強いものではなく、合ったものが生き残る――「いきもの超ワールド展」を見て

国立科学博物館で開催されている特別展「いきもの超ワールド展 国立科学博物館×ダーウィンが来た!」を見てきた。

国立科学博物館が持つ標本や研究成果と、NHKの『ダーウィンが来た!』が長年撮影してきた映像を組み合わせ、生き物たちの五感、食事、身体の大きさ、移動、集団、繁殖などを紹介する展覧会である。

会場に入ってまず感じたのは、映像の迫力だった。巨大な画面の中で、生き物たちが獲物を追い、捕らえ、食べていく。カマキリが自分よりも大きく見える鳥をつかまえようとし、クジラは大きな口を開けて魚の群れを一気にのみ込む。

そこに人間的な善悪はない。ただ、生きるために食べる。食べられなければ、自分が死ぬ。地球上の生き物たちは、人目の届かない森の奥や海の底、暗闇の中でも、絶えず命をつなぐために動き続けている。

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気づけば「食べられる側」に立っている

面白かったのは、標本の置き方にも細かな工夫が凝らされていたことだ。

ヒョウやワシのような捕食者は、少し高い位置に展示されていた。何気なく上を見た瞬間、こちらへ襲いかかってくるように見える。安全な場所から標本を眺めていたはずなのに、一瞬だけ、自分が食べられる側の動物になったような感覚があった。

生き物の知識を説明するだけではなく、その生き物が生きている世界へ、観客の身体ごと連れていく。そうした展示の作り方がうまい。

小さな標本を収めたケースにも気が配られていた。正面に立たなければ見えない四角い箱ではなく、横からでも観察できるドーム型のガラスケースが使われている。人が多くても、少し位置を変えれば、標本の細部まで見ることができた。

昆虫の身体も大きく拡大されていた。人間なら目や耳は顔にあるのが当たり前だが、それはあくまで人間の身体の都合にすぎない。たとえばキリギリスやコオロギの仲間には、前脚に耳に当たる聴覚器官を持つものがいる。私たちから見れば不思議でも、その生き物にとっては、生きる環境に適した合理的な身体なのだろう。

味わうためではなく、生き残るために食べる

味覚についての展示も印象に残った。

人間は「これはおいしい」「こちらはまずい」と味を楽しみ、ときには食べること自体を文化や娯楽にする。しかし野生の生き物にとって、食事の第一の目的はエネルギーを得ることだ。もちろん多くの動物にも味覚はある。ただし、人間と同じように味を楽しむためというより、必要な栄養を見分け、毒や腐敗を避け、生き残るためのセンサーとして働いている。

そのため、生き方によっては、人間が大切にしている味を感じる機能があまり発達していなかったり、進化の途中で失われたりすることもあるらしい。魚を丸のみするアシカにとっては、一口ずつうま味を堪能する必要はない。竹を主食にするようになったジャイアントパンダにも、人間と同じ味覚がそのまま必要だったわけではない。

私たちは食べ物を前にして「どちらがおいしいか」と考える。野生では、それ以前に「食べられるか」「毒ではないか」「今日を生き延びられるか」が問題になる。食べることと生きることの距離が、人間よりもはるかに近いのである。

「これしか食べない」ことも強さになる

コアラが毒性のあるユーカリを食べるように、特定のものしか食べない生き物もいる。一見すると不自由で、弱点のようにも見える。しかし、ほかの動物が食べないものを利用できれば、餌をめぐって正面から争わずに済む。

何でも食べられる動物同士は、欲しがるものも重なりやすい。同じ餌、同じ場所、同じ縄張りを求めれば、そこには競争が起こる。反対に、「自分はここで、これを食べて生きる」という狭い場所を選ぶことで、競争を避けることができる。いわゆるニッチな生存戦略である。

もちろん、特定の餌だけに頼ることには危うさもある。その餌や環境が失われれば、一気に生きられなくなるかもしれない。それでも、ほかの生き物との競争を避けながら命をつないできたという点では、「これしか食べられない」ことも立派な強さなのである。

