nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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ツヴァイ 婚活3人目

 ツヴァイ婚活三人目という題は正確には間違えている。三人目は婚活アプリYOUBRIDEで会った女だからである。スタッフに携帯で撮ってもらった写真を観て、会おうと思ってくれたというから、ツヴァイの女遍歴に数えてもいいだろう。夏川りみ似の目がクリクリと可愛い女性で、岡山出身で、二十歳の頃、上京してきて、生活の資を得るのに、介護の仕事、飲み屋の仕事、現在は、百貨店のお菓子販売の仕事をしている。千葉で姉と暮らしていたが、仕事の関係で大田区に出てきて一年になる。自宅には、チワワを三匹飼っていたが、1匹だけが生き残っているそうだ。多くの男性と付き合ってきたが結婚までいくことはなかったそうである。二十歳の頃に決めておけば良かったと口にする。

 新宿西口ルノワールで話した後、代々木公園を歩きたいと言い出したが、実際歩き始めて、カラオケでもして帰ろうということになった。カラオケボックスでは、彼女は浜崎あゆみの『青い空を共にいこうよ』を歌った。歌は上手いし慣れているなぁと思った。尾崎豊の『I LOVE YOU』を私が歌い終わると、うつむいて首を傾げていた。

 ドアを出ると続いている相手はいるの? ときつい調子で聞いてくる。これは脈有りだと思うだろう? ドライブデートは前の彼女としたことがあるかと聞かれたが、ライブデートと間違えて、ミルコとか、ジャンヌダルクとかのライブデートが流行っているらしいねと応えると、ドライブだよとなって笑っていた。いい感じだろう? 今度、ドライブに誘ってねと言われて、別れてすぐ、LINEがきた。

好意的な内容だったけれど、何度かやりとりしていくうちに、音信不通となる。婚活はいつ切られるかわからない世界だ。彼女の一つの言葉を覚えている。

「ずっとこっちじゃなくて、岡山に帰るのも選択肢の一つだよね」

結婚となると、相性だけではなく、人生そのものが変わるぐらいの重さがあるのかもしれない。そうだ! 彼女が岡山に帰省しているうちに送ったメールが最後になったのだもの。気持ちを切り替えて、また次の女に会おう!

ツヴァイ 婚活2人目

3月2日(土)

 2人目はツヴァイ出会いのセッティングサービスで、清泉女子大学のIさんとお話をする。2ヶ月で2人というのは、残念だけど、会う前はどきどきするし、期待が少しは湧いてくる。30分向かい合ってしゃべるということだが、途中から話すことが無くなり、沈黙が覆ってくると、私は万事窮すで、女子大出で、お嬢さんだと思っていたけど、案外庶民派だねと言わなくてもいいことを口にした。それで、彼女の心は、ほぼ閉ざされたのだった。

 その前から異変を感じていた。入ってくる時に、私の顔すら見ようとしないのだから……彼女の好きな宝塚の話題に熱が入ればどうなっていたというものでもないだろう。立ち上がって、本日はありがとうございますと挨拶しても、チラ見して通りすぎるだけだった。きっとどんなイケメンが相手をしても、和泉さんは、喜んで次に会う約束をしなかったに違いない。

 中小企業に就職してから、処理しきれないほどの仕事があって、休みをとることもままならないようだ。京都や奈良に行くことが多いというのも、出来れば海外に行ければいいけど、そんな休みがとれるわけがないということだった。

 私が中小企業で働いていた時は、休みがほとんどとれずにいた。忙しさがある程度を超えると、恋愛感情の泉は枯れてくるもので、どんな綺麗な人を見ても、愛情そのものが湧いてこないんだ。忙しさは恋愛の大敵だね。この類いの話をするたびに、彼女の心はちょっとばかり開いてくるようだった。連絡先は教えてくれなかった。

 ツヴァイ池袋店の入口で、ちょっと、スタッフに相談したいからと話すと、泣きそうな顔をして、二度ありがとうございましたと口にして帰っていった。婚活する女性、それも長引いている女性には、男性以上の売れ残り感があるのだろうか。何か普段生活する上で見ることのない鬱屈した心模様が透けて見えるようだ。

 掲載している写真を変更しようとスタッフがスマホで私の写真を何枚も撮って、そのうちの2枚、立ち姿、座った姿をアップさせることになった。この2枚の写真が1人の女性と会うことにつながる。

