
20年ぶりに訪れた母校で、すべてが消えていた
20年ぶりに、私は母校を訪れた。
だが、そこにあったはずの風景は、もうどこにもなかった。
建物はすべて取り壊され、新しい校舎に変わっていた。
まるで、自分の過去そのものが、
きれいに消去されてしまったかのようだった。
大学時代、私は「何もしていなかった」
思い返せば、私の大学生活は、ひどく静かなものだった。
講義の合間は、いつも図書館。
手にしていたのは、三島由紀夫か、太宰治の文庫本。
友人を作ることもなく、
サークルにも入らず、
研究室にも属さず、
ただ、本の中の人間たちと向き合っていた。
現実の人間関係から逃げるように。
ロストジェネ世代の惰性と就職
やがて就職活動の時期が来たが、
私はそこでも「本気」になれなかった。
当時はロストジェネレーション。
時代のせいにするのは簡単だが、
本当は——
自分が人生に主体的でなかっただけかもしれない。
周囲には、いい企業に就職していく者もいた。
だが、競争心すら湧かなかった。
結果、私は惰性で職場を選び、
そのまま今に至る。
そして、なぜか「新宿バルボラ」に向かっていた
母校を後にした私は、
なぜか新宿へ向かっていた。
予約していたのは、「バルボラ」。
指名したのは、美月かりんさん。
正直に言えば、
これは単なる遊びではなかった。
「学生時代に夢見ていた世界」を、金で買おうとしていた
彼女はトリリンガル。
海外留学経験あり。
そして、口コミでも語られる圧倒的な美貌。
そのプロフィールを見たとき、
私は思ってしまった。
これは、かつて自分が“なれなかった世界”そのものではないか
もし大学時代に、
もっと社交的で、
もっと積極的で、
もっと「生きて」いたなら——
出会えていたかもしれない世界。
それを私は、3万円で手に入れようとしていた。
実際に現れた彼女は、想像を超えていた
部屋に入った瞬間、理解した。
「ああ、これは本物だ」と。
顔立ちは女優のように整い、
身体とのバランスも完璧で、
表情の一つ一つが、快感として押し寄せてくる。
ただ見ているだけで、満たされる。
なぜ、こんな女性が“ここにいる”のか
ふと、疑問が浮かぶ。
なぜ、このレベルの女性が、
新宿の一室にいて、3万円で会えるのか。
そしてもう一つ。
なぜ、この人が「すぐ完売しない」のか
景気の問題か。
それとも、人は「本物」を避けるのか。
あるいは——
私のような人間が、それを支えているのか。
彼女の話は、想像以上に「深かった」
彼女はただ美しいだけではなかった。
フィリピンで銃を突きつけられ、
持ち物をすべて奪われた経験。
それでも再び現地へ行き、
スラム街で、アリの這うパンを食べたという話。
その話を聞いたとき、私は思った。
この人は、ただの“綺麗な女性”ではない
強さを持っている。
フィリピン女性と、スーパーで働く彼女たち
彼女は言った。
フィリピンの女性は、強く、優しく、働き者で、
どんなに貧しくても希望を失わない。
その言葉を聞いて、私はふと、
自分の職場の光景を思い出した。
スーパーで働く、フィリピンの女性たち。
彼女たちの笑顔。
その明るさ。
あれは、同じものだったのかもしれない。
「一期一会」という言葉の重み
彼女は言った。
「一期一会を大切にしている」と。
その言葉通り、
私との時間を丁寧に扱ってくれた。
だが同時に、
この仕事ゆえの苦しみも語ってくれた。
ストーカーの恐怖。
男性が想像する以上に、
それは現実的で、生々しいものだった。
そして私は、20年前の“彼女”に手紙を出した
その日の帰り道、
私は大学のポストから、手紙を出した。
20年前、ほんの少し話しただけの女性へ。
おそらく、届く確率は50%。
届いたとしても、
彼女はどう思うだろうか。
怖いと思うかもしれない。
不審に思うかもしれない。
それでも——
どうしても、書かずにはいられなかった。
なぜ、こんな行動をしてしまうのか
考えてみれば、
今回の出来事は、すべて繋がっている。
・大学時代の孤独
・何もしなかった後悔
・叶わなかった可能性
・そして、美月かりんという存在
すべてが重なって、
私は動いてしまったのだと思う。
あの時間は、「恋」だったのかもしれない
彼女との時間は、
単なるサービスではなかった。
少なくとも、私にとっては。
それは、
過去の自分を、ほんの少し救う時間だった
そして同時に——
叶わなかった人生への、短い“恋”だった
終わりに
人は、過去をやり直すことはできない。
だが、過去と向き合うことはできる。
20年ぶりの母校と、
新宿の一室で出会った女性。
その二つは、
私の中で確かにつながっていた。
コメント