nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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横浜散歩! 風が強いね!

インターコンチネンタル横浜のホテル内にある「オーシャンテラス」でビュッフェの朝食をとった。前日、仕事を終えて、桜木町東横インで宿泊した。朝起きると、雲一つない青空が広がっていて、ホテルまで、海を眺めながら、初冬の新港埠頭をゆっくり歩いた。

横浜はいつきても風が強いと感じる。向こう岸に風力発電の風車が回っている。

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この分度器のような建物がインターコンチネンタルのホテルである。辺りの眺めである。青空の青が濃く、水の惑星の中にいると実感できる。

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神奈川近代文学館樋口一葉展に行く。中華街駅を降りて、駅の構内にユニークな広告が出ている。北京ダックを持つ男性は、いかにも中国人という顔だ。漫画に出てくる支那人という感じ、典型的な顔立ちであろう。

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ハリネズミ動物カフェなどというものがあるのか? これだけ広告を出しているのだから、繁盛はしているのだろう。

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横浜ブランドの8点の中に、明太子がある。鮮魚を販売する仕事をしているので、北海道フェア、九州フェア、東北フェアとあるけれど、横浜フェアというのも、面白いのではないかと思った。

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横浜山手の商店街。セレブの街というから、フレンチブルドッグの毛艶が良く、高価なワンちゃんといったように思える。通り行く緑のコートを着た女性の持つバッグも、ブランド品で立地な印象を受ける。

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三島由紀夫『午後の曳航』でモデルになった店POPPYである。

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目の前の時計台も、高価な雰囲気、まるで銀座を歩いているようだ。

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42万円の指輪である。会社では平社員であるけど、貯金は結構あるから、安く感じる。けれど、ウィンドウショッピングをしていると、やはりセレブの街である。ここから丘に向かう坂をあがると、高級住宅街がある。『北の国から』で有名な田中邦衛も、ここ山手に住んでいたのだ。もう亡くなってしまったけど。

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港の見える丘公園である。これだけ映える青空と海は、開放感があって良い。

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噴水を描く老人がいる。

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文学館に三島の創作ノートのコピーがあるから、本当はいけないけれど、写真に撮った。

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取材している姿の三島由紀夫である。この人がここでメモをとり、小説に書いたことが、今、生きている私の心に届いてくるのだから不思議である。

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50年前も変わらず光りを放っていたマリンタワーが見える。

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歴史博物館の古風な建物。異国情緒漂う。

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活魚をケースに入れて、鮮度をアピールしている。しかし、身がやつれてしまうから、美味いという訳ではないだろう。

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帰りに桜木町のシーフードスタンド パチョレックハナタレで剥きたての生かきを食べた。タバスコ、ウィスキー、ポン酢、コショウをかけて食べる。ポン酢が一番口に合った。タバスコが食後、唇がひりひりする。

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JR新宿駅を降りて、正面の壁に、人が集まっていることが多い。

 

12月の新宿を歩く!

会社の政策で、中堅社員には、コーチングのスキルを身につけさせようということで、私も新宿西口で研修を受けることになった。

ただ教えるだけのティーチングとは違い、コーチングとは、部下に質問し、より深く考えさせることで、自発性、自立性を促していくものである。傾聴→承認→質問の手順を踏んでいく。相手を信じること、認めること、機会を与えることがキーワードになってくる。

講義も実践形式で、かなり頭をつかうもので、意外とこれは効果があるなと思えた。

これからの時代は、部下をただ正解を求めさせて、コントロールすればいい時代ではない。正しい答えへの固執より好奇心を、コントロールよりも学習意欲を喚起していくことが、人材→人財になり、スマホ時代には合っているというのは正しいと思う。

 

昼の休憩時間に眺めた青空、大きなビルディングが、一人では何もできないことを諭しているようで、ちっぽけな気持ちになる。

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この官能的な女性像以外は、撤去されたのだろうか。早朝の新宿で、誰も目を向けずにいる。誰を誘惑しているのか?

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アルタ前のこの映像は、錯覚を利用しているのだろうけど、以前は猫が画面から飛び出して見えた。この度は宇宙船である。

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いかにもソフィスティケーテッドな絵である。『オーシャンゼリゼ』の歌が流れてきそうだ。

もうクリスマスだなぁ。街に出て、冬の街を歩こうというイメージが伝わってくる。

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電気自動車が今後隆盛を極めるのかな。それなら原発に頼らないと難しいのではないか?

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新宿! 街歩きで出会う人々!

