nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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フィリピーナの嘘に傷つくアラフォーの秋

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無邪気なフィリピーナのジーナにはまった私は、偽装結婚をしていて、子供もいず、フィリピンに残してきた愛する家族のために犠牲になって働いているという言葉を半ば信じて、8年近く追いかけた。彼女に20万円ぐらい貸している。表向きは貸したことではあるけれど、あげたと考えているからその点はいい。不景気になって飲み屋の多くが潰れてから、彼女はお金を請求してくるようになった。靴を買って欲しい、靴下を買って欲しい、ベルトが欲しいということが主になってきた。私も転職したのを機に、仕事も忙しくなり、会わなくなっていき、今では、誕生日の日にlineを送るだけになっている。
最近、府中に用事があった時に、深夜、府中国際通りを歩いた。フィリピンパブを追い出されたジーナが次に勤めていた居酒屋がある。迷った挙句、顔を出した。ママが暗い中、ポツンと椅子に座ってテレビを眺めていた。私が挨拶すると、少しも動じずに、私の顔をじろじろと見てくる。
ジーナさんはどうしています?」
「今、休んでいる。川崎で働きに行っているみたいだから……」
「あぁ、コストコですよね」
「そうだね」
 とママはうなずいた。
「子供を連れてきていたけど、言葉の壁もあって、帰ったみたいよ」
「えっ?子供ですか? 結婚されたんですか?」
「知らなかったの?」
 とママは真剣な顔になった。
「妹だって話していたけど、十五歳の妹なんて不自然だから、子供のことかなぁと思って聞いていたんですけどね。日本に来てすぐ、パブで出会ったという感じですか?」
「そうそう。随分前だよ」
 とさらに驚いたように身体をこちらへ向けてみせた。

私はずっと嘘をつかれていたのだ。子供はいないと、偽装結婚だからチノさんという人物と会ったことはないと。当たり前と言えばそうだけど、嘘をつき続けて彼女も辛かっただろう。これで彼女のことを心配しなくてもいいと思うと同時に、ひたすら寂しかった。独身で彼女いない歴半端ない私は、やはり彼女を前にしても独りぼっちだったのだ。ジーナはきちんと家族の営みを経験し、離婚をして、娘を故郷フィリピンに返した。娘のために一生懸命に働いていたのだろう。妹の話をする時は、楽しそうだった。シャツとか、ベルトとか、靴とかを家に持って帰ると、妹にとられちゃうけどと満面の笑みであった。私は彼女の娘に奉仕していたのだ。ジーナは、いいお母さんになると夢中になっていた私は、その有り余る母性愛を目の当たりにして、恋していたに過ぎないのだ。

ジーナ(フィリピンパブのホステスにはまった若い男の話)

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府中国際通りのチャイニーズパブ「ミカ」の扉をゆっくり開けた。同時に右前のトイレからジーナが出てきた。その場に立ったまま、大きい目をさらに大きくして、私のことをじっと見てくる。何よと言いたそうに口元が動いた。私は前に来たときより、彼女の身体が痩せて、肌の色が薄茶になったなと思った。数か月前にフィリピンのミンダナオ島から帰ったときには、黒く日に焼けて太っていた。私が元気と話しかけると、ジーナは両手を上から後ろに回して、髪を束ねようとした。なかなか決まらないらしく、その間、私とジーナは真面目に向き合っていた。ジーナが顔をほころばせた。それから、素早く後ろを向いて、お願いと楽しそうに頭を振ってみせた。レモンの匂いが鼻先をかすめる。髪は襟のホックに少し絡んでいた。痛いのはやめてねとジーナが言った。
 髪をほどいた私はジーナに勧められるまま座った。この店でもう一人働いている同じくフィリピン人ホステスのマリアが来て、もう四ヶ月近くきていないじゃない、ジーナを待たせるんじゃないよと私を睨んだ。

府中市にあるスーパーの鮮魚部に、私が勤め始めたのは二年前だった。隣の肉屋には、パートに来ているマリアがいたのだ。いらっしゃいませの声が無邪気で良く通るので、店長が朝礼で褒めたことがあった。半年後にマリアがジーナを連れてきた。その日、休憩室の机にうつ伏せになって寝ようとしている私の頭上で、片言の日本語が響いた。顔を上げると、マリアが手招きをして、扉から入ろうとしない彼女を呼んでいる。すると扉を開けて、顔を下に向けて入ってきた。慣れない水着を見られて恥ずかしがる女の子のようだと思った。
「新しくここの魚屋で働くジーナ」
 とマリアが紹介した。ジーナがよろしくお願いしますと、私の顔から目をそらさずにぎこちなく挨拶をした。遠くにある椰子の実に追いつこうとして、浜辺を皆で駆けるような無邪気さが、爛爛とした目に投影されていた。両肩には重い荷を担いでいるような忍びやかなものがあり、それとは対照的に両足は、些細なおかしみにも飛び跳ねるような軽さがあった。
 私は立ちあがって、三山ひろしですと言った。時計をちらと見ると、休憩時間が過ぎていた。主任に紹介するからと扉口に急いで行き、手招きをした。ジーナは立ったままである。マリアがジーナの背中を励ますように叩いた。
 
 主任からジーナに仕事を教えるように私は言われた。値段を付けることや、丸魚や切身等をトレーに詰めることをしてもらったが、どうもうまくいかない。サンマを左向きにトレーにのせてくださいと言っても、ジーナは私の顔を楽しそうに眺めている。値段を付けてもらおうと、機械の操作を教えようにも、言葉が半分ぐらい通じない。刺身を切っていた主任が、その場を離れて、刺身を切らせようとジーナを手招きした。口を薄く開けて立っているジーナは私の顔を真面目に見た。私はジーナの背中を叩いた。
 鮪の柵を包丁でスライスしていく彼女の目は、熊を見つけた狐のように恐ろしそうにしていた。切っ先が小刻みに震えている。柳刃包丁の刃先が緑色の衛生俎板に接すると、蛍光灯の光が反射し、ジーナの丸々と大きく開けた目の一点が星のように輝いた。大根ツマを盛っている時、赤紫の海藻を指でつまんで刺身トレーの右端に丁寧にのせている時、ワサビを入れるのを忘れて、あわてて蓋を取る時、彼女の目に映し出されているものは一体何であろうか? 刺身をしながら時々怯えた目をするのは、大切にしているものがあるからだろうか? 
 ある時、両掌に〆さばの切れ端をのせて、どうするか聞いてきたことがあった。私はゴミ箱を指さして、捨てるように言うと、しばらくそれを惜しそうに眺めている。ジーナの育ったミンダナオ島では、ナスやバナナやマンゴー、川で釣った魚や市場で仕入れた豚肉に至るまで、何でも冬場に備えて塩漬けするということを後日教えてくれた。胆嚢に石があって時々うめくように痛いのは、塩気のあるものを、多く食べてきたからだろうかと不安そうにしていたことがある。

 それにしても彼女は刺身を覚えるのが早かった。普通なら二週間はかかるところを三日もたたないうちに出来るようになった。イワシやアジを三枚に卸して渡せば、すぐに立派な刺身を造ってくれる。
「覚えるのが早いね。誰よりも早いよ」
 私は冷蔵庫の中を確認した。彼女は俎板を見つめて、黙っている。彼女が目を落とすと、一重になった瞼に暗い怒りにも似た影が宿るのだ。
「これ、持って帰りたい」
 ジーナは、衛生俎板にのせられた〆さばの切れ端を指差した。
 さばの尾の端が俎板の隅に、いくつも重なっていた。裏返しになった尾は、水中動物の舌のように、先端にかけて細まり、中線には、取り忘れた骨が、白い極小さな画鋲のように並んでいた。尾の表面には、銀白色に輝く両側に、黄金色の筆跡のようなものがある。そのいくつかの縁が反り返り、酢から上げて間もないことを示している。
「いいよ」
 と私は親指と人差指で丸をつくった。〆さばの切れ端を集め、白く小さなトレーに入れた。
「いいよ、いいよ」とジーナは手を振ってから、ありがとうと軽くお辞儀をした。

 その頃、マリアとはメールで時々やり取りをしていた。ジーナがどうしているか聞いてくると、良く働いてくれて助かりますと返答した。すると、翌日、ジーナは何度も私を見て微笑んだ。今まで私が教えた、つまの置き方、大葉の位置、切り口の立て方を再度、楽しそうに聞いてきては、そうねとでも言いたげに目をそらすのである。
 ジーナがお店で働き始めた日に、主任から香水の匂いがきついからやめてくれと注意されていた。それが、今日の彼女からは、また別のココナッツオイルの匂いがするのである。中学生の頃に、市民プールで泳がずに日焼けをしている兄が、手で全身に行き渡らせていたオイルと同じ香りがする。
 その刹那、脳裏に浮かんだ情景をいまだに忘れない。人影の無い砂浜が広がっている。汀は平行線を保っており、それから少し離れたところに、等間隔で椰子の木が並んでいる。南国の太陽が真上に輝き、砂浜は強い光を反射して白く輝いていた。覆いかぶさった緑の硬い葉並の間から、胡桃色の大きな椰子の実が顔を出している。それは、ピーナッツの殻のように皺が入り、果実の純潔を守ろうとしてきた痕跡のようであった。
「いい匂いの香水だね」
「えっ、コウスイ? つけて無いよ。前につけちゃ駄目だって注意されてからつけたことない」
マリアさんに返してもらった白衣は、つんと鼻を突いたよ」
 と私は自分の鼻をつまんでみせた。
「マリアはね。私はつけてないよ」
 コバルトブルーの海の浅瀬に、さざ波が静かである。急に吹き出した風が、木の幹をゾワゾワと揺すった。吹き矢の矢じりにつかわれるほどに鋭い葉並から椰子の実が現れ、わけもなく落ちた。浅瀬に丸い影が生じると同時に、ドボンと音を立てた。水が垂直に跳ね上がり、同心円は広がるにつれて薄くなった。椰子の実は横向きに浮かんでいた。そよ風が吹くと、水面から顔を出している実の側面が敏感に震え、海面に波紋が広がる。椰子の実は、ゆっくりと瑠璃色の大海原に向かっている。それは、出帆する船のように行き着く先が決められているようでもあった。

