M性感SWITCH新宿店・ななみさん体験記――「ドライ成功率99%」の先で知った、自分の身体――

「ドライ成功率99%」――。

Switch新宿店のミナミさんのプロフィールでその言葉を見たとき、期待より先に「それでも自分は、残りの1%だろう」と思った。

施術を受ける前の数日間、私はアネロスを何度か試し、少しでも身体を慣らそうとしていた。しかし、一人でやっていると、これが前立腺の感覚なのか、気持ちいいのか、ただ圧迫されているだけなのか、その区別さえよく分からない。射精には至っても、噂に聞くドライオーガズムは、自分には縁のないものだと思っていた。

そんな状態で会ったのが、ミナミさんだった。

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理屈から入ることで、不安がほどけた

最初に印象的だったのは、技術そのものよりも、説明の仕方だった。

ミナミさんはとてもフランクで、こちらが尋ねると、スマートフォンにアネロスのサイトの図を出しながら、ドライとはどういう感覚なのか、身体のどこを意識するのかを気さくに話してくれた。

外から見えている部分だけがペニスなのではなく、根元から体内へつながっている全体で考えること。表面への刺激によって射精へ向かう快感とは別に、前立腺や骨盤底の動き、さらには全身の感覚をつないでいく道筋があること。

もちろん、私はその場で身体の仕組みを医学的に理解できたわけではない。ただ、それは施術者として多くの身体に向き合ってきた人が示してくれる「感覚の地図」のようだった。

その地図を先に見せてもらえたことで、私の中にあった緊張が少しほどけた。

M性感という言葉には、どこか「特殊なもの」「変態的なもの」という先入観がつきまとう。けれどななみさんの説明を聞いていると、これは単に奇抜な刺激を受けることではなく、自分の身体に眠っていた感覚を一つずつ知り直す時間なのだと思えてきた。

「くすぐったい」が「気持ちいい」に変わる

施術は、うつ伏せの状態から始まった。

耳や脇に触れられると、最初は気持ちいいというより、ただくすぐったかった。自分にとって耳や脇は快感の場所ではなく、反射的に身をよじってしまう場所だった。

ところが、同じような刺激が何度も繰り返され、前立腺への刺激や耳元の声と重なってくるうちに、くすぐったさの輪郭が少しずつ変わっていった。二時間の終わりに近づく頃には、最初は雑音のようだった感覚を、身体が快感として受け入れ始めていた。

「身体を開発する」とは、存在しなかった快感を魔法のように作り出すことではないのかもしれない。これまで自分がくすぐったさや違和感として処理していた信号を、別の感覚として身体が読み替えていく。その変化を、私は短い時間の中で実感した。

それだけでも、今回の体験には大きな意味があった。

ドライは、頭で分かっても身体が動かない

肝心の前立腺への刺激は、最後まで簡単ではなかった。

気持ちいいようでもあり、重いようでもある。何かが伝わってきているのに、それをどう受け取ればいいのか分からない。そんな曖昧な感覚が長く続いた。

ななみさんの説明では、肛門を締める筋肉や、尿を止めるときに使う骨盤底筋群を意識し、それらを締めたり緩めたりしながら前立腺への刺激を受け止めていくのだという。射精へ向かおうとする力と、それをあえて止めるような力。その間に、ドライへ続く道があるらしい。

けれど、普段ほとんど意識していない筋肉を、いきなり自在に動かせるはずもない。頭では分かったつもりでも、身体は思うように反応しない。

ここには、確かに技術がいる。

しかも身体の形は一人ひとり違う。入口の広さも、内部の余裕も、前立腺までの距離や刺激の伝わり方も同じではない。私の場合は入口が狭めで、内部には比較的余裕があるようだった。大きめの器具のほうが刺激を捉えやすい可能性があっても、入口に無理が出ることもある。結局は、無理をせず、いくつか試しながら自分に合うものを探していくしかない。

身体は、説明書どおりに作られた均一な機械ではないのだ。

官能と理屈を、同時に扱える人

ななみさんのすごさは、仕組みを説明できることだけではなかった。

施術中は、耳元で甘く囁き、少しM心をくすぐるような言葉で興奮を高めてくれる。その一方で、今、身体がどの段階にあるのか、どこへ意識を向ければいいのかも言葉にしてくれる。

知識だけでは身体は開かない。官能だけでも、自分に何が起きているのか分からない。その二つを行き来しながら、相手を緊張させずに導いていく。そこに、長く第一線で支持されてきた人の経験があるのだと思った。

