スーパーは衰退産業なのか――成長の時代が終わり、現場に残されたもの

スーパーマーケットという業界に長く身を置いていると、最近、ふと考えることがある。

この産業は、これからどこへ向かっていくのだろうか。

かつてスーパーマーケットは、成長産業だった。

人口が増え、住宅地が広がり、新しい店舗を出せばお客さんが集まる。売上が伸びれば、また次の店舗を出す。

もちろん、当時にも厳しい競争はあっただろう。

それでも、経済全体が拡大している時代には、企業も従業員も、ある程度は同じ方向を向いて走ることができたのではないか。

ところが、今は違う。

人口減少、少子高齢化、オーバーストア、原材料価格の上昇、人件費の高騰。

限られた市場を奪い合い、企業は合併や統合を繰り返す。

まるで戦国時代のように、大小さまざまな企業が競争し、やがて有力な企業へと勢力が集約されていく。

かつてのように店舗を増やすことだけでは、成長を維持できない。

売れない店舗をどうするのか。限られた従業員で、どうやって生産性を高めるのか。利益の出ない事業をどう立て直すのか。

経営の中心にある課題そのものが、変わってきているように感じる。

そして、その変化のしわ寄せを最も身近に感じるのが、日々の売場で働く人間なのかもしれない。

目次

成長時代の成功体験は、いつまで通用するのか

私が疑問に感じていることの一つに、過去の成功体験がある。

企業の上層部には、これまでの競争を勝ち抜き、優れた実績を残してきた人たちがいる。

その経験や能力は、もちろん尊重されるべきものだ。

しかし、成長市場で結果を出す能力と、縮小する市場で事業を再構築する能力は、必ずしも同じではない。

人手が足りなければ採用する。

仕事が終わらなければ、残って片づける。

売上が伸びなければ、さらに商品を並べる。

そうした方法が通用していた時代もあった。

しかし、今は労働時間の管理が厳格になり、採用も簡単ではなくなった。

限られた時間と人数で成果を出さなければならない。

本来であれば、仕事の仕組みそのものを変える必要がある。

ところが、長年同じ方法で成功してきた人ほど、従来のやり方から抜け出すことが難しい場合がある。

「これまで、このやり方でやってきた」

その言葉は経験の裏づけにもなるが、ときには変化を拒む理由にもなる。

時代が変わったのであれば、仕事の考え方も変えなければならない。

それは現場だけでなく、経営する側にも求められていることだと思う。

標準化という仕組みの限界

スーパーマーケットの仕事は、徹底した標準化によって成り立ってきた。

仕事を細分化し、誰でも一定の作業ができるようにする。

経験の浅い人でも、決められた作業を習得すれば戦力になる。

それぞれの仕事を組み合わせ、少ない人件費で店舗を運営する。

非常に合理的な仕組みである。

しかし、この仕組みには前提がある。

必要な人数を確保できること。

そして、現場の状況を判断し、作業を組み立てる人間が存在することだ。

例えば、生鮮部門では、魚を切ることだけが仕事ではない。

天候や客数、商品の鮮度、在庫、作業時間、売場の状態など、さまざまな条件を同時に考える必要がある。

売場に商品がなければ、何を優先して補充するのか。

お客さんの動きが鈍ければ、製造量を減らすのか、それとも売り方を変えるのか。

作業が遅れているなら、何を省略し、何を絶対に守るのか。

こうした判断は、単純な作業手順だけでは対応できない。

ところが、人手不足が進むと、従来のように仕事を任せられる人材を十分に確保できなくなる。

採用した人が悪いという話ではない。

企業が人材を選び、育成し、適切に配置できる環境そのものが変わってきたということだ。

その結果、現場で判断を担う人間に仕事が集中する。

労働時間は短縮する。

求められる数字は高くなる。

しかし、仕事を支える人材や仕組みが、その変化に追いついていない。

そうした矛盾を感じる場面が増えている。

やりがいで支えてきた時代の終わり

かつては、社員が長時間働くことを当然とするような職場文化があった。

仕事が終わらなければ残る。

休日でも必要があれば出勤する。

会社のために頑張ることが、社員としての責任であり、美徳でもあった。

今から考えると、そこには「やりがい搾取」と呼ばれるものも含まれていたのだと思う。

もちろん、仕事に誇りを持つこと自体は悪くない。

私自身、売場をつくり、商品を売り、数字を改善することには、今でも面白さを感じている。

しかし、個人の責任感や献身によって成り立つ仕組みには限界がある。

長時間労働によって維持してきた仕事を、労働時間だけ短くして、同じ成果を求める。

それは単なる効率化ではない。

仕組みそのものの再設計が必要なはずだ。

にもかかわらず、その再設計が不十分なまま、現場に高い目標だけが与えられるとしたら、働く人間は疲弊してしまう。

年齢を重ねれば、転職という選択肢も若い頃ほど気軽には選べない。

生活があり、これまで積み重ねてきた経験もある。

簡単に辞められないという現実の中で、何とか仕事を成立させようとする。

