
劇団四季の『王様の耳はロバの耳』を観た。
夏休みということもあり、客席には家族連れが多かった。私の周囲も半分くらいは小学生だっただろうか。同じTシャツを着た子どもたちの一団もいて、ずいぶんおとなしく舞台を見ていた。
子ども向けのミュージカル、と言ってしまえばそれまでなのだが、実際に観てみると、そんな言葉では収まらない舞台だった。
何より感心したのは、客席を物語の中へ巻き込んでいく巧さだった。
「王様の耳はロバの耳!」
出演者たちが客席へ降りてきて、手拍子をしながら観客にも声を出すよう促す。
こういう演出は、一歩間違えれば「参加させられている」という気恥ずかしさが先に立つ。しかし、この舞台にはそれがほとんどなかった。
物語を見ているうちに、こちらも自然に手を叩き、声を出している。
「本当のことを言わなければならない」
そんな気持ちを、役者の表情や声、身体の動きによっていつの間にかこちらまで共有させられているのだ。
観客参加というより、いつの間にか観客自身が物語の登場人物になっている。
そこに劇団四季という劇団の力を感じた。
王様には王様の圧倒的な存在感がある。一方、物語を追っていくうえで最も感情移入しやすいのは床屋なのだと思う。
王様の秘密を知ってしまい、言いたいけれど言えない。
怖い。
それでも、本当のことを言わなくてはいけない。
いわゆる英雄ではない。純朴で、どこか頼りなく、それでも正義感を捨てきれない普通の人間である。
だからこそ、こちらは床屋についていくことができるのだろう。
しかし、この日、私の心に最も残ったのは別の場面だった。
終盤、皆から「王様の耳はロバの耳」と真実を突きつけられ、王様は一人になる。
そして、自分が間違っていたことにようやく気づく。
その時だった。
小島絵里衣さん演じる「陽だまりの精」が歌う。
王様をもう許してあげましょう。
ようやく王様にも、本当の声が聞こえたのだから――。
そんな意味の歌だった。
その歌声が、今でも耳を離れない。
澄んだ、美しい声だった。
ただ、美声だったから感動したのではない。
それまで舞台全体を覆っていた「真実を言え」という強い力が、その瞬間に「許す」という方向へ変わったのである。
王様を追いつめて終わるのではない。
間違いに気づいた人間を、もう一度受け入れる。
「王様の耳はロバの耳」という言葉が、単なる悪口でも告発でもなく、「本当の声を聞くことのできる耳」へと意味を変えていくように感じられた。
ほんの短い場面だった。
しかし私は、そこだけでこの舞台を観に来た価値があったと思った。
『キャッツ』の「メモリー」を初めて聴いた時のように、舞台というものは、時としてたった一曲、たった一節によって、その日のすべてを持っていってしまう。
「神は細部に宿る」という言葉がある。
まさにそうなのだと思う。
もしあの一節の歌声が少し違っていたら。
もし言葉が客席まで届かなかったら。
私の心には、ここまで響かなかったかもしれない。
それを考えると舞台というものは恐ろしい。
その日の、その時間、その一瞬しかない。
そして、その一瞬を成立させるために、俳優たちはどれだけの稽古をしているのだろうと思う。
寺山修司による登場人物の名前も面白い。
将軍ボイルドエッグ、ローストビーフといった、子どもでも思わず笑ってしまうような名前が次々に出てくる。
難しいテーマを扱いながら、決して難しく見せない。
笑わせながら、「本当のこととは何か」「権力を持つ人間に真実を言えるのか」「間違いを認めた人を許せるのか」という問題を、子どもにも分かる形で差し出してくる。
これもまた、すごいことだと思った。
そして終演後、周囲の小学生たちを見ると、どこか呆然としたような、興奮したような顔をしていた。
その姿を見ながら、自分が子どもの頃のことを思い出した。
小学校や中学校で上級生の芝居を見ただけでも、私はずいぶん興奮したものだった。
それが、小学生の時に劇団四季の舞台を目の前で見たらどうだろう。
鍛え抜かれた声。
身体表現。
照明。
音楽。
舞台装置。
そして、目の前にいる人間が放つ圧倒的な存在感。
驚くだろうと思う。
ひょっとしたら、この日客席にいた子どもの中の誰かが、家に帰ってから、
「また劇団四季を見たい」
と言うかもしれない。
あるいは、
「自分も舞台に立ってみたい」
と思う子がいるかもしれない。
本物を見るというのは、知識を一つ増やすことではないのだろう。
自分の中に、それまで存在しなかった世界が一つ生まれることなのだと思う。
もちろんチケットは安くない。
家族で何度も気軽に、というわけにはいかないだろう。
それでも、子どもの頃に一度でもこうした舞台を見ることには、値段だけでは測れない意味があるのかもしれない。
そして、それは子どもだけではない。
大人になった私でさえ、陽だまりの精が歌ったほんの一節に心を持っていかれた。
豪華な舞台装置だけではない。
有名な作品だからでもない。
ほんの一人の俳優の、ほんの一瞬の声によって、
「今日ここへ来てよかった」
と思わせられる。
それこそが、劇団四季が長い間、日本のミュージカルの第一線にいる理由なのかもしれない。
『王様の耳はロバの耳』。
子どものための物語だと思って劇場に入った。
けれど帰る時には、自分自身が「本当の声を聞く耳を持っているだろうか」と問いかけられているような気がした。
そして何より、小島絵里衣さんのあの歌声が、今も耳の奥に残っている。
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