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薬を人体に投与する前に、実験としてネズミやモルモットを使用するというのは、無知な高校時代から知っている。ネズミにも、これだけの系譜があり、どの系譜のネズミをつかうと、効果が確認しやすいというのもあるのだろう。エイズウィルスに感染させたネズミに、薬を投与したらウィルスが消えた等、一時期噂になっていたこともあり、今回のコロナウィルスのワクチンや予防薬も、多くの動物の生贄の上に、私達の健康が守られてきたのだろう。
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パキケトゥスがクジラの祖先とされているが、何故絶滅しなければならなかったか? 地上と海の2つで活動しようとしたことが、中途半端になり、環境に適応できずに死んでいったのかもしれぬ。企業でもリソースを有効な商売に集中させるということが行われるように、地上から離れて海中に集中した現在のクジラが、絶滅を免れて、生き残ったと考えていいのだろうか。
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コロナの後遺症で、3月中旬までの15日間は、咳喘息の症状に悩まされていた。いつも風邪をひくと、その後、気管支が悲鳴をあげて、咳がとまらない日が続く。気管支には、哺乳類であるがゆえの共通点がみられる。ウシの気管支が、右の肺だけのつながっているのは、何が意味があるのかな?
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陰茎も似ている。大きい男性を馬並みだと評するが、ここでは、特に大きいキリンをもってきた。一突き型らしく、人間でいうと、早漏だろう。
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スーパーマーケットで働いていると、朝、モグラとりにモグラが嵌って、キィキィと鳴いていることがある。こんなハリモグラがいたら、パートできている女性が卒倒するかもしれぬ。ここでも育ちの良い子の真剣なまなざし、親ガチャで恵まれたであろう子供達だ!
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カモノハシである。発見当初はつくりものだと考えていたそうだ。ホルマリン漬けのカモノハシは、実にポケモンをつくる発想でできたものに見える。
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骨の展示が多い分、展示会場を出た後、なんかニヒルな気分になる。結局、どんなに生きても、これかよと思えてしまう。生きていても、最終的には、全部こうなるのだ。
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ここからは、ワトソン・T・ヨシモトさんのコレクションが続く。やはり、これが官能的でもっとも見に来た人達が、興奮するところらしく、人だかりができている。
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哺乳類の学問に多大に貢献した人物を最後に紹介している。それぞれの天才学者の肖像画を見ていると、目が取りつかれているようで、何かに追われているような緊迫感がある。学問ジャンキーというのか、知ることに、生涯を賭しているのだから、人には理解できない苦しさもあっただろうけど、人では味わえない充実感や達成感を得られたのも確かだろう。私だけがこの世の中で知っている事実があるということは、どんな心境にさせるものなのだろう。
哺乳類展を見終わって、途方もない世界の創造物に巡り合った。このようなものがどのように創り出されたのかを説明する旨は、誰ももたないから、神という概念で説明してきた。神を恐れるあまり、処女の娘を、生贄として、殺して神に捧げるなどと野蛮な儀式も、現実に存在した。人智もまして、科学的技術で、豊かな日常生活を送れるようになってくると、神を忘れてしまう。科学が万能だと錯覚をしていても、東日本大震災の津波一つ予想して対処できないぐらい、人間は、まだ世界のほとんどを理解できていないのだ。
予測される危機は、頭の良い人によって、無いことにしてくれている。現在おきている危機は、人類がハッキリと予測できない時に起こりうるのだ。ウクライナとロシアの戦争も、ロシアが絶対に悪いのは間違いない。しかし、ここまでの死傷者がでることを、ロシアもウクライナも望んでいたことではない。
ネット社会になり、ポピュリズム政治が本格化してくると、立花孝志議員、ガーシー議員のようなものが誕生する。れいわ新選組の山本太郎のようなものが跳梁跋扈してくる危惧がある。まあ、それも国民の僕ことゼレンスキーよりはましだろう。
角の形で、殺し合いの縄張り争いをする鹿の例があるように、生きていくためには、他種を絶滅させても構わないのは、哺乳類展が示すような事実なのだ。生き残るために殺し合いをしているのが、あたり前の地球上の生物において、人間だけが人種間で差別を無くそうなどと、気軽に考えるのは間違いである。
アリストテレス、ゲスナー、オーウェン、ダーウィン、ヘッケル、トーマスと、偉大な人物たちが、哺乳類とは何かを考えてきた。それは、同時に、人類とは何かと真理を探究する旅でもあった。血のにじむ思いで、切り拓いてきた道があるおかげで、今日の哺乳類展の活況がある。しかし、この展示をみて楽しんでいるだけでは、ポピュリズムにのせられる大衆と一線を画することはできない。それぞれが、生物の神秘現象に目を向け、それをしおりとして考え、人間の行う様々なことに、真摯に向き合うことが求められているのだろう。