nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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婚活アプリで会う女性は、変にプライドが高くないのか?

 前回のやりとり↓
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6月3日に、品川プリンスホテルのカフェテラス24のラウンジ前で待ち合わせしたのだが、開いていなかった。急遽、タワー2階のCAFEマウナケアの前に場所を変えるメールを送った。彼女が現れたのは、10分遅れであった。自粛明けで仕事が忙しいらしい。

 ツヴァイの女性のような真面目さ、男性に不慣れな印象はない。良く言えば昭和の女優のような、悪く言えば、水商売の女性のように、ビジュアルが決まっているのだ。簡単にいうと処女性はないと言えるだろう。
 席について、お互い向かいあう。真剣な目をして、私の顔をじっと見つめる。私が照れてきて、目を下に向けると、にらめっこして遊んているように彼女が笑う。話に間があると、こういう状況になる。急いで話題を提供しようとして、言葉につまるとシンドイ。真剣な目をぶつけ合っても、プラスにはならないだろう。
 コロナの影響で仕事が減り、不安からだろうか? 笑顔もとても寂しそうで、もの静かに口を閉ざす姿は、言葉に出来ない感情がいっぱい胸の内に秘めているのだろうと思えた。
 後ろの席では、今日、東京アラートが出たという話題である。都庁と、ここから近いレインボーブリッジが赤く染まった。彼女に聞いてみると、大阪の真似だよねと力無く応える。
 宮城県出身で、牡蠣小屋のカキで2回食あたりを起こしたことがあるそうだ。水族館が好きで、品川タワーにある水族館と池袋サンシャインの水族館、沖縄の美ら海水族館、新潟の水族館に行ったことがあるという。
 普通に相手が見つかりそうだから、聞いてみたら、飲み会に誘われたりすることもあるけど、彼女がそういう場が嫌いで、避けていたから、出会いはないということ。真面目に将来を共にできる人を探しているということ、2年間ぐらい男性との付き合いはないということ等を教えてくれた。
「どこか行きたいところはありますか?」
「彼女はしばらく考えた末に、自然な空気に触れてみたい。高台とかで景色を見ながら……」
「浄化する感じかな。高尾山は行ったことありますか?」
「あるよ」
「小学校3年生の頃、遠足で途中まで登ったのだけど、あの頃は、水が綺麗で、小川の水をそのまま飲めたんだよね。今は、世界一登山客の多い山というから、開発が進んで難しいのかもしれないね」
 また私の悪い癖で、劇団四季の『マンマミーア』でも横浜に見に行かないか? と聞いてみたら、いいよと自然な調子で答えた。お金を無駄に出し過ぎるのは、女性慣れしていない現れなのかなと思ったりする。ヤクザ映画で、ヤクザが女性をいかに支配するかを見習ってみるべきかもしれない。昔のヤクザ映画だと、女性がわがままを口にすると、ビンタをすぐかますからね。手を出すぐらいじゃないと、女は男の魅力を感じないのかとすら思える描き方だ。

1時間経った頃、彼女がトイレに立ち、戻ってくると、これから仕事があるらしく、別れることになった。駅まで一緒に行き、改札口前で挨拶をした。こんな感じの良いサヨナラは、婚活史上3本の指に入るほどだ。しかし、女性の心変わりの激しさを何度も見てきた私は信頼できない。また逢う日まで、逢える時まで、真摯に彼女に応対していこう。

三島由紀夫『獣の戯れ』の安良里を訪ねて!

汗びっしょりになった服を変えようと、生活用品を扱っているMIROという店に行く。入口上の怪獣のオブジェが面白いので撮影した。

 南伊豆休暇村の前は、弓ヶ浜海水浴場がある。白い砂浜が弓なりにひらけていて、水泳が苦手な私でも泳ぎたくなるほどだ。


 ウミガメの産卵地でもあるから、見つけた人は、すぐ通報して欲しいという掲示がしてある。

 休暇村は、国または地方公共団体が整備した公共施設というだけあって、建物はしっかりしているし、同じ金額で民間のホテルを利用したら、これほどの食事、サービスは受けられないであろう。しかし、民間と違うのは、ホテルや旅館の宿泊客への気持ちが、やはり細かいところに現れる。
 すべてがマニュアル通りに運営されている印象を受けるのだ。
 明日、西伊豆の安良里に行く。三島由紀夫著『獣の戯れ』の舞台となった場所を巡るつもりだ。

 『剣』の作品で取り上げられたお寺。西成寺↓ここで部員が下宿した。
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 安良里漁港に到着。潮のにおいが強い。小さい漁船が入江に沿って、ずらりと並んでいる。
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「そこは西伊豆の伊呂という小さな漁港で、港は深い入江の東側にある。山の接した西側では、入江はなおいくつもの小さな触手を伸ばし、それらがおのおの山懐に抱かれて、造船工場、と云ってもごく小規模なものや、貯油タンクや、網具その他の船具を納める23棟の倉庫などを控えている。そして工場から貯油タンクへ、タンクから倉庫へと、陸の道は通じていず、舟でゆききするほかはないのである。
 3人が港から小舟を出して、写真を撮らせるために上った岸壁は、その倉庫の岸壁であった。
『あそこがいいわよ。あそこで撮りましょうよ』」

「倉庫の前の、竹で組みなした網干場とそれにぞんざいに懸けられた網は、そこの風景の恰好な額縁になっていた。横たわった檣、うねっている纜、……すべてが航海の記憶と、劇しい労役のあとの休息のさまを示して静まっていた。しんとした日光のなかの微風の息づかい、空いろのペンキを塗った倉庫の大戸、倉庫の各棟のあいだには夏草が高く生い茂り、蜘蛛の巣も草間にかかり、コンクリートの亀裂から荒地野菊の白い花々が秀でている。赤錆びたレエルの断片、錆びたワイヤー、生簀の蓋、小さな梯子など。
 そこは怖ろしいほど静かで、立って見下ろす海面には雲や山の影がのどかに映り、殊に岸壁ちかくでは千々に乱れている。」

