nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

お問い合わせフォームはこちら

成功した経営者に醜さを感じるのも、ロスジェネ世代のリアルなのか?

事業で成功した経営者が、起業家に必要なことは、しつこさ、泥臭さとか、パッションとビジョンとか話している番組がある。多くの成功したくて、その番組に観客として参加している人達が、一生懸命に質問している光景がある。何か美しいものを感じない。芸術家がいるのと違い、グロテスクな雰囲気を感じてしまうのは、お金儲けに、綺麗ごとはないという先入観によるものだろうか?

会社で働いてみていて、みんなに望ましい職場等の考えは妄想であるということがわかる。よく経営をリンゴの木の栽培にたとえる話があるけれど、リンゴの実の発育のために、悪いものは、剪定して、捨てていく。社内では、よりよい秩序を形成しようと、あらゆる方策が示され、それを志向するほどに、反秩序(エントロピー)は増大していく。エントロピー増大の法則というから、これは科学的に実証されていることだ。

パソコンで、今ブログを書いている。デスクトップに、ごみ箱のアイコンがある。もし、パソコンに取り組んだデータが、消去されずに残っていくと、どんどん重くなっていき、その重荷に耐えきれずに、数年以内に、買い替えなくてはいけなくなる。お店で働いていても、ごみ箱がなかったら、1週間もしないうちに、ごみだらけになってしまう。トイレがなかったら、お客様は困るけれど、従業員は、近くのコンビニを探して、用を足さなければならない。現実、1日だって営業できなくなるだろう。

変なたとえになるけど、会社内の人間模様も同じことが言える。誰にとっても素晴らしい職場は存在しない。エントロピーが充満するだけなのだ。基本理念と高い要求に合うものだけが素晴らしい職場が、現実における最高の職場になる。そのためには、組織において不要な人を排除する仕組みを、気づかれない範囲でつくらなくてはならない。昔は、大企業の追い出し部屋というものがあった。紙を1日中折る作業をさせて、自発的に辞めていく環境をつくっていた。今では、大変な問題になるから、うまく辞めていくようにさせることが大切になる。

私は情無しではない。ロスジェネ世代でも、2002年に社会人になって私は、超氷河期世代であり、まったく内定を得られずに、20社回ったところで、就活をやめてしまった。あの頃、就職活動をしていた時に、バッグの中にあった座右の書は、ショーペンハウエルの『自殺論』である。高校野球で甲子園を目指して夢みて頑張っていたこともあったのに、何故、こんなにも就活で絶望しているのかと、答えも内面に探していたけれど、実際は、社会情勢の影響を、かなり受けていたといえるだろう。

頑張っても頑張っても、バブル入社組を含めた1つ上の世代の厚い雲に覆われ、出世できずにいた。中には、本来なら、この会社に入らないような人も来ていて、大出世を果たすものもいる世代ではあるが、ほとんどは、一律に出世が遅れている。ようやく、上の世代が退職すると、ロスジェネの出番かと思えばそうではない。どうせなら、下の世代にさせていった方が、将来の会社の発展にはいいと考えるのが会社のエゴである。

少子高齢化の影響で、若くて優秀な人材の囲い込みがおきている。そのための資金調達を、働き盛りのロスジェネ世代から搾取し、下の世代に回す動きが加速している。今になって、この20年間を振り返ることで、私が置かれていた状況は、時代背景が色濃く影響していたことを知ることができた。自分のせいじゃないんだと、少しの安堵があったけど、知恵の実は、怒りと孤独を教えるのは、明治の文豪が述べている通り、現在でも変わらない。

昭和の時代に幼少期を過ごしたこの世代は、親や学校から「男らしく、女らしくしなさい」「学歴がないとよい企業に就職できない」「嫌なことも我慢しなさい」「年上の言うことは黙って聞くもの」などと、理不尽な“洗脳のシャワー”を絶え間なく浴びてきた。

氷河期世代が思春期から成人になるころに昭和が終わって平成となり、一気にインターネット社会になりました。既存の古い慣習やしきたり、社会を動かすルールが大きく変容することになっていったのです。

個性の尊重や多様性という価値観が“当たり前”になっている現代の10代、20代の若年層にしてみれば、「時代遅れ」「非論理的」としか思えない「古い価値観」のシャワーを強烈に浴びて育った、最後の世代と考えて間違いない。

氷河期世代が幼少期から青年期であった当時は、インターネットはまだ普及しておらず、情報源は家庭や学校・地域のコミュニティ、もしくはテレビぐらいでした。そのため、いまとなっては「いびつな価値観」に疑問を持つこともなければ、多種多様な考え方に触れる機会もなかった。

そんな旧来の価値観を徹底的に刷り込まれ、十分にアップデートできずにきた氷河期世代が、社会に出て、年齢を重ね、マネジメント層になることで、昨今ではさまざまな問題が顕在化するようになってきた。

「男らしく女らしく」という価値観からセクハラ発言をしてしまったり、「努力や忍耐こそ至上」という価値観から無理難題を押しつけるようなパワハラをしたり……。

しかし、本人たちにはまったく悪気はありません。「カラスは黒い」というくらい、無意識に、当たり前に認識してしまっているため、誤りであると指摘されると本人は驚いてしまうのだ。

「いったい何が悪いのかまったくわからない……!」と。

無理もない。氷河期世代は、時代を支配する価値観が大きく変化する2つの時代をまたがって生きてきたのであり、その事実に気がつかないままでいれば、当然ながら、現在の社会でスムーズに人間関係を築いたり、うまく能力を発揮したりすることはできない。

このように、①不遇な時代に社会人としてのスタートを切ったこと、そして、②強固なブレインロックのために価値観の変容についていけていないこと──この二重苦が、氷河期世代の生きづらさを生んでいる。

