私は頭が狂ったようだ。ソープランドのレイプ講習を受けた女性が川崎で働いているが、昨日再訪し、恋心を抱いてしまった。恐れていたことが起きてしまった。ソープ嬢に恋をすると、精子を持つ男性の生理である独占欲に逆らう想像がつらい。大好きな彼女が、他の男性に抱かれている様子が、頭に浮かんできて、心身を苛むのだ。ニーチェは、人間は苦悩に意味を見出せば、あえて苦悩を必要とするというように、私がその苦しい胸の内を、芸術にまで高める力があれば、また、ニーチェのように哲学にまで高める力があれば、問題ないはずだ。私に欠けているのは自信である。
彼女が「私を見てくれないと、胸が大きいとか、顔がいいとかではなくて……」と言われて、私は考えた。
「可愛くて綺麗なお人形さんのようなんです。全盛期の浜崎あゆみのような美しさがあって、守りたいとか、傷をつけたくないから、大事に大切にしたいと心から思えるんです」と答えた。幼い頃に人形遊びをして、汚さないように、傷つけないように大切に扱っていたあの気持ちに、火がついて、私の中に青白い炎が燃え上がってくるものがあった。
そして、私がソープ通いをする理由も、何故だかわかった。私は、6年間に及ぶ婚活で女性の嫌な面を見過ぎて、気づかないところで、大きな傷を心に負っていたと思える。身体の傷と違って見えないから、気づかないだけで、案外、大丈夫だと思い込んでいる人ほど、問題行動に出てしまっている例が多い。女性から受けた傷は女性でしか癒せないように、男性から受けた傷は、男性でしか癒せないというのは真理だと思う。風俗で働く女性は、お金と引き換えに男性から傷を受ける仕事である。そして、それを顔に出して嫌がる彼女のような人よりも、本当に傷が深く内向しているのは、平然と仕事をこなし鬼出勤している方にいると思う。その癒しをホストに求めては、風俗で働くからホストが光り輝いているのであって、悪循環に陥っていると言えなくはない。しかし、私の経験からすれば、数万円で、すべてをなげうって奉仕してくれるソープ嬢が、素晴らしい存在に見えたのは、婚活での長期間にわたる失敗が尾をひいていたに違いないのだ。マットの上でほほ笑む彼女にマリアの円光が見えた日もあったのは、私にとって真実ではあるけれど……
しかし、この恋心は、どうしていいのかやり場に困っている。私はこの恋心が、風俗店で働く彼女にとって迷惑になることを知っている。
彼女が、今まで付き合った人の中では、年齢が上だと43ぐらいという話をしたり、私の服の襟元のユニクロの印字をみて、私のだと思ったと金銭感覚の合うような思わせぶりな態度をとったりするので、翻弄されている。もしかしたらという望みが断ち切れない。私の1匹のタヌキは、彼女の沼に落ちておぼれている。誰も助けを呼べる人はいない。いわく惚れたが悪いか?
ランボーの散文詩が胸に響いてくる。
「もろもろの人に不満を抱き、自分にも不満を抱く私は、夜の沈黙と孤独の中で、いささかなりともわが身を贖い、わが身に誇りをとりもどしたいものと思う。私の愛した人々の魂よ、私の歌った人々の魂よ、私を強からしめよ、私を支えよ、人の世の虚偽と、腐敗をもたらす瘴気とを、私から遠ざけよ、そして御身、主なるわが神よ! 私が人間の中の最下等の者でなく、私の蔑む人々に劣る者ではないことを私自らに証すよすがとなる、数行の美しい詩句を、恩寵をもって私の手に成らしめたまえ!」