「伊呂村は純然たる漁村であるが、山にちかい東側には多少の田畑がひろがっている。郵便局の前をしばらく行くと家並が途絶え、道はまっすぐに村社へ向って田の間をゆく。その途中で右折すると、山腹に累々と建てられた新墓地へ、一本道が次第に勾配を加えて高まるのである。
 墓地の山の麓には小川が流れ、墓はその川ぞいにはじまって、中腹まで複雑に重なりあっている。そして低地の墓ほど石も大きく造りも立派である。そこから道は細径になって、石ころだらけになり、墓の各列の前をジグザグに昇ってゆく。墓前の石垣は崩れかけ、夏草の強い根が、くずれた石の隙に頑なに張っている。灼けた石に蜻蛉が、乾ききった翅を展げて、標本のように止っている。どこかで薬のような匂いがする。花立ての水が酸えているのである。この土地では、竹筒や石をそれに使わず、半ば土に埋めた酒徳利やビール瓶に、枯れた樒の枝を挿したのが多い。
 夏の日没前にここまで登って、夥しい藪蚊を我慢すれば、伊呂村の全景を眺めるのに具合がいい。」
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「彼は目を海へ移した。船首の左に、黄金崎の、代赭いろの裸かの断崖が見えはじめた。沖天の日光が断崖の真上からなだれ落ち、こまかい起伏は光りにことごとくまぶされて、平滑な一枚の黄金の板のように見える。断崖の下の海は殊に碧い。異様な鋭い形の岩が身をすり合わせてそそり立ち、そのぐるりにふくらんで迫り上った水が、岩の角々から白い千筋の糸になって流れ落ちた。」
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「2人は入江の岸を無言で歩み、入江の一等奥の、さまざまな芥が流れついている海面を眺めやった。波ひとつない海のおもてには紫いろに稀く油がうかび、いろいろな形の木片、下駄、電球、缶詰の缶、欠けた丼、玉蜀黍の芯、ゴム靴の片方、安ウイスキーの空瓶などが集まっている。中に小さい西瓜の皮が、うす青い果肉に曙いろの射したのを、ゆらめかせている。
 海豚供養之碑のあるあたりで、優子は山腹の凹みになった草地を指さした。
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「もうお昼の時間でしょう。あそこでサンドウィッチでも喰べながら話しましょうよ」
 幸二は不審そうな目をあげた。彼の口には、誰かの名を言いそうでいて、言いかねている風情が窺われた。そのためらいがちな口もとを、優子は別人のような印象を以て眺めた。この人は「大人しく」なった。不快なほど、わざとらしいほど、自分を捨ててしまった、と。
(中略)
山腹の草地まで上ってみると、入江のけしきは美しく、木洩れ日は快かったが、そこはそれほど静かではなかった。十数隻の伝馬が岸へ引き上げられている眼下の一角には、船大工の小屋があり、新造船の化粧をいそぐ大工たちの金槌の音や、蜜蜂の唸りのような機械鋸の音が、そこから昇ってきて、山腹のあちこちへ谺している。」
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「滝の眺めは壮麗だった。高さはおよそ60メートルの黒光りする岩の頂きには、乱れた雲のかがやきがあり、疎らな雑木が光りを透かしている間から、水が小走りに走り出て雪崩れてくる。上方3分の1ほどは白い繁吹ばかりが見えて岩肌は見えないが、落ちる水はそのあたりから二手に分れ、俄かに見る者へ襲いかかってくるように前方へ迫り出し、十重二十重に段をなして、白い鬣を振りみだして落下する。それら水を怒らせる岩々には、茎まで濡れそぼったわずかな雑草が生い立っているだけである。風の方向はたえず変って、そのために霧の飛び散る方角は不定である。しかし右岸の丈の高い草木を洩れる日光は平静そのもので、規則正しい平行の光りの筋を、落下する水のおもてに投げかけている。あたりは滝の音と蟬の声に占められ、この2つの音がせめぎ合って、1つの音にもきこえるし、又、すべてが滝音すべてが蟬時雨のように聴きなされることもある。」
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「浦安の森は岬の鼻に在って、燈台を突端に置く防波堤の内側に抱かれている。森の東辺は湾内のしずかな入江に面し、西際はただちに堤防を隔てて外洋の荒磯につながっている。密林の只中には、鎌倉時代初期の松竹飛雀鏡の神鏡を祀る社があった。
 かれらは湾内の幾多の小さな入江のうちでも特に静かで、白砂を敷きつめた浦安の入江へ行って、そこで夜の遊泳を楽しもうとしたのである。 浜辺の水深はひどく浅く、舟底は砂にとられ、纜いっぱいに岸の朽木に繋いで、ようやく伝馬を舫うことができた。喜美の用意のよさに男3人はおどろいた。海浜着をさらりと脱ぎ捨てると、その下には白い海水着を着込んでいたからである。男3人はやむなく下穿きで泳いだ。
 村の空に新月があらわれた。幸二は村の北山に草門家の乏しい燈火を認めた。酔った旨が俄かに水に漬けられて打ち出す鼓動の不安な早さを、幸二はぞっとするような快さに感じて、せまい入江のなかを泳ぎ廻った。「影よ! 影を見てごらんよ!」
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 三島由紀夫が取材の際に宿泊した宝来屋から少し離れたところにある横田屋食堂で昼食をとった。
イルカ漁で栄えた街だということが、横田屋の壁に貼り付けてある新聞記事に目を通すことでわかってきた。この村を『獣の戯れ』の舞台にしたのも、こういう歴史を考慮に入れてのことだろうか。
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近くに小さいスーパーがある。近くに漁港があることが信じられないほどの鮮度の悪さだ。
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三島由紀夫が宿泊した宝来屋の玄関に入る。
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帰りがけに立ち寄った浄蓮の滝。水量が半端ない。石川さゆりの碑がある。
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天城越え
作詞:吉岡治
作曲:弦哲也
隠しきれない 移り香が
いつしかあなたに 浸みついた
誰かに盗られる くらいなら
あなたを 殺していいですか
寝乱れて 隠れ宿
九十九(つづら)折り 浄蓮(じょうれん)の滝
舞い上がり 揺れ墜ちる 肩のむこうに
あなた……山が燃える
何があっても もういいの
くらくら燃える 火をくぐり
あなたと越えたい 天城越え
口を開けば 別れると
刺さったまんまの 割れ硝子
ふたりで居たって 寒いけど
嘘でも抱かれりゃ あたたかい
わさび沢 隠れ径
小夜時雨 寒天橋
恨んでも 恨んでも 躯うらはら
あなた……山が燃える
戻れなくても もういいの
くらくら燃える 地を這って
あなたと越えたい 天城越え
走り水 迷い恋
風の群れ 天城隧道(ずいどう)
恨んでも 恨んでも 躯うらはら
あなた……山が燃える
戻れなくても もういいの
くらくら燃える 地を這って
あなたと越えたい 天城越え

天城越え 石川さゆり 昭和歌謡

浄蓮の滝のすぐそばでは、新鮮な水を利用したワサビの栽培。また、マス、ヤマメ、アマゴ釣りをしているカップルもいる。昨日の夜? 今日の夜?は、愛し合ったのだろうかな?
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修善寺に着いた。駐車場利用だけだと300円という立て看板がある土産物屋に入った。
修善寺は、夏目漱石が病気療養のために来たところで、血を大分吐いたらしい。修善寺の大患である。
源頼家が殺害された場所でもある。
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修善寺から三島への列車の窓から富士を眺める。
さらば伊豆よ!
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三島由紀夫の宿泊先だった下田東急ホテル!『音楽』で出てくる!

