nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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那智大社で神の実在を信じた!

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1,車は那智のお社の鳥居の前に着き、二人は冷房の車を下りて、面へいきなり吹きつける暑熱の気によろめきながら、杉木立の木漏れ日が熱い雪のように霏々と落ちている参道の石段を下りはじめた。
(三熊野詣より)



2.今や那智の滝は眼前にあった。岩に一本立てられた金の御幣が、遠い飛沫を浴びて燦爛とかがやき、凜々しく滝に立ち向っているようなその黄金の姿は、おびただしく焚いた薬仙香の煙に隠見している。
 宮司がすぐ先生を見て寄って来て、恭しくご機嫌を伺い、一般の人には、落石の危険のために入ることを禁じられている滝壺間近へ、二人を案内した。朱塗りの門の、大きな錠は、錆びついていてなかなか開かなかったが、その門を入ると路は岩の上を危うく伝わり、滝壺のすぐそばまで行くのである。
 ようやく岩の平らなところに座を占めた常子は、霧のような飛沫を快く感じながら、自分の胸へ落ちかかるほどに近い大滝を振り仰いだ。
 それはもはや処女のようではなく、猛々しい巨大な神だった。
 磨き上げられた鏡のような岩壁を、滝はたえず白煙を滑り降ろし、滝口の空高く、夏雲がまばゆい額をのぞかせ、一本の枯杉が鋭い針を青空の目へ刺している。その白い水煙は、半ばあたりから岩につきあたって、千々に乱れ、じっと見ているうちに、岩壁が崩れて、こちらへ迫り出してきて、落ちかかってくるような気がする。又、少し顔を傾けて横から見ると、水と岩のぶつかる部分部分が、あたかも泉を一せいに噴き出しているようにも思われる。
 岩壁と滝とは、下半分はほとんど接していないから、滝の影がその岩の鏡面を、走り動いているのが明瞭に見える。
 滝はその周辺に風を呼んでいる。近くの山腹の草木や笹はたえず風にそよぎ、しぶきを浴びている葉は、危険なほど鋭敏に光る。さやめく雑木が、葉叢のまわりに日光の縁取りをして、狂ったようにみえるさまは又なく美しい。『あれは狂女なのだ』と常子は思った。
 常子はいつのまにか耳に馴れて、あたりをとよもす滝の轟音を忘れていた。轟音は却って、静かな深緑の滝壺にじっと見入っているときに耳によみがえってくる。その深い澱みの水面は、驟雨の池のように、笹立つ小波をひろげているにすぎない。
「こんな見事な滝ははじめてでございます」
(三熊野詣)

私はむしょうに那智へ行きたくなった。 
勝浦からタクシーで三十分ばかり、この神の滝は、やや水が乏しく、姿がやや歪んでいたが、高さ百三十三メートル、幅十三メートルの壮麗な全容は、宮司の厚意で特に滝壺のところまで行って、しぶきを浴びながら仰いだとき、ここに古人が神霊の力をみとめたのも尤もだと思わせた。落口は岩壁を離れて水煙になり、その白い煙の征矢が一せいに射かけてくるようで、うしろの岩に、その水の落下の影が動いて映る。中ほどから岩に当って幾筋にもわかれて岩を伝うが、じっと仰いでいると、その光った石英粗面岩の岩壁全体が、こちらへのしかかって、崩れて落ちてくるような気がする。
 滝の横でしじゅうわなないている濡れた草むらを、二、三の黄の蝶がめぐっている。
三島由紀夫 紀行文『熊野路』より)