 ジーナと売場の拭き掃除をしていた。彼女は突如、雑巾を私が拭いている場所のすぐ近くまですべらせてきて、終わった? と楽しそうに聞いてきた。それから、中華くらげを指差して、これ私はつくれるわと得意そうに首をかしげた。
先日、彼女が帰る際に、寿司部のパートのおばさんが、三山さんに愛の告白があるわと冗談を言ったことを受けてのことだろうか。その時、彼女は何よと言わんばかりに肩を怒らせて帰ったはずだが……
 そんなこんなで彼女をデートに誘った。


 
 京王線府中駅構内で待ち合わせをした。会うとすぐ、待った? と彼女が聞いてきた。私が軽く首を振ると、前に歩み寄ってきて、「良かった」とはっきりした口調で言った。毎週木曜日が休みよと歩みを速める。毎週木曜日、私の公休日なので、会いたい時に会えるなと思った。北口を出て、ペデストリアンデッキを歩いてすぐ左に見える階段を降りる。少し歩くと、左側にスパゲッティー屋がある。ジーナはスパゲッティーが好きだというので、あらかじめ調べておいたのだ。
 彼女はナポリタンで、私はイカとタラコのスパゲッティーを注文した。
結婚しているの? と聞くと、別れたと勢い口を大きく開けて笑った。
「フィリピン人と結婚したの?」
「日本人よ」
「えっ、誰?」
彼女は言い辛そうに答えた。
「ちーの、ちーの」
「シフト表に書いてある千野さんという人ね。でも、あれは」
と私は語気を乱した。ジーナは首を振って、しぃーと人差し指を唇に当てた。
フィリピンのミンダナオ島に住んでいる家族には、三十二歳の兄、二十八歳の弟、十四歳の娘がいる。仕送りしたお金で買ったコンバインの上に、家族全員が腰を掛けて、手を振った写真入りの手紙が、先日、ジーナのもとに送られてきたそうだ。三年近く帰っていない実家の庭には、何が植えられているのか気にしていた。ずっと前に、フィリピンの実家に戻ったときには、栽培が簡単なトウモロコシでも生えているだろうと思ったら、黒い土が寒々と敷かれているだけなので、頭にきて泣いてしまったらしい。
「日本から帰ってきたことがすぐ近くに住んでいる人の噂になるのね。次の日には、家に来て、お金ちょうだいって言うのよ。それで首を振ると、つまらなそうに首をかしげて帰っちゃうんだけど、それが、一人や二人じゃないの。何人も来るから疲れちゃう」
「お父さんは何の仕事をしているの」
「何もしていないよ。前に警備員の仕事をしていた。でも危ないから辞めたの」
「危ない?」
 ジーナは親指と人差し指で銃の形を真似して、「向こうはこれだから」、次にトンカチで叩くように手を動かして、「日本はこれでしょ」
 フーベルト・ザウパー監督の『ダーウィンの悪夢』という映画で、タンザニアの漁業研究所で働くラファエルという警備員が紹介されていたことを思い出した。先に猛毒が塗ってあるという矢を束ねて持っている。前任の夜警者は襲撃され、胸を刺されて死んだ、そのおかげで私が今、一晩一ドルで働いているとカメラの前で話していた。暗闇の中の薄明が、下に向けられた矢の羽を微かに照らしている。夜警は血走った目で笑み一つこぼさなかった。黒目は黒カナブンのように輝いていた。
「何もしていないのに、暮らしていけるの」
 私は手に持ったフォークの先を口に近付けて、食べる真似をした。
「だから、私が働きに来ているのよ。向こうには仕事がそんなに無いの」
「お兄ちゃんも弟も結婚しているというけど、何か仕事をしているんじゃないの」
「バイクに乗って、後ろに人を乗せて、ちょうだい」
 と彼女は卓上に手を差し出した。
「タクシーのようだね」
 ジーナの背中越しを通った中年の男と女が、私の顔をチラと見た。しばらくしてから、また、おそらく二十代中頃のカップルが同じように視線を向けてきた。私が顔を気付いたように上げると、すぐに目を逸らす。それから通る人…… 同じことの繰り返しであった。
ダーウィンの悪夢』では、タンザニアビクトリア湖に生息する巨大魚ナイルパーチが輸出用に工場で加工されているシーンがあった。その残りの粗が捨てられる裏山に、工場の自動車が来ると、黒人の女性がカラスのように群れ集まっていた。くるぶしには米粒ほどの白い虫が無数によじ上っている。アキレス腱はひび割れて、木の枝のように露わだ。そこにいくつも雫が垂れていた。 
ジーナは目を大きくして不思議そうに私のことを眺めている。
「あれっ、食べないの?」
「あんまり食欲が湧かなくて……」
裏山に散らばる白骨の上を歩く女性達に、彼女は全く似ていない。南国の海の浜辺を、裸足で駆けるような明るさが、彼女の笑顔にはあるのだ。それなのに何故、黒人の女性が心に像を結ぶのだろう。
「食べたいけど、お腹がいっぱいよ。ごちそうさま」

 その後、カラオケボックスに行った。私はジーナの肩に手を伸ばし、キスしようとした。すぐ様、その手は払いのけられた。彼女は横に勢いよく倒れ、振り向きざま、どうしたのと冗談っぽく笑った。私はまた肩に手を伸ばそうと思ったが、彼女に、入れなさいと次の選曲を促されたことで断念した。白けたムードになり、歌う気がしないで、ソファーの端に退けた。ジーナは眠そうに目を細めて、選曲本が二冊とブルームーンの注がれたサワーグラスが置かれている机上を、じっと見つめていた。
「入れなさいね。入れなさい」
 言葉には、あきらめにも怒りにも似たものがカクテルされていた。
 サワーグラスにブルームーンがなみなみと注がれている。サンゴ礁のある海のように表は微かに青く、奥まるほどに濃厚な青である。時を刻む針の音が聞こえてくるようだ。
「何よ」
 ジーナは、後ろに結わえた髪をほどいて、まとめて左肩の前に持ってきた。髪の先を両手で手持ち無沙汰にいじっている。私の顔を見るなり、真剣なまなざしになった。
「ごめん……、美人だったからつい……、どうして日本に来ることになったの」
「スカウトされたの。百人の中から選ばれたの」
 と自分の顔を指差した。微かに口元から笑みがこぼれた。
「本当に綺麗だよ」
 ジーナは顔を顰めた。上半身を前に倒して、こう言った。
「何? 外国人の友達が欲しいの?」


 
 それから三度目の水曜日が来た。明日の約束をしようと、昼休みの終わりに店の外へ出た。携帯電話を手に取って、深呼吸をした。五月の空は晴れわたっている。青空の下、向こうの家の庭に、新緑の木が二本ある。目の前の道路を真っすぐ突き進めば、5分ぐらいでその木に辿り着くだろうか。自動車が通るまで待って、電話を掛けようと思った。
手前の歩行者沿いに咲くレンゲは、紫に揺れている。その上を、ミツバチが数匹、「の」を描いて飛んでいた。一匹が、勢いよく花弁に止まる。茎もたわむばかりになり、その反動から、ミツバチは脚に力を入れて踏みとどまったかに思えた。
 しばらく待っても、自動車は通らない。
「Hi. This is Gina. Sorry I can't come to the phone right now. Please leave a message after the beep.」 
 女声の機械音が鳴った。それから、空気が漏れたような間の抜けた音がした。フィルムの破れ目から声が聞こえてくるような感じがした。
「Hi.」
 ジーナだ。
「ごめんごめん、寝ていた」
「明日は?」
「ん! ……スゥ」
 と息を吸った。
「どう?」
「んー…… 行けないの」
 と怒りを抑えるトーンである。
「だって先週も行けなかったでしょ」
「いやっ……」
「何?」
「休みの日は、同伴をしなくちゃいけないの」
 私は話をさえぎるように、そうなんだと繰り返し口にして、じゃあねと電話を切った。
バックヤードに戻るまで、胸騒ぎが止まなかった。ジーナが酒飲みのおじさんの腕をつかんで、片手である方を指差して、楽しそうに笑っている姿が、頭に浮かんでくる。もっと、不快な場面が何度も頭をよぎった。『お金目当てで日本に来ているだけなんだろうか。パブのお客にしたいから、一緒にスパゲッティーを食べたのかしら。でも、カラオケが終わって、さよならをする時、ジーナは本当に愛して欲しくて、しんどそうに手を振っているように見えた。でも同伴をしているなんて…… 日本に連れて来られたフィリピーナは、ブローカーに一度は犯されているというじゃないか』と私は考えた。
 うつらうつら刺身を切っていたら、するめいかの刺身を三日分の五十パック造ってしまった。休憩から戻ってきた主任に見つかり怒られた。