 下田の赤根島から、宿泊先の南伊豆休暇村へ行く前に、三島由紀夫が毎夏、仮に住まいとした下田東急ホテルに立ち寄ることにした。5月31日まで、臨時休業ということで、泊まることはできなかった。坂道を上がっていった丘の上に当ホテルはある。


 『音楽』の中で、精神科医の臨床治療を受ける麗子が、夏の保養にと、このホテルを訪れ、周辺のことが描写してあった。数年前に改装したとあったから、変わってしまっているか不安であったが、ほとんど描写と同じであった。

「汐見先生。
 どこまで私の我儘をゆるして下さるか、いずれ私は先生から見捨てられるのではないかと、ときどきすごい恐怖にかられるのですが、せめてこうして手紙で事細かに自分の気持の推移と、自分の責任でなく起った事件とを報告させていただくことに、私の忠実さを読み取っていただく他はありません。
 S観光ホテルの最初の一日、私は久々で何ものにも煩わされない孤独をたのしみ、先生の下さった脚本も読み、生意気に、これからは、今までとちがって多少自己分析の勝った手紙を差上げられるのではないか、と考えてみたりしました。
 このホテルは伊豆半島の南端の海に面した崖の上にあり、その景色の美しさはちょっと珍しいぐらいです。春の西風がかなり強いのが難点ですが、湾と深い入江と、湾内の程よいところにある岩に打ち寄せる白波と、沖をゆき交う船を、部屋の窓から眺めているだけでもあきないくらいです。ここへ来たとたんに、自分の現金さがわれながら可笑しいほど、食慾も進み、家族連れの多いお客が、アメリカ製の娯楽器具や、スロット・マシーンや、ジューク・ボックスに、つぎつぎと小銭を入れて興じているさわがしい娯楽室にも、そんなに異和感なしに入っていくことができました。ただ見渡すかぎり、女一人のお客は私一人らしいことが、気がさすといえば気がさしました。ただ夕刻ちょっとロビーで見かけたのですが、黒いスウェーターを着た1人ぼっちの陰気な青年がいて(青年といってもまだ二十そこそこですが)、どうやらその人も一人旅らしいのでしたが、その後は姿を見かけませんでした。
 あくる日、私は朝食のあと、ホテルの庭へ散歩に出ました。庭は南西にひらけていて、南のほうへ長い石段を下りていくと、途中の勾配に石垣苺を栽培していて、ビニールのおおいの下に、もう熟した赤い実が点々と見えます。それを見ただけで、苺のさわやかな酸味が口の中に移って来るように感じられるほど、私の体はさわやかでした。
 先生、私がこんな肉体的健康を死んだあの人にすまないと感じる寡婦らしい気持になっていたからとて、私を責める人がいるでしょうか? 青い輝やかしい空を見ても、そこに大きな喪章のイメージが浮んでくるくらい、あの人の死に憑かれていながら、へんに気分がさわやかなこの状態、これこそ幸福というのではないかと私は考えました。隆一さんがあんなにヤキモキして追い求めていた性的歓喜、私があんなに焦燥して聴きたがっていた音楽も、一度それをきいたあとでは、却ってこんな何も要らない浄福が訪れるとすれば、歓喜自体ははじめから虚しい無意味なものとも思われるくらいです。でもとにかく、私はあれほど憎んでいた又従兄に、今は感謝の気持ちを抱いていました。それはどんな男にも私のかつて持ったことのない感情でした。ああ、御免なさい。汐見先生を除いてはね!
 石段を下りきったところに、まだ西風の肌寒い陽気なのに、満々ときれいな水をたたえたプールがあります。夏ではあるまいし、プールのほうへ下りて行けば、一人きりでいられるだろうと思ったのは、私の目算違いで、プールのまわりは、大へんな賑やかさでした。新婚夫婦が写真を撮り合う。家族連れが子供の写真を撮る。又その子供が、ちっともじっとしていないで、プールのまわりを駈け回る。中に、子供づれの2組の若い夫婦がいて、旦那様同士が何か真剣な顔つきで相談しているようにみえたのは、コンクリートの地面でダイスを振っているのでした。そのうち一方が、
『畜生! 負けた』
 と言ったと思うと、するすると洋服を脱ぎ、その下にはちゃんと海水パンツを穿いていて、思い切りよく冷たいプールへ飛び込んでしまったのには呆れました。まわりの人は飛沫を避けて、笑いながら飛び退き、私は私で、こんな単純な人たちは永遠に精神分析などに縁がないことだろうとふと羨ましく思いました。そして一方、私の心には、子供づれでこんなところへ来て幸福そうに騒いでいるその2組の夫婦への、云いようのない軽蔑の気持ちを兆していました。
 私はそんな人たちを避けて、プールの外れの枝折戸から、海のほうへ下りる道へ出ました。道と言っても、危なっかしい九十九折りのそば道で、梅雨のころだったら滑って足を踏みはずしそうな斜面が、草木のあいだに見えがくれにつづいているのでした。幸いあとについて来る人もないので、私は孤独をたのしむためには海のほうまで下りてゆけばよいのだと思い、半ばほど下りたときに、海のほうを眺めました。
 そこは西のほうへ深く切り込んだ入江で、西風が波を押し返し、入江深く打ち寄せようとする波の丹念な努力を崩していました。午前の日光が入江いちめんにまぶしくかがやいていました。
 そのとき海へ突き出した大きな岩の突端に、黒い海鵜みたいな鳥がとまっているのを私は見ました。かなり大きな鳥で、まっ黒で、なかなか飛び立たないので、気味のわるい感じがしましたが、やがてそれは私の目が海のまぶしい光にあざむかれていたからで、紛れもない人間のうずくまった姿だということに気づきました。そう思ってみれば、それはたしかに人間でした。黒いズボンに黒いスウェーター、ワイシャツの白い襟の一線だけが首を取り巻いている。(中略)
あんなところで、1人で、物思わしげに海に見入っている人が、決して幸福なわけではありません。それに遠目にもわかるのですが、岩の突端は滑りやすい不安定な形をしていて、危険な場所に相違なく、その危険をわざと冒させるようなものが、あの人の心にはひそんでいるにちがいないのです。」