氷河期世代によくあるブレインロックが、「長時間労働こそ善」というものです。氷河期世代が社会に出た当時、教育係を担ったのはバブル期入社の先輩たちです。彼らの働き方を象徴するのが、「24時間働けますか」という栄養ドリンク剤のCMコピーです。

「残業するほどやる気がある」
「睡眠時間を削って働くのが普通」
「体の具合が悪くても会社は絶対に休まない」

私生活を犠牲にしながらハードに働くことが「当たり前」という価値観が刷り込まれた氷河期世代は少なくありません。そのために、健康や家庭を壊し、ドロップアウトしていった人たちもたくさん存在しています。

ひどい場合には、過労によるうつ病などの精神障害や自殺に至るケースも少なからずありました。現在も、ときどきそうした報道を見聞きすることがあります。

長時間労働こそ善」というブレインロックによって、健康を損なうだけでなく、後戻りできないほど心を病んでしまったり、命を失ったりすることさえあるのです。まさしく、人生を大きく狂わせる、危険な社会的洗脳です。

このようなブレインロックを持った人が、管理職である場合、自分自身だけでなく、部下の人生や健康を破壊してしまうことにもなります。

実際、いまだに部下の時間や気力といったリソースを必要以上に削ることに対して躊躇ちゅうちょのない氷河期世代の管理職が少なくありません。

そもそも、個人がいくら長時間働いても、企業の利益にはほとんど影響はありません。現代は、テクノロジーと資本が企業の利益を大きく作用するからです。

企業の利益が高まるのは、みんなが欲しがる価値を生んだときです。株主はそこに投資をするわけです。「従業員の労働時間が長いからこの企業に投資しよう」と考える株主はいません。

日本の労働生産性の低下を危ぶむ報道をよく目にしますが、それもまた、個人の働きや能力が足りないからではありません。1つは長時間労働の多さ、もう1つは先進国の中でも先んじて日本が高齢化社会へ突入したことが、大きな原因であると私は考えています。

2021年時点の日本の非労働力人口は4175万人です。日本の全人口は約1億2000万人ですから、日本人の3人に1人は働いていないということになります。この人口構成で労働生産性を高めるのは、非現実的であるといえます。

何が言いたいかというと、時代の変化による社会の経済状況や企業の生産性向上については、個人レベルで考えてもほぼ無意味、ということです。

これは時代の変化と社会の仕組みのせいですから、個人が長時間必死で働いたり、悩んだり、恨んだりしても、社会の経済が上向いたり、生産性が向上することはありません。

ではどうすればよいのかといえば、答えは非常にシンプルで、「自分ができる範囲のことを少しでもよくなるように変化させ続ける」のです。

私はこれを「0.2%の改善」と呼んでいます。

1日0.2%改善させることを続ければ、10日後には「2%」、100日後には20%改善させることができます。「少しずつよくなってきた……」と実感できるのは、おそらくそのころ……3~4カ月後あたりでしょう。

これを続けていくうちに、先ほど触れた「長時間労働こそが善」というブレインロックも揺らいでくるはずです。なぜなら、いつもよりも短い労働でも、ほとんど大した問題は起こらず、成果や評価も大きな損失が出ることがないことに気がついてくるからです。

短い時間でいつもとほぼ変わらない成果が得られるので、生産性は格段に上がります。すると、余裕が出た分、いままでできなかった新しい案件や企画にリソースがさけるようになってきます。

「この考えは間違っているのかもしれない」
「時代の価値観とずれているように感じる」

ふと気がつくことがあるはずです。そんなとき、人はつい、「そんなはずはない、周りがおかしいんだ!」「自分は悪くない!」という考えに飛びつきたくなるものです。

自己否定をしたくはありませんから、これは当たり前の反応です。

しかし、そのときに勇気をもって、「もしかして自分は本当は間違っているのかもしれない」と疑問を持つことが大切です。そのほんのりとした疑いがあれば、他者の意見を受け入れる心の準備ができるからです。

そして、0.2%だけ相手の言い分を受け入れてみること、譲れる範囲で違った考えや方法を受け入れてみることをぜひおすすめします。そんな形で少しずつ、自分を変えてみることに、ぜひチャレンジしてみてほしいのです。

その際、思考や行動を無意識のうちに制限してくるのが、「社歴が長いほどえらい」「女より男のほうがものを知っている」「年下は年上の言うことを聞くものだ」といった、世代差別、性差別的な昭和時代特有のブレインロックです。

そのために、知らず知らずのうちに機会損失をしてきた人は多いことでしょう。これもまた、氷河期世代を世に沈ませる大きな“罠”になっています。

不合理なブレインロックを自分は持っていないだろうか?
そのために自分は間違った選択をしてきたのではないか?
不合理で理不尽な言動をしてしまってはいないか?

そんな疑いを持ち、気づきを得ることが、ブレインロックの罠から身を守り、生きづらさから解放されて人生を大きく前進させる一歩となります。

「ブレインロック解除×0.2%の改善」

これが、氷河期世代の働き方だけでなく、人生観を大きく変える方程式となるのです。

青梅亀の井ホテル 異常気象と老いる両親の心情 #異常気象 #老い

f:id:nyoraikun:20240412162250j:imagef:id:nyoraikun:20240412162132j:image

青梅の桜は、まだ咲いているようだ。1968年4月13日に、ここ青梅の愛宕神社の桜の前で、三島由紀夫は、楯の会の制服が出来た記念に撮影をするためにきた。今から56年前に、三島の思いは、ここ青梅を目指していた。

f:id:nyoraikun:20240412161300p:image

www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.com

 

青梅は、東京都で戦災を免れた物静かな街である。日本の魂を護る場所であると縁起をかついでいたところもあるのだろう。急な階段を登って、愛宕神社のお参りするところから振り返ると、昔は、遠く川を挟んだ向かい側に愛宕神社があったということだ。

 

