんですと強く力を込めて訴えた経緯があり、そのことを信じてくれたのかもしれないと今は考えている。それなのに、私は、このまま、服を着たまま、会話だけをして帰ることが当然なんて、カモ同然じゃないかという苛立ちもあったのだ。もし、今日はするの? と神妙に聞いてきたら、いやいいよと言えたかもしれないけど……
風呂に入る前に、私の○コチンを、洗う時の彼女の悲しい顔を思い出すと、選択を間違えたのだろうかと、今になって後悔する。結果、ベッドで中折れし、自分自身で自らの竿を一所懸命にこすり、彼女に乳首をなめて、キスをいっぱいしてもらって、なんとか出すことができた。この不手際に、彼女は、私が入れているときに、何度も私の顔を吟味して、気持ちいいよと剣のある声で応え、逝った後は、ベッドの青いシーツに垂れる精子の白を見て、垂れたねとあきれたように笑っていた。私は弁解に素人童貞だと口にした。
ピロートークの際に、前回、嬉しかったんだけど、2度目入ると情が移るというのは、どういう意味なの? と聞いてきた。
「2度目、3度目と入ると、相手の人格、人柄、人間性、感性に触れることで、人間像の青写真が浮かんでくるようになるじゃん。そうしたら、相手がどう思うか考えるようになるでしょ。鉄マンじゃないというから、本当は、しないで時間だけを過ぎた方がいいだろうけど、入れていいのか?、こんな突き方をして、本当は痛いだけなんじゃないか? なん頭に浮かぶようになる。いくらお金を払っているからといっても、相手が嫌がることはできないでしょ。もし、普通にお付き合いして彼女としたり、結婚して夫婦の営みを経験したりしていれば、何をすれば無難なのか、理解できるようになると思うんですよ。彼女も奥さんも、こういうセックスをして、一度も嫌がらないから大丈夫だろうという自信を持てるはずなんです。その経験が一度もないと、失礼なことをしていないか不安になるし、さっき、唾液を耳に押し込んでくる客をNGにしようか悩んでいたけど、僕は一度も、風俗で働く女性から、セックスについてダメだしをされたことが一度も無いんですよ。気分良くさせて早く終わらせたいんですよ。だから、もう君に嫌だと思うようなことはできないです」
この言葉は伝わったのだろうか。
「じゃあもう来ない。他の人に入っていいよ」
と何度も聞いてきた。
帰りがけにも、
「もう来ないの?」
と厳しい顔を向けてくる。
部屋中、ポケモンのぬいぐるみにしている無邪気さ、純粋さが、その言葉や表情にあって、もう一度、行かなくてはならないという気にさせる。色恋営業にハマって、カモになっていると誹謗中傷を受けても、2月になったら、必ず行かなくてはという使命感が全身にみなぎってくるのだ。会うと、別世界の人だと安心して、恋を捨てて帰るのに、夜中に結晶作用が起きて、朝起きる頃には、目に涙を浮かべて、もう一度会いたい、今すぐ会いたいと心が叫ぶ。きっと、彼女の営業のテクニックだと割り切って眺めたくても、そうとは割り切れない自分がいて始末にこまる。
また、来月も、会話だけのために5万円を払って会いにいこう。本当に愛着をもってくれているなら、会話だけに、ずっとお金を出させていることに、嫌気がさしてくるはずで、そうでもないなら、私はカモだと安心して、店を離れよう。
それにしても、恋は、今まで私がどれだけ無防備に生きていたかを痛切に知らせるものだ。寒に入ったこの時期に、心の奥底から、底冷えするように孤独の睦月である。

風俗嬢にガチ恋をして、今のところわかったこと!