↑鳥鵜のように青年がうずくまっていた岩。
こういうところからインスピレーションを受けて話を紡ぎ出せるのは天才だ!
九十九折の道は、さすがにコンクリートの階段になっていたが、景色も描写のままである。
フロントに受付の女性が一人いたので、三島が滞在した部屋を一度見たい旨を話した。ロビーでしばらく待っていてくれということで、期待はしたけれど、やはり駄目であった。

三島由紀夫『月澹荘綺譚』の地を訪ねて。

 三島由紀夫が昭和39年から45年まで、毎夏訪れた下田のお菓子屋さん、日新堂に入ってみた。

店内は、三島由紀夫の写真が沢山貼ってあった。三島由紀夫が日本一のマドレーヌと絶賛した味ということだ。奥から老婦人が出てきた。「三島由紀夫の来た夏」の著者横山郁代さんかと思い、著者の方ですか? と聞くと、その母ですということだ。三島由紀夫と毎夏、店頭で相手をしていた母が存命だとは考えていなかった。
 娘さんの本を読んできたこと、娘がホテルに行きたがっても、母が頑として「迷惑がかかる」と請け合わなかったのは勿体ないこと等を興奮して話しかけた。
 三島は気さくで良く話す愉快な方だったということだ。下田の街を夏になるとよく歩いていた。祭りのでは、喜んで現地の人達と一緒に神輿を担いでいて、海が大好きでねぇと笑顔で話していた。
「先ほど、三島と親交のあった熱海のボンネットというCAFEの主人と話してきたけど、彼のいうところだと、あまり話をする人ではなかったそうなんですよ。きっと、ここがお気に入りで心を許していたのでしょうね」
 と私が言うと、母は興味深くうなずいている。
 マドレーヌの3500円の箱を2箱調子にのって注文した。
 さすがに腹を切った時には驚いたでしょう? と聞いてみた。菓子箱を包装しながら、一月前ぐらいに、話したばかりで、来年の夏は来れないからということだったけど、まさかあんなことになるとは思いもしないからと、下を向いた。実際に親交のあった人達は、あのことを、あまり思い出したくないことなのだろう。それから母親は黙りがちになった。
「下田で1泊してから、明日は西伊豆の方に行こうと考えています」
「西の方にも作品があるんですかね?」
「獣の戯れ、苺、剣があります。娘さんも作品を読み込んでいて、『苺』、『剣』については、文庫本では発売されていないので、娘さんの書いた本を読まなければ、見過ごしていたと思うんです」
「三島さんも喜ぶと思いますよ。また、いらっしゃいね」
 私は何度か、ありがとうございましたとお辞儀して、店を後にした。
 下田公園の東にある磯料理の店に行く。


ここも三島由紀夫だけでなく、長嶋茂雄も訪れた店で、両者の色紙が額に入れて飾られている。下田公園の先に小さな無人の小島である赤根島がある。「月澹荘綺譚」の舞台となった場所だ。

 下田海中水族館を左手に進んでいく。水族館のトレーナーの女性に赤根島の場所を聞くと、先にある小さな林を指差して、
「あの先は海しかないですよ」
 と不審な顔をした。
 私が道らしき場所を探りながら歩いていくと、左が崖になっていて危なかった。踏み外したら転落するではないかと怖くなる。
 しかし、1967年に書いた作品の描写と、2020年に見た光景とは、それほど変わっていない。



↑夏茱萸ではないか?

「私は去年の夏、伊豆半島南端の下田に滞在中、城山の岬の鼻をめぐる遊歩路がホテルから程よい道のりなので、しばしば散歩をした。滞在の第一日には岬の西側をとおり、強い西日を浴びながら、角を曲る毎に眺めを一変させる小さな入江入江を愉しんで歩いた。
 その入江が、岬の鼻へ近づくに従って、次第に荒々しい荒磯になる。長大な岩が蝕まれ、大きな破壊のあとのように乱雑に折れ重なっている。岬の突端の茜島へ渡る茜橋のところまで来ると、そこではじめて強い東風に当った。
 私は茜島へ渡った。そして烈しい日にますます背をやかれた。
 茜島は人の住まぬ荒れた小島で、丈の高い松は乱雑に交叉し、斜陽はとなりの松の枝影をこちらの幹へありありと映していた。
 坂をのぼる。坂の頂きに、稲妻形の枝をさし出した大松が2本、左右に門のように立って、その彼方に青空が再び拓ける。その先には岩壁を穿った洞門がある。これをくぐると道は絶えて、岩場の上をかすかに足がかりが伝わり、海燕がさえずり飛ぶ島の南端へ出た。そこは直ちに太平洋に面している。
 私は岩にもたれて、そこかしこを眺め渡した。荒磯は夕影に包まれているのに、海は夢のようにかがやいていた。
 見上げると、私の背後には茜島の南端の断崖がそそり立ち、その頂きには松が生い、木々が繁っている。岩のあらわな集積が、やがて頂きに近いあたりで、はじめて草の芽生えをゆるして、そこから上方へ徐々に稠密に緑に犯され、繁みの下かげには黄いろい小花や、灌木がつけた点々とした赤い実も見えている。夏茱萸ではないかと私は思った。
 その頂きあたりのいかにも常凡な草木のすがたと、裾から半ばまでの赤むけになった肌のような岩のおもてとが、あんまり対照がきわやかなので、そのどちらかが仮装であって、一方が一方に化けかけて、化け損ねた姿をそのままさらしているかのようである。
 私は次に目を足下へ移した。そこには赤い粗い岩の間に小川ほどの水路があり、私の居場所と突端の荒磯とを隔てている。それが右も左も低い洞穴で海に通じているので、その水路は波の去来によってたえず動揺している。両側の粗い岩肌からいちめんに滝を引きながら、水が俄かに深く凹んでゆくかと思えば、たちまちそれが膨らみ昇って、波立ち、泡立ち、白い泡沫の斑で水路をいっぱいに充たす。その大幅な変化が、不安で、怖ろしげに見える。水があたかも、呼吸をして伸び上りふくれ上る異様な生き物のように見えるのだ。それがどこまでふくれ上るかわからないほどになると、再び急激にしぼんで、水底をあらわすまでに干るのである。
 見るうちに私は、何とも知れぬ不安な情緒にかられてきた。水は黒くふくらみ、赤い粗岩のあいだに、烈しい不気味な動揺をやめなかった。目を放って沖を見る。すると、その輝かしさが私の不安を救った。
 海風はさわやかに私の頬を打ち、沖をゆく貨物船は左舷に西日をうけてまばゆい白のかがやきを見せ、沖の夏雲の形は崩れておぼろげながら、一面にほのかな黄薔薇の色に染っていた。」