 その夜、マリアから電話がきた。
「今からお店に来られる」
 声の背後から、おじさんの大きな歌声が聞こえた。カラオケの音が受話器で化けて、妙にスローで気持ち悪い。自分自身が酔っているかに思えてきた。マリアの話声は、いつも楽しく投げやりで、もの悲しげなところがない。相手をしんみりとさせない。
「もう十時だよ」
「いいじゃん。来なよ」
「明日早いから、もう寝ようかと思って……」
「子供じゃん。ジーナ、酔っているよ。あなたのこといい人だって言っているよ」
「今日はちょっと」
「わかったよ。今度、会いに来なよ」
 電話を切ってから温かい気持ちになった。今度、ジーナのお店に、一度は顔を出してみたくなった。

府中の並木通りにある三菱UFJ銀行前に、ジーナと夜八時に待ち合わせた。銀行と横道を挟んで並んでいる豚骨ラーメン屋からは、酸味のきいた味噌の匂いがする。軒の煙突からは、湯気が立ち上がっている。電灯の暗い明かりが、モンシロチョウの鱗粉のような蒸気の一粒ずつを繊細に照らしている。 
横道は自動車一台がやっと通れるほどの広さだ。急な車を警戒してか、皆、壁伝いに歩いている。黒服を着た若くていかつい二人の男が、腰をくの字にして、縦に並んで通り過ぎていった。太った中年の男は、はちきれんばかりの緑のポロシャツを着ている。それと手をつないでいるのは、目元にパウダータイプの銀のアイシャドウを入れた二十前後の女だ。金の盛髪に、黒い漆皮のハイヒールパンプスを履いていた。二人とも縦に前屈みになりながら歩いていった。
 ジーナは約束の時間に来なかった。電話もしたけど、かからない。私は横の脇道をぼんやり歩き始めた。細い一本道を歩めば、きっと、パブ瓊(ケイ)があるだろう。初め、道の両側に、掲示板がしばらく続いた。指名手配の顔写真がいくつか貼り付けてあった。そこを抜けると、左方にハングル文字で書かれた居酒屋がある。小学生ぐらいの女子と毛糸の腹巻をしたおじさんが店頭で焼き鳥を売っていた。おじさんの目は黄色く濁っていて、顎が小刻みに震えている。震える手で串を持って返した肉の一切れがピンポン玉ぐらいの大きさであった。私が傍を通ると、韓国語で話す声が聞こえた。
 シャッターを下ろしている店がいくつかあった。黄ばんだ新聞紙がシャッターの隅にへばりついていた。金網式の大きいゴミ箱から溢れて転げ落ちた空き缶には、日頃、見慣れない文字がデザインされてあった。ビールケースを椅子代わりにして座っている男は、酒屋の窓の明かりを頼りにして英語の本を読んでいた。甘いタレの匂いが鼻先をかすめる。振り返ると、炉端からすさまじい煙が上がっていた。靄が消えうせ、おじさんは楽しそうに笑い、後ろへ反り返った。
 四階建の建物に店の名前がネオンサインで表示されている。一階の枠内に、紫から黄色く浮かんだ瓊という名前があった。
瓊の扉を開ける。十代であろう丸顔の女性がカウンターに並んだグラスをタオルで拭いていた。私のことに気付いたが、はにかむだけで何も話そうとしなかった。瓊というから中国人パブであろう。奥からもう一人、女が出てきた。私はジーナのことを聞いた。まだ来ていないからソファーに座ってくださいと中国訛りのある言葉で促された。
 亜麻色の壁にこぢんまりとしたシャンデリアが、いくつか掛けられている。黒いソファーが壁に沿って並べられている。透明なダイニングテーブルの上に灰皿と紫に透き通ったライターがある。部屋の端に、季節外れの小さな門松があり、松の葉にエイブラハム・リンカーンジョージ・ワシントンベンジャミン・フランクリンの肖像が描かれたドル紙幣が何枚も差し込まれていた。フランクリンの禿頭に目を奪われた。私は反射的に左手を頭頂部に当てた。日を追って髪が薄くなってきたからである。
 神社の鈴緒を振る音がして、ドアが開いた。ジーナが入ってきた。私に気付くと、不思議そうに立ち止まった。そして、しばらく口を開けていた。
「えっ、九時だったのよ。じゃなかったっけ……」
「八時だと思ったけど……」
 ジーナは口を閉じてから真顔になった。それから、首を傾げて笑みをこぼした。

 初めてパブを訪れた夜、なかなか眠れなかった。私は夜中に寝床から這い出し、パソコンに向かって、作家になった気分で小説らしきものを書きつけたのだ。
 ――運ばれてきたウインナーとベーコンは、どれも黒ずんでいた。三山には、それが千五百円する食品には思えなかった。パブ『ケイ』のママは、三山とジーナが話しているテーブルに入ってきた。紙皿に盛られた食品を指差して、中国語でホールの女性にまくし立てる。こげたものを出すなということだろうか、それにしては、皿が戻される気配はない。しばらくして、ケチャップをホールの女性が持ってきた。銀紙の皿に目一杯入れ、片言の日本語で、ごめんなさいと顔をこわばらせた。ママは平然たる顔つきで、ケチャップの量が少ないことを怒ったのだわと顎を突き上げてみせた。次に、ウインナーの端をかじってみせ、息を軽く吐くと、うまく焼けているわねと早口で話す。
 明かりが照らされるたびに、かじった痕には、煙がたなびいている。ベーコンはペットショップに売られている鶏や犬の餌のように、精彩を欠いていた。
 三山はこの店に来たくはなかった。ママはからかうように大人しい人ねを繰り返し言うので、彼の癪にさわった。無口で面白みがないと言われている気がするからである。ママは、相手を言葉で突き上げるような態度なので、違う席に行って欲しかった。一重瞼の目は、いつも冷たく笑っている。客であるこちらが何を言おうと高飛車にしりぞけられる勢いで笑う。よくパブのママがつとまるものだと思った。
 日中、魚屋で働く三山は、午後、パートアルバイトにくるフィリピン人のジーナが、夜のパブに来れば、もっと話すことができるというので来てみた。ただジーナとだけ話したかったのである。
「パブのママになるのに、必要なことは何ですか?」
「金よ、それに決まっているじゃない」
 間髪を容れずに答えた。
「チェーン展開はしないのですか?」
「チェーンは考えているけれど、だれかに私の代わりが務まればね。とっても無理な話よ。まだ、ここの借金も返してないのだから、でもいつかパブ『ケイ』を二つ、三つにしていくつもりよ」
 早口で歯切れよく話す。三山の顔をじっとみつめて、見下げたような笑いをする。ママが着ているチャイナドレスは、胸元に銀や金をちりばめ、渦を巻いている。彼はママの目から目を逸らし、しばらくその刺繍を眺めていた。博物館の展示物をウィンドウ越しにぼんやりと見物しているように何度もまばたきをした。隣にいたジーナがグラスにビールをお酌する。ママはテーブルにグラスの音を立てるように置いて、飲もうかしらねと笑った。
 彼が顔を上げると、ママはまた笑った。ジーナは彼にビールを手渡して、無邪気に笑ってみせた。
「こういう店に、三山さんは、あまり来たことないから……」
 彼は気を利かせて、ジーナのグラスにもビールを注いだ。途中で瓶が空になってしまった。
「私飲めないわ。お腹壊して……飲むとお腹に石があってね」
 三山はどうしていいかわからずにもごもごしていた。もう一本いこうとママは勢いよく席を立った。その間、彼女は彼のシャツを引っ張り、ウインナーに爪楊枝を差してみせた。目を細めて合図する。
紙皿に盛られたウインナーは手付かずで、汁が出ている。焦げたところがじりじりと蠢いてとまった。ベーコンの端は、しなびてぐったりとしている。スーパーマーケットの精肉試食コーナーに置き忘れたままになっているのに似ている。座っている膝元まで見える透明なテーブルに置かれた紙皿は、飾り気もない白で、隣に置かれた灰皿は、煙草がぎっしりとつまっている。そのうちの一本は、線香のようにゆらゆらと煙をたなびかしている。
「あなたは煙草を吸わないの」
 ジーナはライターを卓の上に置いた。
 ピンク色をしたライターは、ジーナのあらわになった胡桃色の腿と重なって見えた。室内を照らして回る青い光が、ちょうどライターと重なった。一瞬、星の輝きを帯びて、すぐさま、もとに戻った。星の光が長い間暗い部屋で寝ていた人の目を射ることがあるように、その輝きは刹那であるが、強いものがあった。
日頃の彼女は、目を大きくして何に対しても無邪気によく笑う。それが、先ほどから長髪をかきわけて澄ましては、少なくなったグラスに色目を使いながら、黙ってビールをそそぐ。昼の仕事を思いだしていた。三山が見本で切った刺身の盛り合わせの端材を捨てると、ジーナはそれを拾って、これは売れるよと口をゆがませてみせる。よく覚えた刺身だけは、他の人に負けたくないという気持ちが伝わってくる。かつおの刺身にしょうがが入っていないのを注意すると、かわいらしい目を大きくして、口を開けて、飛び跳ねてみせた。彼はしょうがを取ってきて、刺身の蓋を開けて、一つ一つにしょうがを丁寧に入れてみせた。すると、彼女は下を向いてすみませんと謝った。
「刺身を切っているときのジーナさんと違うね」
 先ほどから、落ち着いて斜め上を眺めているので、退屈しているのではないかと三山は思ったのである。間を空けてから、人差し指を口に当てて、前に何回か身体を倒しそうになり、それから、顔を上げて、八字眉をつくって大声で笑った。
 爪楊枝が刺さったウインナーが、丸い紙皿の端で小刻みにゆれている。細く小さい一本の影もゆらゆらゆれる。またジーナは爪楊枝を他のウインナーに刺して、三山の口元に持っていった。彼は律儀に爪楊枝を手に受け取り、ぬくもりがまだ残っていそうな端っこをかじった。口の中ですぐに肉が崩れ、冷たい味が舌先に残った。紙皿に戻すと、二本の爪楊枝が、ウインナーを船にして、芯だけ残された帆柱のように影と共にゆれている。
「何か食べないの」
「お腹が空かない。ところで、ママが帰ってこないね……」
 ジーナは立ち上がって、目を細めてみせた。トイレに急いで入った。出てくると、不機嫌にテーブルの前を行ったり来たりする。
「ちょっと食べたいものがあるんだけどいい」
 いいよと返事する前に、ママがビールを持ってきた。
 静まり返ったテーブルの上にあるベーコンをママは2、3口にした。うまいともまずいとも言わずに、また食べては、神経質そうに首を何度もひねって待っている。顔がとても小さいなりに、目も鼻も耳も口も小さい。草の先端に止まっているかまきりをじっと見つめると、こんな首の動かし方をするものだ。
 ジーナが白い紙皿に、パンをのせてきた。長方形のパンの上部は、艶のある小麦色で、蒸気がたなびいている。先端と後端の面は、亜麻色に着色されている。側面は、バターのうまみがたっぷりこもっているかに思わせるほど飴色だ。さっきは、目を細めて不快そうにしていたジーナも、口を半円に開けて笑っている。ママも幾度かまばたきをしながら笑っている。
 三山は不安そうにテーブルに置かれたメニュー表に目を向ける。