劇団四季 ジーザスクライストを観て

f:id:nyoraikun:20190524161810j:image 5月23日(水)劇団四季ジーザスクライストスーパースター』を観てきた。先月に友人が東京芸術劇場で芝居をやるからということで観にいったら、おしまいまで観ることですらしんどかった。27歳の女性が癌で死ぬことになり、絵本作家になりたかった夢をかなえるため、かつての小学校の同級生と先生が全面協力して絵本を仕上げるというストーリーにも無理があるし、聞き取りにくい発声をする可愛いグラビアアイドルの二人が主演というのにも、配役に枕営業のにおいがした。入口付近では、劇中に流れた曲を収録したアルバムと役者すべてのプロマイドを販売している。太っていて団子鼻、背が低くて眼鏡をかけたいかにも内気でどこにでもいるような人達の写真も売りに出されている。ドサ回り、河原者達という言葉が浮かんでくる。

 劇団四季の芝居を思い出し、本物の舞台表現に触れたくて、流行りのアラジンを観た。最初に王様の娘と盗人の貧しい若い男が結婚するというあらすじを舞台上で役者が説明したから、不安になった。アメリカのバラエティーのような大袈裟なリアクションの積み重ね、オーバーにおどけているのをみて、楽しいと思えない私は来るべきではなかったのではないかと思ったのだ。しかし、観ているうちに、出てくる役者それぞれが、アラジンの荒唐無稽な世界を完璧に表していることを気付く。下手すれば舞台にものが飛ぶほど客の怒りを買うことになるのだが、四季の役者は少しも不快を与えることなく話を運んでいくのだ。クライマックスでジーターが、やはり最後はハッピーエンドじゃなくちゃと絨毯に乗った二人を指差すと、絨毯はゆっくりと空に飛び上がるところで幕になる。基本を徹底して身につけた役者達だから演じることのできる演目なのだろう。ピカソのようにわざと崩しにかかっている。

 f:id:nyoraikun:20190524161832j:imageジーザスクライストスーパースターは、人間イエスの最後の7日間の苦悩をロックミュージカルで描くという野心作である。イエスは死ぬことに迷いがあり、病気、貧困をなおして欲しいと願う民衆達に向けて、自分でなおせと突き放してしまう。奇跡が起きないと知った民衆達は最初は頼ったイエスに敵意を向けるようになってしまう。人心を攪乱した罪で民衆にまで見放されたイエスの孤独と苦悩が伝わってくる。

 岩谷時子の訳詞の歌が実にいい。YOUTUBEで海外のものを覗いても、遜色なく、日本向けに情緒豊かな表現となっている。マグダラのマリアの『私はジーザスがわからない』の歌は、胸に迫るものがあった。信仰を巡った苦悩がカオスに現れている舞台において、マリアののんきな優しさが際だっている。彼女が登場するたびに癒やされる。賛美歌の美しい世界の希望が湧いてくる心地にさせる。

 三島由紀夫の作品に没頭する中で出会った浅利慶太が創設した劇団四季に多くの感動をもらった。芝居は実業ではない、虚業だというのも一理ある。しかし、私が次に向かう力を得るのは、目に見えない心からなのだ。浅利慶太氏も昨年亡くなった。追悼公演はすべて観ようと考えている。氏のご冥福をお祈りする。f:id:nyoraikun:20190524161857j:imagef:id:nyoraikun:20190524161839j:image

ジーナ6

                  十

 六月も終わりに近づいた頃、従業員の専用通路を、海鮮寿司部のパートのおばさんが、ジーナの片腕を掴んで、前後に振りながら歩いてきた。寝る子をゆすり起こすような軽さで、何度もジーナと声を掛けている。私が通り過ぎ様、おはようと挨拶しても、ジーナは呆然自失として、私のことに気付いていない。
 バックヤードにきてからも、時々、何かを念じるように下を向く。
「どうかしたの?」
「お兄さんの奥さんが、人工透析を受けないっていうのよ。お金は送るからって言ったのに……」
「病院に通っていたの?」
「入院していた。でも、抜け出して、家に帰ったらしいの」
「放っておくと尿毒症になるから大変だよ。すぐに戻るように言わないとね」
「うん、でも……」
 と声を弱めて下を向いた。
「お金を送ろうよ。早く送るようにしよう」
「もう送った……」
 としばらく黙っていた。遠く離れた兄嫁との思い出が頭によぎるのだろうか。目に涙を浮かべて、首を左右に振った。私が驚いた顔をすると、今度は首を軽く振って、真面目な顔をして頷いた。それから、頑張るしかないと自分に言い聞かせるように言った。
 
