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劇団四季 ジーザスクライストを観て

f:id:nyoraikun:20190524161810j:image 5月23日(水)劇団四季ジーザスクライストスーパースター』を観てきた。先月に友人が東京芸術劇場で芝居をやるからということで観にいったら、おしまいまで観ることですらしんどかった。27歳の女性が癌で死ぬことになり、絵本作家になりたかった夢をかなえるため、かつての小学校の同級生と先生が全面協力して絵本を仕上げるというストーリーにも無理があるし、聞き取りにくい発声をする可愛いグラビアアイドルの二人が主演というのにも、配役に枕営業のにおいがした。入口付近では、劇中に流れた曲を収録したアルバムと役者すべてのプロマイドを販売している。太っていて団子鼻、背が低くて眼鏡をかけたいかにも内気でどこにでもいるような人達の写真も売りに出されている。ドサ回り、河原者達という言葉が浮かんでくる。

 劇団四季の芝居を思い出し、本物の舞台表現に触れたくて、流行りのアラジンを観た。最初に王様の娘と盗人の貧しい若い男が結婚するというあらすじを舞台上で役者が説明したから、不安になった。アメリカのバラエティーのような大袈裟なリアクションの積み重ね、オーバーにおどけているのをみて、楽しいと思えない私は来るべきではなかったのではないかと思ったのだ。しかし、観ているうちに、出てくる役者それぞれが、アラジンの荒唐無稽な世界を完璧に表していることを気付く。下手すれば舞台にものが飛ぶほど客の怒りを買うことになるのだが、四季の役者は少しも不快を与えることなく話を運んでいくのだ。クライマックスでジーターが、やはり最後はハッピーエンドじゃなくちゃと絨毯に乗った二人を指差すと、絨毯はゆっくりと空に飛び上がるところで幕になる。基本を徹底して身につけた役者達だから演じることのできる演目なのだろう。ピカソのようにわざと崩しにかかっている。

 f:id:nyoraikun:20190524161832j:imageジーザスクライストスーパースターは、人間イエスの最後の7日間の苦悩をロックミュージカルで描くという野心作である。イエスは死ぬことに迷いがあり、病気、貧困をなおして欲しいと願う民衆達に向けて、自分でなおせと突き放してしまう。奇跡が起きないと知った民衆達は最初は頼ったイエスに敵意を向けるようになってしまう。人心を攪乱した罪で民衆にまで見放されたイエスの孤独と苦悩が伝わってくる。

 岩谷時子の訳詞の歌が実にいい。YOUTUBEで海外のものを覗いても、遜色なく、日本向けに情緒豊かな表現となっている。マグダラのマリアの『私はジーザスがわからない』の歌は、胸に迫るものがあった。信仰を巡った苦悩がカオスに現れている舞台において、マリアののんきな優しさが際だっている。彼女が登場するたびに癒やされる。賛美歌の美しい世界の希望が湧いてくる心地にさせる。

 三島由紀夫の作品に没頭する中で出会った浅利慶太が創設した劇団四季に多くの感動をもらった。芝居は実業ではない、虚業だというのも一理ある。しかし、私が次に向かう力を得るのは、目に見えない心からなのだ。浅利慶太氏も昨年亡くなった。追悼公演はすべて観ようと考えている。氏のご冥福をお祈りする。f:id:nyoraikun:20190524161857j:imagef:id:nyoraikun:20190524161839j:image

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