nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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初恋の人へ!ストーカーの記録4(2012年)

パートさんが昨日風邪で休み、久しぶりの休みが午前中だけ出勤ということになりました。帰宅するなり腹痛がして七転八倒、今日も休ませてもらうことに……
君に初めて恋をしたと話したけれど、本当の恋では無いかもしれません。小5、6と君の声を聞くだけで顔を上げられないほど恥ずかしくなったり、髪をかきあげる仕草や、表情に接するとドキドキして、毎日、出会えるのが楽しくて、つまり幸福だったのです。孤独を知りたければ恋をしろと言いますが、そこには孤独や哀しさのようなものが一つもありませんでした。中二の梅雨明けのことだったか、帰りがけに前を歩く君が振りかえった時に、目が合ったんです。私は何か嫌なことが起こった気がして、帰宅するなり涙がとめどなく流れて困りました。
 後後になって、『美の巨人』という日本テレビの番組で、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』が紹介されていた際に、涙を流した意味がわかってきたんです。
 少年の頃は意識に遅れがあったのか、唯我独尊の世界に平気でいて、すべてが満たされていました。それが君と目が合ったときに、そこに他者を発見したんです。今までの殻にこもった世界にひびが入り、そこから這い出て、色々な人間との関係をいかに処理して取り入れていかなければならないと、他人は他人と認めた上で人間関係を成り立たせていかなくてはならないと耳飾りの少女のような目で、それとなく気付かされたからでしょう。
本当に幸せな少年時代でした。欲しいものなど何もありませんでした。もう二度と経験することのない幸福感を与えてくれたことに感謝しています。私の良心の源にもなっています。けれども、不如意でしんどいことが多いと、ハイムケール(帰郷? 後退)して12歳の子供にかえるわけです。そうすると、君を探して手紙やメールを送ることになるんです。ピーターパンのようにまだ甘えん坊なんです。もっと、しっかりしないと駄目ですね。君がテレビに映るどんなアイドルより素敵だったのは間違いありません。ここまで読んで、怒りに震えているでしょうか? 本当にごめんなさい。

初恋の人へ!ストーカーの記録3(2012年)

「ちゃんと寒ブリがきてくれて良かったです。長崎の五島列島の旬ぶりを、1切100円で販売しました。昨日、なくなく帰ったお客も喜んでくれたでしょう。私が無職の犯罪者のように思われるとつらいので、働いている証拠にブリの写真を添付しました。
Yahoo検索サイトで三国伸治と入力すると、町田第4小学校1年B組の担任をしていることがわかりました。掲示板には学芸会の打ち上げで、ジョンレノンのイマジンを歌って、恰好良かったと女教師のコメントがあります。卒業式の後で、石段に腰掛けて私達に歌ったイマジンをまだ歌っていると聞いて、20年間が急に短く感じられ、少しの間、ニヒルになりました。君を怒らせることをしているのも、このことと無縁ではありません。あの頃のイマジンは世論の大多数が味方になってくれたけれど、今では石原都知事になり、右傾化する中でのイマジンでは、歌う重みが違うかもしれません。私は何をしているのでしょう。君がもしここまで読んでくれていたのなら、誠実さは変わっていないなと思います。私のようなアウトローでも、わかろうとしてくれるんですよね。ありがとう。長々とごめんなさい。おやすみ」

婚活 坊さんフェチの女性は風俗嬢??