 午後八時三十分。ジーナがパブで着替えをして、一息ついた頃だ。私は心配して電話をした。
「どうだったの?」
「お姉さん?」
「そう」
「死んじゃった。やっぱり、戻らなかったみたいね」
 と落ち着いて話している。
「何で?」
「病院に行くとお金が掛かるから、他の人が食べられなくなると思ったんじゃないの。私は、あなたがいないと、子供はどうなるのって、言ったのに……近くの草原で倒れていたって」
 ミンダナオ島の山野を逃げ惑う兄嫁の姿が浮かんだ。密生している鉄砲草をかき分けて開かれた草原に出ると、暑い日差しを感じた。二本のナラの樹の下に身を落ちつけた。キリギリスがギィーチョンギーチョンと鳴いている。主人、親戚、幼い頃の友達、お世話になった人達が頭に浮かんでは消えていく。先程、別れた二人の子供のあどけない顔が脳裏をよぎる。悔しさが込み上げてきた。樹の根元に頭を押し付けて、祈るように声を上げて泣いた。十字を切って、空を見た。神様、私の行いは罪でしょうか、贖罪でしょうか? 愛する家族が幸せになって欲しいからこそ、私は死を選んだのです。どうか私を咎めないでお許しください。
ジーナは、無理しないでね」
 思い描いた兄嫁の姿は、ジーナから連想したものにすぎなかった。週に一度教会に通うプロテスタントの彼女は、隣人愛を兄嫁の死に見ているのではないか。
「頑張るしかないからね。この前帰った時は元気だったのに……」
「……」
「あの人のためにも、強く生きるわ」
 
十一
 
その年の七月二十一日(水)は土用の丑の日であった。店頭で鰻の炭火焼実演販売をした。U字溝の上にあるステンレス網に、一度蒲焼し冷凍された鰻をのせる。炭を継ぎ足し、時々団扇で扇ぐ。鰻の表面にタレを塗る。ひっくり返して、表面も炭火に当てる際、タレが網の下に落ちて、蒸発する音が響き、甘い醤油の匂いが鼻先を掠める。U字溝を覗き込むと、黒い炭は頑固に火を纏っていた。まるで太陽の熱で燃えているかのように、いつまでも消えない感じがした。
 今日の夜に、ジーナの店で浴衣パーティーがあるらしい。店頭のやぐらを片付けてから店を出るのに、午後八時は過ぎるであろう。真夏の日光を浴びて、一日中立っているだけでも、くたびれるのに、その後、パブに行くのは気が引けると、一応は断った。灰になりかけた炭の上に、黒い炭をのせて団扇で扇ぐ度に、熱気が首や頬にぶつかる。以前、夏は暑くて嫌だねと彼女に聞くと、フィリピンはいつも暑いよ、夜、クーラーのある部屋で私が寝ていたら、みんな中にぞろぞろと入ってくるんだからと楽しそうに話していた。それと比べて、昨日の電話口で話すジーナの声は、線香花火を見つめているような寂しさがあった。わかったという気落ちした声が耳について離れない。私は本部から手伝いにきている男に断って席をはずした。
 電話に出たジーナは起きたばかりで、まだ眠気と闘っていた。私が浴衣パーティーに行くと告げると、良かった、待っているわと喜んでいた。一人も呼べないと恥ずかしくてお店にいられないらしい。