吉川英治記念館の愛宕神社へ花見にいく予定であったが、母親が、前回は猿がいるかもしれないし、今回は、熊が出るかもしれないと、乗り気ではない。腰が海老にように丸まってきて、身体に痛みやしびれが生じ始めると、気力も低下するものだ。この頃、小さなことでも不満をあらわにするようになった。歳をとっても、背筋がまっすぐな人もいるのに、どうしてだろう。60歳過ぎた頃から、少し、猫背になったのを知ったけれど、それから、稲穂が実ほど垂れるように、ゆっくり時間をかけて、丸まっていった。私は心配でしょうがないけれど、どうすることもできない。

f:id:nyoraikun:20240412162244j:image

幼い頃、団地住まいだった私は、隣の家のおばあちゃんが、地面に身体がつくほど、前かがみで、歩くのもやっとであった。将来、歳をとると、身体に不自由するものだと知った。釈尊が、門を出るたびに、老いているもの、死んであるもの、病気でいるものをみて、人生について悩んでいたとあるが、もし、王様の跡継ぎ息子のように、酒池肉林の生活をしていたら、いつか失う日のために、恐怖感が湧いてくるのは理解できる。私もドアを開けてすぐ、そのおばあちゃんが目の前を通り過ぎていった。こんなことを記憶しているなんて、きっと、天国にいる隣の家のおばあちゃんは、知るよしもない。今考えると、江戸時代の日本の風土というものを知る貴重な人であった。話しかけても、もう普通に聞き分けられるかもわからない様子でもあったし、でも、今になって、なぜか懐かしい。

f:id:nyoraikun:20240412161342j:imagef:id:nyoraikun:20240412161351j:image

青梅亀の井ホテルのことは、ブログで以前書いたことがあり、料理を楽しみにしていたのにということで、否定的なコメントを残していた。今回は、大分、リニューアルをされていて、メニューは下記のものとなる。随分と、味と見た目を追求していて、その変化に驚かされた。ご飯が有料であることは変わらないけれど、魚を中心とした献立となっている。顔を上げて、料理を食べる客を見ていても、ほとんどが、高齢の方達ばかりである。以前のかんぽの宿の方が、大判振る舞いといった感じであるが、鍋には、肉が沢山入っていて、肉が苦手な父親は、皆、私に渡してきた。

f:id:nyoraikun:20240412161403j:image

メバチ鮪もカンパチも最上等なもので、鮮度抜群である。驚いたのは、青梅のワサビは東京都下で有名であるが、べっとりつけて食べても、ほのかな風味があるだけで、鼻をさす辛さはない。朝日スーパードライも、キンキンに冷えていて、何杯でもごぶごぶ飲める勢いだ。

f:id:nyoraikun:20240412161411j:image

茶椀蒸しはシンプルなもので、中に海老や帆立等の具が入っていないことで、本来の味わいを楽しめる。つくり側としては、その分、逃げられないのであって、料理長江田のプライドを感じる。天ぷらは、別に頼んだもので、どれもサクッと噛む間に、じわぁっと口にとろけていくようにうまい。このレンゲにのった塩が、実に合う。

f:id:nyoraikun:20240412161418j:image

この肉団子も、いわしと魚介の使用で、胃に優しい。メカジキが、血合いの部分と肉の部分でくっついてある。魚屋の私であるが、どういう切り方をしたのか気になるところだ。この旬野菜の色合いも食欲をそそる。ゴマ豆乳仕立であり、残ったスープもすべて飲み干した。

f:id:nyoraikun:20240412161424j:image

メバル木の芽味噌焼きも、淡泊な味わいに、コクがあって、実にテンションが上がる。口にふわっととける美味しさは、時に、物足りなさを覚えるものだが、このどぎつい木の芽色がそうはさせない。焼き芋とレンコンによるシナジーが形成され、この1枚の皿による世界に、この青梅にこられる客との意思疎通を図る挑戦が、ぎっしりつまっている。そう考えると、何かを理解しようと思ったら、遠くを探すなということだ。

f:id:nyoraikun:20240412161433j:image

料理の終盤では、海老新丈変わり揚げという揚げ物が出てくる。これが、噛む度に、油の良質な味わいが、込み上げてきて、簡単に飲み込ませてくれない。玉ねぎのような苦みも、少し舌先をかすめるので、酒がどんどん進んでいく。

f:id:nyoraikun:20240412161444j:image

f:id:nyoraikun:20240412162406j:image

コーヒープリンと蕎麦茶で、納得の懐石料理であった。確かに、口コミでみられるように、天ぷらを単品でとらなければ、ちょっと少ないかもしれない。四十路に入り、私も、小食になってきたのかもしれぬ。前は、2時間ぐらい、苦しくなって寝ていることもあった。京都柊や旅館の仲居さんから、食べ放題にいけるんちゃいますと言われたこともある。

f:id:nyoraikun:20240412161448j:image

夜鳴き蕎麦は、見た目ほど辛くはない。けど、何度か喉に刺激があって咳をした。旅館で働く人も少なくなり、活気がない印象は受ける。夜中の10時になっても、ゲームコーナーで麻雀をして楽しんでいた人、喫茶店でカラオケをしていて、初対面の宿泊客同士で歌をうたい、上手いと拍手をし合って楽しんだこともあった。すべては、風と共に去りぬというのだろう。でも、その限られたリソースを、多くの宿泊客が望むところに、集中させ、この青梅のホテルを、低価格のまま蘇らせた手腕は、尊敬できるものだ。

f:id:nyoraikun:20240412161459j:imagef:id:nyoraikun:20240412161501j:image

亀の井饅頭が美味しいから、レジで買うために、クレジットカードの有無等を尋ねた時、当初、レジのおばさんの態度はぞんざいな印象を受けた。しかし、それをリカバリーするべく、卑屈な笑顔を浮かべて、彼女にとって最大限の誠意というものに変わった。きっと、クレームやアンケートの結果で、評価が下がる仕組みがそこにあるのかもしれない。

 

両親が、歳をとったことで、また来られるかわからない。温暖化が進み、毎年、夏は、殺人的な暑さになっている。死亡者も、うなぎのぼりだ。もう今年の夏は越せないかもしれないと、両親は弱気だ。最近の異常気象が、SDGSを皆が意識する動機になっているのは事実である。そうでなければ、私達が生きている間だけよければいいと考えるのが、ひどいけど、人間の本性ではあるのだから……

f:id:nyoraikun:20240412161508j:image

以前書いた青梅の記事↓

 

www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.com

www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.com

 

 

 

 

近くのものを大切にできない人について、心理学と仏教の見解!