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2月17日から19日まで3連休であった。富士吉田の浅間神社日本平三保の松原に一人旅に出ようと考えたが、下記の女性に振られてから、何をするにもやる気がしない。↓
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彼女以外、合う女性はいないのだというオブセッションに苦しんでいる。脳裏に彼女の面影がこびりついて離れない。異常ではないだろうか?
私の頭をウェルテルのように拳銃で撃ち抜きたいぐらいだ。
このブログを読んでアドバイスをくれる良心ある人達がいて、婚活で色々な人と会うことで気が紛れるからと背中を押してくれた。
2月17日の夜にお坊さんと結婚したくて探している女性と会ってきた。↓
www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.com
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聖蹟桜ヶ丘駅東口改札口で降りてきた彼女は、デブスというのではなく、体形は普通で、容姿が悪いわけではなかった。面と向かいあって、どこかお茶でも食事でもしますか? と問いかけると、強烈な香水の匂いが鼻先をかすめた。目も眩むようなというのも言い過ぎではないほど、近くにいると、息をするのもしんどくなるほどだ。顔の表情に乏しく、若い頃の八代亜紀を無表情にした感じで、とにかく近くにあったイタリアンレストランで食事をすることにした。店に入る前、頭の髪はありますよと禿げましてくれた。
昼は友人と高尾山に行き、その足で、ここに来たそうだ。両親と死に別れ、姉が福岡に嫁いだために、戸籍をみると、自分1人だけだと無表情に前を向く。上着を脱ぐと、阿波藍染作務衣のような坊さんの普段着に似ている衣服であった。それだけが、彼女の雰囲気にそぐわず浮いた印象を受ける。
彼女はワインといくらとサーモンのスパゲッティを、私はオレンジジュースと牡蠣のスパゲッティーを注文した。ワインのグラスは、小さなマスに入れられ、店員が瓶を開けると、勢いよくグラスの上から注いでみせた。溢れ出たワインは、グラスに沿って流れ出て、マスからこぼれることなくおさまった。
彼女に私生活のこと、仕事のことを話しかけても何も話そうとしないのだ。最近飲み会があった時のこと等、私も勝手に話してみる。時々、「ヒヒヒ」という笑声を発するが、ほとんどは私の顔を無表情に見つめている。霊界と地上階の間にいるような、かといって、高野聖のような霊界ではない。毎日、男性の精子が飛び出る様を見続けているうちに、本来の人としての生活を忘れて、それを思い出しているかのような狂的な雰囲気が、さも霊界にいるように見えるのかもしれない。
 厚化粧、強烈な香水のにおい、来日したばかりの中国人のような言語の乏しさから、風俗で働いているのではないかと疑いが頭をもたげる。
仕事のことを聞いてもほとんど話そうとしない。以前、会う約束をしたのに、突然、仕事が入ったと朝連絡があった時、おかしいと首を傾げざるをえなかったのを思い出す。
ドラッグストアで買い物をして帰ると彼女は言う。駅の改札口前で別れてから、聖蹟桜ヶ丘駅の周りを散歩した。もう婚活で女性に会うのはやめようかなというはかなさしかなかった。
もう一月もすれば39歳になる。40歳になるまでもう1年と1月なのだ。一生一緒にいたい女性なんて、良く考えたら出会えるわけない。
結婚を考えるのなら、20代のうちから一生懸命相手を探すべきなのだ。1年間婚活をして、1人だけこの人ならという女性と出会えたけれど、断られてしまい、虚無感だけが募ってくる。女のことを考えなければ、私は十分幸せに生きられるのに……、
人間も動物と同じく、1年に2週間ぐらい繁殖期というのがあれば良かったのだ。

初恋の人へ!ストーカーの記録2(2012年)

「昨日のことを思い出すと、足下から不甲斐なさや情けなさが胸奥にこみ上げてくるようです。30歳をすぎて何をしているのでしょう。
 学生の頃、SMAPの東京ドーム公演で警備のバイトをしたことがありました。遠くの席からステージに向かって名前を泣きながら叫ぶ女性が多いのに驚きました。幻想が人に与える力でしょうか?それを見るなり引いたけれど、私だってイリュージョンに連れられて今日まで生きてきたのだと思います。
 現実感覚を失うほどになると、私のように愚行を招いてしまうのでしょう。
 今、魚屋の仕事を終えました。冬のまな板は、冷たくて……早く春がきて欲しいです。
 もし君が怒りや恐れもなく読んでくれていたら夢のように嬉しいです。本当にごめんなさい。」
「初めてメールしてから15分間、身体の震えが止みませんでした。よからぬことを起こしてしまった、君がどんなに思うだろうと想像するだに恐ろしくなってしまったんです。
まだ動揺しているのか、ブリを発注し忘れて、売場に旬の寒ブリがありません。それで今日はお客のクレームに追われていました。
小6のとき、友達と落合3-2の君の家へ一度遊びに行ったことがあります。そのとき、肝玉が大きくてさばけたお母さんが、ダイニングの椅子に腰掛けて、背中越しに私達のやり取りを聞いていました。
そして、強く優しい背中から、もうご飯の時間よと開けっ放しの声が聞こえてきたんです。その後のやり取りがステキに素朴で、あなた達親子を好きになって帰ったのを覚えています。
お母さんは元気ですか?おやすみ。……なれなれしくしてごめんなさい。」

