最近、少し疲れていた。
仕事のこと。
将来のこと。
恋愛のこと。
気づけば、自分が何のために毎日働いているのか、わからなくなりかけていた。
誰かを愛したい気持ちはある。
けれど、その先にある生活、責任、お金、家族の問題を考えると、足がすくむ。
若い頃のように、「好きだから」で飛び込めなくなっている自分がいた。
そんなある日、私は上野へ向かった。
目的は、葛飾北斎の描いた吉原絵図を見るためだった。
絵の中には、大勢の人々に紛れるように、小さく赤い衣をまとった花魁の姿が描かれていた。
ほんの小さな存在なのに、なぜかその赤だけが妙に心に残った。
江戸の男たちもまた、何かを抱えて吉原へ向かったのだろうか。
仕事に疲れ、人生に迷い、孤独を抱えながら、それでもほんの一夜、自分を忘れたかったのだろうか。
そんなことを考えながら、美術館を後にし、私は吉原ルーブルへ向かった。
そして、不思議な偶然が待っていた。
その日、イクさんが身にまとっていたのも、鮮やかな赤いドレスだったのである。
まるで、北斎の絵の中の赤が、そのまま現代へ抜け出してきたようだった。
江戸の吉原と、令和の吉原。
その二つが、一本の赤い糸で静かにつながったような気がした。
イクさんは、女優のように整った顔立ちをしている。
けれど、本当に印象に残ったのは、外見以上に、その空気だった。
男の弱さも、欲望も、情けなさも、責めることなく自然に受け止めてくれる。
こちらが無理に格好をつけなくてもいい、あの安心感。
肩を寄せながら話してくれる時の距離感。
お風呂場で振り向きざまにくれた、不意打ちのキス。
耳にやさしく残る、上品な大阪弁。
どの瞬間も、まるでドラマのワンシーンのようだった。
私はこれまで、人生の節目ごとに吉原を訪れてきた。
転職した時。
昇進した時。
失恋した時。
ただ快楽を求めていたわけではない。
もう一度、自分を奮い立たせるためだったのかもしれない。
イクさんと過ごした時間のあと、不思議と足取りが軽くなっていた。
心にまとわりついていた迷いや雑念が、少しほどけていた。
乾いていた心に、もう一度、赤い血が通い始めたような感覚だった。
帰り道、私は上野で見た北斎の花魁を思い出していた。
あの時代の男たちもきっと、同じように弱さを抱えながら、あの灯の下へ向かったのだろう。
時代は変わっても、人の孤独は、案外変わらない。
北斎の絵の中で小さく灯っていた赤は、あの夜、イクさんの赤いドレスの中で、もう一度私の前に現れた。
そう思うと、吉原という場所は、ただの歓楽街ではなく、弱った男がもう一度人生へ戻るための、ひとつの灯なのかもしれない。

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