近くのものを大切にできない人は、他の仕事についても、周りに価値を感じずに務まらない人が多い。悪口を言う人は、どこに行っても悪口をいうようなもので、その人のものの見方というのは、変わらない場合がほとんどなのだろうか?
職場で、仕事の遂行能力はあるが、いつも周囲のものごとに不満を抱えている女性パートがいる。人気のない職種であるから、いつも人員不足で、多少のことは目をつぶって、遠慮しながら、気をつかってあげて、いつも仕事をこなしてくれてはいる。

しかし、新人のパートが入ると、すぐ不満をぶつけるようになり、やめてしまう。その欠点を補うほど、働きはするから、致し方ないということにはなるけれど、本当は、こんなに不人気な仕事をしなくても良かったのではないかと思えてくる。他の部署に手伝いに行きたがる様子は、子供のようだ。子供は、欲しがっていたオモチャを買い与えられると、しばらく遊んでいると飽きて、ごみ箱のように無造作に放置するようになる。これは、自然に任せると、そうなるもので、子供の時分では、あれほど欲しがっていたものが、手に入ると、何故、こう無価値なものに見えてくるのかと自問自答するようになる。

ここに意識の働きの初歩的な見解が得られるのではないか。近くにあるものほど、粗も見えて、価値のないものに見えてくるのは自然の流れである。この無意識の欲求であるエスを、自我が対応していくこと、簡単に言えば、この自然の流れに、意識が対処し、皆に受け入れられる考え、社会性を伴った内容にしていくものに変えていく作業をしなければいけない。意識の働きよりも、自然の流れを優先する選択を、無意識的、意識的に行ってきたがために、現在の彼女ができてしまったのかもしれない。

素直な気持ちで生きていきなさいという教育を受けていると、素直な気持ちの解釈を単純に受け取ると、心の底から湧いてくる欲求であるイド=エスであると勘違いしてしまう。イドとは無意識の領域であり、自覚されていない過去の経験や、「~がしたい」「~が欲しい」といったさまざまな欲求などが無秩序に存在している。人が持つ欲求の中には、依存欲求や承認欲求に加えて、相手をコントロールしたい、自由でありたい、攻撃したいなど、さまざまな欲求が存在している。イドは、「快感原則」に従って機能しているため、すぐさま欲求を満たすことを優先し、不快なものを避けようとする。また、本能的なエネルギー(リビドー)を蓄える貯蔵庫にもなっており、本能的なエネルギーを放出して快感を得ている。まさに、近くのものを大切にしないというのは、このイドに従っているのである。

超自我とは、幼少期に受けた両親のしつけが、こころの中に取り入れられてできた領域のことを指し、イドや自我の見張り役ということだから、恐らく、彼女の両親のいずれかが、性善説をかたくなに信じていて、人間は皆、心に清らかなものをもっているから、素直な心で生きることが大切だいう名目でしつけた可能性がある。これが、上記の身近なものを大切にしないというエラーにつながっているといえるだろう。このように形成された超自我によって、「~してはいけない」といった道徳的な考えから善悪を判断したり、理想的な自分になれるように「~すべきである」と考えて行動に移したりすることができる。

自我とは意識の領域のことをさし、日々自覚している「私」の部分のことだ。「私は~という人です」と表現できる自己意識の部分や、アイデンティティと称される部分ともいえます。自我は「現実原則」に従って機能しており、「イド」や「超自我」の調整役となって、内的なこころのバランスを保っている。それに加えて、状況を把握しながら判断を下し、社会に適応していくための機能も担っていると考えると合点がいく。

上述した、近くのものを大切にしない彼女は、幼い頃、人間は生まれながらにして清く美しい心を持っていると信じている両親から、自分の心に素直に生きなさいと育てられ、超自我が形成された。身の回りが価値ないものに見えてくるエスに対して、これではいけないと対応する自我が機能せず、その点において、エスを優先させる事態がおこる。よって、自我とエスの葛藤の末に、自我の機能拡張されないで、50歳に及ぶということである。これは、手遅れであるので、この特性を理解した上で、部門運営に活かしていく以外にないということだろう。

仏教は唯識である。この説は難解であり、いまだに私は答えがだせない。しかし、目に映るこの街で生きていかなければならない困難さは、いつの時代もあったのだということがありありとわかる話で、釈尊は、それを誇大にして、相手に質問を重ねる。あらゆるものを受け入れていくことしかないという人間の無力感と、人間は考える一本の葦であるという哲学的凄みが、今から2000年以上も前の仏教の経典に書かれているのだから、いつの時代も、人の心は変わらないものだ。

その説話とは、さぁ、行け! 汝がめざすスナ―パランタへである。↓

釈尊祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に滞在していたときのことです。

弟子の一人であるプンナ(富楼那)が訪ねてきました。プンナはスナーパランタという地方で教えを広めることを決意し、釈尊に別れを告げるために来たのでした。

釈尊はプンナへ最後の教えを説いた後に、こう問い掛けました。

「プンナよ、スナーパランタの人々は気性が激しく荒々しいといわれている。もし、かの地の人々に辱められ罵(ののし)られたら、おまえはどうするのか?」

「世尊よ、辱められ罵られたら私はこう思うことにいたしましょう。〈スナーパランタの人々は賢くて、とてもよい人たちだ。私を罵っても、石を投げつけることはしなかった〉と」

