鳥羽水族館から歩いて10分ぐらいで、佐田浜港に着いた。マリンターミナルの待合室に座っていると、NHKで大相撲を放映している。やはり国技というもので、日本国中で場所中は毎日放送しているのだから、その位の高さに今更ながら驚く。
待合室で可愛い女子高生が、神島行のフェリーに乗るところだ。後ろの赤いバッグを肩に掛けたおばさんは、孫と食べるはずのフランクフルトを2本、女子高生に渡していた。久しぶりだけど、もう高校生になったんだねと先ほどの待合室で言葉を交わしていた。そのまま2本ペロリと食いあげると、澄ました顔をして悪びれる様子もない。『潮騒』の一節が頭に浮かんできた。
初枝の父親である照爺が2人の仲を反対し、初枝と新治の恋がうまくいかずに2人は悶々とした日々が続いていた。新治の心情を思うあまり、母親は、無謀とも思える行動にでる。照吉に会って息子の心情を伝え、2人を添わせてやることだ、親同士の話合いのほかに解決の道はない、と考えたのである。しかし、照吉は、会わなかった。母親は、孤独に陥る。
そんなある日、季節ごとに島へやってくる年老いた行商が、海女たちがほしがるハンドバッグを、鮑とり競争の賞品にすることになった。
(第十三章より)
一番と二番、初江と新治の母親は疲れて充血した目を見交わした。島でもっとも老練な海女がよその土地の海女に仕込まれた練達な少女に敗れたのである。初江は黙って立って、賞品をもらいに、岩のかげへ行った。そしてもって来たのは、中年向の茶いろのハンドバッグである。少女は新治の母親の手にそれを押しつけた。母親の頬は歓びに血の気がさした。
「どうして、わしに……」
「お父さんがいつか、おばさんにすまんこと言うたから、あやまらんならんといつも思うとった。」
「えらい娘っ子や」
と行商が叫んだ。みんなが口々にほめそやし、厚意をうけるように母親にすすめたので、彼女は茶いろのハンドバッグを丁寧に紙に包み、裸の小わきに抱えて、何の屈託もなく、
「おおきに」
と礼を言った。母親の率直な心は、少女の謙譲をまっすぐにうけとった。少女は微笑した。息子の嫁えらびは賢明だった、と母親は思った。
上述の写真女を見よ!女子高生は、おばさんの孫をみつめて微笑んでいる。島の政治はいつもこうして行われるのだ。
神島直送のフェリーに乗って25分ぐらいで神島に着いた。答志島を抜けた辺りから四方が海に囲まれ、25メートルしか泳いだことのない私は、落ちることは死を意味すると思った。
「低い船橋ごしに、沖にあらわれる島影を待った。歌島はいつも水平線から、あいまいな、神秘な兜のような形をあらわした。船が波に傾くと、その兜は傾いた。」
(第一章より)
一人の見知らぬ少女が、「算盤」と呼ばれる頑丈な木の枠を砂に立て、それに身を凭せかけて休んでいた。その枠は、巻揚機で舟を引き上げるとき、舟の底にあてがって、次々と上方へずらして行く道具であるが、少女はその作業を終ったあとで、一息入れているところらしかった。額は汗ばみ、頬は燃えていた。寒い西風はかなり強かったが、少女は作業にほてった顔をそれにさらし、髪をなびかせてたのしんでいるようにみえた。綿入れの袖なしにモンペを穿き、手には汚れた軍手をしている。健康な肌いろは他の女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉は静かである。少女の目は西の海の空をじっと見つめている。そこには黒ずんだ雲の堆積のあいだに、夕日の一点の紅が沈んでいる。
ここが以前、銭湯だった場所らしい。今は喫茶店になっている。
島で一番綺麗で高く目立っている。三島由紀夫原作の映画の恩恵を十分に受けたのだろう。
料理は最上級のものにした。とっても豪勢である。脂は少ないけど、鮮度は抜群である。食べきれないほどのご飯で、朝晩残してしまい申し訳ない。
八代神社に向かう階段。