 ここまで書くと、眠りが急に襲ってきた。身体が鉛のように重い。なんとかたどりついた布団に倒れ込むようにして、そのまま眠ってしまった。

 翌日、ジーナから電話があった。
「昨日は、ありがとう」
 楽しそうに笑いをこらえていた口を開けて話すジーナの顔が浮かんだ。彼女はいたって変わらないのだ。私の異質性に対する警戒心が、昨夜のような文章を書かせたのだと考えた。
「ちょっと、緊張しちゃって」
「緊張しなくていいよ。みんな、いい人達だから」
「昨日はマリアがいなかったね」
「うん、仕事をする日を一日減らされたみたいなの。私も同じく一日減らしたわ。大丈夫よ。来てくれてありがとうね。本当にありがとうね。おいしかったわ。ごちそうさま」
 と急いで話し始めて、最後は微かに涙声になった。
「また、今度行くよ」
 

 
 梅雨入りは魚屋にとって、一年で一番嫌な時期だ。食中毒が最も多く出る月である。去年は、別の店で、自家製〆サバを食べたお客が、腹痛を起こして病院に運ばれた。今年は、刺身を切る衛生俎板に、アルコールスプレーを十分おきに、必ずしなければならない。大根ツマの大きな袋を置く専用の皿も用意された。
「十分おきにスプレーをして」
「えっ、わかっているわ」
 それから、十分以上経って、また同じように注意した。
「わかっていたのよ」
 とジーナは鼻から息を吐いた。
「去年、刺身で、病院送りになったお客が出ているから頼むよ」
「これでなるの? ミンダナオでは、川で釣ったよくわからない魚を、なんでも塩漬けして食べていたわ」
 と彼女はお腹を押さえて、真顔になった。目は何かに怯えているようだ。噴出さんばかりの怒りを、必死に抑えているようにも見える。動き回るのを止めない猛獣が、彼女の心の檻にいるのであろうか。大岡昇平著『野火』で、戦火のフィリピンを飢えてさまよう田村が、殺した同朋の人肉を食べて生き延びようとする戦友達を目の当たりにして、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じた場面に相通じるものがあるのではなかろうか。ジーナの幼い頃、村にゲリラが現れた。村長が後ろ手に縄で縛られて、山奥に連れていかれるところを目の当たりにしたと話しながら笑っていたことを思い出した。
「切っている魚、マグロ、イカ、サーモンは、フィリピンでは食べられないものばかりよ。妹にも食べさせたいの。日本で生まれたことはラッキーよ」
「人はいつも不満だよ。どんなに満足そうにしていたって、満たされないものだよ」
 私は窓を開けて、いらっしゃいませと売場を眺めた。醤油風味の焼肉の匂いがした。モランボンの業者が試食販売で来ているのだろう。
「いい匂いがするね。今度、焼肉を食べよう」
「うん」とジーナは黙ってうつむいた。それから、気がついたように顔を上げ、ドアの前に駆け寄った。こちらを向くなり、満面の笑みで人差指を唇に当てた。真っすぐに伸びた指には張り詰めた力があった。指を離すと、笑いながら身体を何度か前のめりにして、私を窺っているようだった。にやり突きをされると訳もなく笑ってしまうのと同じで、私は心地良く笑みを浮かべ頷いていた。
 

 雨が降りしきる日は、お客の入りもまばらだ。一時間、鮮魚コーナー前を、一人も通らないことがある。ジーナには刺身をゆっくり切るように話した。彼女は切りながら、窓ガラス越しの売場を眺めてはおかしそうに首を傾げている。今日の午後は、作業場に二人だけしかいない。私は用意した写真を見せた。
 これ、どうしたのと顔の血の気が引いた。写真を渡そうとしたけれど、決して取ろうとはしない。私の顔を窺いながら、不快そうにマグロの柵を急いで切りだした。切るのに疲れると顔を上げた。一息ついてから、透けるような赤身の柵に、柳刃を垂直に入れる。柳刃包丁の刃先から現れたマグロの新たな側面が、赤いトルマリンの光彩を、刹那放った。
「ここに行ったことがあるの?」
「日本に来る前、お母さんと……」
「何をしたの」
「そのNSCはスーパーなのよ。いっぱい物を買ってくれたの。塩も買ってくれたわ。塩を舐めれば一カ月は生きられるって言うからね。」
 タグムシティーの画像をインターネットで探し、めぼしいものを印刷してきた。低い軒並の街中で、一際目立った十階建てのビルディングは、特別の事情が無い訪問を拒むオフィスように飾り気なく、青空を映した窓ガラスに占められていた。左隅に青字で小さくNCCCとマークされている。
 同じくタグムシティーの写真をもう一枚見せた。
 ジーナは包丁を手放し、両手を俎板の端に置き、楽しいことを思い出したように顔を上げた。
 所々にひびの入ったアスファルト舗装道路が、遥か先の雲間まで続いている。車道の両側に並ぶ街路樹のナラが、電信柱のように一定の間隔を保っている。砂漠の海に浮かんでいる道のようだ。そこを、グリーンのオート三輪が、疾駆している。三輪車の後部は、爆撃で破壊されたように開いていた。私は亀の背中に乗って竜宮城に向かう浦島太郎をイメージした。
「このずっと先に、私の家があるの。兄さんも弟も、妹もお母さんもお父さんもいるのよ」と雲の間を指差した。「それに、お兄さんはこのオートバイを使って働いているの。後ろから客を乗せるようになっているの」
「逃げられるかもよ」
「逃げたら追いかければいいのよ」
「お金に困った人は悪いことをしそうだけど」
「そういう場合は、振り落とせばいいのよ」
「結構、このオートバイを利用する客がいるんだ」
「リヨウ?」
「使う客がいるかということ」
「一日に二人だけという日もあるんだって…… なんでも難しいよ」
 と声を落とした。
 スライスしたマグロの角が立たず、丸みを帯びている。私は焦った。すぐに角が白く澄んでいるのを確認して安心した。冷凍まぐろは、完全に解凍すると、色が赤黒くなって、水分と共に旨味が逃げてしまう。しかし、これは、マグロの脂が強すぎたことで、溶けるのが早かったにすぎない。
「美味しそうだね」
 舌先にのせただけで、溶けそうなほど脂ののったマグロを指差した。
「うん、美味しそう」
 とジーナは目を大きくした。俎板に頭を近付けて、マグロの柵を切り出しながら、頑張るしかないと言った。

 六月も終わりに近づいた頃、従業員の専用通路を、海鮮寿司部のパートのおばさんが、ジーナの片腕を掴んで、前後に振りながら歩いてきた。寝る子をゆすり起こすような軽さで、何度もジーナと声を掛けている。私が通り過ぎ様、おはようと挨拶しても、ジーナは呆然自失として、私のことに気付いていない。
 バックヤードにきてからも、時々、何かを念じるように下を向く。
「どうかしたの?」
「お兄さんの奥さんが、人工透析を受けないっていうのよ。お金は送るからって言ったのに……」
「病院に通っていたの?」
「入院していた。でも、抜け出して、家に帰ったらしいの」
「放っておくと尿毒症になるから大変だよ。すぐに戻るように言わないとね」
「うん、でも……」
 と声を弱めて下を向いた。
「お金を送ろうよ。早く送るようにしよう」
「もう送った……」
 としばらく黙っていた。遠く離れた兄嫁との思い出が頭によぎるのだろうか。目に涙を浮かべて、首を左右に振った。私が驚いた顔をすると、今度は首を軽く振って、真面目な顔をして頷いた。それから、頑張るしかないと自分に言い聞かせるように言った。
 