 その夜、大国魂神社の駐車場に着いたのは、午後十時を回っていた。日中の暑さが、肌にぬくもりとなって残っていた。時々そよぐ風が、ケヤキの巨木の葉に、緑の羽音を与える。涼しく気持ち良い夏の夜だと思った。自販機と事務所の明かりだけを頼りにした広い駐車場内は、暗く静まりかえっている。ケヤキの巨木の根元に、人が座るのに適した瘤がある。帰りにここに座って、缶コーヒーを飲んだことがあった。あの時、とっても幸せな気持ちになれたのはどうしてだろう。
 府中国際通りの狭い駐車場の真ん中で、手持ち花火をしている若い金髪の男女がいた。けたたましい音と共に、筒の先から光線が束になって飛び出した。空中で花びらのように四散した火がアスファルトの地面に着くと、ホタルの光のような未練を残して消えた。花火を手に持って、はしゃぎながら男は女に同調を求めるように話しかけている。女も心から楽しそうに頷いている。時々、火花の加減で二人の笑顔が、鮮やかに映される。黒服を着た客引きの男達も、急に騒がしくなった駐車場を振り返り笑っている。
駐車場を囲う金網のフェンスのすぐ外に、えのころ草が生えている。電灯の明かりが、細く伸びきった草の先端を、スポットライトのように照らしている。ブラシのように毛の長い穂におびきよせられる生き物が登場するのを、今か今かと待っているようだ。この小穂を用いて猫をじゃらすことが出来ると、幼い頃に近所のおばさんに教わった。
 黒服の男達が寄ってくるのを避けるように道を急いだ。店の外でフィリピーナが、四十近い男と小声で話している。飴色のキャミソールワンピースを着た女が哀しい顔をして頷いている。男は真向かいで女の顔をじっと見つめていた。男はそばを通る私の顔をチラと見た。頬の微かな緩みが、真剣な目を卑屈で腹黒いものにしていた。忌わしいものに思えた。片言の日本語が耳に触れる。
ところで、私がジーナと話している姿を、人は同じように見るであろうか?

 青藍に淡黄色の花模様が入った浴衣をジーナは着ていた。私を見るや、目を大きくして口を薄く開けた。ショートケーキにフォークを入れて、口に持っていく時のように、白い歯がチラと覗いた。近くにマリアが寄ってきて、久しぶり、嬉しいじゃんと背伸びをして、頬にキスしようとしてきた。私は子供のパンチをよけるボクサーのように軽く首を横に倒した。ジーナは真面目に黙っている。気になって合図をしたら、近づいてきた。そして、手を伸ばし、私の髪を押さえるように撫でた。うん、こっちの方が格好いいと呟いた。

ジーナ5

                  七

 翌日、ジーナから電話があった。
「昨日は、ありがとう」
 楽しそうに笑いをこらえていた口を開けて話すジーナの顔が浮かんだ。彼女はいたって変わらないのだ。私の異質性に対する警戒心が、昨夜のような文章を書かせたのだと考えた。
「ちょっと、緊張しちゃって」
「緊張しなくていいよ。みんな、いい人達だから」
「昨日はマリアがいなかったね」
「うん、仕事をする日を一日減らされたみたいなの。私も同じく一日減らしたわ。大丈夫よ。来てくれてありがとうね。本当にありがとうね。おいしかったわ。ごちそうさま」
 と急いで話し始めて、最後は微かに涙声になった。
「また、今度行くよ」
 

 
 梅雨入りは魚屋にとって、一年で一番嫌な時期だ。食中毒が最も多く出る月である。去年は、別の店で、自家製〆サバを食べたお客が、腹痛を起こして病院に運ばれた。今年は、刺身を切る衛生俎板に、アルコールスプレーを十分おきに、必ずしなければならない。大根ツマの大きな袋を置く専用の皿も用意された。
「十分おきにスプレーをして」
「えっ、わかっているわ」
 それから、十分以上経って、また同じように注意した。
「わかっていたのよ」
 とジーナは鼻から息を吐いた。
「去年、刺身で、病院送りになったお客が出ているから頼むよ」
「これでなるの? ミンダナオでは、川で釣ったよくわからない魚を、なんでも塩漬けして食べていたわ」
 と彼女はお腹を押さえて、真顔になった。目は何かに怯えているようだ。噴出さんばかりの怒りを、必死に抑えているようにも見える。動き回るのを止めない猛獣が、彼女の心の檻にいるのであろうか。大岡昇平著『野火』で、戦火のフィリピンを飢えてさまよう田村が、殺した同朋の人肉を食べて生き延びようとする戦友達を目の当たりにして、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じた場面に相通じるものがあるのではなかろうか。ジーナの幼い頃、村にゲリラが現れた。村長が後ろ手に縄で縛られて、山奥に連れていかれるところを目の当たりにしたと話しながら笑っていたことを思い出した。
「切っている魚、マグロ、イカ、サーモンは、フィリピンでは食べられないものばかりよ。妹にも食べさせたいの。日本で生まれたことはラッキーよ」
「人はいつも不満だよ。どんなに満足そうにしていたって、満たされないものだよ」
 私は窓を開けて、いらっしゃいませと売場を眺めた。醤油風味の焼肉の匂いがした。モランボンの業者が試食販売で来ているのだろう。
「いい匂いがするね。今度、焼肉を食べよう」
「うん」とジーナは黙ってうつむいた。それから、気がついたように顔を上げ、ドアの前に駆け寄った。こちらを向くなり、満面の笑みで人差指を唇に当てた。真っすぐに伸びた指には張り詰めた力があった。指を離すと、笑いながら身体を何度か前のめりにして、私を窺っているようだった。にやり突きをされると訳もなく笑ってしまうのと同じで、私は心地良く笑みを浮かべ頷いていた。
 

