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日々に出会った美を追求していく!

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贅沢は可能か? バーベキューにて思う!

スーパーで働いていると、この時期、バーベキューにつかう商品を買いにくるお客が多い。正月、節分、雛祭り、子供の日、母の日、ゴールデンウィーク、土用丑の日と、催事があると、それに関わる商品がとびきり売れる。私の育った環境だと、幼い頃、クリスマスになるとご馳走がでるし、プレゼントが貰えて贅沢ができるから、楽しみにしていたけど、中学に入る頃から、イベントだから何かあるということがなくなった。

クリスマスにチキンとケーキを食べ、正月におせち料理を召し上がるということぐらいはしているけれど、ほぼ一年中、日常生活の連続だけで過ぎていく感じだ。少し生活レベルが上がると、少しの間、楽しくて幸せになるけれど、簡単に慣れてしまう。当たり前になっていくことで、さらに上の生活レベルでなければ、幸福感が湧いてこなくなる。この理屈で、日常生活の連続であると感じているだけかもしれない。

古き良き思い出ほど、幸福感に溢れているのは、そのためだろう。エロ本を初めてみたのは、竹藪を切り裂いてつくった秘密基地なるものに、ゴミ同然の落とし物を持っていくことを、友人と手分けをして初めて、ふと週刊誌が開いて落ちているのを目にした時に、1ページのうちに、女性のヌード写真が8人ぐらい載っていったのである。最初は、見るたびに、刹那、快感が脳裏に走る。悪いものを見たと思って、目をそらした。また、自分の目にうつしてみせると、今度は、身体に快感が走る。これは癖になりそうだと、不安になり、それを手にして、秘密基地に持っていくのをやめにした。

この女性のヌードに触れた最初の記憶が、忘れられないほど、快感を伴って、いまだに思い出される。もうあの快楽に達することはないかもしれない。初めて、女性のヌードを生で見て、興奮したのは、小学校5年生の時に、体育の授業の着替えを、男女同じに行うのだが、振り返ると、好きだった女性が、裸でいた。胸が膨らんでいて、それを彼女自身も不思議に思うのか、周囲に見せて笑っていた。無邪気なものであり、近くの男子が、やめた方がいいよと注意していたけれど、彼も、私と同じく興奮していたのだろう。

男女は、変わらないと信じていたのに、宮沢賢治著の銀河鉄道の夜におけるジョバンニとカンパネルラのように分かれていく、悲しい体験でもあった。自分は、彼女とは違う、彼女は、他人なのだと……。

バーベキューを目的に、天然むきえび、赤海老、ほたて貝、肉各種を大量に買っていく客。それも、信じられないぐらい品質にこだわりがあって、安いだけでは全然ダメで、美味しいというのが大前提だ。私はいつも食べることにおいて安物に慣れていたことは悪くないかもしれない。舌を贅沢にした方が、商売をする上では絶対条件であるけれど、あらゆる贅沢になれてしまうと、かえって生活が苦しくなるということも考えられる。
スポーツカーを2台持っている社員もいて、稼いだお金を、理想とする生活に捧げるのだろう。私は、小説家になりたかったから、内的世界をいかに言語化できるかのためにしか価値がないから、本ばかり増えてきたけれど、何度書いても、同じ知的世界に過ぎない。作家は処女作にむけて成熟するというのは、みんな、自分の視野の限界を世界の限界だと思っているだけなのかもしれないけど、私には、20年もこんなことをし続けて、限界を感じている。

柳井正の『経営者になるためのノート』を読んでいて、上述したことを商売に活かす言葉が、著述されていた。
――お客様は厳しい。
なぜ質の基準にこだわるのでしょうか。
それは、やはり「お客様は厳しい」からです。
自分の身に置き換えて考えてみると、すぐに分かることだと思いますが、お客様というのは、一度あるものを手にしたり、体験をしたら、そこが基準になります。
そして次からは、その基準でものを見ていきます。
さらには、その基準ではものたりなくなっていって、より高い基準のものを求めるようになります。そして、それを満たすものに出会うと、乗り換えていきます。
このようにして、お客様の方の基準がどんどんあがっていくのです。

商売は心理学だという。経営者ノートを読んでいると、心理学の本を読んでいるようだ。

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