 午後八時三十分。ジーナがパブで着替えをして、一息ついた頃だ。私は心配して電話をした。
「どうだったの?」
「お姉さん?」
「そう」
「死んじゃった。やっぱり、戻らなかったみたいね」
 と落ち着いて話している。
「何で?」
「病院に行くとお金が掛かるから、他の人が食べられなくなると思ったんじゃないの。私は、あなたがいないと、子供はどうなるのって、言ったのに……近くの草原で倒れていたって」
 ミンダナオ島の山野を逃げ惑う兄嫁の姿が浮かんだ。密生している鉄砲草をかき分けて開かれた草原に出ると、暑い日差しを感じた。二本のナラの樹の下に身を落ちつけた。キリギリスがギィーチョンギーチョンと鳴いている。主人、親戚、幼い頃の友達、お世話になった人達が頭に浮かんでは消えていく。先程、別れた二人の子供のあどけない顔が脳裏をよぎる。悔しさが込み上げてきた。樹の根元に頭を押し付けて、祈るように声を上げて泣いた。十字を切って、空を見た。神様、私の行いは罪でしょうか、贖罪でしょうか? 愛する家族が幸せになって欲しいからこそ、私は死を選んだのです。どうか私を咎めないでお許しください。
ジーナは、無理しないでね」
 思い描いた兄嫁の姿は、ジーナから連想したものにすぎなかった。週に一度教会に通うプロテスタントの彼女は、隣人愛を兄嫁の死に見ているのではないか。
「頑張るしかないからね。この前帰った時は元気だったのに……」
「……」
「あの人のためにも、強く生きるわ」
 
十一
 
その年の七月二十一日(水)は土用の丑の日であった。店頭で鰻の炭火焼実演販売をした。U字溝の上にあるステンレス網に、一度蒲焼し冷凍された鰻をのせる。炭を継ぎ足し、時々団扇で扇ぐ。鰻の表面にタレを塗る。ひっくり返して、表面も炭火に当てる際、タレが網の下に落ちて、蒸発する音が響き、甘い醤油の匂いが鼻先を掠める。U字溝を覗き込むと、黒い炭は頑固に火を纏っていた。まるで太陽の熱で燃えているかのように、いつまでも消えない感じがした。
 今日の夜に、ジーナの店で浴衣パーティーがあるらしい。店頭のやぐらを片付けてから店を出るのに、午後八時は過ぎるであろう。真夏の日光を浴びて、一日中立っているだけでも、くたびれるのに、その後、パブに行くのは気が引けると、一応は断った。灰になりかけた炭の上に、黒い炭をのせて団扇で扇ぐ度に、熱気が首や頬にぶつかる。以前、夏は暑くて嫌だねと彼女に聞くと、フィリピンはいつも暑いよ、夜、クーラーのある部屋で私が寝ていたら、みんな中にぞろぞろと入ってくるんだからと楽しそうに話していた。それと比べて、昨日の電話口で話すジーナの声は、線香花火を見つめているような寂しさがあった。わかったという気落ちした声が耳について離れない。私は本部から手伝いにきている男に断って席をはずした。
 電話に出たジーナは起きたばかりで、まだ眠気と闘っていた。私が浴衣パーティーに行くと告げると、良かった、待っているわと喜んでいた。一人も呼べないと恥ずかしくてお店にいられないらしい。

 その夜、大国魂神社の駐車場に着いたのは、午後十時を回っていた。日中の暑さが、肌にぬくもりとなって残っていた。時々そよぐ風が、ケヤキの巨木の葉に、緑の羽音を与える。涼しく気持ち良い夏の夜だと思った。自販機と事務所の明かりだけを頼りにした広い駐車場内は、暗く静まりかえっている。ケヤキの巨木の根元に、人が座るのに適した瘤がある。帰りにここに座って、缶コーヒーを飲んだことがあった。あの時、とっても幸せな気持ちになれたのはどうしてだろう。
 府中国際通りの狭い駐車場の真ん中で、手持ち花火をしている若い金髪の男女がいた。けたたましい音と共に、筒の先から光線が束になって飛び出した。空中で花びらのように四散した火がアスファルトの地面に着くと、ホタルの光のような未練を残して消えた。花火を手に持って、はしゃぎながら男は女に同調を求めるように話しかけている。女も心から楽しそうに頷いている。時々、火花の加減で二人の笑顔が、鮮やかに映される。黒服を着た客引きの男達も、急に騒がしくなった駐車場を振り返り笑っている。
駐車場を囲う金網のフェンスのすぐ外に、えのころ草が生えている。電灯の明かりが、細く伸びきった草の先端を、スポットライトのように照らしている。ブラシのように毛の長い穂におびきよせられる生き物が登場するのを、今か今かと待っているようだ。この小穂を用いて猫をじゃらすことが出来ると、幼い頃に近所のおばさんに教わった。
 黒服の男達が寄ってくるのを避けるように道を急いだ。店の外でフィリピーナが、四十近い男と小声で話している。飴色のキャミソールワンピースを着た女が哀しい顔をして頷いている。男は真向かいで女の顔をじっと見つめていた。男はそばを通る私の顔をチラと見た。頬の微かな緩みが、真剣な目を卑屈で腹黒いものにしていた。忌わしいものに思えた。片言の日本語が耳に触れる。
ところで、私がジーナと話している姿を、人は同じように見るであろうか?

 青藍に淡黄色の花模様が入った浴衣をジーナは着ていた。私を見るや、目を大きくして口を薄く開けた。ショートケーキにフォークを入れて、口に持っていく時のように、白い歯がチラと覗いた。近くにマリアが寄ってきて、久しぶり、嬉しいじゃんと背伸びをして、頬にキスしようとしてきた。私は子供のパンチをよけるボクサーのように軽く首を横に倒した。ジーナは真面目に黙っている。気になって合図をしたら、近づいてきた。そして、手を伸ばし、私の髪を押さえるように撫でた。うん、こっちの方が格好いいと呟いた。

瀞峡巡りは愛を運ぶ


1、三島由紀夫の紀行文に、熊野の瀞八丁をプロペラ船に乗って見て回るというのがあったから、私も熊野本宮神社を参拝した後に行くことにした。志古から乗ると往復で1時間55分、小川口から乗ると、往復1時間ということである。私は小川口から乗ることにした。本当は、熊野速玉神社の新宮の河川から遡上していき、瀞八丁に入っていくのが理想であるが、私の場合は、いきなりクライマックスを体験しようとすることになる。
 道の駅で聞いた通りの河川敷に来ても、標識すらない。待っていると、2人の老夫婦が歩いてきた。ウォータージェット船の乗り場はここですか?と聞くと、昔、ここで乗ったから、ここじゃないかと応えた。
 新婚当時に、このウォータージェット船に乗ったそうだ。金婚式が先日あったから、また来ようと考えたらしい。

2、船員が2人いて、1人が写真パネルで瀞峡について説明している。写真を見てもらうとわかるが、中央の樹木が生い茂ったところに、少し前まで小学校があったそうだ。こんなところにも住民がいて、生活している人がいる。ましてや子供が学ぶ場所まで……

3、鮎釣りをする人達が4、5人いた。ダムが出来る前の河川は、天然の鮎が素人でもわんさと獲れたそうだ。今では、難しくはなったけれど、それなりに釣れるから、釣り人が後を絶たない。








4、老夫婦に言わせれば、昔の景色と変わらないとしみじみとうなずいていた。崖の上にある旅館(今は喫茶店)も昔からあったということ。集中豪雨でダムから放出された川水は、旅館の高さまで達したと船員が話していた。
5、1缶200円のじゃばらを飲んでみた。酸っぱくって甘いというような味、オレンジとグレープフルーツを2で割って、薄荷を少し混ぜたような味である。老夫婦は懐かしそうに2人で飲んでいた。昔のあったのかは知らない。2人で写真を撮らないと奥さんが言い出し、旦那がうなずいた。近くで同じくじゃばらジュースを飲んでいた私にシャッターを切るように頼んできた。離婚する人が多い中で、結婚してここまで続いてきた力はどこにあるのかなと思った。

神様の住む場所(熊野本宮大社より)


南紀勝浦の休暇村に行く道の途中で、風光明媚な入江に出会う。休暇村ホテルのフロアにこの風景の絵画が飾ってあった。バレーボールでもしているのかという生徒のかけ声がどこからともなく聞こえてくる。素晴らしい自然の中で、その恩恵を受けて生活している人達が、都会で住むようになるとどうなるのかなと思う。観光遊覧船に揺られて、リアス式海岸を見て回りたかったが、水曜日は残念ながら休日ということだった。

朝起きるて、カーテンを開けると、太陽の光の筋が私のところに一直線に届いている。神に一瞬出会えた気持ちになる。


熊野速玉神社に参拝。熊野三社巡りのうち、那智と速玉に参拝した。残るは、メインイベント、熊野本宮にここから自動車で一時間近くかけて行こうと思う。三島由紀夫ナビで見ていきたい。

しかし熊野川ぞいのドライブは、石ころだらけの難路に、材木を積んだトラックに何度となく行き会い、そのたびに濛々たる埃をかぶって、冷房のおかげで窓を締めているからよいけれども、しみじみと川の眺めを見下ろす余裕もない旅であった。
 むかし本宮は音無川のまん央にあり、壮麗を極めていたが、明治二十二年水害を蒙り、明治二十四年に今の川ぞいの地に移されたのである。
 川むこうにもいろいろの滝があるが、車のゆく道の側に、白見の滝と呼ばれる那智の裏滝を見たことは、先生もわざわざ車を停めて見ようとおっしゃったほどで、常子にとって忘れがたい喜びであった。
見たところは変った滝でもなく、トラックのあげる土埃にすっかり白く染まった草木が、滝のまわりだけつややかに濡れて光っているのが、新鮮な眺めであったが、これがあの巨大な那智の裏側から落ちてくる清らかな水だと思うと、見上げる空から迸り落ちる白い一筋が、尊いものに感じられた。思えば常子も先生のおかげで、きのうの朝は海上から遥かに望み、そのあとでは滝壺にいてそのしぶきを浴び、今日はそのひそかな裏滝を窺うという具合に、心ゆくまで那智の滝に親しむことができたのである。(三島由紀夫著『三熊野詣』)