3、滝の前でも、また、五百段の石段をのぼって達する本社の前でも、煙に願文を託して焚く修験道のなわはしによって、神社でありながら、神前に、香りを抜いた薬仙香をおびただしく焚き、神道護摩の姿を伝えている。明治政府の神仏分離も、この土地の長い神仏混合・本地垂迹の伝統をほろぼすわけには行かなかったらしい。
 熊野信仰の源は、ここの本社那智山熊野権現、新宮の速玉神社、本宮の熊野坐神社、の三つ。いわゆる熊野三山にあるのであるから、私は新宮へ行って速玉神社に詣で、さらにあとで、紀州の旅のをはりを本宮に定め、これでようやく私の愛する中世文学への義理を果したように感じた。
 夏の烈しい日のなかを五百段の石段を昇るのは決して楽ではないし、上り切ったところで若いアンチャンの観光客までが、
「足が動かんようになってしもた」
 などとこぼしているけれど、神社の長い石段は一種の苦行による浄化を意味しているので、楽に上れたらおしまいである。一例が富士山にドライブ・ウエーが通じることは、「楽に登れる」ということだけでも、神聖化のをはりであり、山岳信仰の死なのである。
 苦行の果てにかならずすばらしい風景が待っている。熊野権現の境内からは、山々のあひだに、東の海をわづかに望むが、そこから昇る朝日の荘厳が偲ばれる。西の眼下には生物学者垂涎の的である原始林があり、ここではさまざまの亜熱帯の動植物が育っている。
三島由紀夫 紀行文『熊野路』より)
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それはたくまずして多くの柵が除かれ、あまたの禁忌が解かれた、ふしぎな夏の午前であった。先生にしても、ことさら解かれたわけではなく、めずらしくこういう成行を許すお気持になったのであろう。
 那智御滝の霊光を移した那智大社へ詣でるには、夏の日ざかりを、四百余段の石段を昇って行かなければならない。この石段の昇りの辛さは、春秋でも全身が汗ばむほどであるのに、まして盛夏のこんな時刻にあえてのぼろうとする人は数えるほどしかいない。近ごろの若い人は足弱と見えて、はじめの数十段で、もう音を上げている若い男女を、常子がおかしく眺めているうちはよかったが、最初の茶屋をすぎるころには、常子自身も怪しくなった。
 先生は茶屋にも寄られず、常子にも手をとらせず、黙々と昇ってゆかれる。どこにこんな強靱なお力がひそんでいたのかとおどろくほどである。背広の上着は常子が持って差し上げたが、杖も買われず、袴のようにひろいズボンにはらむ風もない照り返しの中を、ひどい撫で肩を前に傾けて、ゆらゆらと柳のような足運びを、執拗に次の段次の段へと移される。すでにシャツの背は汗まみれで、扇を使われる暇もなく、握りしめたハンカチでしたたる額の汗をお拭きになるのがせい一杯である。頭を垂れ、白い石段のおもてをじっと見つめながら、苦行をつづけておられる先生の横顔は、いかにも孤独な学究生活の御生涯を語るようで尊げであるが、同時に、いつもの先生の癖で、そういう孤立無援の苦しみを人に見せつけようとしておられるところも仄見える。見るに耐えない眺めであるが、そのなかに、丁度海水を蒸留して得た潮のような、些少の崇高さがきらめいている。
 これを窺う常子も、おのずから先生に対して弱音を吐くことはできない立場に置かれた。心臓が喉元へ突き上げて来るようで、歩き馴れない膝は痛み、脛は痛み、足は次第に雲を踏むように覚束なくなる。それに何という、地獄のような暑熱であろう。目もくらめき、気を失わんばかりの疲労の底から、やがて、砂地に湧き出る水のような、浄いものが溢れてきた。先生がさっき車中で話された熊野の浄土の幻が、こういう苦難の果てに、はじめて実感を以て浮んでくるように思われる。それは緑の涼しい木陰に守られた幽暗な国である。そこではすでに汗もなければ、胸の苦しみもない。
 そこではもしかすると、……と一つの考えが心に生れたとき、それを杖として縋って、登りつづける勇気が常子に生れた。そこではもしかすると、先生と自分がすべての繋縛を解き放って、清らかなままに結ばれる定めが用意されているのかもしれない。十年間、心の隅にさえ浮かべたことのない望みであるが、尊敬をとおして、尋常でない神々しい愛が、どこかの山ふところに、古い杉の下かげに宿っているのを、夢みたことがあるような気がする。それは世のつねのありきたりの男女の愛のようなものであってはならない。見かけの美しさを誇示し合うような凡庸な愛である筈もない。先生と自分は、透明な光の二柱になって、地上の人間を蔑むことのできるような場所で相会うのだ。その場所が、今息を切らせてのぼる石段の先にあるのかもしれない。
 あたりの蝉の声も耳に入らず、石段の左右の杉木立の緑も目に入らず、常子はただ頭上から直下に照りつける日の、それ自体が目まいのような光りを項に感じながら、いつしか光かがやく雲の上をよろめき歩くような心地になった。
(三熊野詣)
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枝垂桜の木と根元近くに鴉岩

