『急に具合が悪くなる』──生きることを支える人たちへの賛歌

映画『急に具合が悪くなる』を観て、改めて「生きること」とは何かを考えさせられた。

物語の中心にいるのは、フランスの介護施設長マリー=ルーと、がんを患いながらフランスで活動する日本人演出家・森崎真理。国籍も言葉も文化も違う二人だが、その間に流れる感情は驚くほど自然で、私たちの心に静かに届いてくる。

印象的だったのは、介護施設で働くマリー=ルーの姿だ。

自閉症の少年が無邪気に走る姿に目を留め、その一瞬を大切に見つめる。介護とは、ただ身体の世話をする仕事ではなく、「その人がその人らしく生きる時間を守ること」なのだと、この映画は優しく教えてくれる。

一方、森崎真理は、がんによって残された時間が限られていることを知りながらも、最後まで演劇をつくり続ける。

「急に具合が悪くなったら終わり。」

その現実を受け止めながら、それでも創作をやめない姿には、命の輝きが宿っていた。

映画の中では、資本主義社会が抱える問題も静かに描かれる。

介護は人間にとって欠かせない仕事でありながら、十分に評価されず、待遇も決して高くない。効率や利益だけを追い求める社会では、障害を持つ人や高齢者、病気の人など、生産性だけでは測れない存在が周縁へ追いやられてしまう。

ホワイトボードに書かれた言葉が印象に残った。

「資本主義が人を腐らせるメカニズム」。

利益だけでは測れない価値が、この社会には確かに存在する。その「隙間」を埋める存在こそが、介護であり、ケアであり、人を思いやる心なのだろう。

フランスと日本の合作という点も、この映画の魅力だった。

フランスで描かれる介護の現場や人々の暮らしは、文化こそ違うものの、不思議なくらい日本社会と重なって見えた。

高齢化、介護、人手不足、生きづらさ。

国は違っても、現代社会が抱える課題は驚くほど共通している。

だからこそ、この作品はフランスの映画でも、日本の映画でもなく、「今を生きる私たちの映画」なのだと思えた。

そして、この映画には「強い女性」が描かれている。

マリー=ルーも森崎真理も、誰かに依存して生きる人物ではない。

自分の足で立ち、自分の信念を持ち、それでも人を愛し、人を支える。

その姿を見ていると、阿久悠が「芯のある女性を書きたい」と語っていたことを思い出した。

恋愛に振り回されるだけではない、一人の人間として堂々と生きる女性像。

その魅力が、この映画には息づいている。

終盤、日本の田園風景を見下ろす丘で、二人がカップラーメンを食べる場面がある。

そして、森崎真理は「私が死んだら、ここに散骨してほしい」と願う。

派手な演出はない。

しかし、その静かな友情は、どんな愛の物語よりも深く胸に響いた。

私は、こういう純粋なものを見ていたい。

現実には利害も政治も経済もある。

それでも、人が人を思いやる気持ちだけは、美しいままであってほしい。

その美しさに、人は自然と惹かれる。

生きようとする人。

支えようとする人。

寄り添おうとする人。

『急に具合が悪くなる』は、そんな人間の尊さを静かに描き切った作品だった。

派手さはない。しかし、観終わったあと、心のどこかが少しだけ優しくなっている。

そんな映画に出会えたことを、私は幸せに思う。

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