
突然、私は、希死念慮に襲われた。
それは、これまでの私には少し意外なことでもあった。
休日に外へ出て、家族連れを見かけても、最近の私は何も感じなくなっていたからだ。
夫婦で歩く男、子どもを連れた父親。
かつてなら、そこに自分が得られなかった幸福の姿を見て、胸が痛んだのかもしれない。だが、いつの頃からか、私はそうした光景を「幸せなもの」とは思えなくなっていた。
男が家族サービスという名のもとに自分を消耗させ、妻や子どもの予定に合わせ、どこか疲れた顔で歩いている。そこに本当に充実感などあるのだろうか。私はそう考えることで、家庭というものへの羨望を、どうにか自分の中で無効化していたのかもしれない。
ところが、職場で大学を出て数年の若い男性と組んで働くようになってから、私の内側で何かが崩れはじめた。
彼は、まだ仕事の要領をつかめていない。
的の中心から少しずれた仕事を繰り返す。そのぶん、私の負担は大きくなった。肉体的にも、精神的にも、こちらが引き受けるものが増えていった。
そして彼と話しているうちに、私は、自分の大学時代のことを思い出すようになった。
私は自分の大学を、推薦で入ったから大したものではないと考えていた。だが、今になって調べてみると、一般受験で入るのは決して簡単ではなかったらしい。地方から来ていたクラスメートたちの出身高校をネットで調べると、思いがけず偏差値の高い学校がいくつも出てきた。
私は、もっと自分のいた場所に誇りを持ってよかったのではないか。
もっといい人生があったのではないか。
あの頃、もっと周囲と打ち解けて、部活やサークルに入り、大学生活を楽しむこともできたのではないか。
そんな問いが、後から後から湧いてきた。
大学一年の頃、私の生活はすでにどこか破綻していた。授業中に先生に腹を立ててしまったり、周囲から見れば理解しがたい振る舞いをしてしまったりした。みんなが当たり前のように入っていく世俗の世界。恋愛、友人関係、サークル、就職、将来設計。そうしたものに、私はどうしても素直に入っていくことができなかった。
私は、その世界に抵抗していた。
いや、抵抗していたというより、どうしても受け入れられなかった。
その頃、私は太宰治、三島由紀夫、トーマス・マンを読み続けていた。後になって考えれば、それはまさに『トニオ・クレーゲル』的な主題だったのだと思う。芸術に惹かれる者が、健やかで世俗的な人々の幸福を遠くから眺めながら、自分はそこに入っていけないと感じる苦しみ。
三島由紀夫の『仮面の告白』のエピローグには、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の一節が引かれている。
「その俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々聖母の理想を懐いて踏み出しながら、結局悪行の理想をもって終るということなんだ。いや、まだまだ恐ろしい事がある。つまり悪行の理想を心に懐いている人間が、同時に聖母の理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ」
この言葉は、私の中にずっとあった「純」と「俗」の葛藤そのものだった。
聖なるものに憧れながら、俗なるものを完全には否定できない。
俗世間を軽蔑しながら、そこにある幸福を本当は欲している。
美しい理想を抱きながら、自分の内側にある醜さや欲望から逃げられない。
私の苦しみは、すでに三島の中に書かれていた。太宰の中にも書かれていた。だから私は、彼らを読んでいるときだけ、少し心が落ち着いた。一人ではないと思えた。命を救われたような気がした。
だが同時に、その時点で私は、人生の勝負ごとから降りていたのかもしれない。
大学時代、私は一度だけ部活に入った。
そこで、ある女性と話した。
私はその頃、みんなが自然に入っていく世界に、どうしても入っていけないという感覚を抱えていた。生きることそのものに、どこかやりきれなさがあった。私は彼女に、本音のようなものをこぼした。
「ここで魂でも抜かれたほうが、幸せに生きて、幸せに死んだことになるのかもしれない。でも、両親がまだいるから、死ぬわけにはいかないよね」
そんなことを口にしたのだと思う。
彼女はとても真面目な人だった。自分の気持ちが、顔や態度に素直に出る人だった。だから私は、彼女に強く惹かれた。私が好きになってしまうのは、まさにそういう女性だった。
その部活を辞めるときは、身を引き裂かれるようにつらかった。
だが、もしそこに残っていたとしても、彼女が他の男子と付き合っていることを知れば、私はさらに耐えがたい苦しみに襲われたはずだ。だから、辞めたことによって、彼女は手の届かない幻想として、私の中で生き延びたのかもしれない。
今になって思う。
大学一年の春、彼女にこぼした私の予感は、その後の人生において、かなりの部分で当たってしまったのではないか。
あの時、もし人生を終えていたら、ある種の幸福感の中で幕を下ろせたのかもしれない。もちろん、それは危うい考えだ。けれど、その後の私は、見たくないものばかりを見てきた。
そのたびに我慢した。
平気なふりをした。
社会人として働き、責任を果たし、日々をこなしてきた。
しかし心の奥では、いつも逃げたいと考えていた。
一人になりたい。
だが、孤独が深まると、今度は死にたくなる。