川崎のソープ嬢に恋をするなんて、理性の働きが弱いのではないかと言われそうだ。私も口は理屈をいくらいっても、風俗嬢という肩書をとれば、接客してくれている女性は、まぎれもなく生身の女性だから、やはり惚れてしまうと、病にかかったのと同じように、彼女に会うことばかりを考えてしまう。
他の人が書いた風俗嬢ガチ恋ブログを読むと、妻子もいるのに、すべてを捨ててもいいから、風俗で働く女性を優先にしか考えらないということが実際にあるんだとうなずいてしまう。奥さんにラブレターもプレゼントも渡したことすらないのに、一生懸命に花を渡したり、プレゼントにラブレターを添えて渡したりという行動をとり続けてしまう悩みがあり、もし風俗嬢がその気になれば、家庭を捨てても顧みれないだろうということから、世の中に不倫が絶えないのは、本能が求めていると、いくら理性を保っても、心も体も、特定の異性を求めてしまうからだろうという結論にいたっていた。
彼のブログは、風俗嬢にガチ恋した本人が、正常な判断を取り戻すまでのことを詳細に書かれているので、気になるところをピックアップして分析してみたい。
脳がドーパミンにより、冷静な判断ができず、本能のまま突き動かされたからというのが、彼の結論である。ドーパミンという快楽物質は、良いことを期待するときに出るということで、私も、彼女と一緒にいると、隠し事なくなんでもしゃべれて、彼女の話も、リアクションもすごく好きで、もっともっと話したいとあれこれ空想するところから、恋焦がれているのだから、この考察は正しいと思う。
恋に落ちたポイントの、恥ずかしがり屋のRさん、社内転職で異動する不安定な心境というところは、私の共通するところで、恥ずかしがり屋のRさんというのは、風俗嬢らしからぬ、一般人と感覚が似ていて、なぜ、これだけ共感できる女性が風俗で働いているのか? という興味から悩みに発展していくのだろう。また、不安定な心境というのは、12月、1月と仕事が過度に忙しくなる時期に、今年は人手がほとんどいないという不安から、何かに依存したくなっていたのは事実で、以前婚活で、介護職の女性に異常なほど恋した時も、12月であったことを考えると時期というのもあるだろう。
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また、人形のように可愛い彼女を、吉原ピカソのオーナー工○は、4時間以上も泣き叫ぶ彼女に講習と称して性交し続けたという悲劇性も、私は彼女を守りたい、大切にしたいという思いに拍車をかけている。話していても、客商売というのもあるけど、根が優しく、口にすることが無邪気で幼く、せつない気持ちにさせるところがある。幸せな気持ちにさせるところが、彼女のリピート率が高い理由なのだろう。毎週のように、多くの男性と性行為を行っている女性に、好意を抱くというのは、正常ではないと言い聞かせる。しかし、マットプレイ、写メ日記も一切しない店を探しているとか、若いうちに早く稼ぐだけ稼いで上がりたいと考えているから、副業ではなく専業でやろうかと悩んでいたりとか、吉原ピカソのオーナー工○に、深夜から朝まで、中だしハメ撮り性交を受けたことが、かなりのトラウマになっていることとかが脳裏に浮かんでくると、彼女が幸せになって欲しいと心底思えて、また来月高いお金を払って会いにいかなければという気持ちになる。早い段階で卒業できないものか。1月になったら第一週にいこうかと考えているけど、くそ忙しい週なので、第2週にすれば、休みもあっていいのだが、その日まで待てそうにないのだ。
ただ風俗業界では、風俗嬢の言う8割は嘘だというから、彼女は結婚しているかもしれないし、彼氏と同居しているかもしれないし、私は夢を見ているだけかもしれない。以前、フィリピンの女性に恋をして、長期間、友達としてお付き合いしたことがあり、お金も多く渡したことがあったが、実は子持ちだったという事実を知った時は、愕然とした。平然と嘘をついても、お金のために堂々としていられるものだなと、女性不信になった経験がある。
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それでも、水商売の、それもソープで働く女性に惹かれてしまうのは、私の年齢で、若い女性と一緒になることは不可能だとあきらめていたから、最後のチャンスにも思えるのと、この年齢で恋心を得られたことへの感謝もあるだろう。感謝の気持ちは、私の精神は古代ギリシャの精神に近く、パルテノン神殿にいる女神アテネを守り、愛を得るために、詩と音楽と体育にいそしんだ古代ギリシャの少年の哲学が、いままで私が歩んできた私の女性観のすべてであったと考えられるからだ。私はいつも愛する女性、恋する女性は、バーチャルのままで、それを自分が力強くいきる糧にするという発想以外、私は一度だって女性と現実に向き合って生きようとしたことがあるのか、いささか怪しいところだ。
年が明けたら、彼女に気取らず会いにいこう。自意識過剰になると、うまくいくわけないけど、他の風俗嬢を2人抱いてからいくと余裕がでるとか、出会い系サイトで他の女性とやりとりをしていると余裕がでる、必死感が伝わると、相手の女性は重たく感じて逃げるだけというのも納得であるが、駆け引きするつもりはない。ただ会いにいって、ありったけの愛でもって、話してみたいと思う。では、また、来月、来店した後の事情をここで打ち明けたい。
長文を失礼した。では、失敬!

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