初代天皇神武天皇那智まで案内したとされる鴉が、岩となって今日まで残っている。鴉岩は、皆、携帯で写真を撮っていく。

玉砂利の袋を神主さんから渡されたので、丁寧に平になるように入れてみた。赤と白がのコントラストが綺麗だ。

――熊野那智大社の境内に達したとき、冷たい手水所の水を髪にふりかけ、咽喉を潤して、ようよう落着いて眺めわたす景色は、浄土ではなくて明るい現実のものであった。
 ひろい眺めは、北の方、烏帽子ヶ岳、光ヶ峯、南の方は妙峯山の山々に囲まれ、死者の髪を納める寺のある妙峯山へゆくバス道路が、下方の針葉樹林のあいだを迂回してゆくのが見えたが、東だけはわずかに海にひらけて、そこからのぼる朝日がどんなに暗い山々を変貌させ、どんなに人々の讃嘆と畏怖の心をそそったかが偲ばれた。それは死の国へひょうと射放たれる赤光の生の矢だった。それはやすやすと、平家物語巻十にいわゆる「大悲擁護の霞」、つねに熊野の山々にたなびいていると云われるけだかい薄霞をも、射貫いたにちがいない。
(三熊野詣)
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 藤宮先生はここでも宮司と昵懇の間柄で、朱塗りの格子門から社の内庭へ案内された。
 ここは夫須美大神(伊邪那美大神)を主神とし、ほかの二山の主神をも併せ祀っていることは、三熊野の共通の特色である。従って内庭まで入ってみれば、滝宮、証誠殿、中御前、西御前(那智大社の御本社)、若宮、八神殿の六つのお宮が、男神女神それぞれの、雄々しさとたおやかさを甍の形まであらわして、居並んでいるのが窺われる。「満山護法」と云うように、まことに熊野の天地には、神々や仏たちがひしめき合って在すのである。
 それらの神殿は夏の日の下に、色濃い杉の裏山を背にして、丹のいろ青のいろの花やかさの限りを尽している。
「どうぞごゆるりと」
 と宮司が二人を残して去ったので、二人は名高い古木の枝垂桜や鴉岩のある内庭を、わがもののように感じた。暑さのために苔もすっかりけば立って、内庭は、神々の午睡の寝息が聴かれるようにしんとしている。
 先生は、朱の玉垣を隔てた六つの神殿の棟を指さして、
「ごらん。あの蛙股の彫刻が、お宮ごとにみなちがうから」
(三熊野詣)

潮騒(神島)は本来の姿を見せている!

鳥羽水族館から歩いて10分ぐらいで、佐田浜港に着いた。マリンターミナルの待合室に座っていると、NHKで大相撲を放映している。やはり国技というもので、日本国中で場所中は毎日放送しているのだから、その位の高さに今更ながら驚く。


待合室で可愛い女子高生が、神島行のフェリーに乗るところだ。後ろの赤いバッグを肩に掛けたおばさんは、孫と食べるはずのフランクフルトを2本、女子高生に渡していた。久しぶりだけど、もう高校生になったんだねと先ほどの待合室で言葉を交わしていた。そのまま2本ペロリと食いあげると、澄ました顔をして悪びれる様子もない。『潮騒』の一節が頭に浮かんできた。

 初枝の父親である照爺が2人の仲を反対し、初枝と新治の恋がうまくいかずに2人は悶々とした日々が続いていた。新治の心情を思うあまり、母親は、無謀とも思える行動にでる。照吉に会って息子の心情を伝え、2人を添わせてやることだ、親同士の話合いのほかに解決の道はない、と考えたのである。しかし、照吉は、会わなかった。母親は、孤独に陥る。
そんなある日、季節ごとに島へやってくる年老いた行商が、海女たちがほしがるハンドバッグを、鮑とり競争の賞品にすることになった。
(第十三章より)
 一番と二番、初江と新治の母親は疲れて充血した目を見交わした。島でもっとも老練な海女がよその土地の海女に仕込まれた練達な少女に敗れたのである。初江は黙って立って、賞品をもらいに、岩のかげへ行った。そしてもって来たのは、中年向の茶いろのハンドバッグである。少女は新治の母親の手にそれを押しつけた。母親の頬は歓びに血の気がさした。
「どうして、わしに……」
「お父さんがいつか、おばさんにすまんこと言うたから、あやまらんならんといつも思うとった。」
「えらい娘っ子や」
 と行商が叫んだ。みんなが口々にほめそやし、厚意をうけるように母親にすすめたので、彼女は茶いろのハンドバッグを丁寧に紙に包み、裸の小わきに抱えて、何の屈託もなく、
「おおきに」
 と礼を言った。母親の率直な心は、少女の謙譲をまっすぐにうけとった。少女は微笑した。息子の嫁えらびは賢明だった、と母親は思った。

上述の写真女を見よ!女子高生は、おばさんの孫をみつめて微笑んでいる。島の政治はいつもこうして行われるのだ。





神島直送のフェリーに乗って25分ぐらいで神島に着いた。答志島を抜けた辺りから四方が海に囲まれ、25メートルしか泳いだことのない私は、落ちることは死を意味すると思った。
「低い船橋ごしに、沖にあらわれる島影を待った。歌島はいつも水平線から、あいまいな、神秘な兜のような形をあらわした。船が波に傾くと、その兜は傾いた。」

 (第一章より)
一人の見知らぬ少女が、「算盤」と呼ばれる頑丈な木の枠を砂に立て、それに身を凭せかけて休んでいた。その枠は、巻揚機で舟を引き上げるとき、舟の底にあてがって、次々と上方へずらして行く道具であるが、少女はその作業を終ったあとで、一息入れているところらしかった。額は汗ばみ、頬は燃えていた。寒い西風はかなり強かったが、少女は作業にほてった顔をそれにさらし、髪をなびかせてたのしんでいるようにみえた。綿入れの袖なしにモンペを穿き、手には汚れた軍手をしている。健康な肌いろは他の女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉は静かである。少女の目は西の海の空をじっと見つめている。そこには黒ずんだ雲の堆積のあいだに、夕日の一点の紅が沈んでいる。