初恋の人へ!ストーカーの記録1(2012年)

「すみません。勝手に調べてメールしました。小学校で同窓のMです。自宅に手紙を出したりとキチガイじみたことをたびたびしてしまい僕が僕でないようです。申し訳ございません。
 ただ、初めて恋したひとにもう一度会いたいんです。」
「もしOさんたったら親に連絡しないで!母親は心臓がわるいから……お願いします」
「驚かして悪かったです。ゆっくり休んでください。本当にごめんなさい。ご結婚されてお名前も変わっていらっしゃるかもしれませんけど、確かにあなただとお声でわかりました。
何のために脳は、声を20年以上記憶しているのか不思議に思えます。
 探偵事務所に10万円も払って調べてもらうなんていう馬鹿が世の中にいるんでしょうか?自己嫌悪に耐えません。ごめんなさい。おやすみ……」

パラサイト 韓国でなければオスカーは難しかったなぁ?

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万引き家族』に似ているなぁと思った。黄色人種が欧米の映画祭でグランプリをとるのは、極貧の卑しいネズミのような生活をする姿が必要なのだろう。都市の洒脱な生活を描いたソフィスティケートな作品を評価する訳がない。しかし、ブルースリーがハリウッド映画で、鍛えられた肉体をスクリーンに披露することにどれだけ苦労をしたか考えてみれば、今回、作品賞を獲得したことは、凄いの一言である。
2月11日建国記念日であったから、満席の100名近くの中で観る映画もいいものだ。オリンピック、ノーベル賞とアジアの主要な功績は、日本が初めてという名誉は次第に過去のものになるのだろうか? 韓国の芸能は昔から進んでいるにしても、AKBとジャニタレが紅白でウロウロしているのを見ると不安になる。
壁が黄と黒のシミで汚れていて、コオロギが這いまわっている家が映されると、悪臭が鼻先をよぎるようだ。害虫消毒の燻煙車が迫ってくると、窓を閉めるか長男(ギウ)が家族に問いかける。父親が、コオロギがいなくなるから開けておけと命令する。
パク社長の邸宅で家庭教師をすることになったギウから、次々とあらゆる手段を講じて家族(父、母、兄、姉)をパク一家の仕事に従事させることに成功する。パク社長一家がキャンプに出ている間、居間で酒とつまみを出して、貧乏一家が大騒ぎしていると、天気が崩れて大雨が降ってきた。インターフォンが鳴り、予定外のことに貧乏一家は焦りだす。以前の家政婦(ムングァン)が、忘れ物をしたという話であった。なかなか出てこないので部屋に入ってみると、地下につながっている隠し扉があり、その奥には、借金取りに追われる夫がかくまわれているのであった。
お金を送るから面倒をみて欲しいと懇願するムングァンに首を振る極貧家族の母(現在の家政婦)であったが、階段で隠れて聞いていた父、兄、姉が足を滑らせて倒れ込んでしまう。その様をムングァンがスマホで撮影し、パク社長に送るぞと脅迫する。先ほど、一家がくつろいでいた居間のソファーにくつろぐムングァンが大笑いをして、金正恩の核ボタンのようなものだねと、北朝鮮のアナウンサーの真似をして、家族を罵る姿は実に面白い。
あらすじはwikipediaで調べればいいから、これがいいと考えたところだけ述べさせていただく。
高校2年生で受験勉強に励むパクダヘと家庭教師ギウの恋は、貧しさゆえにパラサイトの道を駆けずり回るネズミのような家族の物語に花を添えている。カーテンに隠れて2人はキスをしていた。外では、パク社長の息子ダソンの誕生日祝いを庭の芝生で多くの知り合いを招いて行っている。それを2階から見下ろすギウにパクダヘは、違う女のことを考えていたんでしょと嫉妬をにじませる。ギウは、寂しそうに、「優雅だな、俺も似合うかな」と問いかける場面はせつない。パクダヘを演じるチョンジソの表情、特に目で気持ちを表すところは出色である。
姉を演じるパクソダムの純粋な韓国人のような狐のような目も魅力的だ。そして、話し方に格調と気品があって、これも、このドロドロした暗い内容に、彩りを与えている。
貧富の差のコントラストが、この映画の見どころで、貧しいものが必死に這い上がろうと、醜いことに手を染めても生きようとする人間の本能を、殺人のグロテスクな場面を隠さず映すことで伝えている。この描写によって12歳以下は入場禁止ということであろう。日本の映画では、倫理の問題もあるのか、こういう表現に触れる機会がない。万引き家族のパクリのような気もしないではないが、やはり韓国の芸能文化の結晶でなければ、オスカーを得ることはできなかったのであろう。