 雨が降りしきる日は、お客の入りもまばらだ。一時間、鮮魚コーナー前を、一人も通らないことがある。ジーナには刺身をゆっくり切るように話した。彼女は切りながら、窓ガラス越しの売場を眺めてはおかしそうに首を傾げている。今日の午後は、作業場に二人だけしかいない。私は用意した写真を見せた。
 これ、どうしたのと顔の血の気が引いた。写真を渡そうとしたけれど、決して取ろうとはしない。私の顔を窺いながら、不快そうにマグロの柵を急いで切りだした。切るのに疲れると顔を上げた。一息ついてから、透けるような赤身の柵に、柳刃を垂直に入れる。柳刃包丁の刃先から現れたマグロの新たな側面が、赤いトルマリンの光彩を、刹那放った。
「ここに行ったことがあるの?」
「日本に来る前、お母さんと……」
「何をしたの」
「そのNSCはスーパーなのよ。いっぱい物を買ってくれたの。塩も買ってくれたわ。塩を舐めれば一カ月は生きられるって言うからね。」
 タグムシティーの画像をインターネットで探し、めぼしいものを印刷してきた。低い軒並の街中で、一際目立った十階建てのビルディングは、特別の事情が無い訪問を拒むオフィスように飾り気なく、青空を映した窓ガラスに占められていた。左隅に青字で小さくNCCCとマークされている。
 同じくタグムシティーの写真をもう一枚見せた。
 ジーナは包丁を手放し、両手を俎板の端に置き、楽しいことを思い出したように顔を上げた。
 所々にひびの入ったアスファルト舗装道路が、遥か先の雲間まで続いている。車道の両側に並ぶ街路樹のナラが、電信柱のように一定の間隔を保っている。砂漠の海に浮かんでいる道のようだ。そこを、グリーンのオート三輪が、疾駆している。三輪車の後部は、爆撃で破壊されたように開いていた。私は亀の背中に乗って竜宮城に向かう浦島太郎をイメージした。
「このずっと先に、私の家があるの。兄さんも弟も、妹もお母さんもお父さんもいるのよ」と雲の間を指差した。「それに、お兄さんはこのオートバイを使って働いているの。後ろから客を乗せるようになっているの」
「逃げられるかもよ」
「逃げたら追いかければいいのよ」
「お金に困った人は悪いことをしそうだけど」
「そういう場合は、振り落とせばいいのよ」
「結構、このオートバイを利用する客がいるんだ」
「リヨウ?」
「使う客がいるかということ」
「一日に二人だけという日もあるんだって…… なんでも難しいよ」
 と声を落とした。
 スライスしたマグロの角が立たず、丸みを帯びている。私は焦った。すぐに角が白く澄んでいるのを確認して安心した。冷凍まぐろは、完全に解凍すると、色が赤黒くなって、水分と共に旨味が逃げてしまう。しかし、これは、マグロの脂が強すぎたことで、溶けるのが早かったにすぎない。
「美味しそうだね」
 舌先にのせただけで、溶けそうなほど脂ののったマグロを指差した。
「うん、美味しそう」
 とジーナは目を大きくした。俎板に頭を近付けて、マグロの柵を切り出しながら、頑張るしかないと言った。

 