「二百段を一気に昇っても、すこしも波立たない若者の厚い胸は、社の前にあって謙虚に傾いた。」
ゆっくり歩いたけれど、胸が波立ってしょうがない。高校球児だった頃は、駆け足で昇れたかもしれないけど、膝に手を当てて肩で息をするだろう。
(第三章より)
思い切って、もう一つ十円玉を投げ入れた。庭にひびきわたる拍手の音と共に、新が心に祈ったことはこうである。
「神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように!わたしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事をも熟知し、何事にも熟達した優れた者になれますように!やさしい母とまだ幼い弟の上を護ってくださいますように!海女の季節には、海中の母の体を、どうかさまざまな危険からお護り下さいますように!……それから筋違いのお願いのようですが、いつかわたしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように!……たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような……」
灯台に向かう道だが、残暑の厳しい9月初旬というのもあるのか、蜘蛛の巣が通り道に張られていて、油断していると被ることになる。景色を目で追っていると、耳もとでプーンという音がする。振り返ると、都会にはいないような大きい蜂が通り過ぎる。昆虫、鳥が皆大きくて、落ち着かない気持ちにさせる。クロアゲハが2匹草原から挨拶代わりに姿を現した。
黒くて大きな蝶に、母親が問いかける場面があったけれど、変に生々しく、その島での生活感が呼び起こされてくる。
(第12章より)
母親は一羽の蝶が、ひろげてある網のほうから、気まぐれに突堤へむかってとんでくるのを見た。大きな美しい黒揚羽である。蝶はこの漁具と砂とコンクリートの上に、何か新奇な花を探しに来たのであろうか。漁師の家には庭らしい庭はなく、石で囲まれた小さな道ぞいの花壇があるだけで、蝶はそれらのけちけちした花に愛想を尽かして浜へ下りて来たものらしい。
突堤の外には波がいつも底土をかきまわすので、萌黄いろの濁りが澱んでいた。波が来るとその濁りは笹くれ立った。母親は蝶がやがて突堤を離れ、濁っている海面近く、羽を休めようとしてまた高く舞い上るのを見た。
『おかしな蝶やな。鷗のまねをしとる』
と彼女は思った。そおう思うとひどく蝶に気をとられた。
蝶は高く舞い上り、潮風に逆らって島を離れようとしていた。風はおだやかにみえても、蝶の柔らかい羽にはきつく当った。それでも蝶は島を空高く遠ざかった。母親は蝶が黒い一点になるまで眩ゆい空をみつめた。いつまでも蝶は視界の一角に羽搏いていたが、海のひろさと燦めきに眩惑され、おそらくその目に映っていた隣りの島影の、近そうで遠い距離に絶望して、今度は低く海の上をたゆたいながら突堤まで戻って来た。そして干されている縄のえがく影に、太い結び目のような影を添えて、羽を息めた。
母親は何の暗示も迷信も信じない女だったが、この蝶の徒労は彼女の心に翳った。
『あほな蝶や。よそへ行こうと思たら、連絡船にとまって行けば楽に行けるのに』
ところが島の外に何の用もない彼女は、もう何年と連絡船に乗ったことはなかった。
恋人の聖地に認定された神島灯台に到着。
灯台官舎の窓枠に蜘蛛の巣がびっちりいて、人が通らなくなるほど、虫や動物の住処になっていくのは致し方ない。これが元々の神島の素顔なのだろう。
(第2章)
山に遮られた島の南側には風がなかった。日に照らされた太平洋は一望の裡にあった。断崖の松の下には、鵜の糞に染った白い岩角がそびえ、島にちかい海は海底の荒布のために黒褐色を呈していた。怒濤がしぶきを立てて打ちかかる高い岩の一つを、新治は指さして説明した。
