nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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三島由紀夫『美しい星』内灘の砂丘は、砂の女を思い出させる!

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「ここの名高い大砂丘は、今やこまかい植林の苗囲いに分断され、見わたすかぎり起伏のなりに篠垣がつづいていた。砂には瓦や小石がまじり、トラックの轍はなお海へ向かっていた。ここからは砕けかける波頭は見えるが、波打際は砂丘に隠れ、砕ける波音はかなり遠かった。」

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日焼けをしているビーチボーイだ。身体にはたしていいのだろうか?

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白い柴犬が、砂丘ではしゃいでいる。慣れたように、車に飛び乗った。

UFOが現われても、さもありなんと思われる雰囲気だ。

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「労働者の影一つ見えないけれど、路傍には左のような立札が読まれた。

河北郡 内灘

内灘試射場場補償事業防風林工事

昭和三十六年八月着工

昭和三十七年三月竣工予定』

暁子は目を輝かしてこれを読んだ。海へ向かう道にトラックの轍が何本も深くめり込んでいたのは、このためだったのだ。」

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砂丘に音を出す研究をしているそうだ。△△△学会と話していた。そんなに学問のための学問のような学会がある日本は素晴らしい。

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砂に車輪がはまって、抜け出せないようだ。

 

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旧制四高中毒の女性を金沢で思い出す!

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ここに威勢よく写る学生達は、ものこの世にいない。一切が過ぎていく。そして私達は、この時代に生きた人達が創り出した社会のエキスを、エスキースとして分別し、また、受け継いで今日があるのだろう。それが正しいことだったのかは分からない。

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プロ野球の父と謳われた正力松太郎が、四高の柔道部員として写真におさめられている。心身共に充実している姿が写真からもうかがえる。

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婚活で出会ったナンバースクール中毒の女性は、この素朴なエリートといった風情が好きなのかなと思った。

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骨折から立ち直れそうもない弱気な自分!

左手を負傷して早4日経った。骨折を治療して治っても、元通り仕事ができるようになるのか不安でしょうがない。当たり前のことを当たり前にできていたことが、こんなにも幸せなことだなんて、思ってもいなかった。

利き腕を負傷したことで、食事をするにも、着替えをするにも、歯磨きをするにも、悪戦苦闘する日々である。

ブログを書くにも、時間がかかりすぎるから、音声入力で今書いている。

職場の管理者の方たちは、私のポストを空けて待ってくれていると言うが、これも負担であるし、もういっそのこと、何か人生で大きなチャレンジをするきっかけの怪我ということにして、将来起業してみたいという野心が頭をもたげてくる。

しかし、何をするにも、人間とはなんぞやと言う興味しか、そして、その関係に美はあるのか?という疑問しか私の頭に浮かんでくることがない。

もう一度自分の人生を見つめ直す、より良い機会としていきたい。

そんな大それたことを言ったとしても、日常生活がままならず、これが一生続くのならば、首を吊って死にたいと思うほどに私はおちこんでいる。包帯をぐるぐる巻きにしたところの腕がかゆくて仕方がない。痒みと痛みで夜中、目が覚める。

よく考えてみれば、私なんて片端のような人間だ。結婚もしたことがないし、子供もいない。何か自分一個の命を、世のため人のために使ってくれないか?

歯磨きはとりあえず大変だから、電動歯ブラシを買った。これなら利き腕でなくとも、歯をしっかり磨くことができそうだ。

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星稜高校 野球部グラウンドに行ってきた!

星稜高校は、私が22年前、高校球児だったころから、全国に強豪校として名前をはせていた。

それだけではない。

高校野球の歴史上最高の試合とされる箕島との一戦↓

https://m.youtube.com/watch?v=7gniu7XvNtI

 

松井秀喜 5敬遠↓

https://m.youtube.com/watch?v=7Ul-42ICiB8

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何故強いのかは、石川県で生まれ育った少年が甲子園やプロ野球を目指すには、星稜に入るしかないというのが大きい。

そして金沢市で盛り場といえば、香林坊ぐらいで、星稜高校の周りは、野となり山となりで、東京と比べると誘惑が無さ過ぎる。

飲食店すら、ほとんどないじゃないか!

夢のためにストイックに努力出来る環境が整っていると言えるだろう。

 

 

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泉鏡花記念館 東茶屋街 夜は蛍観賞

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泉鏡花記念館の所在を知ったのは、youbride で婚活している時だった。その女性は、成城生まれで、幼稚園の頃から泉鏡花の夜叉ケ池などを読まされていたという。

彼女が生まれてすぐに、母親が脳の病気になって、寂しい思いをして育ったから、子供が物心つくまでは、専業主婦でいたいというものだった。

電話で話して、それっきりになってしまった。メールでやりとりしているだけで楽しかったから、そのままでも良かったのだ。

電話でいったいこの僕の何がわかるというのだろう。

 

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浅野川の梅ノ橋付近にある「滝の白糸像」。これは、泉鏡花の代表作のひとつ『義血侠血』に出てくる女芸人をモチーフにした像です。 『義血侠血』は金沢と富山を舞台とした、水芸の女芸人と法律家をめざす苦学生の切ない物語。梅ノ橋はその物語の中で、二人が再開する場所として登場します。

ボタンを押すと、白糸像の手先から水芸と称して水が噴き出る。女生徒が何度か押しては楽しそうに笑っている。

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泉鏡花が幼い頃、通っていたお茶屋街↑

貧しさゆえに苦労している女性を多く見ていたのだろう。

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夜は蛍を見に行く。

時々小さい星のような光が空中に揺れてはとまる。小川でザリガニをとっているおじいちゃんに出くわした。ザリガニは蛍の卵を食べるから、来年のために、ザリガニをとっているそうだ。