やがて川の分岐点からさらに熊野川に沿うて西へ進み、山々谷々をわたって湯峰温泉をすぎ、支流の音無川がのびやかな流域を示しはじめるところに、川ぞいの閑雅な社が杜に囲まれて見える。
車を下りた常子は、夏の日に包まれたあたりの野山の美しさに目をみはった。人影も少く、清浄の気に杉の香がまじって、ここが阿弥陀浄土だという言い伝えは、今日のような雑駁な世の中には、却ってまことらしく思われるのもふしぎである。老杉の木立にこもる蝉の声さえ、少しもうるさくなくて、いちめんに貼りつめた赤銅の箔が鳴りひびいているように、しんしんときこえる。
端然とした白木の大鳥居の下をくぐって、下枝まで葉叢のひろがった杉木立のあいだの、玉砂利の参道をゆっくり歩く。日ざかりであるのに、事新しく暑熱を感じることもない。石段の下から見上げれば、空は悉く杉の緑に包まれ、ところどころに幹の高みを染める木洩れ日と、焦茶いろの枯葉を点綴するのみである。
 石段の半ばにその一節を引いた立札があったので、常子は謡曲の「巻絹」を思い出した。




和泉式部の祈願塔。
 和泉式部が熊野参詣を遂げようとはるばる京から熊野にやって来た時,ちょうど月の障りとなりました。式部は,血の穢れゆえ熊野の神への奉幣がかなわないと思い込み,その不運を嘆きつつ,「はれやらぬ身のうきくものたなびきて月のさはりとなるぞかなしき」と歌を詠んで寝た所,その夜の夢に熊野権現が現れ,「もろともにちりにまじわる神なれば月のさはりもなにかくるしき」(「もとよりもちりにまじわる神なれば月のさはりもなにかくるしき」)と式部を慰めたといわれています。

 熊野の神は夢の中で託宣する神として有名ですが,この歌は『風雅和歌集』(南北朝時代成立)に載せられています。この伝承は,熊野権現が女人の不浄を嫌わない事例として時宗の聖たちによって世の中に広められたと思われます(五来重説)。

 このエピソードにちなんで江戸時代の俳人服部嵐雪は「蚋(ぶと)のさすその跡ながらなつかしき」という句を残しています。 

元々音無川の真ん中にあったと本宮神社跡には、日本一の大鳥居ができている。周りは田んぼになっていて、鹿注意という立て看板があった。農作物を荒らすらしい。帰りにこの道を通っていると、休暇村ホテルにいた綺麗な女性が夫らしき男と一緒に歩いてくる。男性は暑い中、しんどそうに無理してついてきているといった風で、しかめっ面をしている。美人の女性と付き合うというのは、案外と大変なことだ。

伊勢神宮 集客力半端ない


1.熊野三社、瀞峡を巡った後、高速道路を利用して、2時間半かけて、伊勢まで戻ってきた。伊勢神宮の鳥居の前で雨が降りだした。傘を近くのお店で買い、有名な宇治橋を渡った。

2.宇治橋を渡り右手の光景である。この道を真っ直ぐ進んで突き当たりを左に行くと、正宮に参拝できる。突然の雨に、カップルの若い男女は、木陰に身を寄せて、雨宿りをしている。それでも雨をしばらく浴びたため、身体の起伏がハッキリしていて色気を放っていた。

3、木の幹が太くて丸みを帯びている。神域の木々を大切にお守りしてきた姿であろう。何世代も昔から、大事にしてきたものなのであり、その愛に触れたような気がしてほっこりした。

4、ついに正宮の前にきた。この階段を昇っていく天皇の姿がテレビの一コマで必ず取り上げられる。階段から写真撮影はNGということだ。鳥居のところにいる警備員が目を光らせている。
5、鳥居をくぐると、いたって粗末な茅葺き屋根と、少年自然の家の林間学校で訪れるような、昔ながらの家といった風情だ。20年に一度の式年遷宮があるから、社そのものは、どれも綺麗である。
三島由紀夫の言葉です。
「持統帝以来59回にわたる二十年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであって、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。」

6、木々の幹がどれも丸みを帯びて美しく、神秘的ですらある。多くを訪れる皆の目によって磨かれてきたようで、人の魂が宿っているかにも思える。

7、神苑の外れの橋を渡ったところに風日祈宮(かざひのみのみや)がある。風の神をまつぐ別宮である。鎌倉時代元寇の時、神風を吹かせて日本を守った神ということだ。
こちらも粗末な掘っ立て小屋のようで、牛や馬を飼っていてもおかしくない風情であるが、昔からの伝統を引き継ぐということ、この形体を祈ってきた日本人の歴史に思いをはせる。

8、風日祈宮の参拝を終える。鳥居からみて左方に小さな小屋がある。そこに警備員がテロ対策なのか、真剣な表情で参拝客の一挙手一投足を監視している。韓国との不仲が続いているから、テロの可能性があるのだろうかと考える。

9、おはらい町を歩いてみる。職場の方へのお土産のまんじゅうや煎餅を買うように店を回ってみた。喜久屋は先ほど傘を買ったところ。

10、おかげ横丁の入口らしい。皆が想像するような江戸時代という町並みに合わせて造られたレトロティックな郷愁を誘う。画面右スレスレの女性も傘を持たずに雷雨にやられて、身体の起伏がエロティックな趣を呈している。

11、まるごと果実を買ってみた。中にある種をくりぬき、専用のミキサーでかき混ぜ、ストローをさして飲んでみるというもの。飲む量はほとんどないけど、観光気分に浸れるということでこれだけ売れるものだ。この果実を持つだけで、なぜか嬉しいオレンジの果実というものだ。

那智大社で神の実在を信じた!

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1,車は那智のお社の鳥居の前に着き、二人は冷房の車を下りて、面へいきなり吹きつける暑熱の気によろめきながら、杉木立の木漏れ日が熱い雪のように霏々と落ちている参道の石段を下りはじめた。
(三熊野詣より)



2.今や那智の滝は眼前にあった。岩に一本立てられた金の御幣が、遠い飛沫を浴びて燦爛とかがやき、凜々しく滝に立ち向っているようなその黄金の姿は、おびただしく焚いた薬仙香の煙に隠見している。
 宮司がすぐ先生を見て寄って来て、恭しくご機嫌を伺い、一般の人には、落石の危険のために入ることを禁じられている滝壺間近へ、二人を案内した。朱塗りの門の、大きな錠は、錆びついていてなかなか開かなかったが、その門を入ると路は岩の上を危うく伝わり、滝壺のすぐそばまで行くのである。
 ようやく岩の平らなところに座を占めた常子は、霧のような飛沫を快く感じながら、自分の胸へ落ちかかるほどに近い大滝を振り仰いだ。
 それはもはや処女のようではなく、猛々しい巨大な神だった。
 磨き上げられた鏡のような岩壁を、滝はたえず白煙を滑り降ろし、滝口の空高く、夏雲がまばゆい額をのぞかせ、一本の枯杉が鋭い針を青空の目へ刺している。その白い水煙は、半ばあたりから岩につきあたって、千々に乱れ、じっと見ているうちに、岩壁が崩れて、こちらへ迫り出してきて、落ちかかってくるような気がする。又、少し顔を傾けて横から見ると、水と岩のぶつかる部分部分が、あたかも泉を一せいに噴き出しているようにも思われる。
 岩壁と滝とは、下半分はほとんど接していないから、滝の影がその岩の鏡面を、走り動いているのが明瞭に見える。
 滝はその周辺に風を呼んでいる。近くの山腹の草木や笹はたえず風にそよぎ、しぶきを浴びている葉は、危険なほど鋭敏に光る。さやめく雑木が、葉叢のまわりに日光の縁取りをして、狂ったようにみえるさまは又なく美しい。『あれは狂女なのだ』と常子は思った。
 常子はいつのまにか耳に馴れて、あたりをとよもす滝の轟音を忘れていた。轟音は却って、静かな深緑の滝壺にじっと見入っているときに耳によみがえってくる。その深い澱みの水面は、驟雨の池のように、笹立つ小波をひろげているにすぎない。
「こんな見事な滝ははじめてでございます」
(三熊野詣)

私はむしょうに那智へ行きたくなった。 
勝浦からタクシーで三十分ばかり、この神の滝は、やや水が乏しく、姿がやや歪んでいたが、高さ百三十三メートル、幅十三メートルの壮麗な全容は、宮司の厚意で特に滝壺のところまで行って、しぶきを浴びながら仰いだとき、ここに古人が神霊の力をみとめたのも尤もだと思わせた。落口は岩壁を離れて水煙になり、その白い煙の征矢が一せいに射かけてくるようで、うしろの岩に、その水の落下の影が動いて映る。中ほどから岩に当って幾筋にもわかれて岩を伝うが、じっと仰いでいると、その光った石英粗面岩の岩壁全体が、こちらへのしかかって、崩れて落ちてくるような気がする。
 滝の横でしじゅうわなないている濡れた草むらを、二、三の黄の蝶がめぐっている。
三島由紀夫 紀行文『熊野路』より)

