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成功した経営者に醜さを感じるのも、ロスジェネ世代のリアルなのか?

事業で成功した経営者が、起業家に必要なことは、しつこさ、泥臭さとか、パッションとビジョンとか話している番組がある。多くの成功したくて、その番組に観客として参加している人達が、一生懸命に質問している光景がある。何か美しいものを感じない。芸術家がいるのと違い、グロテスクな雰囲気を感じてしまうのは、お金儲けに、綺麗ごとはないという先入観によるものだろうか?

会社で働いてみていて、みんなに望ましい職場等の考えは妄想であるということがわかる。よく経営をリンゴの木の栽培にたとえる話があるけれど、リンゴの実の発育のために、悪いものは、剪定して、捨てていく。社内では、よりよい秩序を形成しようと、あらゆる方策が示され、それを志向するほどに、反秩序(エントロピー)は増大していく。エントロピー増大の法則というから、これは科学的に実証されていることだ。

パソコンで、今ブログを書いている。デスクトップに、ごみ箱のアイコンがある。もし、パソコンに取り組んだデータが、消去されずに残っていくと、どんどん重くなっていき、その重荷に耐えきれずに、数年以内に、買い替えなくてはいけなくなる。お店で働いていても、ごみ箱がなかったら、1週間もしないうちに、ごみだらけになってしまう。トイレがなかったら、お客様は困るけれど、従業員は、近くのコンビニを探して、用を足さなければならない。現実、1日だって営業できなくなるだろう。

変なたとえになるけど、会社内の人間模様も同じことが言える。誰にとっても素晴らしい職場は存在しない。エントロピーが充満するだけなのだ。基本理念と高い要求に合うものだけが素晴らしい職場が、現実における最高の職場になる。そのためには、組織において不要な人を排除する仕組みを、気づかれない範囲でつくらなくてはならない。昔は、大企業の追い出し部屋というものがあった。紙を1日中折る作業をさせて、自発的に辞めていく環境をつくっていた。今では、大変な問題になるから、うまく辞めていくようにさせることが大切になる。

私は情無しではない。ロスジェネ世代でも、2002年に社会人になって私は、超氷河期世代であり、まったく内定を得られずに、20社回ったところで、就活をやめてしまった。あの頃、就職活動をしていた時に、バッグの中にあった座右の書は、ショーペンハウエルの『自殺論』である。高校野球で甲子園を目指して夢みて頑張っていたこともあったのに、何故、こんなにも就活で絶望しているのかと、答えも内面に探していたけれど、実際は、社会情勢の影響を、かなり受けていたといえるだろう。

頑張っても頑張っても、バブル入社組を含めた1つ上の世代の厚い雲に覆われ、出世できずにいた。中には、本来なら、この会社に入らないような人も来ていて、大出世を果たすものもいる世代ではあるが、ほとんどは、一律に出世が遅れている。ようやく、上の世代が退職すると、ロスジェネの出番かと思えばそうではない。どうせなら、下の世代にさせていった方が、将来の会社の発展にはいいと考えるのが会社のエゴである。

少子高齢化の影響で、若くて優秀な人材の囲い込みがおきている。そのための資金調達を、働き盛りのロスジェネ世代から搾取し、下の世代に回す動きが加速している。今になって、この20年間を振り返ることで、私が置かれていた状況は、時代背景が色濃く影響していたことを知ることができた。自分のせいじゃないんだと、少しの安堵があったけど、知恵の実は、怒りと孤独を教えるのは、明治の文豪が述べている通り、現在でも変わらない。

昭和の時代に幼少期を過ごしたこの世代は、親や学校から「男らしく、女らしくしなさい」「学歴がないとよい企業に就職できない」「嫌なことも我慢しなさい」「年上の言うことは黙って聞くもの」などと、理不尽な“洗脳のシャワー”を絶え間なく浴びてきた。

氷河期世代が思春期から成人になるころに昭和が終わって平成となり、一気にインターネット社会になりました。既存の古い慣習やしきたり、社会を動かすルールが大きく変容することになっていったのです。

個性の尊重や多様性という価値観が“当たり前”になっている現代の10代、20代の若年層にしてみれば、「時代遅れ」「非論理的」としか思えない「古い価値観」のシャワーを強烈に浴びて育った、最後の世代と考えて間違いない。

氷河期世代が幼少期から青年期であった当時は、インターネットはまだ普及しておらず、情報源は家庭や学校・地域のコミュニティ、もしくはテレビぐらいでした。そのため、いまとなっては「いびつな価値観」に疑問を持つこともなければ、多種多様な考え方に触れる機会もなかった。

そんな旧来の価値観を徹底的に刷り込まれ、十分にアップデートできずにきた氷河期世代が、社会に出て、年齢を重ね、マネジメント層になることで、昨今ではさまざまな問題が顕在化するようになってきた。

「男らしく女らしく」という価値観からセクハラ発言をしてしまったり、「努力や忍耐こそ至上」という価値観から無理難題を押しつけるようなパワハラをしたり……。

しかし、本人たちにはまったく悪気はありません。「カラスは黒い」というくらい、無意識に、当たり前に認識してしまっているため、誤りであると指摘されると本人は驚いてしまうのだ。

「いったい何が悪いのかまったくわからない……!」と。

無理もない。氷河期世代は、時代を支配する価値観が大きく変化する2つの時代をまたがって生きてきたのであり、その事実に気がつかないままでいれば、当然ながら、現在の社会でスムーズに人間関係を築いたり、うまく能力を発揮したりすることはできない。