「プンナよ、彼らが石を投げつけてきたらどうするつもりか?」

「そのときは、こう思うことにいたしましょう。〈石を投げつけられても、彼らは刀で切りつけたり、棒で殴りかかってきたりはしなかった〉と」

「もし、彼らが刀や棒で危害を加えてきたらどうするつもりか?」

「刀で切りつけられ棒で殴られても、彼らは私を殺しはしなかったと思うことにいたしましょう」

「では、殺されたならば……?」

「世尊よ、私が殺されたならば、こう思うことにいたしましょう。〈かのスナーパランタの人々は賢くて、とてもよい人たちだ。朽ち果てた私の身体と生命を奪い、解脱させてくれた〉と」

「よろしい、プンナよ。おまえはよく耐え忍ぶ心を身につけた。そのような覚悟であるならば、スナーパランタでの布教にも耐えることができるであろう」

そして、釈尊はこう続けました。

「さあ、行け、プンナよ、スナーパランタへ。多くの人に如来の道を説き、そして人々を安らかで平和な境地に導くために」
(『雑阿含経』より)

坂根千里が、スナック水中にかける!一橋大学社会学部を卒業してまで!

コロナ禍で、廃業や倒産をよぎなくされたスナックやバーの事例は多すぎるため、数値で何件とでるだけで、実に残酷なものだと感じていた。中小企業の会社に勤めていたとき、近くのバーのママが、会社にパートできていて、会社のものを盗んだことで首になり、数ヶ月後に飛び降り自殺をしたことがあった。実に、愛想のいいひとで、今思えば、彼女の表情に世間ずれによる疲労を読み取ることもできる。

盗んでいることが、防犯カメラにしっかりと写っていて、店長が彼女を掴まえた。言い訳はすることなく、後日、返金すると、すべて正直に話したそうだ。彼女が死んだと知った時、もうこの世の中にはいないということはなんとなくわかったが、また、どこかで彼女に似た人が現れるにちがいないと変な気持ちになったことがある。

今回、ご紹介するのは、東大の経済学部と言われる一橋大学を卒業して、なんと、斜陽といわれるスナックで、100店舗拡大を目論むという話なのだ。下記の写真を見ていただくと、色気はあるものの特別に綺麗というわけではない。枕営業に応じるのか? というエロ親父にとって感興は湧きそうな奥深さがある。才知というもの、下心を理解してくれる安心感とでもいうのか、微笑みには、何か意味深なものがある。手を握っても、適度にあしらってくれる安心感だ。

坂根千里さんが、成功していると言われているスナックは、東京都国立市の谷保近くにある「スナック水中」である。写真をみても、ニット系のボディラインがあらわな黒い服をきて、男性に満面の卑屈な笑みで酒を渡している。スナックの儲けは、なんだかんだいって場所代が含まれて、値段が高くついていて、あまり健全な環境ではないのだが、週刊誌で紹介される時には、たくみな印象操作が働き、清楚な雰囲気すら帯びるからいただけない。グラスを渡される時に、男が手を添えたら、どんな顔をするのか?なんて考えるだけで、私も立派にエロい。

実は彼女は、大学時代に遊び人で、結構な体験人数ではないかと予想する。本人に回答をいただけたら嬉しいが、こんなブログに書き込むほど、暇ではないのだろうな。こんなHなコメントを残している。

「衝撃でしたね。初対面のお客さんがいきなり会話に割り込んできたり、デュエットを誘ってきたり。離婚話を替え歌にして歌っている人もいました。これまで経験したことがない空間に驚きもしたけど、一気に人との距離が縮まる体験に、なんだか心も軽くなる。最高だなって思えたんです。」

戸惑いつつも場に溶け込む坂根さんに興味を示すママから、その日のうちにバー「せつこ」でのアルバイトに誘われた。「まさか初めて入ったスナックで働くことになるとは思いもしませんでした。お店に立つと本当にいろいろな人に出会います。でもみなさん品のいい方ばかりで、せつこママにも守られて、イヤな思いはあまりしませんでした」

ここでいう、あまりイヤな思いはあまりしませんでしたということは、少しはあったということだろう。中年のストレスに侵されたエロ男に、酒が入ると、どんなことをするか想像がつくし、それを解放させることで、収益を発生させる店に、綺麗ごとはないだろう。

1年後、坂根さんは高齢のため引退するママから「店を継いでほしい」と相談された。葛藤の末、「自分が救われた場所を残したい」とバトンを受け継ぐことになった。

私の上司にも、居酒屋を1000万円の借金をして、事業を継承した男性がいる。酒と寿司のコラボで商売をしていたが、1年ももたずに潰れてしまった。借金とりから逃げるべく、沖縄にいるという噂である。もともとは、懇意にしていた居酒屋の主人から持ち掛けられた話であった。これは、詐欺じゃないかと直観したが、立地条件も悪く、集客に限りがあり、散々な目にあって、倒産である。金が絡んでくることは、誰も信頼できない。人は、たった数万円でも、人格すら変えてみせることがある。お金は、人を変えるのだ。女は金で買えると、ホリエモンが言っていたけど、そんな姿を沢山見てきたのだろう。

しかし、坂根千里は、改装し、2年で売上は1.6倍にしたそうだ。さすが、一橋の頭脳だ。お金になるのは、なんらかの知能なのだ。半地下に沈み、場に漂い、明日へ向かって再浮上するという思いをこめて、「スナック水中」と名づけたそうだ。えっと思ったけど、看板が実にしゃれている。このイメージから、名前が浮かんだというのが、出色なところだろう。