ここが以前、銭湯だった場所らしい。今は喫茶店になっている。
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島で一番綺麗で高く目立っている。三島由紀夫原作の映画の恩恵を十分に受けたのだろう。
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料理は最上級のものにした。とっても豪勢である。脂は少ないけど、鮮度は抜群である。食べきれないほどのご飯で、朝晩残してしまい申し訳ない。

八代神社に向かう階段。
「二百段を一気に昇っても、すこしも波立たない若者の厚い胸は、社の前にあって謙虚に傾いた。」
ゆっくり歩いたけれど、胸が波立ってしょうがない。高校球児だった頃は、駆け足で昇れたかもしれないけど、膝に手を当てて肩で息をするだろう。
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(第三章より)
思い切って、もう一つ十円玉を投げ入れた。庭にひびきわたる拍手の音と共に、新が心に祈ったことはこうである。
「神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように!わたしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事をも熟知し、何事にも熟達した優れた者になれますように!やさしい母とまだ幼い弟の上を護ってくださいますように!海女の季節には、海中の母の体を、どうかさまざまな危険からお護り下さいますように!……それから筋違いのお願いのようですが、いつかわたしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように!……たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような……」

灯台に向かう道だが、残暑の厳しい9月初旬というのもあるのか、蜘蛛の巣が通り道に張られていて、油断していると被ることになる。景色を目で追っていると、耳もとでプーンという音がする。振り返ると、都会にはいないような大きい蜂が通り過ぎる。昆虫、鳥が皆大きくて、落ち着かない気持ちにさせる。クロアゲハが2匹草原から挨拶代わりに姿を現した。
黒くて大きな蝶に、母親が問いかける場面があったけれど、変に生々しく、その島での生活感が呼び起こされてくる。
(第12章より)
母親は一羽の蝶が、ひろげてある網のほうから、気まぐれに突堤へむかってとんでくるのを見た。大きな美しい黒揚羽である。蝶はこの漁具と砂とコンクリートの上に、何か新奇な花を探しに来たのであろうか。漁師の家には庭らしい庭はなく、石で囲まれた小さな道ぞいの花壇があるだけで、蝶はそれらのけちけちした花に愛想を尽かして浜へ下りて来たものらしい。
 突堤の外には波がいつも底土をかきまわすので、萌黄いろの濁りが澱んでいた。波が来るとその濁りは笹くれ立った。母親は蝶がやがて突堤を離れ、濁っている海面近く、羽を休めようとしてまた高く舞い上るのを見た。
『おかしな蝶やな。鷗のまねをしとる』
 と彼女は思った。そおう思うとひどく蝶に気をとられた。
 蝶は高く舞い上り、潮風に逆らって島を離れようとしていた。風はおだやかにみえても、蝶の柔らかい羽にはきつく当った。それでも蝶は島を空高く遠ざかった。母親は蝶が黒い一点になるまで眩ゆい空をみつめた。いつまでも蝶は視界の一角に羽搏いていたが、海のひろさと燦めきに眩惑され、おそらくその目に映っていた隣りの島影の、近そうで遠い距離に絶望して、今度は低く海の上をたゆたいながら突堤まで戻って来た。そして干されている縄のえがく影に、太い結び目のような影を添えて、羽を息めた。
 母親は何の暗示も迷信も信じない女だったが、この蝶の徒労は彼女の心に翳った。
『あほな蝶や。よそへ行こうと思たら、連絡船にとまって行けば楽に行けるのに』
 ところが島の外に何の用もない彼女は、もう何年と連絡船に乗ったことはなかった。
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恋人の聖地に認定された神島灯台に到着。
灯台官舎の窓枠に蜘蛛の巣がびっちりいて、人が通らなくなるほど、虫や動物の住処になっていくのは致し方ない。これが元々の神島の素顔なのだろう。

(第2章)
山に遮られた島の南側には風がなかった。日に照らされた太平洋は一望の裡にあった。断崖の松の下には、鵜の糞に染った白い岩角がそびえ、島にちかい海は海底の荒布のために黒褐色を呈していた。怒濤がしぶきを立てて打ちかかる高い岩の一つを、新治は指さして説明した。
「あれが黒島や。鈴木巡査があそこで魚釣りしとって、波にさらわれたんや」
こうして新治は十分幸福だったが、初江が燈台長の家へ行かなければならない時刻が迫っていた。初江はコンクリートの縁から身を離して、新治の方を向いて言った。
「私、もう行きます」
新治は答えずに、おどろいたような顔をした。初江の赤いセエタアの胸に、黒い一線が横ざまに引かれていたからである。
初江は気がついて、今まで丁度胸のことろで凭れていたコンクリートの縁が、黒く汚れているのを見た。うつむいて、自分の胸を平手で叩いた。ほとんど固い支えを隠していたかのようなセエタアの小高い盛上りは、乱暴に叩かれて微妙に揺れた。新治は感心してそれを眺めた。乳房はその運動の弾力のある柔らかさに感動した。はたかれた黒い一線の汚れは落ちた。