その努力に、どこまで依存してよいのだろうか。

AI革命は、この業界をどう変えるのか

そして、もう一つ考えなければならないのが、AIの存在である。

かつて金融業界では、大勢の人間が担っていた仕事が、コンピューターによって大幅に自動化された。

米国の大手金融機関では、2000年に約600人いた特定の株式取引部門のトレーダーが、2017年にはわずか2人になったという報道がある。

もちろん、その全員が一度にAIによって解雇されたという意味ではない。電子取引の発展によって仕事の構造が変わり、そのシステムを支える技術者という新しい役割も生まれた。

それでも、この変化が示しているものは大きい。

かつて必要だった人数が、技術の進歩によって必要ではなくなることがあるのだ。

では、スーパーマーケットはどうだろう。

発注、在庫管理、売上予測、価格設定、作業計画、防犯。

これらの仕事は、将来的にAIが人間以上の精度で判断できる可能性がある。

特に、AIがカメラなどを通して売場の状態を把握し、膨大な販売データと組み合わせて判断できるようになれば、現在の店舗運営は大きく変わるかもしれない。

問題は、その技術を導入するためのコストだ。

今のところ、人間が現場に立ち、商品を扱いながら状況を判断する方が、総合的には安く済む仕事も多い。

機械には導入費用がかかる。

保守も必要である。

故障や誤認識への対応も欠かせない。

生鮮食品のように、形も品質も一つひとつ異なる商品を扱う仕事では、なおさら難しい。

だが、技術は進歩する。

もしAIと機械の組み合わせが、人間より安く、正確に仕事をこなせるようになったらどうなるだろう。

そのとき企業は、これまでと同じ人数を必要とするのだろうか。

私には、そうとは思えない。

人手不足なのに、将来は人が余るかもしれない

今、多くの企業が人手不足に苦しんでいる。

採用できない。

若い人が集まらない。

だから、多少無理をしてでも人を確保しようとする。

しかし、ここに一つの矛盾を感じる。

現在の人手不足を前提に採用を増やしたとして、10年後、20年後にも同じ人数が必要なのだろうか。

今後、AIが事務処理や管理業務、分析業務を大幅に代替するようになれば、企業が必要とする人材の構成は変化するはずだ。

かつての経済成長期には、成長が続くことを前提に人員や設備を拡大した企業もあった。

しかし、その後、経済環境は一変した。

企業の人員計画は、短期的な需要だけでなく、長期的な構造変化にも左右される。

それと同じことが、AI革命の時代にも起こるのではないか。

もちろん、AIがすべての仕事を奪うわけではないだろう。

むしろ、人間にしかできない仕事や、新しく生まれる仕事もあるはずだ。

しかし、今ある仕事が、今の人数のまま将来も続くと考えることには危うさがある。

「今、人が足りないから、これからも人が足りない」

その発想だけで将来を考えることはできないと思う。

それでも、スーパーはなくならない

スーパーマーケットは、社会にとって必要な存在である。

人間は毎日食事をする。

食品を買う場所がなければ、生活そのものが成り立たない。

その意味で、この産業は社会インフラの一つであり、簡単になくなることはないだろう。

しかし、業界がなくならないことと、今ある企業や店舗、仕事の形が存続することは別の話である。

必要とされる産業であっても、そこで働く人間の生活が守られるとは限らない。

むしろ、社会に必要だからこそ、持続可能な仕組みをつくらなければならないのだと思う。

私も、人生の折り返し地点を過ぎた。

若い頃のように、何度でも新しい環境へ飛び込めるわけではない。

長く働いてきた業界が変わり、これまで身につけてきた技術や経験の価値さえ、将来どうなるかわからない。

正直に言えば、不安はある。

しかし、だからといって、過去のやり方にしがみつくことが正解とも思えない。

大切なのは、これまで何をしてきたかだけではなく、これから何が必要になるのかを考え続けることなのだろう。

売場で魚を切りながら、そんなことを考える日がある。

何十年も続いてきたスーパーマーケットという仕組み。

それを支えてきた人々。

そして、これから生まれる新しい技術。

その間で、今、何かが大きく変わろうとしている。

私たちが守るべきものは、これまでの仕事のやり方そのものではない。

人々の食卓を支えるという、この仕事の本来の価値なのだと思う。

変わらなければ生き残れない時代に、変わることが最も難しくなっている。

それが今のスーパーマーケット業界の、そして、そこで働く私自身の抱えている矛盾なのかもしれない。

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この記事を書いた人

鮮魚の現場で働きながら、美術館・博物館、文学、映画、旅、仕事や人生について、実際に見たこと・経験したことを自分の言葉で記録しています。検索でたどり着いた方にも、何か一つ持ち帰れる文章を目指しています。

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