このように、①不遇な時代に社会人としてのスタートを切ったこと、そして、②強固なブレインロックのために価値観の変容についていけていないこと──この二重苦が、氷河期世代の生きづらさを生んでいる。

氷河期世代によくあるブレインロックが、「長時間労働こそ善」というものです。氷河期世代が社会に出た当時、教育係を担ったのはバブル期入社の先輩たちです。彼らの働き方を象徴するのが、「24時間働けますか」という栄養ドリンク剤のCMコピーです。

「残業するほどやる気がある」
「睡眠時間を削って働くのが普通」
「体の具合が悪くても会社は絶対に休まない」

私生活を犠牲にしながらハードに働くことが「当たり前」という価値観が刷り込まれた氷河期世代は少なくありません。そのために、健康や家庭を壊し、ドロップアウトしていった人たちもたくさん存在しています。

ひどい場合には、過労によるうつ病などの精神障害や自殺に至るケースも少なからずありました。現在も、ときどきそうした報道を見聞きすることがあります。

長時間労働こそ善」というブレインロックによって、健康を損なうだけでなく、後戻りできないほど心を病んでしまったり、命を失ったりすることさえあるのです。まさしく、人生を大きく狂わせる、危険な社会的洗脳です。

このようなブレインロックを持った人が、管理職である場合、自分自身だけでなく、部下の人生や健康を破壊してしまうことにもなります。

実際、いまだに部下の時間や気力といったリソースを必要以上に削ることに対して躊躇ちゅうちょのない氷河期世代の管理職が少なくありません。

そもそも、個人がいくら長時間働いても、企業の利益にはほとんど影響はありません。現代は、テクノロジーと資本が企業の利益を大きく作用するからです。

企業の利益が高まるのは、みんなが欲しがる価値を生んだときです。株主はそこに投資をするわけです。「従業員の労働時間が長いからこの企業に投資しよう」と考える株主はいません。

日本の労働生産性の低下を危ぶむ報道をよく目にしますが、それもまた、個人の働きや能力が足りないからではありません。1つは長時間労働の多さ、もう1つは先進国の中でも先んじて日本が高齢化社会へ突入したことが、大きな原因であると私は考えています。

2021年時点の日本の非労働力人口は4175万人です。日本の全人口は約1億2000万人ですから、日本人の3人に1人は働いていないということになります。この人口構成で労働生産性を高めるのは、非現実的であるといえます。

何が言いたいかというと、時代の変化による社会の経済状況や企業の生産性向上については、個人レベルで考えてもほぼ無意味、ということです。

これは時代の変化と社会の仕組みのせいですから、個人が長時間必死で働いたり、悩んだり、恨んだりしても、社会の経済が上向いたり、生産性が向上することはありません。

ではどうすればよいのかといえば、答えは非常にシンプルで、「自分ができる範囲のことを少しでもよくなるように変化させ続ける」のです。

私はこれを「0.2%の改善」と呼んでいます。

1日0.2%改善させることを続ければ、10日後には「2%」、100日後には20%改善させることができます。「少しずつよくなってきた……」と実感できるのは、おそらくそのころ……3~4カ月後あたりでしょう。

これを続けていくうちに、先ほど触れた「長時間労働こそが善」というブレインロックも揺らいでくるはずです。なぜなら、いつもよりも短い労働でも、ほとんど大した問題は起こらず、成果や評価も大きな損失が出ることがないことに気がついてくるからです。

短い時間でいつもとほぼ変わらない成果が得られるので、生産性は格段に上がります。すると、余裕が出た分、いままでできなかった新しい案件や企画にリソースがさけるようになってきます。

「この考えは間違っているのかもしれない」
「時代の価値観とずれているように感じる」

ふと気がつくことがあるはずです。そんなとき、人はつい、「そんなはずはない、周りがおかしいんだ!」「自分は悪くない!」という考えに飛びつきたくなるものです。

自己否定をしたくはありませんから、これは当たり前の反応です。

しかし、そのときに勇気をもって、「もしかして自分は本当は間違っているのかもしれない」と疑問を持つことが大切です。そのほんのりとした疑いがあれば、他者の意見を受け入れる心の準備ができるからです。

そして、0.2%だけ相手の言い分を受け入れてみること、譲れる範囲で違った考えや方法を受け入れてみることをぜひおすすめします。そんな形で少しずつ、自分を変えてみることに、ぜひチャレンジしてみてほしいのです。

その際、思考や行動を無意識のうちに制限してくるのが、「社歴が長いほどえらい」「女より男のほうがものを知っている」「年下は年上の言うことを聞くものだ」といった、世代差別、性差別的な昭和時代特有のブレインロックです。

そのために、知らず知らずのうちに機会損失をしてきた人は多いことでしょう。これもまた、氷河期世代を世に沈ませる大きな“罠”になっています。

不合理なブレインロックを自分は持っていないだろうか?
そのために自分は間違った選択をしてきたのではないか?
不合理で理不尽な言動をしてしまってはいないか?

そんな疑いを持ち、気づきを得ることが、ブレインロックの罠から身を守り、生きづらさから解放されて人生を大きく前進させる一歩となります。

「ブレインロック解除×0.2%の改善」

これが、氷河期世代の働き方だけでなく、人生観を大きく変える方程式となるのです。

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