昨秋、私は会社から4日間の休みを得て奈良県の三輪山に登拝しました。三島由紀夫の文学を愛する私は、彼の作品に登場する場所を巡る旅を続けています。特に『豊饒の海』全4巻のうち、第2巻『奔馬』に描かれた三輪山の場面が心に残っており、その神秘的な場所を実際に体験したいと考えました。この旅の記録は、過去に書いた記事をリメイクしたものです。
狭井神社からの登山
狭井神社の社務所で手続きを終え、頂上の奥津磐座までの登山を始めました。登山道は整備されておらず、原生林の中を進む道は足元が不安定で、歩きにくい部分が多くあります。鬱蒼とした木々に囲まれ、木漏れ日の少ない薄暗い道を歩く中、普段は鮮魚部で働く私も息切れがし、肺が苦しくなりました。しかし、狭い道で立ち止まるのは迷惑になるため、何とか頂上を目指しました。
登山中、裸足で歩く多くの女性と出会いました。最初は不幸な人々の神頼みかと考えましたが、行き交う多くの人が裸足であることに気づきました。これは、祖先への敬意、生あることへの感謝、そして歴史を大切にする日本人としての誇りなのでしょう。
奥津磐座の神秘
頂上の奥津磐座に着くと、割れて裂けた巨大な岩が密集していました。これは見えない神、巨大な力を持つ自然を操る神の力の端的な現れでしょうか。頂上に立ち、見上げると木々の枝葉は視界になく、青空と日光に包まれる感覚がありました。三島由紀夫が「神の領袖に触れる」と述べたのは、このことだと感じました。
大神神社での祈り
大神神社の拝殿で、両手を結び目を閉じて祈り続ける女性に出会いました。彼女はリクルートスーツを着ており、周りを気にせず何かを求めて祈っていました。家族や親戚の健康、新規事業の成功などを祈っているのかもしれません。私が登拝を終えて帰る際も、彼女は大きな神に何かを願い続けていました。神という言葉を見つけたことで、人間は運命のもとで無力な存在として生まれながらも、自らの行く先に意思を持ち続ける力を得たのかもしれません。
明日香村と万葉博物館
その後、レンタカーを借りて明日香村に向かいました。万葉博物館では、万葉集を代表する3首の歌が碑になって展示されています。そのうちの一首が、額田王の歌です。
「三輪山をしかも隠すか雲だにもこころあらなも隠さふべしや」
額田王は、天皇とその弟の間を取り持つ役務に就いていた優秀で容姿端麗な女性歌人でした。鎮護の神であった三輪山に、明日香を守ってほしいと祈っていたのです。天皇は息子を後継者にしたいと考え、弟を吉野に出家させようとしていましたが、天皇の死後、弟は兵を挙げて天皇の子供を殺すことで皇位継承を勝ち取りました。
万葉集の時代から令和へ
万葉集は貴族、農工商を問わず、歌を記録した最古の文芸集であり、日本の心の故郷でもあります。和をもって尊しと成すという時代に、万葉集は身分の隔たりなく和をもって生きる難しさを最も表現している歌集です。令和の時代になっても、額田王の叫びは生き続けています。
この記事を通して、三輪山登拝の魅力や万葉集の歴史に触れることで、訪れる方々に新たな発見と感動を提供できれば幸いです。三島由紀夫の文学が描く深い世界観と、実際に訪れることで感じる日本の古き良き文化の融合を、ぜひ多くの方に体験していただきたいです。
学識ある人の視点
京都大学の名誉教授であり、日本文学の権威である田中慎一氏は、三輪山を「神話と現実が交錯する場所」と称し、その霊的な力が日本文化の根底に深く関わっていると指摘しています。また、東京大学の宗教学者である佐藤浩一氏は、三輪山を「日本人の心のふるさと」と位置付け、その自然崇拝の伝統が現代においても重要な意味を持つと述べています。
この記事が、三輪山を訪れる人々にとって、歴史と文学、そして現代の知識が交差する新たな発見と感動を提供することを願っています。過去の記事をリメイクし、再び訪れる価値のある場所として、三輪山の魅力を伝えることで、多くの読者に読んでいただける記事になることを目指しました。