汗びっしょりになった服を変えようと、生活用品を扱っているMIROという店に行く。入口上の怪獣のオブジェが面白いので撮影した。
南伊豆休暇村の前は、弓ヶ浜海水浴場がある。白い砂浜が弓なりにひらけていて、水泳が苦手な私でも泳ぎたくなるほどだ。
ウミガメの産卵地でもあるから、見つけた人は、すぐ通報して欲しいという掲示がしてある。
休暇村は、国または地方公共団体が整備した公共施設というだけあって、建物はしっかりしているし、同じ金額で民間のホテルを利用したら、これほどの食事、サービスは受けられないであろう。しかし、民間と違うのは、ホテルや旅館の宿泊客への気持ちが、やはり細かいところに現れる。
すべてがマニュアル通りに運営されている印象を受けるのだ。
明日、西伊豆の安良里に行く。三島由紀夫著『獣の戯れ』の舞台となった場所を巡るつもりだ。
『剣』の作品で取り上げられたお寺。西成寺↓ここで部員が下宿した。
安良里漁港に到着。潮のにおいが強い。小さい漁船が入江に沿って、ずらりと並んでいる。
「そこは西伊豆の伊呂という小さな漁港で、港は深い入江の東側にある。山の接した西側では、入江はなおいくつもの小さな触手を伸ばし、それらがおのおの山懐に抱かれて、造船工場、と云ってもごく小規模なものや、貯油タンクや、網具その他の船具を納める23棟の倉庫などを控えている。そして工場から貯油タンクへ、タンクから倉庫へと、陸の道は通じていず、舟でゆききするほかはないのである。
3人が港から小舟を出して、写真を撮らせるために上った岸壁は、その倉庫の岸壁であった。
『あそこがいいわよ。あそこで撮りましょうよ』」
「倉庫の前の、竹で組みなした網干場とそれにぞんざいに懸けられた網は、そこの風景の恰好な額縁になっていた。横たわった檣、うねっている纜、……すべてが航海の記憶と、劇しい労役のあとの休息のさまを示して静まっていた。しんとした日光のなかの微風の息づかい、空いろのペンキを塗った倉庫の大戸、倉庫の各棟のあいだには夏草が高く生い茂り、蜘蛛の巣も草間にかかり、コンクリートの亀裂から荒地野菊の白い花々が秀でている。赤錆びたレエルの断片、錆びたワイヤー、生簀の蓋、小さな梯子など。
そこは怖ろしいほど静かで、立って見下ろす海面には雲や山の影がのどかに映り、殊に岸壁ちかくでは千々に乱れている。」
「伊呂村は純然たる漁村であるが、山にちかい東側には多少の田畑がひろがっている。郵便局の前をしばらく行くと家並が途絶え、道はまっすぐに村社へ向って田の間をゆく。その途中で右折すると、山腹に累々と建てられた新墓地へ、一本道が次第に勾配を加えて高まるのである。
墓地の山の麓には小川が流れ、墓はその川ぞいにはじまって、中腹まで複雑に重なりあっている。そして低地の墓ほど石も大きく造りも立派である。そこから道は細径になって、石ころだらけになり、墓の各列の前をジグザグに昇ってゆく。墓前の石垣は崩れかけ、夏草の強い根が、くずれた石の隙に頑なに張っている。灼けた石に蜻蛉が、乾ききった翅を展げて、標本のように止っている。どこかで薬のような匂いがする。花立ての水が酸えているのである。この土地では、竹筒や石をそれに使わず、半ば土に埋めた酒徳利やビール瓶に、枯れた樒の枝を挿したのが多い。
夏の日没前にここまで登って、夥しい藪蚊を我慢すれば、伊呂村の全景を眺めるのに具合がいい。」
「彼は目を海へ移した。船首の左に、黄金崎の、代赭いろの裸かの断崖が見えはじめた。沖天の日光が断崖の真上からなだれ落ち、こまかい起伏は光りにことごとくまぶされて、平滑な一枚の黄金の板のように見える。断崖の下の海は殊に碧い。異様な鋭い形の岩が身をすり合わせてそそり立ち、そのぐるりにふくらんで迫り上った水が、岩の角々から白い千筋の糸になって流れ落ちた。」
「2人は入江の岸を無言で歩み、入江の一等奥の、さまざまな芥が流れついている海面を眺めやった。波ひとつない海のおもてには紫いろに稀く油がうかび、いろいろな形の木片、下駄、電球、缶詰の缶、欠けた丼、玉蜀黍の芯、ゴム靴の片方、安ウイスキーの空瓶などが集まっている。中に小さい西瓜の皮が、うす青い果肉に曙いろの射したのを、ゆらめかせている。
海豚供養之碑のあるあたりで、優子は山腹の凹みになった草地を指さした。
「もうお昼の時間でしょう。あそこでサンドウィッチでも喰べながら話しましょうよ」
幸二は不審そうな目をあげた。彼の口には、誰かの名を言いそうでいて、言いかねている風情が窺われた。そのためらいがちな口もとを、優子は別人のような印象を以て眺めた。この人は「大人しく」なった。不快なほど、わざとらしいほど、自分を捨ててしまった、と。