潮騒より)デキ王子の伝説は模糊としていた。デキというその奇妙な御名さえ何語とも知れなかった。六十歳以上の老人夫婦によって旧正月に行われる古式の祭事には、ふしぎな箱をちらとあけて、中なる笏のようなものを窺わせたが、その秘密の宝が王子とどういう関わりがあるのかわからなかった。一昔前までこの島の子が母をさしてエヤと呼んでいたのは、王子が「部屋」と妻を呼んだのを、幼い御子がエヤと訛って呼びはじめたのに起るという。
 とまれ古い昔にどこかの遥かな国の王子が、黄金の船に乗ってこの島に流れついた。王子は島の娘を娶り、死んだのちは陵に埋められたのである。王子の生涯が何の口碑も残さず、附会され仮託されがちなどんな悲劇的な物語もその王子に託されて語られなかったということは、たとえこの伝説が事実であったにしろ、おそらく歌島での王子の生涯が、物語を生む余地もないほどに幸福なものだったということを暗示する。
 多分デキ王子は、知られざる土地に天降った天使であった。王子は地上の生涯を、世に知られることもなく送ったが、追っても追っても幸福と天寵は彼の身を離れなかった。そこでその屍は何の物語も残さずに、美しい古里の浜と八丈ヶ島を見下ろす陵に埋められたのである。
 ――しかし不幸な若者は祠のほとりをさすらい、疲れると草の上につくねんと坐って膝を抱き、月にてらされた海を眺めた。月は暈をかぶり、あしたの雨をしらせていた。

潮騒より)その古里の浜は岬の西側に、島でも一番美しい海岸線をえがいていた。浜の中央には八丈ヶ島とよばれる二階建の一軒の家ほどの巨岩がそびえ立ち、その頂きにはびこった這松のかたわらに、四五人の悪戯小僧が何か叫びながら手を振っていた。
三人も手を振ってこれにこたえた。かれらのゆく小径のまわりには、松の木の間のやわらかな草生のところどころに、赤いげんげの花が群がって咲いていた。



(潮騒より)古里の浜に大きな亀が上ったのである。亀はすぐ殺され、その卵がバケツに一杯もとれた。卵は一個二円で売り捌かれた。

鳥羽発神島行の船のデッキで、日焼けした4人の若い男が、ビールを飲みながら騒いでいた。三島由紀夫潮騒創作ノートにこうある。
◎議論
「愛情と友情について」「恋愛と結婚について」「食塩注射と同じ位の大きさの葡萄糖注射あるか」(いやブドウ糖50㏄以上打ったらアカン)言いとおしたものが勝ち。
船上の漁師たちも、とめどない話であるが、酔いにまかせて盛りあがっている。
きっと、三島は神島での生活で島で暮らす人達のことが好きになって、その思いが作品に投影されているから、名作として今も読み継がれているのだろう。『潮騒』は神島へのラブレターと言えるのではないか!

「昔は洗濯物を持ってきて、ここで踏んで洗っとった。水量はこんなもんだったよ」年配の女性の言葉。「寺田さんのお母さんは、今、島を離れて、娘さんのところに行っているみたいじゃけどね」
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三島由紀夫が滞在した寺田邸。この後、午前8時の鳥羽行のフェリーに乗った。

鳥羽水族館

1.9月9日(月)の始発で京王多摩センター駅から新横浜駅に行き、午前中には鳥羽港を経由して、神島に着くはずであった。しかし、前日夜から台風が関東平野に上陸したため、電車が10時になるまで運行せず、鳥羽に着いたのは、午後3時であった。次の神島行きのフェリーは、午後5時40分ということだから、鳥羽水族館を観てこようと考えた。結果、これが一番の娯楽であったといえよう。単純に楽しかった。他は三島由紀夫の書物を通して、事物を見ることで知的興奮を覚えはしたが、水族館は、何の媒介もいらずに、ただ見ていて楽しいのである。
旅行にきている学生の連中が、なんかテンション上がってくるわと話していたのもうなずける。
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2.鳥羽駅は平日の月曜日であるにもかかわらず観光客が多い。

3.鳥羽港(佐田浜)の周りを散策

4.海上保安庁の船舶有り 日の丸を掲げて日本近海をお守りしている。

5.入ってすぐの水槽には、体長30㎝~50㎝の鯛に似た魚が泳いでいたが、急に上からウミガメが降りてきた。

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6.近海で採れる魚らしいけど、熱帯魚みたいに黄色の光沢が眩しい。

7.海の中に潜っていくような館内のつくりと演出に敬服

8.これだけ大きい紡錘形の魚を小さい水槽に3匹も入れて大丈夫だろうか? ゆっくりしてほとんど動かないのだけど、習性なのだろう!