 今と同じ情景そのものである。天国にいる三島由紀夫とコミュニケーションがとれたような興奮があった。日新堂菓子店の婦人と話した後でもあるから、今、近くに三島がいるような気がして嬉しかった。
wikipediaより↓
「去年の夏、「私」は伊豆半島南端の下田に滞在中、城山の岬をめぐり、かつて明治の元勲・大澤照久侯爵が建てた「月澹荘」という名の別荘にまつわる40年前の話を一人の老人から聞いた。その老人・勝造は、漁師の父が別荘番をしていた関係で、大澤照久侯爵の嫡男・照茂と幼友達であった。照茂は侯爵が亡くなると家督を継ぎ、大正13年1924年)に20歳で結婚した。その夏、新婚夫婦は月澹荘を訪れたが、翌年の秋に別荘は火事で焼失した。無人の別荘の出火の原因は不明だった。それを機に夫人は別荘の土地を下田へ寄附する旨の手紙を勝造に送った。その手紙の送り主が主人の照茂でなかったのは、その年すでに照茂はこの世にいなかったからだった。
新婚の照茂夫人は、初めて月澹荘を訪れたとき、庭で誰かの視線を常に感じていた。照茂が死んだ翌年、夫人は一人で月澹荘を訪れ、夫がなぜあんなふうに死んだのか、何か秘密の事情を隠しているらしい勝造に問うた。勝造は2年前の出来事を語りだした。
それは照茂が結婚する前年、照茂が19歳、勝造が18歳の夏だった。城山を散策中、二人は白痴の娘・君江が赤いグミの実を摘んでいるのを見かけた。照茂は君江の腰をじっと見つめ出し、勝造に君江を強姦するように命令した。殿様の言うことに忠実で従うことしかできなかった勝造は、しゃにむに目的を遂げようと君江を襲った。その間、照茂はじっと冷酷な感情のない澄んだ目で、泣いて咽ぶ君江の顔を至近距離で水棲動物の生態を観察するかのように見ていた。君江はその視線から逃れようと必死だった。勝造の秘密の告白を聞いた夫人は、なぜ君江が勝造でなく照茂を憎んだのか納得した。そして結婚以来一度も夫婦の契りがなかったこと、夫はただじっとすみずみまで熱心に見るだけだったことを勝造に告げた。
照茂は夫人と月澹荘を訪れた夏、岬近くの茜島という小島へスケッチに行ったまま、崖で死んでいたのだった。頭を砕かれ海へずり落ちそうになっていた。勝造はそれを一目見て、君江が殺したのだとすぐ解った。照茂の両眼はえぐられ、そのうつろには夏グミの実がきっしり詰め込んであった。」

殺意が湧く!自粛下の婚活 破局までのやりとり!

前回のやりとり↓
www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.com
Aさん「こんにちは!そう言ってくださって有難うございます。
Mさんは本名でやっていらっしゃるのですか?私は世界名作劇場というアニメが小さな頃から大好きで、特に心惹かれたポリアンナから取りました(❁´꒳`❁)

わざわざ調べてくださったのですね。何度行ってもあそこの雰囲気はたまらなく惹かれます。
神社も三ヶ所ほどあって、夏のお祭り時期は賑わうのですよ。
ぜひぜひ。*^^*

Mさんはマッチングアプリ
気になる方がいらしたり、すでにあわれたりと進展がすすんでる方はいらっしゃいますか?」

私「こんにちは!
今日は休みで、泉鏡花の「夜叉ヶ池」と死を前にして書き上げた「鏤紅新草」をkindleで読みました。
 読解の難しさはあっても、語彙が豊富で美しく、優れた詩を唱和する喜びがありました。三島由紀夫が、「あんな無意味な美しい透明な詩をこの世に残して死んでいった鏡花」と絶賛しているのもわかります。

男性が偽名で登録していたらマズイだろうと考え、本名でやっています。☺️
 ポリアンヌからとはセンスがいいですね。夏祭りの賑わいも好きで、一緒に行ける日がくることを願っています。

上野の博物館や美術館には私も時々行きます。
多摩センター駅サンリオピューロランドがあるところ)の近くに住んでいるのですが、めぐみさんは、どの辺りにお住まいですか?

ツヴァイで少しの間、婚活していました。相談所も関係性が希薄で、長続きしないしやめました。
 結婚相手に望むこととなると、職業、収入、容姿、性格と全方位的な内容になるから何がいけないとは端的に言えないところがあります。
 ユーブライドも半年近くログインしていませんでした。正直、誰もいません。🙇‍♂️
Aさんは、20代で、とても魅力的で、言い寄る男性は多くいるでしょうけど、そのような中でも、やりとりができることを感謝しております。☺️
 迷惑でなければ、電話をお掛けして良い日にちや時間はありますか?」

Aさん「こんにちは。
お休みだったんですね、ゆっくり休めましたか?
読書家さんなのですね。

そうですね、、本名でやられてる方のほうが信じやすくはあります。
ポリアンナ物語をご存知なのですか?

