千九百四十五年八月六日(月)午前8時。雲一つない青空が広がっている。広島第一中学校一年一組の席に座って、鈴木は、日に照らされている校庭を眺めている。夏真っ盛りの強い日光は、赤っぽく照り映えている。鈴木は、酸化鉄の違いで土の色は変わることを、小学校の頃、理科の先生に教わった。先生は、家の庭をミニ農園にして、朝から、精を出して働いていると噂されていたし、こんな暑い日でもやっているのだろうと思うと、鈴木も、将来、あれほど、のどかな物知りになりたいと思った。
「先生くるの遅いね」
鈴木が、臨席の友人に話しかける。
「いつもそうだよ。今朝、アメリカの飛行機が、空を何機も通っていたじゃないか。あれでもめているんだろう」
鈴木は、あくびをした。
新築されたばかりの校舎は、木の香りに満たされている。
駅の近くにある太陽館(映画館)の中は、幼い頃、連れていってもらったけど、中はリンゴ箱の匂いのようで、剣を振るって悪を倒す映像と一緒に、鈴木は楽しく思い出した。
「太陽館に行けるようになるといいね。あの館長は、どうしているかな」
「鬼畜米兵は、広島を敵には回せないから、絶対に爆弾を落とさないと言っていたし……」
「疎開のための荷物をまとめる作業が、これからあるんだろう。二年生だけ屋内だからいいよな」
皆は隊列を組み、先生の掛け声と共に、校庭に繰り出した。鈴木は、先ほど消えた爆撃機のエンジンの音が青空に響いているのに気付いた。それは、青空に一点の不快な黒いシミのように見える。それが動いていく様は、巨大なハエを予感させる。羽音よりも、聞き慣れた三輪車の音である分、悪しき思惑を漂わせている。水面にゴキブリの羽がたゆたうている。カマキリが、蛾の身をむしゃむしゃ美味しそうに食べて、羽だけ残る。巨大なくの巣につかまえられている感覚、とにかく、不快極まりない嫌悪感が鈴木の胸の内に込み上げてきた。
生徒達を誘導する先生は、岩のようなごつく厳しい顔をしている。皆は、上空のことを気にもせず、行進する。鈴木は、よそ見をして怒られる気持ちよりも、その時ばかりは、空にうごめく一点を目で追っていた。
刹那、航空機の交尾の部分が、かすかに振動した。家にいるワンちゃんが、糞をする前にする二足立ちの姿浮かんできた。次に、胴体中部から、ポロリとドッグフードのような粒がポロリとこぼれ落ちた。ゆっくりと落下する黒くて丸い犬のウンコ。風邪をひいた時に渡される征露丸のように無機質な人工物。小さい。ここには落ちない。大丈夫だ。ふとした間が空く。猛烈光に全身が焼けるように包まれていく。