雛祭りを待たず、またストーカーメールを送ってしまった?

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↑前回の記事

「誠に申し訳ございません。もう絶対メールしないと誓ったはずですが、ここ数ヶ月、君のことが脳裏から離れません。自分のことのようにYさんが浮かんできます。お会いした日が遠ざかるほど全体像が見えてくるものですね。何故、君だけが掛けがえのない存在と考えるのか、正直にすべて書きました。これで必ず最後に致します。
私は弘法大師空海に憧れた父親の下で育ちました。空海は自費で現在の中国に渡り、密教哲学を日本に持ち帰った初めての人です。天皇陛下密教を教え、その後ろ盾でもって、五重の塔で有名な東寺を建立しました。
また修行の根本道場を高野山に定め、そこを女人禁制にし、日本で初めて庶民のための学校や溜め池をつくり、多くの書物を遺しました。性欲に代表される煩悩は、すべて社会的価値の高い活動に昇華する理想郷を求めたのでしょう。
父親は、空海ほどのスーパーマンはいないから、自身は市井の良い英語教師として、二人の子を持つ父親として生きていけばいいと納得したのでしょう。キリスト教徒がキリストほど人を愛することはできないから、自身は神の愛を伝える使途であればいいと、良心の呵責に悩まされず気楽に生きる姿と似ています。
父の趣向に触れるたび、子供心に、スーパーマンになれと望まれているような誤解をしていました。
大学生になると、彼女ができる友人も増えて、性欲は強くなるし、自分の生き方に悩むようになりました。三島由紀夫に出会ったのは、その頃です。
空海の唱えるのは、聖人の説で、三島由紀夫は小説家ですから、小人の説なんです。彼の著す物語には、些細なことで道に迷う人達が、俗世間に染まりながら、一縷の意思を持って生活する中で、刹那きらめく真・善・美が描かれています。その姿に多く励まされてきました。
私が、Yさんを素敵だと思うのは、純粋な女性原理の世界を守り、創り上げてきた意思にあります。熊のプーさん展の風船の糸を後ろ向きに持っている姿、実家の犬猫を家族のように想う愛情、ハプスブルク展のような美しいものに囲まれる生活への願い、言葉に出来ない世界を音楽で伝えようとする強い気持ち、動物達を助け獣医になろうとする優しさ、そしてなにより、弱ったお年寄りを介護する日々のお仕事。
Yさんは綺麗で可愛くて美しく、表情や挙措や振る舞いも、そして話すことのすべてが女性の魅力に溢れていました。私は君のような異性としての魅力はないけれど、結婚していない理由は同じであると考えています。心の底にある男女の原理に対する純粋さゆえに、自分の良いとして思い描く世界に異性を受け入れる余地が少ないということです。
 君の魅力から周囲は、婚活していることに首をかしげるはずです。モテないはずがありえません。それでも、真顔で首を振る君は、ただ男性をあるところで拒んでいるだけだと思います。
ツヴァイの出会い準備講座の動画では、男性は永遠の6歳で、女性は永遠の18歳だと講師が話しています。精神の世界史にこれを当てはめると、人間の寿命で6歳に当たるのがギリシャ哲学のエロースであり、18歳にあたるのが、キリスト教アガペーであります。私達が雛人形のように純粋な男女原理の一対だとしたら、互いの追求してきた価値観は、この2つの思想に近いと考えられます。
以下、参考書を抜粋しました。
「人はだれしも、美しいもの、優れたものを好み、手に入れたいと思う。価値あるものを求め、そのことによって自分自身の向上をはかる愛を、ギリシャ人はエロースとよんだ。プラトンは、このエロースに哲学的解釈を与え、人間を真・善・美の三面を有する理想へ限りなく高めていくものとした。つまり、個別的なものへのとらわれを離れ、普遍的真理に向かって自己を拡大していく衝動としてエロースを意味づけたのである。
