近年、茂木健一郎氏がYouTubeで語る姿を見ると、彼の英語での著作や論文への移行から、日本への失望を感じずにはいられません。彼はまるで自分が日本一の知識人であるかのように振舞い、その実績からすれば異論はありません。堀江貴文氏も同様に、ネットタレントとしての地位を確立し、学者崩れや経営者崩れから人気者となり、金を稼いでいます。
現代において、発信力をつけることは非常に重要です。以前であれば、テレビのオーディションやマスメディアに媚びを売れば、実力不相応でもネームバリューを獲得できました。しかし、今や誰もがスマホを持ち、SNSで情報を共有する時代です。この下剋上は厳しくなりつつあります。資本家の操り人形にだまされなくなったため、テレビがオワコンという彼らの意見には賛成です。しかし、彼らの言動が2転3転するのは、ネット社会における縄張り争いが影響しているのでしょう。
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私もここで好きなことを言えるのは、実名を伏せているからであり、底辺ブロガーであるためセクトへの勧誘が来ないからです。
最近、ChatGPT-4を使い始め、題名を一緒に考えたりしていますが、AIには意識が感じられず、何か面白くないと感じることが増えました。茂木健一郎氏が『脳と仮想』で述べているように、意識は理解を必要とし、理解は知性を必要とします。したがって、意識がなければ知性は成立しません。意識がないAIには知性がないため、今、ChatGPTを使って得られているものは知性ではない、という彼の主張には感心しました。
AIを人間そっくりにする意味はないのです。人間をつくるのではなく、人間の発展のためのツールとしてAIを利用することが正しいのです。文学も同様に、人間理解を深めることで、人間がより良く生きるための糧となります。ゲーテが『若きウェルテルの悩み』を書いて自殺の願望を昇華し、生き返ったように、真の人間主義を呼び覚ます時代が来ることを信じるべきです。それができなければ、人類の未来はないでしょう。