「女性ひとりでも入りやすいようい、店内の様子が見えるガラス扉にしました。焼酎水割りしかなかったメニューは、地元のクラフトビールやジンを取り揃え、スタッフには男性も採用しています」
スナック水中はバーのような瀟洒な店内で、若い世代も入りやすい。ママを中心に常連客も新規客も会話が弾む。

この女性客に目をつけたところが、逆説的で素晴らしい。スナックというありふれた業態が、一気にブルーオーシャンに見えてくる。しかし、昨年11月から彼女は産休に入ったそうで、裏方に回っているそうだ。新店舗もオープンさせ、ママを2交代制にして、チェーンストア展開も視野に入れているという。スナックはファンビジネスの側面もあり不安だそうだ。

実に多店舗展開は危険であるけど、一橋と聞くと、成功しそうな気もする。実際、行ってみようかと思うけれど、ママがいないので今はやめておこうかとも思う。妊娠して産休とは、随分とノンキであるけれど、それも、ファンをつける要因なのかもしれないし、ロスジェネ世代の無理をする働き方が当たり前の間隔は過去のものとして、現在を見ていかないといけないのかもしれない。

水中にいて酒に酔ったようなふらふらした文章になってしまった。坂根千里に会える日を楽しみに!

スーパーマーケット業界における出世とは?

就職氷河期世代に生まれて、就職した者は、バブルに大量入社した上の世代が多く、頑張ってもなかなか出世しにくいものがある。バブル入社組は、売り手市場であったから、ロストジェネレーションの就職氷河期世代に比べて、能力が低い傾向がある。そのため、出世の妨げになり、ただ多くいるだけのバブル入社組のことを内心馬鹿にする。バブル入社組は、ロスジェネ世代の態度に苛立ちを覚える。

これでは生産性が上がらないのも無理はない。スーパーに勤めているが、バブル崩壊後に、伸びてきた企業は、その影響を受けていない場合が多いのは納得である。新卒である企業に就職して、思い描く、サラリーマンライフがあると思う。しかし、ロスジェネ世代は、いくら頑張っても、出世が3年、5年、10年と遅れてしまうものだ。そうこうしているうちに、チーフや副店長クラスなら、もっと若い連中にやらせたらいいのにという会社からの目を感じ、ひねくれることも少なくない。

ロスジェネ世代は、仕事をめぐっての競争率が高く、本来、この会社にいないぐらい優秀な人が、入社してきていることがある。そして、会社のニーズに合っていたり、上司からのひきがあったりして、上に世代の厚い層を押しのけてまで、出世する人が数人は出てくるものだ。それと比較して、まだ現場で魚を切っていたり、肉を陳列していたり、コロッケを揚げていたり、レジ打ちをしていたりするからといって悲観してはいけないのだ。

ただこのジェネレーションギャップが強く出てしまう会社は、悪いシナジーが形成され、生産性が上がらない。事業の成果が頭打ちになってしまうものだ。解消をする方法は何があるのかといっても、大胆なリストラを敢行する会社もあったが、ほとんどうまくいっていない。そのために、社内で対策部を置いて、頑張ってみたけれど、なかなかうまく回らないというのが実情である。

安倍首相も、この問題に取り組んでみたけれど、憲法で保障された信教の自由という宗教の問題と、このロストジェネレーションの問題は、手の出しようがなく、対策をしている体裁をとっているだけであった。この2つの問題から連想できることはないだろうか? そう、あの山上徹也容疑者である。この覆い隠された、臭いものに蓋をしたところから、この暗闇から、飛んできた銃弾が安部晋三を打ち抜いたのである。

彼だって、そもそも犯罪者に身を落とすタイプではない。自作の拳銃が部屋からいくつも出てきて、中には、連射式のピストルをつくっていたという話だ。また、人気のない山林で、何度も射撃の練習を重ねて、失敗のないように訓練をしていた。どこを目印に打つと、間違いなく相手にヒットさせることができるかを、確信をもてるまで試行錯誤を繰り返したそうだ。頭で思い描いてシュミレーションして、実際に結果を出すということ。

元々は、統一教会の幹部を、射殺することを予定していたが、コロナ禍で難しくなり、また、対立派閥が活気づくだけであるから、望んだ成果は得られない。安部首相を撃ち殺せば、政治権力と統一教会の癒着を解消し、教会の衰退を促すことになるのではという方向に、シフトしていった。このロジックは、実に優秀である。彼に一発の弾丸が、国家権力までも動かし、安部派解体の機運になり、カルト教団の信者の2世を救済する法律までできたのだから、かなり優秀な知性をお持ちの方である。

彼は、私が高校時代野球をしていて、その甲子園で、応援団長をしていた。それだけ優秀な人がロスジェネ世代では、犯罪者にならざるをえないほどの状況である。京都アニメーションも、秋葉原殺傷事件もそうであり、私は、80・50の問題もあるのだから、これから、もっと凶悪犯罪が起こるだろうと思える。どうすればいいのか? と考えたところで、対策の手を打てないのが現実である。

誰がいけないのか? 誰も悪くない。バブルの時期にバブルだと指摘した経済学者はいなかったし、それを想定していた会社は1社もなかった。バブル景気真っ只中の日本は、バブルをバブルだと思っていなかったのである。金魚鉢にいる金魚は、金魚鉢にいるとは思っていないように、その時代の水質は、後の世代にならなければ、誰もが正確にはわからないのだろう。歴史は、枝葉のごとく、どう進むかを誰も正確に予測できることはないのである。

出世の話になったけれど、スーパーの業界で出世するには、どうすればいいのだろう。従業員数が、これだけ多い業界であるから、そして、小学校のように、何もスクリーミングされずに入ってくる人達をいかにマネジメントできるか? 当たり前のことを、いかに当たり前にできるかという力が求められる。そのため、年功序列制から、大きくそれることはできない。それに沿って、人事を基本進めていくことになる。しかし、また逆も考えられるだろう。玉石混交としている人材をつかってとあるけれど、当たりはずれが大きく、誰もが一度や二度は、考えられないぐらい人事的危機的状況に立たされるのは、想像にかたくない。