ジーナ4

                   六

 初めてパブを訪れた夜、なかなか眠れなかった。私は夜中に寝床から這い出し、パソコンに向かって、作家になった気分で小説らしきものを書きつけたのだ。
 ――運ばれてきたウインナーとベーコンは、どれも黒ずんでいた。伊藤には、それが千五百円する食品には思えなかった。パブ『ケイ』のママは、伊藤とジーナが話しているテーブルに入ってきた。紙皿に盛られた食品を指差して、中国語でホールの女性にまくし立てる。こげたものを出すなということだろうか、それにしては、皿が戻される気配はない。しばらくして、ケチャップをホールの女性が持ってきた。銀紙の皿に目一杯入れ、片言の日本語で、ごめんなさいと顔をこわばらせた。ママは平然たる顔つきで、ケチャップの量が少ないことを怒ったのだわと顎を突き上げてみせた。次に、ウインナーの端をかじってみせ、息を軽く吐くと、うまく焼けているわねと早口で話す。
 明かりが照らされるたびに、かじった痕には、煙がたなびいている。ベーコンはペットショップに売られている鶏や犬の餌のように、精彩を欠いていた。
 伊藤はこの店に来たくはなかった。ママはからかうように大人しい人ねを繰り返し言うので、彼の癪にさわった。無口で面白みがないと言われている気がするからである。ママは、相手を言葉で突き上げるような態度なので、違う席に行って欲しかった。一重瞼の目は、いつも冷たく笑っている。客であるこちらが何を言おうと高飛車にしりぞけられる勢いで笑う。よくパブのママがつとまるものだと思った。
 日中、魚屋で働く伊藤は、午後、パートアルバイトにくるフィリピン人のジーナが、夜のパブに来れば、もっと話すことができるというので来てみた。ただジーナとだけ話したかったのである。
「パブのママになるのに、必要なことは何ですか?」
「金よ、それに決まっているじゃない」
 間髪を容れずに答えた。
「チェーン展開はしないのですか?」
「チェーンは考えているけれど、だれかに私の代わりが務まればね。とっても無理な話よ。まだ、ここの借金も返してないのだから、でもいつかパブ『ケイ』を二つ、三つにしていくつもりよ」
 早口で歯切れよく話す。伊藤の顔をじっとみつめて、見下げたような笑いをする。ママが着ているチャイナドレスは、胸元に銀や金をちりばめ、渦を巻いている。彼はママの目から目を逸らし、しばらくその刺繍を眺めていた。博物館の展示物をウィンドウ越しにぼんやりと見物しているように何度もまばたきをした。隣にいたジーナがグラスにビールをお酌する。ママはテーブルにグラスの音を立てるように置いて、飲もうかしらねと笑った。
 彼が顔を上げると、ママはまた笑った。ジーナは彼にビールを手渡して、無邪気に笑ってみせた。
「こういう店に、伊藤さんは、あまり来たことないから……」
 彼は気を利かせて、ジーナのグラスにもビールを注いだ。途中で瓶が空になってしまった。
「私飲めないわ。お腹壊して……飲むとお腹に石があってね」
 伊藤はどうしていいかわからずにもごもごしていた。もう一本いこうとママは勢いよく席を立った。その間、彼女は彼のシャツを引っ張り、ウインナーに爪楊枝を差してみせた。目を細めて合図する。
紙皿に盛られたウインナーは手付かずで、汁が出ている。焦げたところがじりじりと蠢いてとまった。ベーコンの端は、しなびてぐったりとしている。スーパーマーケットの精肉試食コーナーに置き忘れたままになっているのに似ている。座っている膝元まで見える透明なテーブルに置かれた紙皿は、飾り気もない白で、隣に置かれた灰皿は、煙草がぎっしりとつまっている。そのうちの一本は、線香のようにゆらゆらと煙をたなびかしている。
「あなたは煙草を吸わないの」
 ジーナはライターを卓の上に置いた。
 ピンク色をしたライターは、ジーナのあらわになった胡桃色の腿と重なって見えた。室内を照らして回る青い光が、ちょうどライターと重なった。一瞬、星の輝きを帯びて、すぐさま、もとに戻った。星の光が長い間暗い部屋で寝ていた人の目を射ることがあるように、その輝きは刹那であるが、強いものがあった。
日頃の彼女は、目を大きくして何に対しても無邪気によく笑う。それが、先ほどから長髪をかきわけて澄ましては、少なくなったグラスに色目を使いながら、黙ってビールをそそぐ。昼の仕事を思いだしていた。伊藤が見本で切った刺身の盛り合わせの端材を捨てると、ジーナはそれを拾って、これは売れるよと口をゆがませてみせる。よく覚えた刺身だけは、他の人に負けたくないという気持ちが伝わってくる。かつおの刺身にしょうがが入っていないのを注意すると、かわいらしい目を大きくして、口を開けて、飛び跳ねてみせた。彼はしょうがを取ってきて、刺身の蓋を開けて、一つ一つにしょうがを丁寧に入れてみせた。すると、彼女は下を向いてすみませんと謝った。
「刺身を切っているときのジーナさんと違うね」
 先ほどから、落ち着いて斜め上を眺めているので、退屈しているのではないかと伊藤は思ったのである。間を空けてから、人差し指を口に当てて、前に何回か身体を倒しそうになり、それから、顔を上げて、八字眉をつくって大声で笑った。
 爪楊枝が刺さったウインナーが、丸い紙皿の端で小刻みにゆれている。細く小さい一本の影もゆらゆらゆれる。またジーナは爪楊枝を他のウインナーに刺して、伊藤の口元に持っていった。彼は律儀に爪楊枝を手に受け取り、ぬくもりがまだ残っていそうな端っこをかじった。口の中ですぐに肉が崩れ、冷たい味が舌先に残った。紙皿に戻すと、二本の爪楊枝が、ウインナーを船にして、芯だけ残された帆柱のように影と共にゆれている。
「何か食べないの」
「お腹が空かない。ところで、ママが帰ってこないね……」
 ジーナは立ち上がって、目を細めてみせた。トイレに急いで入った。出てくると、不機嫌にテーブルの前を行ったり来たりする。
「ちょっと食べたいものがあるんだけどいい」
 いいよと返事する前に、ママがビールを持ってきた。
 静まり返ったテーブルの上にあるベーコンをママは2、3口にした。うまいともまずいとも言わずに、また食べては、神経質そうに首を何度もひねって待っている。顔がとても小さいなりに、目も鼻も耳も口も小さい。草の先端に止まっているかまきりをじっと見つめると、こんな首の動かし方をするものだ。
 ジーナが白い紙皿に、パンをのせてきた。長方形のパンの上部は、艶のある小麦色で、蒸気がたなびいている。先端と後端の面は、亜麻色に着色されている。側面は、バターのうまみがたっぷりこもっているかに思わせるほど飴色だ。さっきは、目を細めて不快そうにしていたジーナも、口を半円に開けて笑っている。ママも幾度かまばたきをしながら笑っている。
 伊藤は不安そうにテーブルに置かれたメニュー表に目を向ける。