今年だけでも800匹はとったということである。言っているそばから、つかまえて沿道の砂の上に投げて見せた。茶色のこうらをした小さなザリガニがひっくり返って、脚をバタつかせている。

「もう少し大きくなると、オレンジ色になるんだ」

と言うと、つかまえて川に投げ返した。

「戻して大丈夫なんですか?」

「潰しているから大丈夫!」

 

日夜、人知れず、努力している人がいてホタルも観ることができるのだ。人為を建設するための努力が学問の歴史と聞いたことがある。

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三島由紀夫『美しい星』武家屋敷 西茶屋街 ニュー狸

「流れに沿うた石垣や築泥のほとりに、かすかに芽吹く1本の柳を控えた石橋があった。水の中の水草の緑のなびくのばかりが、目に新しい。

 橋をわたる。曲がりくねった小路に入る。家家はみな古く由緒ありげで、築泥の塀を雪から守るために、竹竿を横にかけ、そこに藁むしろを懸け連ねたのが、もう春だと言うのにそのままにしてある。塀ごしに林檎の樹なぞが見える。雨は家々の釉を施した漆黒の屋根瓦を光らせている。それぞれ門の中に、しんしんと雪構えの立木をこもらせた小さな前庭がある。小体な長屋門もある。櫺子窓もあるが、中は暗くて人のいる気配も見えない。」

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実際、武家屋敷には、人が暮らしている。代々地元で名がある人なのだろうか。

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「京阪風の造りの家が多い石坂の花街は、細い川より上が花柳界で、川より下がむかしの赤線という風に、重一郎のような旅人の目にもはっきりと分れて見えた。その合間合間に、小さな八百屋だの魚屋だのがあり、この時刻では、そういう自然の物産を並べた店先ばかりが生々と見えた。文房具と貸本と駄菓子とをあわせて商う店もあった。日の当った迂路の半ばに、二三人の子供が石蹴りをして遊んでいた。幾度か小さな怪我をしたその傷だらけの膝頭が、石を蹴るとき、日を受けて生姜いろに光った。

 元の赤線地帯は、バアやキャバレーや旅館に姿を変えていた。しかし以前のままのタイル張りの玄関に、旅館の暖簾ばかりを申訳にかけたような、中途半端な改造が、やその一画を一そう怪しげなものにしていた。重一郎は俄かにアメリカ風な名前をつけたキャバレーや、キャバレーまがいのバアを一軒一軒のぞいたが、どこもまだ大戸町を閉ざして人影がなく、まだ雨の滴をしたたらしている色の落ちた造花の桜や、雨に汐垂れた裸女の「桜まつり」の絵看板などが、雨後の西日を受けて燦爛とした。

 まれに風呂がえりらしい髪を高く束ねた女が、男もののナイロン・ジャンパーの襟から見返って、重一郎を胡散くさそうに眺めたりした。その遠ざかる下駄の音が、一歩一歩粒立ってきこえるほど静かであった。」↓

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三島由紀夫の表す情緒は伝わってくる。ネットでは、夜中、売春を行っているのは、写真に写る黄色の看板の店らしい。寂れてはいても、確かに赤線地帯であった雰囲気は残っている。

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芭蕉翁來訪地小杉一笑墓所

つかもうこけ我泣聲は秋の風

昭和42年(1967年)8月、一笑の子孫が建立。

小杉一笑

 一笑は金沢における蕉風の先駆をなした俳人

 元禄2年(1689年)旧暦7月『おくの細道』で金沢入りした松尾芭蕉は、一笑が前年の霜月6日死去したことを知り、慟哭、

 22日、ここ願念寺で催された追悼会で芭蕉

   「塚も動け我泣く声は秋の風」

と、その悲しみを詠んだ。

 この前々年(貞享4年)、近江の人尚白が撰した『孤松集』に一笑の句が194句も入集されているほか、計378句の遺作が伝えられている。

 芭蕉もその才能に最も注目していた俳人だったが、会うこともなく他界、享年36歳。

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↑「タクシーは香林坊の雑沓を避けて、長土塀づたいに犀川へ向かって南下し、やがて犀川大橋を渡って、川の南岸の名高い宿に着いた。川を見下ろす茶室風の部屋は、すでに温められて、香が焚かれていた。」

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「狸茶屋という店で小さいステーキの午餐を摂った。」

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身が柔らかく、タレも自家製といった本格的な洋食屋さんといったところだ。

 

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ナンバースクール中毒の女性に一年半ぶりにメールしてみた!

以前、ツヴァイの婚活で2度デートしたことのある女性にメールをした。2年近く前になる。

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「こんばんは!
お久しぶりです。
連休を利用して、金沢まで行ってきました。
兼六園に入り、大きく勇ましい日本武尊の像の下に立つと、中原中也が、幼い頃を懐かしんで、ここで涙を流した気持ちが伝わってくるようです。時は流れていくものですね。
城壁に沿って歩いていくと、四高記念館がありました。旧制一高の展示品を写真にお撮りになっていたことをふと思い出し、井上靖の『北の海』の話をあなたがされていたので、写真撮影可のため、いくつかお撮りしました。
生徒達は皆真面目そうで、「超然」等と口にすることに微笑ましい大義があり、流れ星に己の行く末を重ねる純粋さと、恋における初々しさが魅力的でした。
写真をいくつかお送りします。迷惑でしたら申し訳ございません🙇‍♂️
最後の写真は北の海です。内灘砂丘にはまって、車が動かせないようです。」

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