仕事とお金と恋と性——矛盾を抱えて生きている

仕事とは、いったい何なのだろう。
私はスーパーマーケットの鮮魚部門で、23年近く働いている。これだけ長くいると、スーパーの世界が自分にとっての常識になってしまう。
土曜日も日曜日も店は開いている。年末年始も、お盆も、世間が休んでいるときほど忙しい。
だから、一般的な会社員は土日が休みなのだとあらためて考えると、少し不思議な気持ちになる。私はそれほどまでに、この業界の時間感覚に染まってしまったのだろう。
テレビをつければ、芸能人やスポーツ選手が映っている。
プロ野球選手のなかには、野球をすることで何億円もの年俸を得る人もいる。ただボールを投げたり打ったりすることに、それだけのお金が支払われているわけではない。多くの人を熱狂させ、球場に呼び、テレビを見せ、商品を売る。彼らには、広告や宣伝を動かすほどの価値がある。
人気商売とは、そういうものなのだろう。
若い頃は、「大企業に入ることが、そんなに大事なのか」と思っていた。
しかし大人になった今は、その意味が少し分かる。
毎月数万円の給与の違いでも、年間にすれば100万円、200万円の差になる。それが10年、20年と続けば、住む家も、結婚も、老後の安心も違ってくる。
お金だけではない。会社名や役職といった社会的な肩書も、人間の自信に影響する。そんなものに振り回されたくないと思っていても、現実には、年収や地位の違いによって劣等感を抱くことがある。
若い頃の私が、もう少しそうした「世俗的な価値」を理解していたら、人生はかなり違っていたのかもしれない。
働くということは、価値を差し出すこと
尾崎豊の歌のように、管理されることの息苦しさだけを見つめていたら、ほとんどのサラリーマンは働いていられない。
給与をもらって働く以上、会社や上司や客に頭を下げ、支払われる給与以上の価値を生み出すことを求められる。
どれほど真面目に働いても、会社の利益に結びつかなければ評価されにくい。反対に、会社がうまく運営され、大きな利益が出れば、最終的に最も恩恵を受けるのは、そこに資金を出している株主や資本家である。
やはり資本主義とは、最初からお金を持っている人が強い仕組みなのだと思う。
だからこそ、学校でも、もっとお金について教えてもよいのではないだろうか。
働いて給与を得るとはどういうことか。会社はどのように利益を出すのか。貯蓄や投資によって、人生にどのような差が生まれるのか。
資本主義の仕組みを子どもの頃から教えると、金銭至上主義になってしまうのだろうか。
それとも、何も知らないまま社会に放り出されるほうが、よほど残酷なのだろうか。
私自身、そうしたことに気づいたのは、大人になって苦労してからだった。
仕事で思うように評価されず、恋愛や婚活でも自信を失い、女性から値踏みされているように感じる。そのような経験を重ねるなかで、ようやく、お金や肩書が人間関係にも影響するという現実を知った。
自分の恥を書き続ける
最近、このブログも少しずつ読まれるようになってきた。
うれしい反面、身元が分かってしまうのではないかという不安も大きくなっている。
仕事のこと、過去の恋愛、家族との関係、性のこと。
私はここで、随分と秘密を書いている。言い換えれば、自分の恥を世間にまき散らしているようなものだ。
それでも書くのは、言葉にしなければ、自分でも自分の気持ちが分からないからである。
人に見せるために書いているようでいて、本当は、自分自身を理解するために書いているのかもしれない。
たった1%の可能性
今、私は初恋の女性を思い続けている。
もしかしたら、もう一度会って話すことができるかもしれない。
さらにその先に、一緒に暮らす未来があるかもしれない。
現実には、可能性は1%ほどしかないのだろう。それでも、ゼロではないと思った瞬間、心の底から恋心が噴き出してきた。
それは理性で止められるものではなかった。
黒く厚い雲が原始の地球を覆うように、その思いは私の心全体を覆っている。雲の奥では、ときおり稲妻が光っている。期待と不安、希望と絶望が、絶えずぶつかり合っている。
しかし、心で一人の女性を思い続けている一方で、私は近いうちに、風俗店で別の女性に会う予定を立てている。
店の紹介文には「圧倒的なビジュアル」「思わず二度見する」と書かれていた。実際にどのような人なのかは、会ってみなければ分からない。
店から直接予約すると特典が付く仕組みもあるようだが、私は通常の方法で予約した。相手にとっては、あまり歓迎できない客なのかもしれない。会話も弾まないかもしれない。
それでも、その女性がどんな人なのか、実際に会って確かめてみたいと思っている。
自分へのご褒美という言葉を使いながら、私は来週、彼女に会いに行く。
男の純粋さとは何なのか
男とは、不思議な生き物だと思う。
風俗に通いながら、心のなかでは、たった一人の女性との純粋な愛を夢見ている男がいる。
身体は身体として動き、精神は精神として理想を求める。
それは偽善なのだろうか。
それとも、身体と心を切り離せることが、男性の一つの特徴なのだろうか。
女性は身体と心がより強く結びついている、と一般には言われる。しかし、それも本当に男女の違いなのか、単なる思い込みなのか、私には分からない。
純粋と不純。
愛と欲望。
労働と搾取。
成功と幸福。
どちらか一方だけが真実なのではなく、人間は相反するものを同時に抱えて生きているのだろう。
そもそも、私たちが言葉で何かを説明しようとした瞬間、世界を二つに分けてしまう。
善と悪、男と女、資本家と労働者、愛と性。
しかし現実の人間は、その境界線の上を揺れながら生きている。
仕事とは何なのか。
お金とは何なのか。
愛とは何なのか。
そして、純粋に生きるとは、どういうことなのか。
45歳になった今も、私はその答えを持っていない。
ただ、自分の矛盾を隠さずに言葉にすることだけが、今の私にできる、ささやかな誠実さなのだと思っている。
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