そのとき、チーフ(主任)なら、サブチーフが、凄く支えてくれた、店長なら、副店長やチーフが支えてくれたということがあると、出世したあかつきには、部下を上にひきあげようという動きが生じる。これが、ワープといわれる出世となり、軍隊でいう3階級昇進というほまれにつながるのである。それ以外は、上の椅子が空いた際に、取り合うというしかないほどのジレンマを経験することになる。

ダーウィンの進化論では、強いものより、環境に適応した者が、生き残るように、環境を考えて、自分ができることをしていくしかないだろう。宿命の残りかすが意思だとしたら、その意思をなげくだけでなく、前向きに歩んでいくしかないのだから……。私も、1個の人間に過ぎないのだから、思い上がらずに、#今日の積み上げを、ここにアップしていこうと思う。ここまで読んでいただいた方、貴重な時間をありがとうございました。何かご恩返しができたら嬉しいです!

川上量生が驚愕のロジックを披露!AIで意識は、簡単につくることができる時代!

www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.com
前回の記事↑
続き↓
「思い込みが、動物本能からくる報酬系にダイレクトに結びついているから、恐怖とか感情と、それをだまして、意識をコントロールするのができないというだけで」

「今のAIは、どうして意識をインストールするのか? だから、それは無意識なんですよ。無意識に人間を認識したりだとか、言葉を認識したりだと、そういうような回路しかつくっていないんですよ。意識はそれをオーバーライドする別々のネットワークなんで、そういう風に設計すべきである」

※オーバーライド→(override)とは、乗り越える、~に優先する、覆す、圧倒する、などの意味を持つ英単語。ITの分野では、ある場所で定義された設定や手続き、属性などを、別の定義で上書きすることを指すことが多い。

「どうやってオーバーライドするのか? それは、やっていくアーキテクチャーは、1個しかないと思っていて、複数のニューラルネットワークが結合したのが人間の脳じゃないですか? 視覚・聴覚とかいろいろなものがマルチモードにくっついている。それをまとめて処理して記憶しているのが海馬ですよね。それで、最終の出力層というのがあるわけじゃないですか。そこの部分って、バスにのっているんですよね」

ニューラルネットワークニューラルネットワークとは、人間の脳神経系のニューロン数理モデル化したものの組み合わせのことです。ニューラルネットワークは、人間の脳のしくみ(ニューロン(*1)間のあらゆる相互接続)から着想を得たもので、脳機能の特性のいくつかをコンピュータ上で表現するために作られた数学モデルです。

※バス→バス(bus)とは、乗合自動車という意味の英単語。コンピュータの分野では、データ伝送路および伝送方式の一種で、複数の装置や機器、回路が一つの信号線を共有し、それらの間で相互にデータをやり取りできる構造のものをバスという。

「コンピュータのバスと違って、人間の生体のバスというのは、128ビット、256ビットとかどころではなくて、何万ビットもあるんですよ。ただのケーブルだけを集めているのがバス。まずはそのデータまるごとを、解釈して記憶するのを海馬がやっているんだろうし、その記憶そのものを記号にして処理をするアーキテクチャしか僕はあり得ないと思っているんですよ。」

「視覚や聴覚にあたるものは、人間より何倍も優れたものがでているけど、海馬に当たるものはないのか? それにあたるものが、トランスフォーマーなんですよ。ただ、無意識な奴に合体させちゃったんですよ。トランスフォーマーを、分離して実装するようなアーキテクチャというようなものが、今後出てくるんじゃないかと思っています。」

トランスフォーマー機械翻訳モデル。文章内にある全部の単語間の関係を直接的にモデル化するという「attention」というメカニズムを採用。従来より短時間で正確な翻訳が可能となった。画像や動画などにも適用が開始される。

「分離するというのはどうするか? とても説明は難しいが、トランスフォーマというのは6層になっているじゃないですか?それを僕は1層でいいと思っていて、トランスフォーマというのは、データにアテンションをかけていて、それを記号のように扱うというを内部的にはやっているんだけども、そうじゃなくって、出力データのパッケージを、そのまんま、記号としてアテンションをかけて、海馬のようなところに記憶する。それは、人間の海馬のように、人間の配列の中に、どんどんどんどんストックしていくというぐらいでいいと思うんですけども、それの関連したデータが後から参照してつかえるようなネットワークをつくればいいと思っているんですよね。」

「僕が思っているのは、記号をどうやって実装しているのか? 最も簡単な実装、さっきもそうなんですけど、プログラムを変更するのは、1行だけがいいじゃないですか? 人間の記号で、最も簡単な実装は、色々な視神経とか、聴覚とかの神経の信号そのまんま、巨大なビットのデータとして、そのまま記号につかっているというのが、一番あり得るシナリオだと思っていて、人間の記号? そうですビットマスクです」

※ビットマスク→論理演算の分野で、特定のビットをオンにしたりオフにしたりするために用いられるビットパターン。ある値の特定のビットを1にしたい場合、その位置に設定して、他を0にしたビットマスクを用意し、論理和(OR)演算を行う。

「ビットマスクが実は記号なんですよ。ある概念と、ある概念を合わせた記号をつくろうと思ったら、orする」

「単純な論理演算回路で動かせられる。凄く単純な実装が可能なんですよ」

「これだけ簡単なことなら、偶然生まれることも考えられる。それなのに、こんな思考がなんで古代の文献に出てこないのか? それは、言葉がないからじゃないか? でも哲学者は、それなりに似たような結論は出していた。それを説明できるようになったということ。」

「何千年前に仏教の経典にね、石は石でない。石というものは存在しない。手触り、色、形、重さの奥に、石があると思いがちだけど、色、形、質感等、全部合わさったものが石なんだということ。というようなことを、大昔の仏教の人が言っているんですよね。人間というのが、情報を処理する機械だと思ったら、外界の認識は、外部からの情報をインプットするして合成して外界のイメージをつくっているから、それ以外はありえないですよね。論理的にそれ以外、あり得ない。同じような結論に、コンピューターがなかった時代の人達は、達しているんですよ。」

「そう考えると、簡単に意識を実装できそうですよね。以外と簡単なんじゃないの。難しく考え過ぎなんじゃなの?」

AIのメカニズム言語で、人間の脳を説明する川上量生が面白過ぎる! 文字に起こしてみた!