たとえば、学校で教師が生徒に教育愛を注ぐのは、生徒が普遍的真理を求めていけるものとして生徒の価値を認めているからであり、生徒が真理を求めて向上していくことに教師として満足できるからである。
このようなエロース的愛は、自分自身がよいものを求めるだけでなく、他者をよいものにしていくためにも、人間関係のなかになくてはならないものである。
しかし、エロース的愛は、価値があると思われるものに注ぐ愛であるから、価値が認めれられなくなったものには愛は自然に停止してしまう。愛は対象を失い、人間は孤独に陥る。
これに対して、対象の価値にかかわりなく、また自分を満足させるかどうかを問わない愛を、キリスト教ではアガペーとよんでいる。
たとえば教師は、どんなにできない、よいところの見当たらない生徒に対しても、愛情を注ぐことができなければならない。心身に重い障害をもつ子供をいとおしく思う母親の愛、再起不能の病人でありながらも手厚く看護しようとする愛、差別され虐げられた人々のために自己をなげうって奉仕する愛などがそれであり、イエスの罪人に向けられた愛はその究極の姿を示している。
このような愛は、そこに存在するということだけで惜しみなく与えることのできる愛であるから無償の愛ということができる。また、愛の対象の価値に左右されない愛であるから、停止することのありえない愛である。人間はこのような愛によって、孤独を脱することができるのである。」
こうして考えると、ご指摘のように、価値観(人間に対する考え方)が根生いのところで真逆であります。端的にエロースは地上から天上へ向かう自己愛であり、アガペーは神が人間に向かう道とするなら、お互いの究極とされる人間のあり方については一致してくるのではないでしょうか?
 源氏の氏神である鶴岡八幡宮で巫女をされていたお話の中で、源実朝について問いかけていたことを覚えていますか?
先日、鎌倉駅で降りて、参拝してきました。コロナウィルスの影響からか観光客が少なく、多く店内は人影がまばらでした。大銀杏の根株を横目に、階段をのぼりきると、お守りを並べた本宮前の授与所に、緋袴と白衣を身にまとった巫女がいました。
ふり返ると、遠くの青い海に向かって常緑樹の豊かな参道が一直線に伸びていて、両側の白い建物が道を守るように続いています。3つの鳥居が赤い関門のように並んでいました。
大銀杏前の階段、13段目で立ち止まりました。小学校5年生の時に、担任の先生が、日に照らされた変哲もない階段を指差して、ここで源実朝が暗殺されたと説明していたのを思い出します。
 生まれつき病弱な源実朝は、源氏に生まれ、兄、父、伯父を暗殺される権力闘争の渦中にいて、若年の死をいつも予感しながら歌を支えとして生涯を送りました。子供を産むことの許されない境遇の中で、源氏の正統が自分で終わるから、せめて高い官位につき、家名をあげることを望むようになります。築き上げた和歌を広めるために命を捧げたのだと思うのです。周囲の反対を押し切って、右大臣の拝賀式に向かうたため、長年住みなれた我が家を出る前に、御髪上げをした者に遺髪を渡し、辞世の句を詠みました。
「出で出でて 主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」
 人生で、Yさんが誰よりも素敵な人でした。」
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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