近くのものを大切にできない人は、他の仕事についても、周りに価値を感じずに務まらない人が多い。悪口を言う人は、どこに行っても悪口をいうようなもので、その人のものの見方というのは、変わらない場合がほとんどなのだろうか?
職場で、仕事の遂行能力はあるが、いつも周囲のものごとに不満を抱えている女性パートがいる。人気のない職種であるから、いつも人員不足で、多少のことは目をつぶって、遠慮しながら、気をつかってあげて、いつも仕事をこなしてくれてはいる。
しかし、新人のパートが入ると、すぐ不満をぶつけるようになり、やめてしまう。その欠点を補うほど、働きはするから、致し方ないということにはなるけれど、本当は、こんなに不人気な仕事をしなくても良かったのではないかと思えてくる。他の部署に手伝いに行きたがる様子は、子供のようだ。子供は、欲しがっていたオモチャを買い与えられると、しばらく遊んでいると飽きて、ごみ箱のように無造作に放置するようになる。これは、自然に任せると、そうなるもので、子供の時分では、あれほど欲しがっていたものが、手に入ると、何故、こう無価値なものに見えてくるのかと自問自答するようになる。
ここに意識の働きの初歩的な見解が得られるのではないか。近くにあるものほど、粗も見えて、価値のないものに見えてくるのは自然の流れである。この無意識の欲求であるエスを、自我が対応していくこと、簡単に言えば、この自然の流れに、意識が対処し、皆に受け入れられる考え、社会性を伴った内容にしていくものに変えていく作業をしなければいけない。意識の働きよりも、自然の流れを優先する選択を、無意識的、意識的に行ってきたがために、現在の彼女ができてしまったのかもしれない。
素直な気持ちで生きていきなさいという教育を受けていると、素直な気持ちの解釈を単純に受け取ると、心の底から湧いてくる欲求であるイド=エスであると勘違いしてしまう。イドとは無意識の領域であり、自覚されていない過去の経験や、「~がしたい」「~が欲しい」といったさまざまな欲求などが無秩序に存在している。人が持つ欲求の中には、依存欲求や承認欲求に加えて、相手をコントロールしたい、自由でありたい、攻撃したいなど、さまざまな欲求が存在している。イドは、「快感原則」に従って機能しているため、すぐさま欲求を満たすことを優先し、不快なものを避けようとする。また、本能的なエネルギー(リビドー)を蓄える貯蔵庫にもなっており、本能的なエネルギーを放出して快感を得ている。まさに、近くのものを大切にしないというのは、このイドに従っているのである。
超自我とは、幼少期に受けた両親のしつけが、こころの中に取り入れられてできた領域のことを指し、イドや自我の見張り役ということだから、恐らく、彼女の両親のいずれかが、性善説をかたくなに信じていて、人間は皆、心に清らかなものをもっているから、素直な心で生きることが大切だいう名目でしつけた可能性がある。これが、上記の身近なものを大切にしないというエラーにつながっているといえるだろう。このように形成された超自我によって、「~してはいけない」といった道徳的な考えから善悪を判断したり、理想的な自分になれるように「~すべきである」と考えて行動に移したりすることができる。
自我とは意識の領域のことをさし、日々自覚している「私」の部分のことだ。「私は~という人です」と表現できる自己意識の部分や、アイデンティティと称される部分ともいえます。自我は「現実原則」に従って機能しており、「イド」や「超自我」の調整役となって、内的なこころのバランスを保っている。それに加えて、状況を把握しながら判断を下し、社会に適応していくための機能も担っていると考えると合点がいく。
上述した、近くのものを大切にしない彼女は、幼い頃、人間は生まれながらにして清く美しい心を持っていると信じている両親から、自分の心に素直に生きなさいと育てられ、超自我が形成された。身の回りが価値ないものに見えてくるエスに対して、これではいけないと対応する自我が機能せず、その点において、エスを優先させる事態がおこる。よって、自我とエスの葛藤の末に、自我の機能拡張されないで、50歳に及ぶということである。これは、手遅れであるので、この特性を理解した上で、部門運営に活かしていく以外にないということだろう。
仏教は唯識である。この説は難解であり、いまだに私は答えがだせない。しかし、目に映るこの街で生きていかなければならない困難さは、いつの時代もあったのだということがありありとわかる話で、釈尊は、それを誇大にして、相手に質問を重ねる。あらゆるものを受け入れていくことしかないという人間の無力感と、人間は考える一本の葦であるという哲学的凄みが、今から2000年以上も前の仏教の経典に書かれているのだから、いつの時代も、人の心は変わらないものだ。
その説話とは、さぁ、行け! 汝がめざすスナ―パランタへである。↓
釈尊が祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に滞在していたときのことです。
弟子の一人であるプンナ(富楼那)が訪ねてきました。プンナはスナーパランタという地方で教えを広めることを決意し、釈尊に別れを告げるために来たのでした。
釈尊はプンナへ最後の教えを説いた後に、こう問い掛けました。
「プンナよ、スナーパランタの人々は気性が激しく荒々しいといわれている。もし、かの地の人々に辱められ罵(ののし)られたら、おまえはどうするのか?」
「世尊よ、辱められ罵られたら私はこう思うことにいたしましょう。〈スナーパランタの人々は賢くて、とてもよい人たちだ。私を罵っても、石を投げつけることはしなかった〉と」
「プンナよ、彼らが石を投げつけてきたらどうするつもりか?」
「そのときは、こう思うことにいたしましょう。〈石を投げつけられても、彼らは刀で切りつけたり、棒で殴りかかってきたりはしなかった〉と」
「もし、彼らが刀や棒で危害を加えてきたらどうするつもりか?」
「刀で切りつけられ棒で殴られても、彼らは私を殺しはしなかったと思うことにいたしましょう」
「では、殺されたならば……?」
「世尊よ、私が殺されたならば、こう思うことにいたしましょう。〈かのスナーパランタの人々は賢くて、とてもよい人たちだ。朽ち果てた私の身体と生命を奪い、解脱させてくれた〉と」
「よろしい、プンナよ。おまえはよく耐え忍ぶ心を身につけた。そのような覚悟であるならば、スナーパランタでの布教にも耐えることができるであろう」
そして、釈尊はこう続けました。
「さあ、行け、プンナよ、スナーパランタへ。多くの人に如来の道を説き、そして人々を安らかで平和な境地に導くために」
(『雑阿含経』より)