(中略)
山腹の草地まで上ってみると、入江のけしきは美しく、木洩れ日は快かったが、そこはそれほど静かではなかった。十数隻の伝馬が岸へ引き上げられている眼下の一角には、船大工の小屋があり、新造船の化粧をいそぐ大工たちの金槌の音や、蜜蜂の唸りのような機械鋸の音が、そこから昇ってきて、山腹のあちこちへ谺している。」
「滝の眺めは壮麗だった。高さはおよそ60メートルの黒光りする岩の頂きには、乱れた雲のかがやきがあり、疎らな雑木が光りを透かしている間から、水が小走りに走り出て雪崩れてくる。上方3分の1ほどは白い繁吹ばかりが見えて岩肌は見えないが、落ちる水はそのあたりから二手に分れ、俄かに見る者へ襲いかかってくるように前方へ迫り出し、十重二十重に段をなして、白い鬣を振りみだして落下する。それら水を怒らせる岩々には、茎まで濡れそぼったわずかな雑草が生い立っているだけである。風の方向はたえず変って、そのために霧の飛び散る方角は不定である。しかし右岸の丈の高い草木を洩れる日光は平静そのもので、規則正しい平行の光りの筋を、落下する水のおもてに投げかけている。あたりは滝の音と蟬の声に占められ、この2つの音がせめぎ合って、1つの音にもきこえるし、又、すべてが滝音すべてが蟬時雨のように聴きなされることもある。」
「浦安の森は岬の鼻に在って、燈台を突端に置く防波堤の内側に抱かれている。森の東辺は湾内のしずかな入江に面し、西際はただちに堤防を隔てて外洋の荒磯につながっている。密林の只中には、鎌倉時代初期の松竹飛雀鏡の神鏡を祀る社があった。
かれらは湾内の幾多の小さな入江のうちでも特に静かで、白砂を敷きつめた浦安の入江へ行って、そこで夜の遊泳を楽しもうとしたのである。 浜辺の水深はひどく浅く、舟底は砂にとられ、纜いっぱいに岸の朽木に繋いで、ようやく伝馬を舫うことができた。喜美の用意のよさに男3人はおどろいた。海浜着をさらりと脱ぎ捨てると、その下には白い海水着を着込んでいたからである。男3人はやむなく下穿きで泳いだ。
村の空に新月があらわれた。幸二は村の北山に草門家の乏しい燈火を認めた。酔った旨が俄かに水に漬けられて打ち出す鼓動の不安な早さを、幸二はぞっとするような快さに感じて、せまい入江のなかを泳ぎ廻った。「影よ! 影を見てごらんよ!」
三島由紀夫が取材の際に宿泊した宝来屋から少し離れたところにある横田屋食堂で昼食をとった。
イルカ漁で栄えた街だということが、横田屋の壁に貼り付けてある新聞記事に目を通すことでわかってきた。この村を『獣の戯れ』の舞台にしたのも、こういう歴史を考慮に入れてのことだろうか。
近くに小さいスーパーがある。近くに漁港があることが信じられないほどの鮮度の悪さだ。
三島由紀夫が宿泊した宝来屋の玄関に入る。
帰りがけに立ち寄った浄蓮の滝。水量が半端ない。石川さゆりの碑がある。
天城越え
作詞:吉岡治
作曲:弦哲也
隠しきれない 移り香が
いつしかあなたに 浸みついた
誰かに盗られる くらいなら
あなたを 殺していいですか
寝乱れて 隠れ宿
九十九(つづら)折り 浄蓮(じょうれん)の滝
舞い上がり 揺れ墜ちる 肩のむこうに
あなた……山が燃える
何があっても もういいの
くらくら燃える 火をくぐり
あなたと越えたい 天城越え
口を開けば 別れると
刺さったまんまの 割れ硝子
ふたりで居たって 寒いけど
嘘でも抱かれりゃ あたたかい
わさび沢 隠れ径
小夜時雨 寒天橋
恨んでも 恨んでも 躯うらはら
あなた……山が燃える
戻れなくても もういいの
くらくら燃える 地を這って
あなたと越えたい 天城越え
走り水 迷い恋
風の群れ 天城隧道(ずいどう)
恨んでも 恨んでも 躯うらはら
あなた……山が燃える
戻れなくても もういいの
くらくら燃える 地を這って
あなたと越えたい 天城越え
天城越え 石川さゆり 昭和歌謡
浄蓮の滝のすぐそばでは、新鮮な水を利用したワサビの栽培。また、マス、ヤマメ、アマゴ釣りをしているカップルもいる。昨日の夜? 今日の夜?は、愛し合ったのだろうかな?
修善寺に着いた。駐車場利用だけだと300円という立て看板がある土産物屋に入った。
修善寺は、夏目漱石が病気療養のために来たところで、血を大分吐いたらしい。修善寺の大患である。
源頼家が殺害された場所でもある。
修善寺から三島への列車の窓から富士を眺める。
さらば伊豆よ!