 ここまで書くと、眠りが急に襲ってきた。身体が鉛のように重い。なんとかたどりついた布団に倒れ込むようにして、そのまま眠ってしまった。

 

ジーナ3

                  四
 
 それから三度目の水曜日が来た。明日の約束をしようと、昼休みの終わりに店の外へ出た。携帯電話を手に取って、深呼吸をした。五月の空は晴れわたっている。青空の下、向こうの家の庭に、新緑の木が二本ある。目の前の道路を真っすぐ突き進めば、5分ぐらいでその木に辿り着くだろうか。自動車が通るまで待って、電話を掛けようと思った。
手前の歩行者沿いに咲くレンゲは、紫に揺れている。その上を、ミツバチが数匹、「の」を描いて飛んでいた。一匹が、勢いよく花弁に止まる。茎もたわむばかりになり、その反動から、ミツバチは脚に力を入れて踏みとどまったかに思えた。
 しばらく待っても、自動車は通らない。
「Hi. This is Gina. Sorry I can't come to the phone right now. Please leave a message after the beep.」 
 女声の機械音が鳴った。それから、空気が漏れたような間の抜けた音がした。フィルムの破れ目から声が聞こえてくるような感じがした。
「Hi.」
 ジーナだ。
「ごめんごめん、寝ていた」
「明日は?」
「ん! ……スゥ」
 と息を吸った。
「どう?」
「んー…… 行けないの」
 と怒りを抑えるトーンである。
「だって先週も行けなかったでしょ」
「いやっ……」
「何?」
「休みの日は、同伴をしなくちゃいけないの」
 私は話をさえぎるように、そうなんだと繰り返し口にして、じゃあねと電話を切った。
バックヤードに戻るまで、胸騒ぎが止まなかった。ジーナが酒飲みのおじさんの腕をつかんで、片手である方を指差して、楽しそうに笑っている姿が、頭に浮かんでくる。もっと、不快な場面が何度も頭をよぎった。『お金目当てで日本に来ているだけなんだろうか。パブのお客にしたいから、一緒にスパゲッティーを食べたのかしら。でも、カラオケが終わって、さよならをする時、ジーナは本当に愛して欲しくて、しんどそうに手を振っているように見えた。でも同伴をしているなんて…… 日本に連れて来られたフィリピーナは、ブローカーに一度は犯されているというじゃないか』と私は考えた。
 うつらうつら刺身を切っていたら、するめいかの刺身を三日分の五十パック造ってしまった。休憩から戻ってきた主任に見つかり怒られた。