会った印象も、写真とほとんど変わらなかった。くりっとした目が印象的で、若々しく、きれいだった。美容や自己管理にも、きっと相当な意識を向けているのだろう。それでいて近寄りがたい雰囲気はなく、愛嬌のあるキャラクターのような親しみやすさがある。

こちらが話しかければ、何でも気さくに返してくれる。そのリラックスした空気そのものが、「ドライ成功率99%」という言葉を支える技術の一部なのだと思う。

「十分の一」の先に見えたもの

私は最後の最後まで、「自分には何も起こらないかもしれない」と思っていた。

けれど終盤、前立腺への刺激と自分の中の快感が、波のように重なる瞬間があった。器具が入っているという物理的な感覚と、身体の内側から立ち上がる感覚が別々ではなくなり、一つのうねりになって押し寄せてきた。

完全なドライオーガズムだったのかと聞かれれば、私にはまだ分からない。ななみさんに言わせれば、それは本当の感覚の「十分の一」ほどなのかもしれない。

それでも私は、入り口だけは確かに見た。

最後の射精では、局所だけで終わるのではなく、異様なほど強い波が全身を走った。「女性になるとは、こんな感覚なのだろうか」という、理屈では説明できない言葉まで頭に浮かんだ。もちろん、これは性別についての医学的な話ではない。それまで自分が知っていた「男性の射精」という枠では整理できない感覚を、そう表現するしかなかったのだ。

絶対的な何かに触れたと思った瞬間、射精とともにその感覚は崩れ落ち、終わってしまう。その、届きそうで届かない感じに、ジョルジュ・バタイユが描いたエロスの不可能性を少し思った。

閉じた個体としての自分が一瞬ほどけ、何か大きなものにつながりかける。しかし、つかもうとした瞬間にはもう消えている。もしこの先にマルチプルオーガズムと呼ばれる領域があるなら、この波は終わらずに続いていくのだろうか。

分からない。ただ、頭の中にあった区切りがぐちゃぐちゃになるほど、不思議な経験だった。

半ば冗談ではあるけれど、ななみさんが一瞬「ナナミ様」に見えた。さらに言えば、バタイユが聖なるものについて語るときの「神」のようにさえ見えた。自分がまったく知らなかった身体の扉を、この人は知っている。そう思わせるものが確かにあった。

泡風呂と、ラーメンの話

施術の終わりには、浴室を泡風呂にしてくれた。最後まで演出が行き届いている。

それだけでなく、帰りにラーメンを食べようかと話すと、新宿で好きな店を気さくに教えてくれた。「トップ5から説明できる」と笑いながら、実際に食べた店の話を次々にしてくれる。

私は新宿のラーメンにはあまり詳しくなく、大勝軒など限られた店しか知らなかった。けれど、ななみさんの話を聞いていると、今度は施術後にその一軒へ寄ってみたくなる。

身体の深い話をした直後に、うまいラーメンの話をする。その切り替えも含めて、最後までこちらを楽しませ、日常へ戻してくれる人だった。

身体は「所有物」ではなく、自然からの預かりものだった

今回、私の中に最も強く残ったのは、ドライに成功したかどうかではない。

四十年以上生きてきて、私はずっと「自分の身体は自分のものだ」と思っていた。けれど考えてみれば、この体格も、内臓の位置も、神経のつながり方も、自分の意志で一から作ったものではない。

私はこの身体を作ったのではなく、ある日、自然の一部としてこの身体を与えられ、その中で生きてきただけなのだ。

新宿・歌舞伎町のホテルの一室で、私は初めてそのことを実感した。

自分の身体でありながら、まだ知らない感覚がある。他者の手を借りなければ開かなかった場所がある。身体には、私の意識よりもはるかに広い世界があり、私はその一部しか使わずに生きてきた。

この先も、この身体が今のまま動き続ける保証はない。いつか病気になるかもしれない。自由が利かなくなる日が来るかもしれない。

だからこそ今日、健康な頭と健康な身体で、自分の中にまだ知らない感覚があることを知れた。それは、ありがたい一日だったのだと思う。

「ドライに成功したか」とだけ問われれば、答えはまだ曖昧だ。

けれど、「自分の身体を、一つの自然として見つめ直すことができたか」と問われれば、答えははっきりしている。

あの日、私は確かに、自分の知らなかった身体の入り口に立った。


※本稿は、成人同士の合意のもとで受けた施術についての個人的な体験と感想です。身体の感じ方や反応には個人差があります。

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この記事を書いた人

鮮魚の現場で働きながら、美術館・博物館、文学、映画、旅、仕事や人生について、実際に見たこと・経験したことを自分の言葉で記録しています。検索でたどり着いた方にも、何か一つ持ち帰れる文章を目指しています。

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