
The Great Beautyを観終わったあと、不思議な感覚が残った。
美しい映画だった。
しかし、ただ「美しい」で終わる映画ではない。
むしろ、人生の終盤に差しかかった男が、俗世にまみれながらも、それでも忘れられない“最初の美”を追い続ける映画だったように思う。
主人公ジェップは、六十五歳。
ローマ社交界の中心にいる有名作家であり、知性もユーモアもあり、女性を惹きつける術も知っている。
毎晩のようにパーティーへ出かけ、知的な会話を交わし、享楽の中を漂っている。
けれど、その生活のどこにも、本当の充足がない。
ここが、この映画の恐ろしいところだ。
普通なら、
「成功しているのだから満たされているはずだ」
と思う。
しかし、この映画は逆に、
“成功してもなお満たされない人間”
を描いている。
正直に言えば、自分はそこに少し共感できない部分もあった。
ジェップは、有名作家であり、ローマという世界都市の中心にいる。
女性とも自然に話し、知性を武器に人を惹きつけることもできる。
自分とは違う。
しかし、それでも胸に迫るものがある。
なぜか。
それは、この映画の本質が、
「成功しているかどうか」
ではなく、
“人生の中で一度だけ触れた本物の美を、人間は忘れられるのか”
という問いだからだ。
映画の中で、ジェップは初恋の女性の死を知る。
その時、彼は崩れるように涙を流す。
普段は皮肉屋で、どこか醒めた顔をしている男が、そこで初めて、本当の感情を露わにする。
あの場面は強烈だった。
娼婦のような女性と知的な会話を交わし、夜のローマを漂いながら享楽を生きている男が、初恋の女性の棺を担いだ瞬間、ボロボロに泣いている。
あれは恐らく、
「彼女自身」
だけではなく、
“かつての純粋だった自分自身”
を失っていく悲しみでもあったのだと思う。
泥の中から咲く蓮の花のように、人間の俗っぽい人生の底に、どうしても汚れきらない記憶が沈んでいる。
この映画は、それを描いている。
だからジェップは、どれだけ社交界で成功しても、どれだけ女遊びをしても、どこか空虚なのだ。
人生の本編は、もう終わってしまった。
そんな感覚が漂っている。
彼にとって、本当に詩が湧いてくる場所は、初恋の記憶にしか残っていない。
そこが切ない。
そして、この映画を特別なものにしているのは、やはりRomeという都市そのものだと思う。
ローマは、かつて世界の中心だった。
帝国の栄光。
キリスト教。
芸術。
貴族文化。
そのすべてを抱えながら、今は巨大な“過去の残響”の中で生きている都市でもある。
コロッセオ。
廃墟。
夜の噴水。
古い宮殿。
観光客。
老いた聖職者。
そのすべてが、
「かつて美しかったものの残骸」
として映る。
だからこの映画では、ローマの風景そのものがジェップの精神になっている。
この映画のテーマは、土地に染み込んでいる。
これは、Lost in Translationが東京を舞台にしていたこととも似ている。
東京という都市の孤独や漂流感が、あの映画の空気そのものになっていたように、ローマの老いと栄光と退廃が、『グレート・ビューティー』の魂になっている。
舞台設定は単なる背景ではない。
人間の精神そのものを形作っている。
そして最後、初恋の女性がふっと微笑む映像。
あれが忘れられない。
まるでGirl with a Pearl Earringのような、説明できない普遍的な美だった。
人生の最後に、人は何を思い出すのか。
名声か。
成功か。
女か。
金か。
恐らく違う。
人は最後、人生のどこかで一瞬だけ触れた、“本物だった何か”へ戻っていくのだと思う。
そして、その記憶だけは、どれだけ俗世に汚れても消えない。
この映画は、そのことを静かに、そして残酷なほど美しく描いていた。
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