上野は少し遠いですが、博物館はもちろん、アメ横の昔懐かしな雰囲気も大好きです。
実家が成城にあったので多摩センターは小さい頃、ピューロ目当てによく行きました。今は中野のほうに住んでるので少し遠いですが*^^

ツヴァイさんでもいい方はいらっしゃらなかったですか、、?返信も早いし優しくて穏やかそうな雰囲気に見えるので、すぐ成立しなかったというのが不思議な感じがしてしまいます…。
もとはるさんが職や収入も気にされるということでしょうか。女性側が男性に気にする点ということでしょうか。

魅力的と言っていただいて有難うございます、ただ30代の方からしたら20半ばは言動など子供っぽく見えてしまうかもしれません。
こちらこそやり取りしていただき有難うございます。

今夜などは大丈夫ですよ、夜は最近は比較的いつでも大丈夫そうです。」

私「こんばんは!☺️
お気遣いいただいて嬉しいです。おかげさまでゆっくり休めました!本を読んでいると、すぐ時間が過ぎていきますね。

ポリアンナの物語をwikipediaでみただけなんですけど、事故で足が動かなくなったポリアンナが、前向きに良かった探しをして生きていこうとする姿を想像するだけで感動します。五木寛之の「あんがとノート」というのも、ここから渉猟したものかもしれません。

実家が成城なんて凄いところにありますね!中野は漫画や小説に取り上げられることが多い場所ですよね。

そう言って頂けて、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
 ツヴァイでは、それまで自然の出会いしか経験していなかったから、距離のとり方がわからず疲れることが多かったです。
 お会いできるのも、30代中頃の方がほとんどでした。結婚に前向きではないけど、お産を考慮すると年齢的にリミットで、周りの目があるから仕方なく婚活しているような女性が多かったです。

 女性が男性を結婚相手として見る上で、気にする点ということです。ほとんどの男性がそうでしょうけど、自分は相手の職や収入はほとんど気にしませんよ。
いえいえ、女性から見たら、男性はいくつになっても子供ですよ!

仕事を終えるのが遅くてLINEを開くのが先ほどでした🙇‍♂️
申し訳ないのですが、明日29日(水)の夜に電話してよろしいですか?🙇‍♂️」

Aさん「こんばんは。お疲れ様です。
あっという間に時間が過ぎますよね。

そうなのですね、つらい境遇にあっても明るい気持ちで頑張ろうとする姿勢に小さな頃から勇気をもらってきた作品でした。

何度かアプリの方とお会いされてるのですね。私の周りは結婚に前向きな女性が多いのでなんだか意外です。。

わかりました!明日また時間分かりましたらご連絡下さいませ。」

私「こんにちは!
今日は気持ちの良い青空が続いていて、どこかへ行くように誘われているようですね!
外に出ると、ぽかぽかして気持ちいいです。
本日の午後8時にお電話してもよろしいですか?」

Aさん「こんにちは。
そうですね、気持ちのよいお天気ですね。
午後8時、了解です!」

私「ありがとうございます!よろしくお願いします!」

電話をした。

私「 先ほどは、ありがとうございました。上品な声と、冷静沈着な話し方に、教養と育ちの良さを感じて、お話しやすかったです。
 普段の表情をイメージできないから、間合いをとるのが難しくて、唐突にあれこれ聞いてしまい申し訳ございません。
 子供に愛情を注いであげたいという言葉に、愛がこもっていて目頭が熱くなりました。素晴らしいことですね。
 高尾山には、小学校3年生の時に、途中まで登り、綺麗な川の水を、そのまま飲めた記憶があります。
 今は世界一登山者が多い山というから、開発が進んで変わっているのでしょうか。
早く外出できるようになることを祈っています。」

返事がこない。4日後に再度メールを送る。

私「おはようございます!
Lineの画面がお子さんになっていますね!綺麗で聡明な顔立ちで、可愛いと思います☺️自分のですか??
投稿見るとピアノも耳コピして弾けるんですね!本当に凄いです!」

私「もうお忘れになりましたか? !(^^)!
 もう一度、あんなさんのプロフィールとコメントを読み返してみました。
 専業主婦になって子育てに専念したいということに、私は有無を言わず賛成です。そしてワンちゃんか猫ちゃんもいれば良いですね。
 ただ現在の私の収入からすると、貯金の2千万円を切り崩しながらということになります。正直どの程度の住居や生活環境を準備できるのかわかりません。めぐみさんの理想には程遠いでしょうか?
元々女人禁制の高野山で小僧をしながら大学に通い、空海を理想として生きてきた父親の下に生まれた私は、7歳上の腕力も知性もかなわない兄の顔色ばかり見て育ちました。高校は男子校の野球部、大学は女性がほとんどいない農業大学でした。
 男性の正義をテーマにしたものが多い三島文学に耽溺する学生生活を卒業して就いた仕事は男ばかりの鮮魚部で、人生を顧みても周りに女性がいません。
 いつも心にあるのは、正義のヒーローへの憧れ、父親の影響からくる超人への志向でした。
 高野山の根本大塔を見た時、本来小さいとされる形の伽藍が数倍の大きさに造られていて、その存在に圧倒されたことがあります。まるでウルトラマンのようです。
 今まで追われるように自分のことばかり考えて生きてきたから、残りの人生は誰かのために生きたいという熱情が抑えられずに、婚活を始めたのです。その際、君に出会いました。
 レオリングは私の胸の中で燃えています☺️
 またメールからやりとりしましょう!=(^.^)=」

私「こんにちは!
自粛下の東京でいかがお過ごしでしょうか?
石川県の事態宣言が解除されたので、兼六園が再開されれば、今月末に行ってこようか考えています。泉鏡花記念館にも足を運びたいです!」

私「こんにちは!
 先日26日から1泊2日で伊豆半島を1周してきました。熱海のボンネットの店主に水泳を教えたんですか? と話しかけると、驚いた顔をして、三島由紀夫とのいきさつを丁寧に教えてくれました。
 本人は航空隊に志願して入隊したということに興味をもたれ、生まれも育ちも熱海だから色々と聞かれるうちに仲良くなったそうです。
尾崎紅葉金色夜叉」の像、錦ヶ浦に足を運び、起雲閣は休業中でした。商店街も開いていない店が多数あって、人のいない観光地は、祭りのあとのような寂しさがありますね。
 下田にある日新堂菓子店も同作家のゆかりの店らしく、当時の店主がご存命で、三島由紀夫は、気さくで陽気な方だったということでした。自決の1ヶ月前に会っていたから、ショックを受けたそうで、その話をしてから黙り込んでしまいました。
交友のあった方からすれば、いまだに影を落とすことなのかもしれません。
 下田に1泊して、翌日は西伊豆が作品の舞台となった場所を巡り、修善寺に立ち寄って帰途につきました。
 潮のにおいと海の景色が目を閉じると懐かしく浮かんできます。また行きたいですね!」