3、滝の前でも、また、五百段の石段をのぼって達する本社の前でも、煙に願文を託して焚く修験道のなわはしによって、神社でありながら、神前に、香りを抜いた薬仙香をおびただしく焚き、神道護摩の姿を伝えている。明治政府の神仏分離も、この土地の長い神仏混合・本地垂迹の伝統をほろぼすわけには行かなかったらしい。
 熊野信仰の源は、ここの本社那智山熊野権現、新宮の速玉神社、本宮の熊野坐神社、の三つ。いわゆる熊野三山にあるのであるから、私は新宮へ行って速玉神社に詣で、さらにあとで、紀州の旅のをはりを本宮に定め、これでようやく私の愛する中世文学への義理を果したように感じた。
 夏の烈しい日のなかを五百段の石段を昇るのは決して楽ではないし、上り切ったところで若いアンチャンの観光客までが、
「足が動かんようになってしもた」
 などとこぼしているけれど、神社の長い石段は一種の苦行による浄化を意味しているので、楽に上れたらおしまいである。一例が富士山にドライブ・ウエーが通じることは、「楽に登れる」ということだけでも、神聖化のをはりであり、山岳信仰の死なのである。
 苦行の果てにかならずすばらしい風景が待っている。熊野権現の境内からは、山々のあひだに、東の海をわづかに望むが、そこから昇る朝日の荘厳が偲ばれる。西の眼下には生物学者垂涎の的である原始林があり、ここではさまざまの亜熱帯の動植物が育っている。
三島由紀夫 紀行文『熊野路』より)
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それはたくまずして多くの柵が除かれ、あまたの禁忌が解かれた、ふしぎな夏の午前であった。先生にしても、ことさら解かれたわけではなく、めずらしくこういう成行を許すお気持になったのであろう。
 那智御滝の霊光を移した那智大社へ詣でるには、夏の日ざかりを、四百余段の石段を昇って行かなければならない。この石段の昇りの辛さは、春秋でも全身が汗ばむほどであるのに、まして盛夏のこんな時刻にあえてのぼろうとする人は数えるほどしかいない。近ごろの若い人は足弱と見えて、はじめの数十段で、もう音を上げている若い男女を、常子がおかしく眺めているうちはよかったが、最初の茶屋をすぎるころには、常子自身も怪しくなった。
 先生は茶屋にも寄られず、常子にも手をとらせず、黙々と昇ってゆかれる。どこにこんな強靱なお力がひそんでいたのかとおどろくほどである。背広の上着は常子が持って差し上げたが、杖も買われず、袴のようにひろいズボンにはらむ風もない照り返しの中を、ひどい撫で肩を前に傾けて、ゆらゆらと柳のような足運びを、執拗に次の段次の段へと移される。すでにシャツの背は汗まみれで、扇を使われる暇もなく、握りしめたハンカチでしたたる額の汗をお拭きになるのがせい一杯である。頭を垂れ、白い石段のおもてをじっと見つめながら、苦行をつづけておられる先生の横顔は、いかにも孤独な学究生活の御生涯を語るようで尊げであるが、同時に、いつもの先生の癖で、そういう孤立無援の苦しみを人に見せつけようとしておられるところも仄見える。見るに耐えない眺めであるが、そのなかに、丁度海水を蒸留して得た潮のような、些少の崇高さがきらめいている。
 これを窺う常子も、おのずから先生に対して弱音を吐くことはできない立場に置かれた。心臓が喉元へ突き上げて来るようで、歩き馴れない膝は痛み、脛は痛み、足は次第に雲を踏むように覚束なくなる。それに何という、地獄のような暑熱であろう。目もくらめき、気を失わんばかりの疲労の底から、やがて、砂地に湧き出る水のような、浄いものが溢れてきた。先生がさっき車中で話された熊野の浄土の幻が、こういう苦難の果てに、はじめて実感を以て浮んでくるように思われる。それは緑の涼しい木陰に守られた幽暗な国である。そこではすでに汗もなければ、胸の苦しみもない。
 そこではもしかすると、……と一つの考えが心に生れたとき、それを杖として縋って、登りつづける勇気が常子に生れた。そこではもしかすると、先生と自分がすべての繋縛を解き放って、清らかなままに結ばれる定めが用意されているのかもしれない。十年間、心の隅にさえ浮かべたことのない望みであるが、尊敬をとおして、尋常でない神々しい愛が、どこかの山ふところに、古い杉の下かげに宿っているのを、夢みたことがあるような気がする。それは世のつねのありきたりの男女の愛のようなものであってはならない。見かけの美しさを誇示し合うような凡庸な愛である筈もない。先生と自分は、透明な光の二柱になって、地上の人間を蔑むことのできるような場所で相会うのだ。その場所が、今息を切らせてのぼる石段の先にあるのかもしれない。
 あたりの蝉の声も耳に入らず、石段の左右の杉木立の緑も目に入らず、常子はただ頭上から直下に照りつける日の、それ自体が目まいのような光りを項に感じながら、いつしか光かがやく雲の上をよろめき歩くような心地になった。
(三熊野詣)
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枝垂桜の木と根元近くに鴉岩

初代天皇神武天皇那智まで案内したとされる鴉が、岩となって今日まで残っている。鴉岩は、皆、携帯で写真を撮っていく。

玉砂利の袋を神主さんから渡されたので、丁寧に平になるように入れてみた。赤と白がのコントラストが綺麗だ。

――熊野那智大社の境内に達したとき、冷たい手水所の水を髪にふりかけ、咽喉を潤して、ようよう落着いて眺めわたす景色は、浄土ではなくて明るい現実のものであった。
 ひろい眺めは、北の方、烏帽子ヶ岳、光ヶ峯、南の方は妙峯山の山々に囲まれ、死者の髪を納める寺のある妙峯山へゆくバス道路が、下方の針葉樹林のあいだを迂回してゆくのが見えたが、東だけはわずかに海にひらけて、そこからのぼる朝日がどんなに暗い山々を変貌させ、どんなに人々の讃嘆と畏怖の心をそそったかが偲ばれた。それは死の国へひょうと射放たれる赤光の生の矢だった。それはやすやすと、平家物語巻十にいわゆる「大悲擁護の霞」、つねに熊野の山々にたなびいていると云われるけだかい薄霞をも、射貫いたにちがいない。
(三熊野詣)
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 藤宮先生はここでも宮司と昵懇の間柄で、朱塗りの格子門から社の内庭へ案内された。
 ここは夫須美大神(伊邪那美大神)を主神とし、ほかの二山の主神をも併せ祀っていることは、三熊野の共通の特色である。従って内庭まで入ってみれば、滝宮、証誠殿、中御前、西御前(那智大社の御本社)、若宮、八神殿の六つのお宮が、男神女神それぞれの、雄々しさとたおやかさを甍の形まであらわして、居並んでいるのが窺われる。「満山護法」と云うように、まことに熊野の天地には、神々や仏たちがひしめき合って在すのである。
 それらの神殿は夏の日の下に、色濃い杉の裏山を背にして、丹のいろ青のいろの花やかさの限りを尽している。
「どうぞごゆるりと」
 と宮司が二人を残して去ったので、二人は名高い古木の枝垂桜や鴉岩のある内庭を、わがもののように感じた。暑さのために苔もすっかりけば立って、内庭は、神々の午睡の寝息が聴かれるようにしんとしている。
 先生は、朱の玉垣を隔てた六つの神殿の棟を指さして、
「ごらん。あの蛙股の彫刻が、お宮ごとにみなちがうから」
(三熊野詣)

潮騒(神島)は本来の姿を見せている!

鳥羽水族館から歩いて10分ぐらいで、佐田浜港に着いた。マリンターミナルの待合室に座っていると、NHKで大相撲を放映している。やはり国技というもので、日本国中で場所中は毎日放送しているのだから、その位の高さに今更ながら驚く。


待合室で可愛い女子高生が、神島行のフェリーに乗るところだ。後ろの赤いバッグを肩に掛けたおばさんは、孫と食べるはずのフランクフルトを2本、女子高生に渡していた。久しぶりだけど、もう高校生になったんだねと先ほどの待合室で言葉を交わしていた。そのまま2本ペロリと食いあげると、澄ました顔をして悪びれる様子もない。『潮騒』の一節が頭に浮かんできた。

 初枝の父親である照爺が2人の仲を反対し、初枝と新治の恋がうまくいかずに2人は悶々とした日々が続いていた。新治の心情を思うあまり、母親は、無謀とも思える行動にでる。照吉に会って息子の心情を伝え、2人を添わせてやることだ、親同士の話合いのほかに解決の道はない、と考えたのである。しかし、照吉は、会わなかった。母親は、孤独に陥る。
そんなある日、季節ごとに島へやってくる年老いた行商が、海女たちがほしがるハンドバッグを、鮑とり競争の賞品にすることになった。
(第十三章より)
 一番と二番、初江と新治の母親は疲れて充血した目を見交わした。島でもっとも老練な海女がよその土地の海女に仕込まれた練達な少女に敗れたのである。初江は黙って立って、賞品をもらいに、岩のかげへ行った。そしてもって来たのは、中年向の茶いろのハンドバッグである。少女は新治の母親の手にそれを押しつけた。母親の頬は歓びに血の気がさした。
「どうして、わしに……」
「お父さんがいつか、おばさんにすまんこと言うたから、あやまらんならんといつも思うとった。」
「えらい娘っ子や」
 と行商が叫んだ。みんなが口々にほめそやし、厚意をうけるように母親にすすめたので、彼女は茶いろのハンドバッグを丁寧に紙に包み、裸の小わきに抱えて、何の屈託もなく、
「おおきに」
 と礼を言った。母親の率直な心は、少女の謙譲をまっすぐにうけとった。少女は微笑した。息子の嫁えらびは賢明だった、と母親は思った。