「意識は情報処理システムである。そうすると、どういうクラスの情報処理システムであるというのは、何かの情報処理システムに寄生しているというのが、意識という情報処理システムの特徴であるというのが、僕が最近思ったことなんですよね。何が言いたいのかっていうと、意識無意識ってあるじゃないですか?」

「無意識っていうのは、いわゆる動物脳なわけなんですよ。人間みたいな意識を持っているのは、人間なだけで、猿もほとんど持っていない。弱い意識があるとは言われていますけど、ちゃんとした意識を持っているのは人間だけなんですよ。そもそも進化的に後からついたものなんですよ。」

「だからまず、意識しているというのは、寄生しているというのがポイント。そうです。無意識に寄生しているんです。それが自分の意識で、どういうようなアーキテクチャーで、進化で発生したのか? というと、プログラムでキーを押す、一番簡単なデバックなんですよ。」

※デバック→ソフトウェアのソースコードのエラーやバグを見つけて修正するプロセス

「あのプログラミングで、1番簡単な機能追加をしようと思ったら、どうしますか? 普通1行だけですよね。1行で機能追加がしようと思ったら、どんな機能追加が可能ですか?それは、何なのかっていうと、これはよくあるんですけども、何か変数をトラップして、その変数の内容を調べて、ある内容だったら別の内容に置き換えるっていうことなんですよ」

※トラップ→トラップとは、コンピュータのプログラム実行中、何らかの異常が発生した場合、実行中のプログラムを中断し、あらかじめ定められている処理作業へ自動的に制御を移す動作のことである。
トラップには異常の発生した箇所が記録され、そのトラブルの状況や原因を判断する資料となる。 なお、トラッピングは割り込み動作であり、ストップ命令とジャンプ命令を組み合わせたトラブル対策の1つである。 また、インターネット用語としてのトラップは、イベント通知の意味で、ネットワーク上で起きた事象をマネージャに報告するメッセージ送信を指す。

「意識というのは、高度に、その部分が発展したのが意識だっていうのですよ。常に動いているネットワークがあるんですよ。常に動いているネットワーク、すなわち流れている情報、色々な情報が流れるんだけれど、そのうちの1万個に1個だけを見つけて、こういうデータが流れてきた時は、これを書き換える。っていう風なデバックコードがどんどんどんどん肥大化していったのが意識なんですよ」

「という風にすると、色々説明がつく。説明がついた先に何があるかというと、何かに寄生しているネットワークだと思おうとするじゃないですか?何に寄生するかというのが重要になるんですよ。それが人間の身体に寄生することを考えると、寄生する先を代えようと、機械にしようという考えで整理ができる。」

「もしくは、寄生する先が、コンピュータでもいいんじゃないか? という風にも思えるわけじゃないですか? 脳も含めた肉体と、それと、その意識の分が」

「動物って条件反射の連続みたいじゃないですか?それの最適解ですよね。自然にそれが淘汰されていって、一番繁栄されそうなシステムになっているだけですよね。」

「そうです。その時、意識はどうやってやるかというと、蛇に食われる絵を見させるというようなことをやっていて、うわぁ怖いよというみたいな、本来なら条件反射だけで動く動物を、うまいこと誘導してコントロールする回路が進化していったのが意識。」

「火は熱くて怖いから逃げようというのを、なんとかコントロールしようというのかな。火は熱いから怖いというイメージを書き換えて送ってあげればいいみたいな。それだったら自然に進化できそうじゃないですか?だから、意識は、多分そんなものなんですよ。人間が、たとえば手とかを変えたいとか、コンピュータに人間の意識を移すときに、これは自分なのか? という問いと向き合わなければならないじゃないですか?」

「その時に、自分をどう認識するか? という価値観が超重要で、第一ステップというのは、意識と肉体のハードウェア、寄生させる情報ネットワークは別物だっていうような価値観が世の中に広がると、それが交換しやすくなる。それは、当たり前に人間がやっていて、車を運転していると、車が自分だと錯覚しますよね。」

「外部の情報処理に過ぎないから、これは自分だ、自分じゃないとやっているに過ぎないので、そこを変えていくところで、自分の概念も変わるし、それは部品を交換していけばいいのかなと思えるというのが、凄い重要で、そうなった瞬間に、色々なことをするハードルが凄く減る。」

「それをどうやって交換するんですか? 意識は頭に寄生しているわけでしょ。それが頭に寄生していると思っているのも意識だから、VR空間のクラウドの中にいても言い訳だ。いるかもしれないし、コピーを作ってもいいんじゃないんですか?一応、並列で動かしてもいいし。そのうち自分でもあったんだと、自分でもわからなくなるしね。」

「それを移行できないのは、思い込みだよね。思い込みが人間の本質でもあるんだけど」

ここまで、川上量生、AIの第一人者が語る脳と意識の考え方を述べてきた。それは、昔から言われてきたことで、学問は自然と闘い克服し、人為を建設する力、いわば人工秩序への努力、秩序というのは、反自然的企画なんだけれど、それなくては、人類の発展はありえなかったということではないか? 人間の内面の感情こそ、最も近くにある自然の驚異と言えるのである。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村
カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