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30年前の小学校は、どこも学級崩壊だ!三島由紀夫の『美しい星』で慰める!

私は、1980年4月~81年3月生まれのいわゆる松坂世代である。40代になってから、松坂も老けてきて、憧れていたイチローも、白髪まじりで、あいかわらず野球馬鹿でいてくれているが、第一線で活躍しているわけでもないから、私も衰えている気分がしてくるから、「松坂世代」なる言葉はつかわないようにしている。スポーツ選手でたとえると、最初はいいけど、歳と共に、つかいにくくなる。

小学校低学年の頃に、湾岸戦争があり、アメリカのパトリオット、トマホークと、ドングリの実を投げる時に、掛け声として、口にしていたのを覚えている。今の小学生も、ハイマース、アイアンドーム、神風ドローンと口にして、ウクライナの戦争から影響を受けているのだろうか。

その戦争を終えてから、しばらくは、世界的に目立った戦争はなくなり、局地戦、代理戦争といったもので、小規模の民族紛争的なニュースは入ってきたけれど、日本の国益に直結するものではないから、マスメディアも関心を示さないというのが、本当のところかもしれない。

小学校6年生の頃に、自宅近くの友達の母親が、市議会議員から都議会議員になり、マドンナ旋風ともてはやされているほど、平和賛美の気風が、世の中を覆っていた。バブル経済の影響から、戦後民主主義は正しかったという傲慢な民衆の風が、私達の教室にも吹き荒れていたというのが正しいのだろうか。

小学校の時、担任だった三国伸二先生といった。彼は、ジョンレノンを信奉する信念の無い左翼主義者で、君が代は謳わなくていいぞと切れ気味にみんなに言ったり、国際連合脱退の意思を示して、議会をあとにする松岡を、クラスの男子が格好いいと口にしたところ、軍人だぞとまたしても切れるといった状況だった。

30年前の学校教育なんて、こんな適当であったのだ。クラスの担任の好みで、生徒達の思想を強制することもできたし、しょっちゅう、子供相手にギターを弾いて格好つけている先生であったから、クラスの可愛い女子ほど、その周りに群がっていた。子供の頃にセクハラの被害を受けたと、今頃、訴える女性もいるけれど、あの時代の教育現場なんて、ホリエモンの言う通り、いくらでも代替えのきく、教育現場であったのは確かだ。

あえて先生の名前の記載した。これを読んでくれる人が多いとは思わないけど、どうなったか知りたいというのもあるから、もしかして、誰か、教えてくれたら嬉しい。これだけ心に残るというのは、それだけで大したものなのかもしれない。子供はハッキリ道を示してやった方が、嫌なら別の道をハッキリ進むことができるというものだ。

東京学芸大学を卒業しているほど学力があるのだから、日本が軍事をアメリカに頼っている傭兵思想についての是非を、大人になった今としては、聞いてみたかった。平和が正しいといっても、友達に喧嘩で負けること、言われたことに従うだけでも、苛々が募ってくる私としては、すべて嘘くさく感じていた。こんなにわがままな心を持った人が、沢山いる世の中は、きっと、戦争なんてすぐ起こるものじゃないかしらという疑問は、早くから生じていたと思う。

プロ野球観戦で騒ぐ人だって、スポーツに熱中する人だって、きっと、代理戦争のようなものだろう。平和とは、戦争と戦争の間の間奏曲だと、マキャベリが言う。その時代から変わらずにきて、この先は、核兵器まで、人類は手にしているのに、大丈夫だろうか?

人類はという誇大妄想的不安に陥る時は、三島由紀夫著『美しい星』を読むようにしている。

背表紙には「地球とは別の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を中心に、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代的な不安を、SF的技法を駆使してアレゴリカルに描き、大きな反響を呼んだ作品。」「著者の抱く人類への運命に関する洞察と痛烈な現代批判に充ちた異端の思想書」とある。

そう、紛れもなくこの本は思想書であった。天才であるが故に人類の行く末までも見通してしまっていたのかと僕は驚嘆してしまったのをよく覚えている。

なぜ人類が滅亡してしまうのか、三島が人類の滅亡を企む悪役の宇宙人羽黒に語らせている。「人類には三つの宿命的な病気というか、宿命的な欠陥がある。その一つは事物への関心であり、もう一つは人間への関心であり、もう一つは神への関心である。」この宿命的な病気=三つの関心のいずれのルートを取ってもそれは最終的には核ミサイルのボタンを押す結末になるという。

 著者はそれとは反対に人類を滅亡の危機から救おうとする宇宙人・重一郎に人類の5つの美徳を語らせている。「地球なる一枠歳に住める一種族ここに眠る。彼らは嘘をつきっぱなしについた。彼らは吉凶につけて花を飾った。彼らはよく小鳥を飼った。彼らは約束の時間にしばしば遅れた。そして彼らはよく笑った。ねがわくはとこしなえなる眠りの安らかならんことを」これらがなぜ美徳なのかということについては本書に譲る。

 そして著者は重一朗に次のように語らせている。「今、あなたと私との間を流れているこの時間は、紛れもない『人間の時』なのだ。破滅か救済かいずれへ向かっていようと、未来は鉄壁の彼方にあって、こちらにはすべてに手つかずの純潔な時がたゆとうている。」「未来の人間を滅ぼすことができても、どうして現在この瞬間の人間を滅ぼすことができようか。

あなた方が地上の全人類の肉体を滅ぼしても、滅亡前のこの人間の時は、永久に残るだろう。」ここでは既に三島思想の核心が語られているのではないだろうか。僕は未来への不安に心が慄(おのの)くときにいつもこの言葉を思い出すのである。

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