ソープランドで女性に会うのが好きだったのも、もしかすると、彼女たちの中に「一度絶望した人」の影を見ていたからかもしれない。彼女たちは、一度どこかで人生に絶望した人たちなのではないか。だからこそ、こちらの壊れた部分にも触れてくれるのではないか。そんな勝手な幻想を、私は抱いていたのかもしれない。
やがて私は、大学時代に一度だけ話した、名前も忘れてしまったその女性と、もう一度コンタクトを取りたいと思うようになった。名簿を調べ、それらしい人を探し、当時のエピソードを交えて手紙を書いた。
そこで、私の中に異変が起きた。
それまで無効化していたはずの家庭への憧れが、急に戻ってきたのだ。
夫婦で歩く人。
子どもを連れた父親。
俗世間の中で、当たり前のように家庭を築いている人たち。
その姿が、急に羨ましくなった。
私は、そこから外れて生きてきたのだという実感が、激しく胸に迫ってきた。
もし、あの女性と一緒に生きてくることができたなら。
夫婦になり、子どもがいて、普通の家庭を築くことができたなら。
どれほど幸せだったのだろう。
私にだって、できないはずではなかったのではないか。
では、何が私を、ここまで俗世間から隔ててしまったのだろう。
その問いをたどっていくと、私は自分の幼少期に行き着く。
父は私に、空海や仏教漫画の素晴らしさを語った。私は子ども心に、聖なる観念を「理想」ではなく「現実」として信じてしまった。空海のような人間、仏陀のような人間、何か絶対的な役割を担う人間。そうしたものが、この世に本当に存在し、自分もまたそこへ向かうべきなのだと感じてしまった。
おそらく父にとっては、それは一種の慰めだったのだろう。
市井の一父親として生きる自分を、空海や仏陀のような超越的存在への憧れによって支えていたのかもしれない。
だが子どもの私は、その背景を理解できなかった。
差し出された本そのものを、信じ込んだ。
キリスト教徒が皆キリストになるわけではない。
キリストは神の子だからこそ、あれほど人を愛する役割を担った。
他の人間は、その存在を敬いつつ、それぞれの役割を生きていけばいい。
本来、宗教的理想とはそういうものなのだろう。
しかし私は、聖なるものを自分の人生の現実的な基準にしてしまった。そこから、後の大きな疑問と断絶が生まれたのだと思う。
私の少年時代は、たしかに幸福だった。
私はその観念を強く信じていたし、両親の価値観をかなえられるコースに自分がいると信じていた。
父は、空海、プロ野球選手、歌手、オリンピック選手のような、どこか超人的な存在を理想としていた。
母は、東大、医学部、大企業のサラリーマンといった、堅実で社会的に評価される道をよしとしていた。
しかし私は、どちらのコースも歩んでいなかった。
父の望む超人にもなれず、母の望む安定したエリートにもなれなかった。
両親は、私に愛情を与えた。
だが同時に、その愛情の先にある道を歩めなかった私を、どこかで否定した。
愛情を与え、その道を歩ませようとし、そこから外れた者を嘲笑する。その過程が、私の精神を、そして兄の精神をも歪ませたのではないかと思うことがある。
もっとも、両親は悪意のある人間ではなかった。
ただ、教員同士の結婚にありがちな、ある種の世間知らずだったのだろう。
私が就職活動をしたのは二〇〇二年。
ロスジェネ、超就職氷河期の真っ只中だった。学業をおろそかにしていた私に、まっとうな就職先など簡単に見つかるはずもなかった。
社会的環境。
私の生い立ち。
私自身の気質。
それらが絡み合って、今の私をここに連れてきたのだと思う。
私はずっと、身構えて、防御しながら生きてきた。
その防御は、長いあいだ私を守ってくれていた。
しかし、ふとした油断から、過去の女性を思い出し、過剰な恋心が湧き上がってきた。
過去の可能性を持っていた頃の自分。
一緒に歩めたかもしれない女性への恋慕。
現実とはあまりにも乖離した、愛への渇き。
こんなものが、今さら私の中に残っていたのかと驚く。
彼女には、幸せになっていてほしい。
その願いが、異常なほど強く募ってくる。
あの時、少しだけ話したあなたは、人生の願いを手に入れられたのだろうか。
あなたは、幸せに生きているのだろうか。
そう思うと、失われた二十年以上の年月が、走馬灯のように脳裏をよぎる。
私は、何をしていたのだろう。
本当に生きていたのだろうか。
三島由紀夫は、死の前のエッセイで、戦後二十五年を「鼻をつまみながら通り過ぎた」と書いた。
私には、彼ほどの何かがあるわけではない。
それでも私は、私なりに一生懸命生きてきたつもりだった。
だが、振り返ると、そこには空白感ばかりがある。
生きたという実感が、どこにもない。
その空白に、私は身震いする。
もう死にたい。
どうしたら楽になれるのだろう。
そう思ってネットで検索すると、自殺を思いとどまらせるための情報が出てくる。そこで私は、死に方さえも、国や社会によって規制されているのだと感じた。ネットは自由なようでいて、完全な自由ではない。誰かが情報を管理している。誰かが見えないところで、この世界の出口まで塞いでいる。
そう考えると、すべての情報が空虚に思えてくる。
世界そのものへの興味が、音を立てて失われていく。
そして、何も興味が湧かない現実が、津波のように押し寄せてくる。
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