1,車は那智のお社の鳥居の前に着き、二人は冷房の車を下りて、面へいきなり吹きつける暑熱の気によろめきながら、杉木立の木漏れ日が熱い雪のように霏々と落ちている参道の石段を下りはじめた。
(三熊野詣より)
2.今や那智の滝は眼前にあった。岩に一本立てられた金の御幣が、遠い飛沫を浴びて燦爛とかがやき、凜々しく滝に立ち向っているようなその黄金の姿は、おびただしく焚いた薬仙香の煙に隠見している。
宮司がすぐ先生を見て寄って来て、恭しくご機嫌を伺い、一般の人には、落石の危険のために入ることを禁じられている滝壺間近へ、二人を案内した。朱塗りの門の、大きな錠は、錆びついていてなかなか開かなかったが、その門を入ると路は岩の上を危うく伝わり、滝壺のすぐそばまで行くのである。
ようやく岩の平らなところに座を占めた常子は、霧のような飛沫を快く感じながら、自分の胸へ落ちかかるほどに近い大滝を振り仰いだ。
それはもはや処女のようではなく、猛々しい巨大な神だった。
磨き上げられた鏡のような岩壁を、滝はたえず白煙を滑り降ろし、滝口の空高く、夏雲がまばゆい額をのぞかせ、一本の枯杉が鋭い針を青空の目へ刺している。その白い水煙は、半ばあたりから岩につきあたって、千々に乱れ、じっと見ているうちに、岩壁が崩れて、こちらへ迫り出してきて、落ちかかってくるような気がする。又、少し顔を傾けて横から見ると、水と岩のぶつかる部分部分が、あたかも泉を一せいに噴き出しているようにも思われる。
岩壁と滝とは、下半分はほとんど接していないから、滝の影がその岩の鏡面を、走り動いているのが明瞭に見える。
滝はその周辺に風を呼んでいる。近くの山腹の草木や笹はたえず風にそよぎ、しぶきを浴びている葉は、危険なほど鋭敏に光る。さやめく雑木が、葉叢のまわりに日光の縁取りをして、狂ったようにみえるさまは又なく美しい。『あれは狂女なのだ』と常子は思った。
常子はいつのまにか耳に馴れて、あたりをとよもす滝の轟音を忘れていた。轟音は却って、静かな深緑の滝壺にじっと見入っているときに耳によみがえってくる。その深い澱みの水面は、驟雨の池のように、笹立つ小波をひろげているにすぎない。
「こんな見事な滝ははじめてでございます」
(三熊野詣)
私はむしょうに那智へ行きたくなった。
勝浦からタクシーで三十分ばかり、この神の滝は、やや水が乏しく、姿がやや歪んでいたが、高さ百三十三メートル、幅十三メートルの壮麗な全容は、宮司の厚意で特に滝壺のところまで行って、しぶきを浴びながら仰いだとき、ここに古人が神霊の力をみとめたのも尤もだと思わせた。落口は岩壁を離れて水煙になり、その白い煙の征矢が一せいに射かけてくるようで、うしろの岩に、その水の落下の影が動いて映る。中ほどから岩に当って幾筋にもわかれて岩を伝うが、じっと仰いでいると、その光った石英粗面岩の岩壁全体が、こちらへのしかかって、崩れて落ちてくるような気がする。
滝の横でしじゅうわなないている濡れた草むらを、二、三の黄の蝶がめぐっている。
(三島由紀夫 紀行文『熊野路』より)
3、滝の前でも、また、五百段の石段をのぼって達する本社の前でも、煙に願文を託して焚く修験道のなわはしによって、神社でありながら、神前に、香りを抜いた薬仙香をおびただしく焚き、神道護摩の姿を伝えている。明治政府の神仏分離も、この土地の長い神仏混合・本地垂迹の伝統をほろぼすわけには行かなかったらしい。
熊野信仰の源は、ここの本社那智山熊野権現、新宮の速玉神社、本宮の熊野坐神社、の三つ。いわゆる熊野三山にあるのであるから、私は新宮へ行って速玉神社に詣で、さらにあとで、紀州の旅のをはりを本宮に定め、これでようやく私の愛する中世文学への義理を果したように感じた。
夏の烈しい日のなかを五百段の石段を昇るのは決して楽ではないし、上り切ったところで若いアンチャンの観光客までが、
「足が動かんようになってしもた」
などとこぼしているけれど、神社の長い石段は一種の苦行による浄化を意味しているので、楽に上れたらおしまいである。一例が富士山にドライブ・ウエーが通じることは、「楽に登れる」ということだけでも、神聖化のをはりであり、山岳信仰の死なのである。
苦行の果てにかならずすばらしい風景が待っている。熊野権現の境内からは、山々のあひだに、東の海をわづかに望むが、そこから昇る朝日の荘厳が偲ばれる。西の眼下には生物学者垂涎の的である原始林があり、ここではさまざまの亜熱帯の動植物が育っている。
(三島由紀夫 紀行文『熊野路』より)
それはたくまずして多くの柵が除かれ、あまたの禁忌が解かれた、ふしぎな夏の午前であった。先生にしても、ことさら解かれたわけではなく、めずらしくこういう成行を許すお気持になったのであろう。
那智御滝の霊光を移した那智大社へ詣でるには、夏の日ざかりを、四百余段の石段を昇って行かなければならない。この石段の昇りの辛さは、春秋でも全身が汗ばむほどであるのに、まして盛夏のこんな時刻にあえてのぼろうとする人は数えるほどしかいない。近ごろの若い人は足弱と見えて、はじめの数十段で、もう音を上げている若い男女を、常子がおかしく眺めているうちはよかったが、最初の茶屋をすぎるころには、常子自身も怪しくなった。