上述の写真女を見よ!女子高生は、おばさんの孫をみつめて微笑んでいる。島の政治はいつもこうして行われるのだ。





神島直送のフェリーに乗って25分ぐらいで神島に着いた。答志島を抜けた辺りから四方が海に囲まれ、25メートルしか泳いだことのない私は、落ちることは死を意味すると思った。
「低い船橋ごしに、沖にあらわれる島影を待った。歌島はいつも水平線から、あいまいな、神秘な兜のような形をあらわした。船が波に傾くと、その兜は傾いた。」

 (第一章より)
一人の見知らぬ少女が、「算盤」と呼ばれる頑丈な木の枠を砂に立て、それに身を凭せかけて休んでいた。その枠は、巻揚機で舟を引き上げるとき、舟の底にあてがって、次々と上方へずらして行く道具であるが、少女はその作業を終ったあとで、一息入れているところらしかった。額は汗ばみ、頬は燃えていた。寒い西風はかなり強かったが、少女は作業にほてった顔をそれにさらし、髪をなびかせてたのしんでいるようにみえた。綿入れの袖なしにモンペを穿き、手には汚れた軍手をしている。健康な肌いろは他の女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉は静かである。少女の目は西の海の空をじっと見つめている。そこには黒ずんだ雲の堆積のあいだに、夕日の一点の紅が沈んでいる。

ここが以前、銭湯だった場所らしい。今は喫茶店になっている。
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島で一番綺麗で高く目立っている。三島由紀夫原作の映画の恩恵を十分に受けたのだろう。
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料理は最上級のものにした。とっても豪勢である。脂は少ないけど、鮮度は抜群である。食べきれないほどのご飯で、朝晩残してしまい申し訳ない。

八代神社に向かう階段。
「二百段を一気に昇っても、すこしも波立たない若者の厚い胸は、社の前にあって謙虚に傾いた。」
ゆっくり歩いたけれど、胸が波立ってしょうがない。高校球児だった頃は、駆け足で昇れたかもしれないけど、膝に手を当てて肩で息をするだろう。
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(第三章より)
思い切って、もう一つ十円玉を投げ入れた。庭にひびきわたる拍手の音と共に、新が心に祈ったことはこうである。
「神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように!わたしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事をも熟知し、何事にも熟達した優れた者になれますように!やさしい母とまだ幼い弟の上を護ってくださいますように!海女の季節には、海中の母の体を、どうかさまざまな危険からお護り下さいますように!……それから筋違いのお願いのようですが、いつかわたしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように!……たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような……」

灯台に向かう道だが、残暑の厳しい9月初旬というのもあるのか、蜘蛛の巣が通り道に張られていて、油断していると被ることになる。景色を目で追っていると、耳もとでプーンという音がする。振り返ると、都会にはいないような大きい蜂が通り過ぎる。昆虫、鳥が皆大きくて、落ち着かない気持ちにさせる。クロアゲハが2匹草原から挨拶代わりに姿を現した。
黒くて大きな蝶に、母親が問いかける場面があったけれど、変に生々しく、その島での生活感が呼び起こされてくる。
(第12章より)
母親は一羽の蝶が、ひろげてある網のほうから、気まぐれに突堤へむかってとんでくるのを見た。大きな美しい黒揚羽である。蝶はこの漁具と砂とコンクリートの上に、何か新奇な花を探しに来たのであろうか。漁師の家には庭らしい庭はなく、石で囲まれた小さな道ぞいの花壇があるだけで、蝶はそれらのけちけちした花に愛想を尽かして浜へ下りて来たものらしい。
 突堤の外には波がいつも底土をかきまわすので、萌黄いろの濁りが澱んでいた。波が来るとその濁りは笹くれ立った。母親は蝶がやがて突堤を離れ、濁っている海面近く、羽を休めようとしてまた高く舞い上るのを見た。
『おかしな蝶やな。鷗のまねをしとる』
 と彼女は思った。そおう思うとひどく蝶に気をとられた。
 蝶は高く舞い上り、潮風に逆らって島を離れようとしていた。風はおだやかにみえても、蝶の柔らかい羽にはきつく当った。それでも蝶は島を空高く遠ざかった。母親は蝶が黒い一点になるまで眩ゆい空をみつめた。いつまでも蝶は視界の一角に羽搏いていたが、海のひろさと燦めきに眩惑され、おそらくその目に映っていた隣りの島影の、近そうで遠い距離に絶望して、今度は低く海の上をたゆたいながら突堤まで戻って来た。そして干されている縄のえがく影に、太い結び目のような影を添えて、羽を息めた。
 母親は何の暗示も迷信も信じない女だったが、この蝶の徒労は彼女の心に翳った。
『あほな蝶や。よそへ行こうと思たら、連絡船にとまって行けば楽に行けるのに』
 ところが島の外に何の用もない彼女は、もう何年と連絡船に乗ったことはなかった。
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恋人の聖地に認定された神島灯台に到着。
灯台官舎の窓枠に蜘蛛の巣がびっちりいて、人が通らなくなるほど、虫や動物の住処になっていくのは致し方ない。これが元々の神島の素顔なのだろう。

(第2章)
山に遮られた島の南側には風がなかった。日に照らされた太平洋は一望の裡にあった。断崖の松の下には、鵜の糞に染った白い岩角がそびえ、島にちかい海は海底の荒布のために黒褐色を呈していた。怒濤がしぶきを立てて打ちかかる高い岩の一つを、新治は指さして説明した。
「あれが黒島や。鈴木巡査があそこで魚釣りしとって、波にさらわれたんや」
こうして新治は十分幸福だったが、初江が燈台長の家へ行かなければならない時刻が迫っていた。初江はコンクリートの縁から身を離して、新治の方を向いて言った。
「私、もう行きます」
新治は答えずに、おどろいたような顔をした。初江の赤いセエタアの胸に、黒い一線が横ざまに引かれていたからである。
初江は気がついて、今まで丁度胸のことろで凭れていたコンクリートの縁が、黒く汚れているのを見た。うつむいて、自分の胸を平手で叩いた。ほとんど固い支えを隠していたかのようなセエタアの小高い盛上りは、乱暴に叩かれて微妙に揺れた。新治は感心してそれを眺めた。乳房はその運動の弾力のある柔らかさに感動した。はたかれた黒い一線の汚れは落ちた。




潮騒より)デキ王子の伝説は模糊としていた。デキというその奇妙な御名さえ何語とも知れなかった。六十歳以上の老人夫婦によって旧正月に行われる古式の祭事には、ふしぎな箱をちらとあけて、中なる笏のようなものを窺わせたが、その秘密の宝が王子とどういう関わりがあるのかわからなかった。一昔前までこの島の子が母をさしてエヤと呼んでいたのは、王子が「部屋」と妻を呼んだのを、幼い御子がエヤと訛って呼びはじめたのに起るという。
 とまれ古い昔にどこかの遥かな国の王子が、黄金の船に乗ってこの島に流れついた。王子は島の娘を娶り、死んだのちは陵に埋められたのである。王子の生涯が何の口碑も残さず、附会され仮託されがちなどんな悲劇的な物語もその王子に託されて語られなかったということは、たとえこの伝説が事実であったにしろ、おそらく歌島での王子の生涯が、物語を生む余地もないほどに幸福なものだったということを暗示する。
 多分デキ王子は、知られざる土地に天降った天使であった。王子は地上の生涯を、世に知られることもなく送ったが、追っても追っても幸福と天寵は彼の身を離れなかった。そこでその屍は何の物語も残さずに、美しい古里の浜と八丈ヶ島を見下ろす陵に埋められたのである。
 ――しかし不幸な若者は祠のほとりをさすらい、疲れると草の上につくねんと坐って膝を抱き、月にてらされた海を眺めた。月は暈をかぶり、あしたの雨をしらせていた。

潮騒より)その古里の浜は岬の西側に、島でも一番美しい海岸線をえがいていた。浜の中央には八丈ヶ島とよばれる二階建の一軒の家ほどの巨岩がそびえ立ち、その頂きにはびこった這松のかたわらに、四五人の悪戯小僧が何か叫びながら手を振っていた。
三人も手を振ってこれにこたえた。かれらのゆく小径のまわりには、松の木の間のやわらかな草生のところどころに、赤いげんげの花が群がって咲いていた。



(潮騒より)古里の浜に大きな亀が上ったのである。亀はすぐ殺され、その卵がバケツに一杯もとれた。卵は一個二円で売り捌かれた。

鳥羽発神島行の船のデッキで、日焼けした4人の若い男が、ビールを飲みながら騒いでいた。三島由紀夫潮騒創作ノートにこうある。
◎議論
「愛情と友情について」「恋愛と結婚について」「食塩注射と同じ位の大きさの葡萄糖注射あるか」(いやブドウ糖50㏄以上打ったらアカン)言いとおしたものが勝ち。
船上の漁師たちも、とめどない話であるが、酔いにまかせて盛りあがっている。
きっと、三島は神島での生活で島で暮らす人達のことが好きになって、その思いが作品に投影されているから、名作として今も読み継がれているのだろう。『潮騒』は神島へのラブレターと言えるのではないか!

「昔は洗濯物を持ってきて、ここで踏んで洗っとった。水量はこんなもんだったよ」年配の女性の言葉。「寺田さんのお母さんは、今、島を離れて、娘さんのところに行っているみたいじゃけどね」
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三島由紀夫が滞在した寺田邸。この後、午前8時の鳥羽行のフェリーに乗った。

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