Aさん「まだ制限解除されて間もないですよね。

そのような時期に観光に出歩くのは、旅先の方々の気持ちも考えると、万一自分が菌の保有者でばらまいてしまったら…と、私なら考えていくら行きたくてもやめます。

特に高齢者の方はうつったら治りにくいのに、90代の店主の方にこの時期会いに行くのは私はちょっと信じられないです。

石川県に今月末に行かれると書かれていたときも、4月末の旅行をぎりぎりまで行こうとされていたのも、
私の中の常識と反りが合わなそうです。
同じ価値観の方をお探しください。」

私「 25日から制限が解除されましたよ!
観光地の人達は、タクシーの運ちゃん、ボンネットの店主、旅館の女将にしても、来てくれたことをたいそう喜んでくれました!
ほとんど経済的にギリギリのところだという人が多くて、このままだと生活していけないそうです。
日本国民が1億2千800万人いますよね。感染者1万6千人以外の人達にとっては、どうでもいい問題になりつつあるんですよ。それより日々の生活の資をどうするかということに追われている人が圧倒的に多いんです。
 安良里漁港近くの三島が滞在した宿屋は今回のコロナの件で廃業したそうです。隣の磯料理の店主は怒っていましたよ!
 めぐみさんの画一的な視点が気がかりです。男性を選ぶ上で、不幸のにおいがしてきて不安になります。私は心から幸せになって欲しいと願っています🙇‍♂️」

Aさん「もういい相手ができたので。さようなら!」

三島由紀夫「真夏の死」の今井浜と、海外を目指した吉田松陰の弁天島へ!

熱海発の電車に乗って、伊東駅に着いたのは、12時30分である。東伊豆の道なりにひたすら南下し、下田まで行くこととなる。温泉を売りにした旅館の大きな看板に何度も出くわした。道行く途中に怪しい建物を発見した。入る人がいるのだろうか?↓

三島由紀夫「真夏の死」の舞台である今井浜の近くの駐車場で降りようとした。料金が500円というので、休業中のホテルの前に車の置いて、浜辺を散歩した。

wikipediaより↓
「生田朝子(ともこ)は3人の子供の母である。ある夏の日、朝子は6歳の清雄、5歳の啓子、3歳の克雄と、夫の妹の安枝とで、伊豆半島の南端に近いA海岸の永楽荘に遊びに来ていた。事件は朝子が永楽荘の一室で午睡をしている間に起きた。3人の子供と安枝は海に出ていた。そして2人の子供、清雄と啓子は波にさらわれてしまう。驚いた安枝は海に向かうが、襲ってきた波に胸を打たれ心臓麻痺を起す。一時に3人の命が失われた。
1人残された子供の克雄を溺愛しつつ、この衝撃から朝子は時間の経過とともに立ち直っていくが、それは自分の意思に関係なく悲劇を忘却していく作業であった。朝子は自分の忘れっぽさと薄情が恐ろしくなる。朝子は、母親にあるまじきこんな忘却と薄情を、子供たちの霊に詫びて泣いた。朝子は、諦念がいかに死者に対する冒涜であるかを感じ、悲劇を感じようと努力をした。自分たちは生きており、かれらは死んでいる。それが朝子には、非常に悪事を働いているような心地がした。生きているということは、何という残酷さだと朝子は思った。
冬のさなか、朝子は懐胎する。しかし、あの事件以来、朝子が味わった絶望は単純なものではなかった。あれほどの不幸に遭いながら、気違いにならないという絶望、まだ正気のままでいるという絶望、人間の神経の強靭さに関する絶望、そういうものを朝子は隈なく味わった。そして晩夏に女児・桃子を出産する。一家は喜んだ。
桃子が産まれた翌年の夏、事件があってから2年が経過した晩夏、朝子は夫に、A海岸に行ってみたいと言い出す。夫・勝は驚き反対したが、朝子が同じ提言を3度したので、ついに行くことになった。勝は行きたい理由を問うたが、朝子はわからないという。家族4人は波打ち際に立った。勝は朝子の横顔を見ると、桃子を抱いて、じっと海を見つめ放心しているような、何かを待っている表情である。勝は朝子に、一体何を待っているのか、訊こうとしたが、その瞬間に訊かないでもわかるような気がし、つないでいた息子・克雄の手を離さないように強く握った。 」

伊豆半島の南端に近く、まだ俗化されていない好個の海水浴場である。海底の凹凸が多く、波がやや荒いほかは、水の清らかさ遠浅であることも海水浴に適している。ここが湘南地方の海岸ほど殷賑をきわめていないのは、ひとえに交通の不便な点に懸っている。そこへ行くには、伊東から乗合自動車で2時間を要した。(中略)白いゆたかな砂浜は美しく、浜の中央に松を戴いた岩山が、築山のように人工的な姿で海へ迫っている。満潮になると、波がこの岩山の半ばを濡らした。海岸の眺望はいかにも美かった。」





 それとなく見終わると、下田へと急いで車を走らせた。三島由紀夫が「大和魂があり素晴らしいと褒めた吉田松陰像」のある三島神社にお参りをした。そして近くにある松陰が弟子とアメリカへの渡航を企て隠れた弁天島に行く。ここには立派な大義があった。
三島神社



弁天島





小舟に乗り、黒船に向かう心境に、外国の文化を取り入れて、大和魂を守ろうとする純粋な志が痛いほど伝わってくる。まさに決死の渡航だ。
今の世の中で、最も貶められているのは、三島の云う通り、吉田松蔭のような強がろうとするモラルであろう。

三島由紀夫と熱海 親交のあったボンネット店主と会う!

 5月26日(火)、27日(水)と熱海、伊東から伊豆半島をぐるりとまわる文学の旅に出ることにした。三島由紀夫の「月澹荘綺譚」(下田)、西伊豆の安良里が舞台の「獣の戯れ」、その他には、三島由紀夫ゆかりの老舗、熱海の「ボンネット」、下田の「日新堂菓子店」にも訪れるつもりだ。