新宿の夜の街に、路上ライブをしている2組のグループがいた。1組がBANQUET(宴会)という2ボーカル2ラップの男性ボーカルグループである。歌舞伎町という場所柄もあるのだろう。ホストクラブの4人が、ふざけて踊っているように思えた。目の前に並んでいる女性を持ち帰るのかなと思ってしまう。ただ、ダンスのキレは良く、セクシーな魅力があった。

私が黙って立っていると、一人が礼儀正しくお辞儀をしたので、意外と育ちがいいのかなと感じた。

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もう1組は、MY NAME IS RONS WEEK という女性2人のグループである。見た目、歌声の印象は、ありふれている。取り立てて魅力があるという感じでもない。しかし、立ち居振る舞い、歌声などは、プロの域に達してはいるけれど、人に無い魅力というものが、ブレークするには欲しい。

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新宿駅のフラワー自販機!愛する人へ、花を渡したいという気持ちを汲んで! この駅をあとにする人には、愛を捧げたい想いのある人が多いのかな。

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地元の駅で、大道芸人が小中大の剣玉をつかって、芸を披露している。凄い、芸を持ってはいるが、彼が、道端で芸を披露する道を選んだのは何故だろうという疑問が湧いてくる。偏見ではあるが、やはり河原乞食のような感じがするのだ。

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お面を一生懸命つくっている男性。何のために作るのだろう。

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街を歩いてみれば、多くの人が何かを求めて生きている。自分の居場所を探して!

私もお面をつけて、どこかに出かけたい。

 

横浜で樋口一葉に会ってきた!

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樋口一葉に惹かれたのは、『たけくらべ』を読んでからである。天才の作品だと驚嘆した。

展示は、父親、母親の写真から始まる。父親は元々士族の出であったが、川上と川下の利権を巡って、警察に訴えるという正義感の強い人だったそうだ。そのことが直接の原因なのかわからないが、士族を追われ、商売を始めたけれど失敗して、非業の死を遂げた。家督を継いだ長男は、大蔵省に入省するぐらい優秀な人であったが、23歳で肺の病気で亡くなってしまう。母、一葉、妹だけになった彼女は、小説家になろうと決心するけれど、当然、うまくいかない。

資金繰りが厳しくなった一葉は、吉原近くに小間物屋を開業して、商売を始めるが、最初は順調であったが、段々と厳しくなっていく。その時に触れた吉原に関わる最下層とも言える人々との出会い、商売を通じた子供達との触れあいが、あの名作、『たけくらべ』を書かせたのだ。

彼女は、15歳の頃、萩の舎に入り、歌を学んだ。ここは、公家・旧大名などの旧体制名家、明治政府の特権階級である政治家・軍人の夫人や令嬢らが通う歌塾であった。

下級官吏の娘であった一葉は、2月の歌の発表会では、気おくれしながらも親が借りてきた古着で出席して、最高点をとっている。

一葉は24年の生涯に、あらゆる身分にかかわりなく、多くの人とかかわった。貧富や社会的地位の差でいえば、身売りする女性から、特権階級の令嬢との触れあいを通じて、人を醒めた目でみつめる力が養われたのかもしれない。

私が横浜まで、泊まりがけでいくだけの魅力をもった『たけくらべ』は、一葉の文学的才能と身分にかかわりなく、多くの人達との出会い、そして、吉原に関わる不幸とされる子供達がたくましく現世を生きようとする稀な出会いから生まれたものであった。

眞子と圭の結婚は、天皇の人間宣言からくる結末だったのか?

f:id:nyoraikun:20211008092944j:plain遠藤周作原作の映画『沈黙』で、ポルトガルの宣教師の、何故、キリシタンを迫害し拷問するのか? という問いかけに、長崎奉行井上筑後守は、ここは日本であり、天皇の国だ。お前達の芽が生える土壌は、日本中探してどこにもないというようなやりとりがあった。
確かに、日本人にとって、天皇陛下は、天照大神から続く、万世一系の生き神様だとされてきた。米国に戦争で負けて、人間宣言をするまではそうであった。
その理屈で言えば、眞子様は、昭和天皇のひい孫であり、神のひい孫であった。現在では、神の姪であり、将来、神の姉ということになる。私には、天皇人間化を否定した三島由紀夫に相通じる考えをもっている。
数年前、仙洞御所に旅行するため、宮内庁に許可証を貰いに行った際、入口に、警察官が4人も配備されていた。皇居内は、掃き清められ、枝葉の除去をする作業員が多数いた。皇室の方達が動くたびに、警護だけでなく、品位を維持するために、衣食住から初め、多額の税金がかかっている。
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キリストは神の子であり、絶対の神がいると説いた。その神の前では、すべてが平等であり、普遍的人間性を道徳の目標に置いている。それゆえに、日本には、受け入れられなかった。天皇が神であるのに、すべての人類を凌駕する絶対の神がいるという話は無い。
将来の天皇になる悠仁の姉2人を、国際基督大学に入れる秋篠宮家に、問題があるのではないだろうか?
両親の言うことを頑なに聞かない姿勢は、大学4年間で触れたキャンパスの人達、学内の影響を強く受けているようでならない。
多額の税金を納めている国民からすれば、いまだに、皇室は神の住まいと同じぐらいに考えているのだから、その自覚を持って行動して欲しいものだ。
皇室を維持するために、多くの犠牲を払ってきた。命を落としたものは、数えきれないぐらいいるのである。この度の結婚は、それに泥を塗る行為だ。亡くなった日本人の方達が聞いたら、途方にくれ、血の涙を流すだろう。
日本という国は、国際化社会の中で、今後、形骸化していくようでならない。

映画『MINAMATA』は、水俣で生きる人々の闘う美しさを描いている!