9.大きい巻き貝が底深くにもぞもぞとして生きている。

10.化石を展示している。昔はもっと大きいのが海の底にいたらしい。

11.サメの仲間がすばしっこい身の動きで右左と向きを変える。見学する人間を餌に見立てているのだろうか?

12.水族館のアシカショーを見学。輪投げを首に受け止めたり、遠くから投げたフリッスビーを口で咥えてみせたり、会場のみんなに拍手を促すように両手をひらひらさせたりと凄いなぁと思った。それ以上に、この女性が可愛くてみとれてしまった。みんなを元気にさせるような明るくて無邪気に溢れた声をしていて、とっても感じが良かった。都心ではあまり見かけないような純朴さがあった。水族館で働こうというだけでも、純朴かもしれない。


13.トドである。とにかくデカい。不格好な姿が、海で生きるたくましさを全身で表している。

14.実寸大の大きさということだ。防腐材をほどこして、岩のように固めたということだけど、こんなのに海中で攻撃されたらひとたまりもない。

15.可愛い顔をして油断をしたら大変だ。ピラニアである。人食い魚とアマゾンでは恐れられている。

16.アフリカから持ち帰った魚らしい。身体似合わず草しか食べない。懐かせるのに、人間が手で餌をやっている写真が掲示されていた。

17.ご存知、動物園で大人気のカピパラである。餌やりタイムで、女性の客が十人近く携帯をかざして写真を撮ろうとしている。

18.身体は大きいけれど口は小さいのか、少しずつ食べていく。

19.ウミガメがうろうろしている。海は広いし大きいな。

20.これも先ほどのアフリカから持ち帰った魚で、水面に浮いている草が餌である。草ばかり食べてこれだけ大きくなるのだから、素質は人間でも重要な要素だろう。

21.クラゲが証明に照らされて美しい。

22.さきほどアシカショーで解説をしていた女性が、今度はラッコと仲良く遊んでいる。客が20人近くカメラを向けている。凄い人気である。擬人化できるものほど、人気があるのかもしれない。

20.ラッコのお祈りポーズだ!

アラジン婚活 男のエゴを越えられない


立川でお会いした女性とアラジンを観に行くと様子が変わっていた。笑顔に以前より自信が備わっている感じがした。
黙り続けているのは変わらない。間をもたせなきゃという気持ちは彼女に対してはいらないのだろうか。
最近観たテレビはありますか? と聞くと、老人ホームで甲子園を観たことぐらいですかねとかすれる声で答えるだけだけど、微笑み方がゆったりしていて余裕そうである。
「私もあまりテレビを見ないけれど、最近、ブラックホールについて解説しているNHKの特番を見て興味を覚えました。
地球の重力を抜け出して、外に飛び出すには、秒速11kmの速度が必要ということで、引力が強くなるほど、速度を上げる必要があるんです。その引力が強すぎて、光の速さでも抜けられなくなるところがブラックホールです。
銀河群の中心にあるブラックホールは、光を呑み込むほど強力に宇宙空間をかき混ぜる。水をたたえたコップに塗料を垂らしかき混ぜると均質になるように、宇宙空間における元素の割合がそのおかげで一定しているということだった。生命は安定した元素の上に築かれるとすれば、我々の生命はブラックホールと繋がっているということかもしれないということらしいんだ」
Sさんは珍しく嬉しそうに笑った。
開始5分前合図がかかると私達は別々の席に座った。アラジンのチケットは、ペアではなかなかとれない。了承済みであったが、席を探す彼女の背中は寂しそうだ。
芝居の幕が引き、汐留シティセンターの42階の和食「えん」で懐石料理を食べた。窓際の席で夜景が綺麗だった。電通本社のビルが夜10時になってもついている。オフィス街のビルの部屋の明かりが多くまだついている。残業しているのだろう。


Sさんは鮎の唐揚げと炊き込みご飯は食べられないようだった。刺身は美味しいと喜んでいた。時計を気にし始めた。午後11時20分の新橋発が彼女の住まい桜街道駅までの終電だ。
「ツヴァイはまだ続けますか?」
ちょっと困った顔をする。
「私はお付き合いしたい気持ちでおります」
顔を紅潮させてはにかんだ後、真面目な顔に戻って、まだ他に会う約束している人がいるので考えさせてもらっていいですか? ということだった。
婚活は次々と紹介されるから、こうなるものなのはしょうがないけど、一気に彼女へのおもいが冷めていくのを胸中に感じた。男のエゴに過ぎないのであるが、どうしても感情は正直である。アラジンの原作者はきっと男であろう。

婚活!ムーランを好きになれるか?