 熱海に着いたのは午前7時であった。
駅を降りて、海に出ようと真直ぐ坂道を降りていった。浜辺の近くに、尾崎紅葉の「金色夜叉」の碑と銅像が立っていた。



以下Wikipediaより。
「高等中学校の学生の間貫一(はざま かんいち)の許婚であるお宮(鴫沢宮、しぎさわ みや)は、結婚を間近にして、富豪の富山唯継(とみやま ただつぐ)のところへ嫁ぐ。それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、宮は本心を明かさない。貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。
お宮を貫一が蹴り飛ばす、熱海での場面(前編 第8章)は有名である。貫一のセリフとして「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」が広く知られているが、これは舞台・映画でのもっとも簡略化したセリフに基づいたものであり、原著では次のように記述されている。
「吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか! 再来年(さらいねん)の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」[3]
高等中学生の秀才間貫一と、寄寓先の鴫沢の美しい娘宮は許婚どうし。みなからその未来を羨望されている。宮は、銀行頭取の息子富山唯継にかるた会でみそめられ、美貌におごり、金に憧れ、求婚に応じて許婚をすてる。貫一は悲憤して、熱海の海岸で「一生を通して、一月十七日は僕の涙で必ず月を曇らして見せる。月が曇ったらば、貫一は何処かでお前を恨んで今夜のように泣いていると思ってくれ」と言葉を投げて宮と別れ、学業を廃して、行方をくらます。貫一は復讐を思い、死を思う。強欲非道な高利貸鰐淵の手代となり、残酷な商売にしたがい、かろうじてその苦しさを忘れ、自ら金を積み、恨みを晴らそうとする。宮は、富山と結婚し、金に目がくらむいっぽうで、胸の飢えは満たされない。4年後、2人は相見て、宮は、貫一の恨みをとくためにこの境遇をすてようと思う。貫一は、鰐淵が火事で死んだので仕事を受け継ぎ、宮の悔悟の手紙を手にとろうともしない。しかし、親友荒尾譲介から、宮の心情をつたえられて貫一も心がかすかに動揺し、暁の悪夢のなかで悔悟の自殺をした宮に、赦すという言葉を与え、その唇をすう。心はますます苦しくなるが、用事で塩原へ出向き、温泉宿の隣室で男女が心中しようとするのをすくう。その女は富山唯継のえじきになろうとしたものであったから、貫一は宮の周辺の不幸な状況を知る。宮はまえにもまして思いの丈を訴えた手紙を貫一のもとに寄こす。 」

 暴力を肯定するものではございませんという注意書きが銅像の右隅にあった。婚活をしていて、本当に好きになった女性が一人いたが、この蹴りたい気持ちはわかるし、貫一の叫びは、純情な男性の恋心を謳っている。この小説で熱海が一躍有名になったということだ。
錦ヶ浦に出るために海岸線に沿って歩いていった。フェリーの着場で釣りをしているおじさん達がいた。生きた小鯵を餌に、あおりいかを釣ろうとしていた。釣り人が小鯵を手にした瞬間、鷹のような大鳥がすさまじい速さで上を通りすぎた。
「狙っていたんだな」とおじさんは愉快に笑った。




近くに停まっていたタクシーに乗り、錦ヶ浦まで案内してもらうことにした。
所有会社のホテルニューアカオがコロナの影響で臨時休業しているため、展望台の扉が閉まっていた。しかし、私は少年時代を思い出して、小さな柵をまたいで中に入った。
 錦ヶ浦で自殺をする男女を描いた三島作品に「陽気な恋人」というのがある。行くあてもなくなった若い男女が、高級ホテルに素知らぬ振りをして泊まり、夜中タクシーで錦ヶ浦まで行き、2人で飛び降りるという話である。見下ろすとはるか下の奇岩と波濤が奇怪な生き物に見えるこの場所で怖いなぁとお互い脅かす振りをして陽気にじゃれようとする心境がわからないでものない。とにかく、断崖の絶壁に立つという経験は、言葉の比喩としてはありふれているけど、実際経験してみると、恐怖で笑うしかないのである。昔、心中する男女は、厳粛な面持ちではなく、案外、陽気な様子であったのかもしれない。




タクシーの運転手がコロナの影響が直撃して、今はぎりぎりのところだと嘆いていた。日本国民が1億2590万人いる中で、コロナに感染した人は、5月27日現在で1万5000人程度であるから、それ以外の人達にとっては、どうでもいいことなのだ。特に観光産業に頼っている地域、そこで働く人達にとっては、経済上の死が迫っているといっても過言ではないのだろう。
 その後、太宰治泉鏡花等が執筆した起雲閣の前で降りた。やはり、臨時休業である。木の扉が少し開いているので、その隙間から身体を入れて中に入った。@受付まで行くと、スタッフが驚いたように出てきて、何度も頭を下げられた。
それから歩いて5分ぐらいのところに、三島由紀夫が通ったボンネットという喫茶店がある。
 店主が三島由紀夫に水泳を教えた人という話を持ち掛けると、驚いた顔をした。
「教えたというより、少し直したというだけのことでね。伊豆山のところに熱海ホテルがあって、そこの近くに私が住んでいたらから、その際、彼と会ってね。私が航空隊に志願して入ったという話をしたら、えらく興味を持ってくれて、夏になると水泳をしたり、営んでいるこの喫茶店に来てくれたりしていたんだよ」
「水泳はどうでした?」
「身体はボディービルで鍛えていたけど、泳ぎはうまいわけではなかったね」
「どういう雰囲気でしたか?」
「あのままだよ」
「おしゃべりなんですか?」
「あまりしゃべる人では無かったねぇ。腹を切る前はどうでした。様子が違いましたか?」
「3年ぐらい来ないなぁと思っていたら、あの事件があったから、ビックリしたよ」
 常連のお客さんが、何歳で亡くなったんだっけ? と聞いても、45だったかなと急に不機嫌になった。それから、三島由紀夫のことが頭をよぎるのか、不機嫌になった。
 実際に親交のあった人となると、他人事ではないのだろう。私は三島を歴史上の人物のように見ているのとは違うのだ。こみ上げてきて、言葉にならないものがあるようだった。
 三島由紀夫が毎回食べていたハンバーガーをパンにはさんで食べてみた。実際に肉をこねて焼くハンバーグだから、ジューシー感が全然違う。食べログのコメントでは、91歳の店主が頑固爺で、怒りだすというけど、それなりに丁寧に話してくれたから満足だ。




 軍隊は運動部の比ではないほど、先輩の暴力なんかひどいか聞くと、連帯責任だから、真夏の行軍では、メンバーの1人が音を上げて脱落すると、そのグループの責任になるから、その人を誰かが担いでゴールを目指さなくてはいけない。連帯意識というのは、運動部とは違って、非常に強かったねと懐かしそうに語っていた。
 誰がレギュラーになるというものではないから、後輩をいじめたりするような陰湿さはないというのはうなずける。

 店を出て熱海駅まで曲がりくねった登坂を歩いた。土産物屋もほとんど休業で、賑わいもなかった。人のいない観光地は、寂しさを掻き立てるものだ。
 

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