先生は茶屋にも寄られず、常子にも手をとらせず、黙々と昇ってゆかれる。どこにこんな強靱なお力がひそんでいたのかとおどろくほどである。背広の上着は常子が持って差し上げたが、杖も買われず、袴のようにひろいズボンにはらむ風もない照り返しの中を、ひどい撫で肩を前に傾けて、ゆらゆらと柳のような足運びを、執拗に次の段次の段へと移される。すでにシャツの背は汗まみれで、扇を使われる暇もなく、握りしめたハンカチでしたたる額の汗をお拭きになるのがせい一杯である。頭を垂れ、白い石段のおもてをじっと見つめながら、苦行をつづけておられる先生の横顔は、いかにも孤独な学究生活の御生涯を語るようで尊げであるが、同時に、いつもの先生の癖で、そういう孤立無援の苦しみを人に見せつけようとしておられるところも仄見える。見るに耐えない眺めであるが、そのなかに、丁度海水を蒸留して得た潮のような、些少の崇高さがきらめいている。
これを窺う常子も、おのずから先生に対して弱音を吐くことはできない立場に置かれた。心臓が喉元へ突き上げて来るようで、歩き馴れない膝は痛み、脛は痛み、足は次第に雲を踏むように覚束なくなる。それに何という、地獄のような暑熱であろう。目もくらめき、気を失わんばかりの疲労の底から、やがて、砂地に湧き出る水のような、浄いものが溢れてきた。先生がさっき車中で話された熊野の浄土の幻が、こういう苦難の果てに、はじめて実感を以て浮んでくるように思われる。それは緑の涼しい木陰に守られた幽暗な国である。そこではすでに汗もなければ、胸の苦しみもない。
そこではもしかすると、……と一つの考えが心に生れたとき、それを杖として縋って、登りつづける勇気が常子に生れた。そこではもしかすると、先生と自分がすべての繋縛を解き放って、清らかなままに結ばれる定めが用意されているのかもしれない。十年間、心の隅にさえ浮かべたことのない望みであるが、尊敬をとおして、尋常でない神々しい愛が、どこかの山ふところに、古い杉の下かげに宿っているのを、夢みたことがあるような気がする。それは世のつねのありきたりの男女の愛のようなものであってはならない。見かけの美しさを誇示し合うような凡庸な愛である筈もない。先生と自分は、透明な光の二柱になって、地上の人間を蔑むことのできるような場所で相会うのだ。その場所が、今息を切らせてのぼる石段の先にあるのかもしれない。
あたりの蝉の声も耳に入らず、石段の左右の杉木立の緑も目に入らず、常子はただ頭上から直下に照りつける日の、それ自体が目まいのような光りを項に感じながら、いつしか光かがやく雲の上をよろめき歩くような心地になった。
(三熊野詣)
枝垂桜の木と根元近くに鴉岩
初代天皇の神武天皇を那智まで案内したとされる鴉が、岩となって今日まで残っている。鴉岩は、皆、携帯で写真を撮っていく。
玉砂利の袋を神主さんから渡されたので、丁寧に平になるように入れてみた。赤と白がのコントラストが綺麗だ。
――熊野那智大社の境内に達したとき、冷たい手水所の水を髪にふりかけ、咽喉を潤して、ようよう落着いて眺めわたす景色は、浄土ではなくて明るい現実のものであった。
ひろい眺めは、北の方、烏帽子ヶ岳、光ヶ峯、南の方は妙峯山の山々に囲まれ、死者の髪を納める寺のある妙峯山へゆくバス道路が、下方の針葉樹林のあいだを迂回してゆくのが見えたが、東だけはわずかに海にひらけて、そこからのぼる朝日がどんなに暗い山々を変貌させ、どんなに人々の讃嘆と畏怖の心をそそったかが偲ばれた。それは死の国へひょうと射放たれる赤光の生の矢だった。それはやすやすと、平家物語巻十にいわゆる「大悲擁護の霞」、つねに熊野の山々にたなびいていると云われるけだかい薄霞をも、射貫いたにちがいない。
(三熊野詣)
藤宮先生はここでも宮司と昵懇の間柄で、朱塗りの格子門から社の内庭へ案内された。
ここは夫須美大神(伊邪那美大神)を主神とし、ほかの二山の主神をも併せ祀っていることは、三熊野の共通の特色である。従って内庭まで入ってみれば、滝宮、証誠殿、中御前、西御前(那智大社の御本社)、若宮、八神殿の六つのお宮が、男神女神それぞれの、雄々しさとたおやかさを甍の形まであらわして、居並んでいるのが窺われる。「満山護法」と云うように、まことに熊野の天地には、神々や仏たちがひしめき合って在すのである。
それらの神殿は夏の日の下に、色濃い杉の裏山を背にして、丹のいろ青のいろの花やかさの限りを尽している。
「どうぞごゆるりと」
と宮司が二人を残して去ったので、二人は名高い古木の枝垂桜や鴉岩のある内庭を、わがもののように感じた。暑さのために苔もすっかりけば立って、内庭は、神々の午睡の寝息が聴かれるようにしんとしている。
先生は、朱の玉垣を隔てた六つの神殿の棟を指さして、
「ごらん。あの蛙股の彫刻が、お宮ごとにみなちがうから」
(三熊野詣)