「あれが黒島や。鈴木巡査があそこで魚釣りしとって、波にさらわれたんや」
こうして新治は十分幸福だったが、初江が燈台長の家へ行かなければならない時刻が迫っていた。初江はコンクリートの縁から身を離して、新治の方を向いて言った。
「私、もう行きます」
新治は答えずに、おどろいたような顔をした。初江の赤いセエタアの胸に、黒い一線が横ざまに引かれていたからである。
初江は気がついて、今まで丁度胸のことろで凭れていたコンクリートの縁が、黒く汚れているのを見た。うつむいて、自分の胸を平手で叩いた。ほとんど固い支えを隠していたかのようなセエタアの小高い盛上りは、乱暴に叩かれて微妙に揺れた。新治は感心してそれを眺めた。乳房はその運動の弾力のある柔らかさに感動した。はたかれた黒い一線の汚れは落ちた。
(潮騒より)デキ王子の伝説は模糊としていた。デキというその奇妙な御名さえ何語とも知れなかった。六十歳以上の老人夫婦によって旧正月に行われる古式の祭事には、ふしぎな箱をちらとあけて、中なる笏のようなものを窺わせたが、その秘密の宝が王子とどういう関わりがあるのかわからなかった。一昔前までこの島の子が母をさしてエヤと呼んでいたのは、王子が「部屋」と妻を呼んだのを、幼い御子がエヤと訛って呼びはじめたのに起るという。
とまれ古い昔にどこかの遥かな国の王子が、黄金の船に乗ってこの島に流れついた。王子は島の娘を娶り、死んだのちは陵に埋められたのである。王子の生涯が何の口碑も残さず、附会され仮託されがちなどんな悲劇的な物語もその王子に託されて語られなかったということは、たとえこの伝説が事実であったにしろ、おそらく歌島での王子の生涯が、物語を生む余地もないほどに幸福なものだったということを暗示する。
多分デキ王子は、知られざる土地に天降った天使であった。王子は地上の生涯を、世に知られることもなく送ったが、追っても追っても幸福と天寵は彼の身を離れなかった。そこでその屍は何の物語も残さずに、美しい古里の浜と八丈ヶ島を見下ろす陵に埋められたのである。
――しかし不幸な若者は祠のほとりをさすらい、疲れると草の上につくねんと坐って膝を抱き、月にてらされた海を眺めた。月は暈をかぶり、あしたの雨をしらせていた。
(潮騒より)その古里の浜は岬の西側に、島でも一番美しい海岸線をえがいていた。浜の中央には八丈ヶ島とよばれる二階建の一軒の家ほどの巨岩がそびえ立ち、その頂きにはびこった這松のかたわらに、四五人の悪戯小僧が何か叫びながら手を振っていた。
三人も手を振ってこれにこたえた。かれらのゆく小径のまわりには、松の木の間のやわらかな草生のところどころに、赤いげんげの花が群がって咲いていた。
(潮騒より)古里の浜に大きな亀が上ったのである。亀はすぐ殺され、その卵がバケツに一杯もとれた。卵は一個二円で売り捌かれた。
鳥羽発神島行の船のデッキで、日焼けした4人の若い男が、ビールを飲みながら騒いでいた。三島由紀夫の潮騒創作ノートにこうある。
◎議論
「愛情と友情について」「恋愛と結婚について」「食塩注射と同じ位の大きさの葡萄糖注射あるか」(いやブドウ糖50㏄以上打ったらアカン)言いとおしたものが勝ち。
船上の漁師たちも、とめどない話であるが、酔いにまかせて盛りあがっている。
きっと、三島は神島での生活で島で暮らす人達のことが好きになって、その思いが作品に投影されているから、名作として今も読み継がれているのだろう。『潮騒』は神島へのラブレターと言えるのではないか!
「昔は洗濯物を持ってきて、ここで踏んで洗っとった。水量はこんなもんだったよ」年配の女性の言葉。「寺田さんのお母さんは、今、島を離れて、娘さんのところに行っているみたいじゃけどね」
三島由紀夫が滞在した寺田邸。この後、午前8時の鳥羽行のフェリーに乗った。