婚活を続けていると、幸か不幸か、女性が得意とする分野に接触を試みる機会が増える。ポケモンの映画もそうだし、犬・猫のペットに関する知識もそうだし、今まで興味のなかったディズニー映画を観るうちに、段々その波長に慣れてきた。万物が等しくなるまで、愛しくなるまで歩いていこうとするような、自由・平等・博愛の精神に基づいた宣伝映画のようなあの感じ。
 日本では流行らなかったディズニーアニメ作品がある。私も初耳の『ムーラン』という映画だ。ムーランという娘が、徴兵令を受けた父親の代わりに男装して入隊する。女性差別が根強い中で、大志を抱き、国を救う活躍をみせる話である。 
 正直、クリキ(コオロギ)、ムーシュ(赤竜)など、人間以外の動物が普通に言葉を交わし、意思疎通を図るというだけで、嘘くさく思えて、観るのをやめようと思った。けれども、ディズニールネッサンスと言われている作品であるから、長所があるはずだ。そこに詩のような寓意があるに違いないと、テレビを消そうとして手にしたリモコンを離した。 幼い頃、呼び鈴が鳴り、玄関のドアを開けると、ものみの塔の女性が立っていたことがある。地球の絵が表紙に描かれている『目覚めよ』という冊子を貰ったことがあった。そこには、湖の周りの芝生で、ライオン、犬、羊、シマウマ、人間、魚、鳥、昆虫が仲良く暮らしている絵があった。こういう世界になればいいなぁと思った。ディズニーのテーマのような気がしてしょうがない。
 見終わって考えるところは、終始一貫、映像が美しいということ。そして、古代の古い封建社会とミュージカル場面の軽快さが絶妙で心地良い。偽善臭がぬぐえないから、やはり感情移入はできないけれど、いつかディズニー映画がいいなぁと心から口に出来た時に、心から女性に打ち解けて、仲良く暮らせるのかもしれないと思った。

家に名誉を (ムーラン)

闘志を燃やせ (ムーラン)

リフレクション (ムーラン)

愛しい女よ (ムーラン)

「ムーラン」予告編

Mulan final scene

婚活! 初めての感触!上手く逝きそう!


婚活でお見合いを繰り返せるだけ幸せなんだと近頃思えるようになった。愛する異性を求めてさまようほど、動物にとって幸せなことがあるだろうか? 心身共に健康であるから出来ることなのだ。そして、まだ私のプロフィールを見て、一度会ってみようと思う女性がいるということだけでも嬉しいではないか。
 この度、とても好意的な女性に出会った。初めて会う前のメールから、映画や文学についてのお話を聞けることを楽しみにしていますと、たいそう謙虚に出てくる。よほど容姿に恵まれない女性に、この手のタイプが多いのだが、プロフィール画像を見る限りは綺麗だ。
 モノレール立川駅北口階段下で待ち合わせる。私の前にきて、待つ姿は、緑のワンピースに白のカーディガンが、真夏の青空と合っていている。目鼻立ちがしっかりした顔をしている。綺麗だと思った。
「Sさん、お待ちしておりましたか? 私はIです。今日はお会いできて嬉しいです。」
 と話掛ける。笑顔の後で目を大きくして厳しそうな、挑むような、睨むような表情を浮かべる。
「食事はされましたか?」
「まだしていません」
 食べましょうということになった。最初はカフェで終わりというのが多い中で、食事をすることになった。
 伊勢丹ビルの最上階がレストラン街になっていて、カフェ兼洋食レストランのお店に入った。彼女はオレンジジュースとドリアを、私はゼリーケーキとジンジャーエールを頼んだ。
 大学を卒業して老人ホームに10年勤めている彼女は、始終、真剣な顔を向けてくる。話題が詰まると、困ったという気持ちになるが、彼女は動じずに、じっと力強い目を私に向けてくる。
 学校のこと、兄弟のこと、好きな食べ物、旅行した場所と感動したこと、とにかく何でもいいから質問をして、話を膨らませる努力だけをしている感じだった。私が話すのをやめると、すぐ沈黙が待っていることがわかる。間が持たないではないか。
 以前、メールアプリYOUBRIDEで千葉県の市川駅まで会いに行った女性も、ずっと黙っている人であった。言葉によるコミュニケーションにコンプレックスがあるタイプか、ほとんど気にせずただ単に無口なタイプか二通りあるが、彼女は前者で、コンプレックスになっていると思った。男性との付き合いが会話によって成立しないことがあったのかもしれない。
 自分から帰りたいそぶりを見せては駄目だ。Sさんを傷つけてしまう。しかし、14時に会ってから、気付いたら17時を回っていた。彼女が腕時計を気にする。
「行きますか?」
自然な流れで話しかけたつもりだった。この後、食費は私が出したのだが、怒った顔をしているだけだった。駅までの道も先にさっさと歩こうとする。けれども駅の改札口で挨拶すると可愛くはにかんだ。

