
※本記事には、成人向けサービスに関する性的な表現が含まれます。
休日前の仕事帰り、新宿バルボラの伊佐木みおさんに入った。
その日は疲労困憊で、家に帰って身体を横たえれば、そのまま自然に眠れそうな状態だった。それでも店へ向かったのは、以前からM性感というものに興味があり、自分の身体には、まだ知らない感覚が眠っているのではないかと思っていたからだ。
伊佐木さんは、店長の紹介文にあった「思わず二度見する」という表現が大げさではないほど、圧倒的なビジュアルだった。
胸の大きさを含めたスタイルの良さはもちろん、プロフィールに記載された年齢よりもずっと若く見える。これほどの素質がありながら、なぜ予約が常に満杯にならないのだろう、と最初は不思議に感じた。
ところが、実際に接してみると、その理由らしきものも少しずつ見えてくる。
身体を洗う時間は結構長い。そして大阪弁で、勢いよく話し続ける。遠慮なく、どかどかと心の敷居をまたいでくるようなところがある。
Mっ気のある男性にとっては、その強さも魅力なのだろう。しかし、穏やかな会話や受け身の接客を好む人には、少し圧が強いと感じられるかもしれない。
けれども、その強気な性格こそが、今回の体験では大きな意味を持った。
私は以前から、「メスイキ」と呼ばれる感覚があることを知っていた。前立腺への刺激によって、通常の射精とは異なる快感に到達する人もいるらしい。ホリエモンも、その道に詳しい女性の施術を体験したという話を、どこかで目にした記憶がある。
実際に彼がその感覚に達したのかは知らない。
ただ私は、自分の身体の性感帯を、もう少し目覚めさせてみたいという気持ちを持っていた。伊佐木さんといろいろ話した結果、後半に前立腺への施術をしてもらうことになった。
彼女の動きは、非常に手慣れていた。
私の両太ももの裏側に足を当て、身体を固定する。そして、緊張を解くように深呼吸を二度促された。自然な動作で手袋をはめ、ゆっくりと指を入れていく。
最初に入ってきた瞬間は、単純に「気持ちいい」と表現できるものではなかった。
痛いわけでもない。しかし、身体の中に、これまで意識したことのない場所が存在していることを知らされるような、不思議な感覚があった。
ゆっくりと指が動いていく。
少し無理のある体勢だったため、彼女が足を外した時には、正直ほっとした。すると彼女は、
「痛かったね。ごめんね」
と声をかけてきた。
その言い方が、初めての女性を気遣う男性のような調子だった。男女の役割が、完全に逆転している。
さらに、
「しまっているね。いいね」
と言われた。
私が「しまっているのは、まずいんですかね」と聞き返すと、
「なんで。しまっている方が気持ちいいでしょ」
と、当然のように返してくる。
こちらの中に隠れていたマゾヒズムを見つけ出し、それを否定するどころか、自然に肯定してくれる。その言葉をかけるタイミングが、実にうまい。
しかも、目の前にいるのは、乃木坂にいそうだと紹介されるほど清楚な顔立ちの女性である。けれども、時折細められる目の奥には、隠されたサディズムが顔をのぞかせる。
その落差が、なんともいえず心地よかった。
彼女は、次に会った時のプランまで考えてくれた。
ただ刺激を与えるのではない。M性感の基本を一つずつ身につけ、段階を踏んで次の感覚へ導いていく。その姿には、この道一本でやっていこうとする強さがあった。
施術後、私はそれまで味わったことのない爽やかさに包まれていた。
彼女から「マルチプルオーガズムというものを調べてみて」と言われたため、帰りの電車の中で検索してみた。
簡単にいえば、一度で終わらず、何度もオーガズムを感じることらしい。
それを読んで、少し羨ましいと思った。
男性の身体は単純なもので、一度射精すれば賢者タイムが訪れる。それが当たり前だと思っていた。しかし、前立腺の感覚を開発することで、射精を伴わないオーガズムや、連続した快感を経験できる人もいるという。
今回、伊佐木さんは「トコロテン」と呼ばれる技も見せてくれた。
彼女の説明によれば、刺激によって前立腺が下がってきたところを押し上げるのだという。すると通常の射精とは違い、精液のようなものが、トコロテンのようにゆっくりと出てくる。
不思議なことに、その後には、いつものような賢者モードがなかった。
身体から何かが出たのに、気持ちが急激に冷めない。むしろ、穏やかな余韻だけが残っている。
自分の中に、女性的ともいえる感覚が存在していたことを、初めて知らされたような気がした。
新宿バルボラのような店で採用され、実績を残していく女性には、見た目の美しさだけではなく、自分の個性を技術として成立させる力が必要なのだろう。
伊佐木さんには、強気で、おしゃべりで、少し人を選ぶところがある。
しかし、そのすべてが施術の中では一つの武器になっていた。清楚な顔立ち、強い大阪弁、隠されたサディズム、そして身体の反応を見逃さない技術。それらが重なって、彼女にしか作れない時間になっていた。
翌日、私は上野で開催されていた空海の展覧会を訪れた。
そこで、空海の言葉に触れた。
心、暗ければ、即ち遇うところことごとく禍なり。
眼、明らかなれば、途に触れて皆宝なり。
心が暗ければ、出会うものすべてが災いに見える。
眼が開かれていれば、道で触れるものすべてが宝になる。
前夜に経験したことと、空海の言葉を同列に語るのは、不謹慎なのかもしれない。
それでも私は、自分の身体の中に、まだ知らない感情や感覚が眠っていたことを、伊佐木さんに気づかせてもらった。
自分の身体について、私は何もかも知っているつもりでいた。
けれども実際には、四十五年生きてきても、開けたことのない扉がある。そこには恥ずかしさも、怖さもある。しかし、眼を開いて触れてみれば、それもまた、自分という人間を知るための一つの宝なのかもしれない。
疲労困憊で始まった一日は、知らなかった身体と出会い、知らなかった自分を少しだけ知る、充実した一日になった。
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