 その夜、マリアから電話がきた。
「今からお店に来られる」
 声の背後から、おじさんの大きな歌声が聞こえた。カラオケの音が受話器で化けて、妙にスローで気持ち悪い。自分自身が酔っているかに思えてきた。マリアの話声は、いつも楽しく投げやりで、もの悲しげなところがない。相手をしんみりとさせない。
「もう十時だよ」
「いいじゃん。来なよ」
「明日早いから、もう寝ようかと思って……」
「子供じゃん。ジーナ、酔っているよ。あなたのこといい人だって言っているよ」
「今日はちょっと」
「わかったよ。今度、会いに来なよ」
 電話を切ってから温かい気持ちになった。今度、ジーナのお店に、一度は顔を出してみたくなった。

                  五

 府中の並木通りにある三菱UFJ銀行前に、ジーナと夜八時に待ち合わせた。銀行と横道を挟んで並んでいる豚骨ラーメン屋からは、酸味のきいた味噌の匂いがする。軒の煙突からは、湯気が立ち上がっている。電灯の暗い明かりが、モンシロチョウの鱗粉のような蒸気の一粒ずつを繊細に照らしている。 
横道は自動車一台がやっと通れるほどの広さだ。急な車を警戒してか、皆、壁伝いに歩いている。黒服を着た若くていかつい二人の男が、腰をくの字にして、縦に並んで通り過ぎていった。太った中年の男は、はちきれんばかりの緑のポロシャツを着ている。それと手をつないでいるのは、目元にパウダータイプの銀のアイシャドウを入れた二十前後の女だ。金の盛髪に、黒い漆皮のハイヒールパンプスを履いていた。二人とも縦に前屈みになりながら歩いていった。
 ジーナは約束の時間に来なかった。電話もしたけど、かからない。私は横の脇道をぼんやり歩き始めた。細い一本道を歩めば、きっと、パブ瓊(ケイ)があるだろう。初め、道の両側に、掲示板がしばらく続いた。指名手配の顔写真がいくつか貼り付けてあった。そこを抜けると、左方にハングル文字で書かれた居酒屋がある。小学生ぐらいの女子と毛糸の腹巻をしたおじさんが店頭で焼き鳥を売っていた。おじさんの目は黄色く濁っていて、顎が小刻みに震えている。震える手で串を持って返した肉の一切れがピンポン玉ぐらいの大きさであった。私が傍を通ると、韓国語で話す声が聞こえた。
 シャッターを下ろしている店がいくつかあった。黄ばんだ新聞紙がシャッターの隅にへばりついていた。金網式の大きいゴミ箱から溢れて転げ落ちた空き缶には、日頃、見慣れない文字がデザインされてあった。ビールケースを椅子代わりにして座っている男は、酒屋の窓の明かりを頼りにして英語の本を読んでいた。甘いタレの匂いが鼻先をかすめる。振り返ると、炉端からすさまじい煙が上がっていた。靄が消えうせ、おじさんは楽しそうに笑い、後ろへ反り返った。
 四階建の建物に店の名前がネオンサインで表示されている。一階の枠内に、紫から黄色く浮かんだ瓊という名前があった。
瓊の扉を開ける。十代であろう丸顔の女性がカウンターに並んだグラスをタオルで拭いていた。私のことに気付いたが、はにかむだけで何も話そうとしなかった。瓊というから中国人パブであろう。奥からもう一人、女が出てきた。私はジーナのことを聞いた。まだ来ていないからソファーに座ってくださいと中国訛りのある言葉で促された。
 亜麻色の壁にこぢんまりとしたシャンデリアが、いくつか掛けられている。黒いソファーが壁に沿って並べられている。透明なダイニングテーブルの上に灰皿と紫に透き通ったライターがある。部屋の端に、季節外れの小さな門松があり、松の葉にエイブラハム・リンカーンジョージ・ワシントンベンジャミン・フランクリンの肖像が描かれたドル紙幣が何枚も差し込まれていた。フランクリンの禿頭に目を奪われた。私は反射的に左手を頭頂部に当てた。日を追って髪が薄くなってきたからである。
 神社の鈴緒を振る音がして、ドアが開いた。ジーナが入ってきた。私に気付くと、不思議そうに立ち止まった。そして、しばらく口を開けていた。
「えっ、九時だったのよ。じゃなかったっけ……」
「八時だと思ったけど……」
 ジーナは口を閉じてから真顔になった。それから、首を傾げて笑みをこぼした。

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