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ソープランドで恋をして!熱病癒えず!(♯風俗嬢にガチ恋した)


島田雅彦の純文学講座を受講することにする。カルチャーセンターのような、ただ書いた内容を添削するというものではなく、カリキュラムが一風変わっていて面白い。島田雅彦の講演会は、学生の頃に参加したことがあり、彼の知性的なところには大いに惹かれた。安部公房三島由紀夫に次ぐ文学的知性の持ち主といってもいいけれど、作品の完成度について疑問があったために遠慮していたふしがある。ただ、美的価値観が私との違いを感じていたともいえるかもしれない。しかし、現代作家で最も尊敬する人であるのは変わらない。
彼の言説によると、多くの人が信じている小説というものは、ロマンスに該当するとのことだ。ロマンスとは、予定調和であり、パターン化されている物語である。水戸黄門の時代劇における勧善懲悪、のび太が困った時に、ドラえもんが道具を出して助ける等、一般ピープルは、予定調和が大好きだということで、ほとんどの人が小説を書くと作者自身が主人公の日記になり、それはロマンスに過ぎないということだ。小説にするには、予定調和の物語に対する自己批評が必要で、また同じパターンをやってやがるとロマンスを見つめ、解剖したり風刺したりする視点が、小説には不可欠であるという姿勢には共感できる。小説を書くといっても、作文になっている私としては、正鵠を得た指摘である。
ブログがロマンスではなく、小説にするには、自己陶酔ではなく、自己批評を繰り広げていく視点が必要になり、もっと言えば、他人になりすまして書くことが必要になってくる。
講座では、ハーレクインロマンスの冒頭を原稿用紙3枚分書き直すということで、頑張ってみようと思う。図書館で代表的な作品を予約し、また、現在、風俗嬢にガチ恋をしているため、スタンダールの恋愛論も借りることにした。
風俗嬢へのガチ恋は、心身の働きを極限まで苦しめる。200年も前に生きたスタンダールの言葉が、これほどリアルに私の心に響くのだから不思議である。人は変わらないものだ。

「恋をするには、ほんの少しの希望があれば良い」


婚活ですべてうまくいかず、結婚をあきらめてから風俗通いだけで女性はいいと決めて安心していたのに、こんなことになるなんて、私の小さなうぬぼれと、小さな希望が原因だろう。私の普段隠しておきたいことを、包み隠さず話していても、笑顔で聞いてくれる彼女、日夜、セックスでお金を得ている彼女が、聖母マリアの化身のように思えてきて、キリスト教会の神父への告解の快楽がそれとなくわかった気がした。なんでも話せるし、彼女も、吉原ソープピカソのシャブ漬けオーナーから4時間に渡るレイプ講習を受けたこと等も話してくれて、
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心から落ち着ける場所を得たのは、ここ10年間初めてではないかと言えるほど、そばにいるだけで嬉しかったのだ。

「恋をすると、すぐ身近に、いくら願っても手の届かない、とてつもなく大きな幸福があるような気がする。しかもその幸福は、ただ一つの言葉、一つの微笑みにのみ左右される」

これは水商売をしている女性には、前回、盛り上がったところから、今回も続きがあると考えてはいけない。とても距離に開きがあるということを、以前、フィリピン人女性に恋をしていた時に経験している。風俗で働く彼女は、一か月に20人以上もの男性と性行為を繰り返しているのだから、すぐに私の存在等、薄まってしまい、こちらが、大切なことを話したつもりでも、彼女もその際、神妙になったこととしても、それから多くの男性と接しているうちに、わからなくなってしまうものだ。私がひと月ぶりに会うと、楽しそうにしていたが、私の話すことを、逐一思い出すようにしている姿は、距離を感じて哀しかった。会っている間は、もうこれで最後にしようと安心して風俗店を後にするが、数日経つとスタンダールの言う結晶作用が生じて、ザルツブルクの塩抗に投げ入れた小枝がたちまち結晶するように、私の心に、幸福の化身としての彼女が現れてくる。これを、古代ギリシャの精神、アテネと考えて生きていこう。

「恋の喜びは愛することにある。人は相手に起こさせる情熱よりもみずから感じる情熱によっていっそう幸福になる」

1人の女性を口説きたいなら、他に数名の女性を相手にすることで、余裕感が生まれ、のけぞった感じが出てきて、かえって本命の女性に好かれると、恋愛巧者を売りにしたブログやyoutubeで謳われているけど、それは、みずから感じる情熱による幸福のボルテージを下げることになるのであって、恋で盲目になり、他人から目を覚ませよ馬鹿と言われる方に、幸福はあるという逆説が生じているのであろう。心理はいつも逆説的である。

「恋とは甘い花のようなものである。それをつむには恐ろしい断崖の端まで行く勇気が無ければならない」
「恋というものはなんと恐ろしい情熱だろうか。それなのに世間の嘘つきどもは、恋をあたかも幸福の源泉のように言っている」

すべてを犠牲にしても、ソープで働く女性と一緒になりたいという気持ちでいっぱいだ。それも冗談ではない。幸福の源泉というより、私のいままで積み重ねてきた人生をすべて破壊してもいいというぐらい、大きな存在が、川崎のソープランドで日々働いている。かえって、彼女が距離をとってくれているのは、神の思し召しであるのかもしれない。本当に付き合えば、私自身のメンタルがやられると、ほぼわかっている。嫉妬に狂って自殺するかもしれないのだ。それでも、私は、断崖の端まで行かねばならぬ。次に行く時は、前回の反省を踏まえてプレーはしないようにしよう。そして、彼女の反応を見てから、この恋心の炎が、どのようになるか、またブログで書こうと思う。

「恋は熱病のようなものである。それは意思とは関係なく生まれ、そして滅びる」

私は何度も恋をしてきた。いつも将来に不安で自信が持てない時に恋をしてきた。熱病のようなもので、違う女性に興味をもつことや、振られて終わることがほとんどだった。今考えても、過去に好きだった女性を、今、同じように恋できるかといえば、できないだろう。そもそも関心すら無くなっている。これは、逆も言えるだろう。好きな女性を振り向かせるには、タイミングも必要だ。

最後は、今の私にぴったりなスタンダールの殺し文句で、この記事を終えたい。

「君のいない天国よりも、君のいる地獄を選ぶ」

この言葉、さだまさしの『デイジー』の歌を思い出す。

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ガチ恋したソープ嬢に関する過去の記事↓
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