大きくなることの力と代償

身体の大きさについても考えさせられた。

大きな生き物ほど出せる力は強くなる。森や海の中で優位に立ち、広い縄張りや行動範囲を持てることもある。しかし、大きな身体を維持するためには、それだけ多くのエネルギーが必要になる。たくさん食べなければ、その力を保つことができない。

つまり、大きくなることは強くなることではあっても、生き残りやすくなることとは限らない。環境が変化して餌が少なくなれば、大きな身体はかえって重荷になる。実際、かつて存在した巨大な陸上性ナマケモノは絶滅し、現在生きているナマケモノは小型で、木の上で暮らしている。

強いものが必ず生き残るのではない。その時代、その土地、その環境に合ったものが残るのである。

一つひとつの身体が、その生き物の武器になる

展示には、人間にはない身体の仕組みも数多く紹介されていた。

胃や消化器官がいくつもの区画に分かれ、食べたものを蓄えたり、時間をかけて消化したりする動物がいる。前脚で音を感じる昆虫もいれば、人間とはまったく違う方法で周囲を見たり、匂いを捉えたりする生き物もいる。

それは、誰かが最初から目的を決めて作ったものではない。長い時間の中でさまざまな違いが生まれ、その環境で命をつなげた形が、今日まで残ってきた。その結果として、一つひとつの器官が、それぞれの生き物にとっての強さになっている。

人間の身体を基準にして考えれば奇妙に見える。しかし、人間の身体もまた、無数にある生存の形の一つにすぎない。生き物とは、本当に千差万別なのだと思った。

生命はエネルギーを流し続ける

大きな口で餌を取り込み、身体を成長させ、縄張りを広げていく生き物を見ながら、以前に触れたエントロピーの話も思い出した。

生き物は、食物や光などのエネルギーを外から取り込み、自分の身体の秩序を保っている。その一方で、熱や排泄物を外へ出し、周囲へエネルギーを散らしていく。生命とは、エネルギーを抱え込んで止めておくものではなく、取り込み、変換し、再び外へ流していく存在なのだろう。

大きな力を持つものほど、その力を維持するために大きなエネルギーの流れを必要とする。それは動物の縄張りだけでなく、人間の組織や社会のピラミッドにも、どこか通じるものがあるように感じた。力を持ち、領域を広げれば、それを維持するための資源もまた必要になる。

ただ、自然界は単純な上下関係だけで成り立っているわけではない。頂点にいる捕食者も、餌となる動物や植物、さらに小さな微生物の働きなしには生きられない。自然はピラミッドであると同時に、無数の命が支え合う網でもある。

国立科学博物館は、やはり見ないともったいない

国立科学博物館へ行くたびに、その内容の高さに驚かされる。

『ダーウィンが来た!』との共同企画なので、映像は豊富で、子どもでも直感的に楽しめる。一方で、解説を一つひとつ丁寧に読んでいくと、研究者や専門家の目にも耐えるような奥行きがある。面白いけれど、すべてを理解しようとすれば難しい。それも当然なのだと思う。ここは単に珍しいものを並べた博物館ではなく、科学の目で世界を解き明かす科学博物館だからである。

標本を見て驚く。映像に圧倒される。説明を読んで考える。そして、人間もまた自然の一員にすぎないと気づく。見る側の年齢や知識によって、何段階にも楽しみ方が用意されている。

生き物は、ただ強くなろうとしてきたのではない。大きくなるもの、小さくなるもの、何でも食べるもの、一つのものだけを食べるもの、群れをつくるもの、暗闇に隠れるもの。それぞれが異なる方法で環境に適応し、命を次の世代へ渡してきた。

強いものではなく、合ったものが生き残る。

その無数の答えを、標本と映像と科学の言葉で見せてくれた展覧会だった。国立の博物館や科学館は、行ける機会があるなら見ないともったいない。今回も、本当に素晴らしい展示だった。


特別展「いきもの超ワールド展 国立科学博物館×ダーウィンが来た!」
会場:国立科学博物館(東京・上野)
公式サイト:https://ikimonoworld.jp/

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