この度の話の内容
キャッツのミュージカルが観たいというから、夜勤明けの14日(水)の夕方だったら大丈夫という話になった。調べたら昼の公演である。16日以降の予定が私の方で出ていないから、また今度メールするということにすると、気が変わって駄目になる場合がある。女性の心と秋空は変わりやすいという。それで急遽、14日(水)にアラジンのチケットを取るから行きましょうという話で決着した。日本食が好きだというから、懐石料理でも食べましょうか? と持ちかけた。
夏休みのことを聞くから、とれたら一緒に旅行でもしましょうと話し掛けると、顔を少し紅くしてうなずいてくれた。これだけの手応えは初めてである。
学生の頃、北海道の動物園に行き、アライグマやペンギンを観てきたこと、3年前に友達と広島の厳島神社に旅行したことを話してくれた。必死に話題を膨らませようと努力して、感触は必ずしも良くはないが、何故、彼女は受け入れてくれるのだろう。私のどこをみて、いいと思ってくれたのだろう。会話が100%上手くいっても駄目なものは駄目なのだろうか? 
 動物園にいるやもめのゴリラにつがいのメスを連れてきても、匂いを嗅いで、興味を持たないとそっぽを向いてそれっきりという話は聞いたことがある。男女の惹かれ合う感覚はそれに近いのかもしれない。認めたくないけれど、知的に異性を選択しようとすることはナンセンスであるのかもしれない。
 アラジンを観てから、食事をして、結婚前提で付き合って欲しいと告白をしてみよう。

居酒屋でお見合い!お色気ムンムン、ボクはドギマギ!


昨年の12月から始めたツヴァイの婚活であるが、今回で何人目になるだろう。一度会ってから音信不通になるのを繰り返して今日まできた。後悔だけはしたくないと、40歳になるまで婚活なるものを、アプリとか、街コンとかの遊びのようなものではなく、女性もお金を払って望んでいるような場所で勝負してみたくなった。成婚料をとられるところに加入してまで結婚したいかと言われるとそうでもなかったのでツヴァイに落ち着いた。
やってみて思うところは、これは結婚相談所ではなく、結婚相手データ提供所であることがわかった。
新宿西口の居酒屋「よかろうもん」でお見合いすることになった。最初はカフェ等で軽くお茶をして話をするだけが多い中、居酒屋で食事しようというのだけでも異色である。日程が合わなかったため、彼女の仕事終わりに会うことになった。
清泉女子大学という屈指のお嬢さん大学を出ているNさんは、居酒屋の前で会うと、愛想良くお辞儀してみせた。お顔の化粧が不自然ではないほど均整がとれていて上手いと思った。愛想笑いの浮かべ方も落ち着いている。自信をもって接してくれるから、変にドギマギせずに話せるが、夜、飲み屋で接待するような仕事をしていたのではないかという気にもなってしまう。
和歌山の話題を持ちかけると、田舎でしょと取り合おうとしない感じでツンとしている。父親が高野山大学を寺の小僧をしながら卒業したことで、私も2度ほど和歌山県高野山に行った話をしたけれど、興味は無さそうだ。大学を出たら戻ってくると両親は考えていたらしいが、田舎暮らしはもううんざりらしい。
そうそう、いいね、どれだけという相槌の入れ方は、こっちの気分も良くなるし、目を見て微笑みかけてくる表情は、ドキドキして変な気持ちにさせる。しかし、相手が気を遣ってくれているけれど、話が一向に盛り上がらない。その間、出てくる食物を、彼女はどんどん食べようとする。お酒のジョッキを2度ほどおかわりをして飲み干した。この逞しさが私には欠けていると感じた。食欲が旺盛というのはいいことだ。しばらくして、Nさんがお腹を押さえて、お腹が苦しいと言い出した。トイレから戻ってきても、顔色が蒼白になっている。昼の休憩をとらずに来て、沢山食べたから、具合が悪くなったという。帰りたい口実という訳ではなさそうだ。時間を合わせて飛んできてくれたのだろう。有難いことだ。婚活で申し込みが思ったほどなくて、自分からコンタクトをポチッとやっても断られるんですと可愛いしかめっ面をしていた。綺麗な女性なのに、そういうことなんてあるのかと不思議であった。
後日、大丈夫ですか? 出勤できましたか? という心配メールを入れたけど応えはなかった。30の齢を過ぎた女性を男性は焦りからすぐ落ちるだろうとどこかで舐めているところがある。しかし、その期間、男性と付き合う中で、目も耳も肥えてきているため、男性を見る目が、若い頃より厳しくなっているのだ。今回も、駄目だ! 次に行こう! 今度は良き出会いがあることを信じて! これから婚活をする者へのメッセージを求められたらこれだけだ。
世の中はなにか常なるあすか川昨日の淵ぞ今日は瀬になる 
万葉集――読み人知らず

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