
数字を出す人が、組織を良くする人とは限らない
会社には、ときどき「数字を出すことで自分の存在価値を証明してきた人」がいる。
売上を伸ばす。利益を作る。前年比を超える。目標を達成する。
そうした結果を積み重ねて評価され、役職が上がっていく。
もちろん、数字を作ること自体は重要だ。企業である以上、結果から逃げることはできない。
ただ、長く組織で働いていると、一つ気になることがある。
数字を出す能力と、人を動かして組織を良くする能力は、必ずしも同じではない。
むしろ、そこにはかなり大きな違いがあるように思う。
「自分でやる」ことと「人を通して成果を出す」こと
現場の担当者や責任者であれば、自分の判断でかなりのことができる。
商品を変える。売価を変える。作業量を増やす。売場を直す。部下に細かく指示する。
極端に言えば、自分が人一倍働くことで数字を押し上げることもできる。
しかし、立場が上がるにつれて仕事は変わる。
複数の店舗や部署を見る立場になれば、自分自身が作業することはできない。
そこで必要になるのは、
現場を見ること。
話を聞くこと。
その店の事情を理解すること。
仮説を立てること。
そして、相手が納得できる形で改善につなげることだ。
つまり、
自分で成果を出す仕事から、人を通して成果を出す仕事へ変わる。
ここでつまずく人は、意外と多い。
成功体験が強すぎる人
特に難しいのは、過去に大きな成功体験を持っている人だ。
「あの店では、このやり方で数字を出した」
「自分はこれで結果を出してきた」
その経験はもちろん財産になる。
しかし、成功体験が強すぎると、いつの間にか、
「自分のやり方が正しい」
に変わってしまうことがある。
店舗が違えば、客層も違う。
競合も違う。
人員も違う。
商品の売れ方も違う。
前年の状況も違う。
それなのに、過去の成功パターンをそのまま持ち込んで、
「あれをやめろ」
「これを変えろ」
「この価格ではダメだ」
と次々に変更していく。
現場からすると、昨日まで積み上げてきたものが次々と否定される。
そして数か月たっても、肝心の数字が改善しない。
ここで本来必要なのは、
自分の仮説を疑うことだ。
ところが、それができない人もいる。
結果が出ないと「現場が悪い」になる
人間には、自分の失敗を認めたくない心理がある。
特に、
「自分は数字を作れる人間だ」
という自己認識を強く持っている人ほど、その傾向は強くなる。
自分が指導した。
やり方を変えた。
それでも数字が上がらない。
そうすると、
「自分の指導方法が間違っていたのではないか」
と考えるのは苦しい。
そこで、
「現場が言うことを聞かない」
「安売りしているからだ」
「昔のやり方を捨てないからだ」
という説明が生まれる。
やがて問題は、売上や利益の話ではなく、
「俺の言うことを聞くかどうか」
という話にすり替わっていく。
こうなると、改善活動はかなり危険になる。
本来の目的は数字を良くすることだったはずなのに、いつの間にか「上司の正しさを証明すること」が目的になってしまうからだ。
上司に気に入られた成功体験
もう一つ、組織には厄介な構造がある。
ある人物が若い頃、非常に強い上司の下で成果を出したとする。
その上司も、その数字を使ってさらに昇進する。
すると、その上司にとって部下は、
「自分が育てた優秀な人間」
になる。
その後、その人物が多少問題を起こしても、
「あいつは扱いにくいけど結果を出す」
という評価が残り続けることがある。
いわば、人の評価にも「過去の成功物語」が存在する。
組織の中では、能力だけでなく、
誰の下で成果を出したのか
ということが、その後のキャリアに影響することもある。
これは別に陰謀でも何でもない。
会社という人間組織では、ごく自然に起きることだと思う。
数字が出ているときは、問題が見えにくい
さらに厄介なのは、数字が良いときだ。
多少周囲と揉めても、
「でも結果を出しているから」
で済んでしまう。
部下と衝突する。
他部署と揉める。
上司ともぶつかる。
それでも数字を作っていれば、
「厳しい人」
「仕事に妥協しない人」
「結果にこだわる人」
という評価になることもある。
ところが、数字が出なくなった瞬間、それまで隠れていた問題が一気に表面化する。
つまり、
成果が人格上の問題を覆い隠していた
だけだった、ということもある。
これはスポーツでも会社でも、よく見る構図ではないだろうか。
本当に優秀な管理職とは何か
では、本当に優秀な管理職とは何なのだろう。
私は最近、
「自分が正しい答えを持っている人」
ではないような気がしている。
むしろ、
現場の中から正しい答えを見つけられる人
なのではないか。
自分の経験を持っている。
しかし、それを絶対視しない。
現場の話を聞く。
数字を見る。
仮説を立てる。
実行する。
結果を見る。
間違っていれば修正する。
この繰り返しができる人だ。
だから、
「俺の言うことを聞け」
より、
「なぜこの数字になっているのだろう」
と考えられる人のほうが、長期的には強い。
会社員に必要なのは「正しさ」より記録かもしれない
そして、こうした状況に巻き込まれた現場側にも、一つ大切なことがある。
感情的に反発しないことだ。
「あの人は無能だ」
「こっちのほうが正しい」
という勝負にしてしまうと、結局は人間関係の話になる。
それよりも、
何を指示されたのか。
何を変えたのか。
数字がどう動いたのか。
前年比はどうなったのか。
粗利益はどうなったのか。
ロスはどうなったのか。
そうした事実を残しておく。
会社という場所では、後になって出来事が「物語」に変わることがある。
「指導したのに現場が言うことを聞かなかった」
という物語になるのか。
「指導された施策を実施したが、数字は改善しなかった」
という記録になるのか。
この違いは大きい。
だから会社員にとって、ときには自分の正しさを主張すること以上に、
事実を淡々と残しておくこと
のほうが大切なのかもしれない。
数字は、人を評価する強力な道具だ。
しかし、数字を出す人が必ずしも組織を良くする人とは限らない。
そして管理職になればなるほど、本当に問われるのは、
自分がどれだけ働けるかではなく、
自分がいなくても、周囲が成果を出せる状態を作れるか
なのだと思う。
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