水俣病が取り沙汰された1970年の熊本県水俣に、世界的に著名な写真家ユージン・スミスが来て、公害汚染との闘いを描くという内容の物語である。チッソの工場から海への水銀の流出が、20年以上も続いたことで、近隣の住民に深刻な中毒患者が現われたのである。
今から50年前に、わが国にであった事件なのであると思うと、今現在、放射性物質を海に流すことに決めたことで、その後、大きな健康被害が出なければいいと思う。私は、今の日本は大丈夫だ、科学が発展しているからそんなことはないと楽観的にとらえていた。しかし、小室圭と眞子の問題について、世論操作が歴然と行われていて、マスコミ各社、まさか朝日新聞までが、事実を捻じ曲げて、問題追及もせずに、2人の祝福ムード一色にしようとして、国民を欺こうとしている。
上級国民は、何をしても許され、守られる図式は、現在に存在していると、目を覚まさせてくれた気がするのだ。
この映画は、水俣病の患者を守ろう、もう一度、公害汚染の被害者に目を向けて、それを取り沙汰し、今でも苦しんでいる患者や遺族に哀悼の意を手向けようという類の感情を与えるというものではない。
スミスが水俣に来て、写真に収めるものは、公害に負けないで生きようとする人達の健気な美しさなのである。
水銀中毒で各指があらぬ方に曲がっていて、両足には、補助器具が固定されている青年が、雨の中、アコーディオンを無心に弾いている姿であり、母親が、目も見えず、ほぼ植物状態になった少女を、風呂場で笑顔に介抱している姿であった。↓
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芸術家の視点を通した水俣病であるから、私も、一個人として表現することで、社会の悪や醜さと闘い、美しい世界秩序を築く力でありたいというモラルを喚起する強さがある。1枚1枚の患者の写真、争議の写真は、闘おうとするモラルを、問いかけられる。
私は正直感動したが、大きな映画館に、私を含め3人しか観客がいなかったのは寂しい。コロナ禍で、暗い世相であるから、実際に流行る映画は、現在、上映している『イン・ザ・ハイツ』のような、移民街の貧しいが、彼女に恋をして、夢を叶えようとする姿を明るく歌ったミュージカル作品のようなものだろう。↓

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ゲームセンターから出てきたカップル。女性はジョーズの大きなぬいぐるみを抱いて笑顔でいる↓
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遠くから旅行できたのか?
これから遠出するのだろうか?↓
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有村架純が幽霊に見えた。新国立劇場で、『友達』を観ていた! 

f:id:nyoraikun:20210910210650j:plain9月8日(水)に安部公房作 演出加藤拓也の『友達』を観てきた。有村架純伊原六花らのテレビで活躍されている役者が数多く出演している。出演料や新国立劇場をつかうことで、経費を大分さかれているのか、舞台装置は、都市のビルをを思わせる建物の飾りが背景にちらほらあるだけである。
突然9人のお人好しの家族が、一人暮らしの男の主人公の宅に乗り込んでくるという話である。その会話や雰囲気は、いかにも周囲に溢れている善良な市民といった感じなのである。それに抗う男は、次第に、家族のルールにのみこまれていき、檻に閉じ込められて死んでしまう。1967年に書かれた戯曲ではあるが、現代のことを言い当てているようで、天才には、先が見えていたのだろう。原作に忠実に描かれていたが、スマホを持って生活していることまでは、安部公房は知るよしもないのであって、その点の書き換えは、演出家加藤拓也が実に見事にされていた。
多くのスターを目当てとした客で、客席は満員であった。スターシステムというのは、捨てがたいもので、テレビで何度も見たことのある人達が、舞台で演技をしている姿は、心に訴えるもので、幻想が現実になったかのような不思議な気持ちになる。正夢を見ているような感じといえばいいのだろうか。
伊原六花は、痩せていて顔が綺麗だったし、胸がたわわに実った果実のようで、普段の生活には、お目にしない魅力が、身体からも溢れていた。山崎一演じる父、長男の林遣都、主人公の男の鈴木浩介も、舞台に立っているだけで、身のこなしにも、オーラがあった。可憐でお人好しで、一家の中で、聖母マリアの生まれ変わりのような善良な女性を演じる有村架純は、テレビや映画で何度も目にしていただけあって、神のように見えてしまった。近寄ってはいけない、犯してはいけない人が目の前にいるんだと何度も胸中でつぶやいた。ナイフをバッグから取り出して、有村架純に突き刺すこともできるのではないかという悪魔の声も聞こえてくる。そんな危険な考えが脳裏に浮かぶのは、彼女の影響力は、日本を変えるほどのものがあると私は、知らずと認めているからであろう。
最後、役者が舞台で並んでお辞儀をするカーテンコールは2度あった。私は有村架純を凝視した。顔色一つ変えず、前を向いて立っている。ちょっと恐ろしい気持ちになった。天冠をつけた幽霊のように、はかなげに見えたのである。
それにしても、今度は、スターシステムを排した実力主義劇団四季の「アナ雪」でも観に行きたくなった。
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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