
私は高齢の両親のもとで育った。もし両親が今も現役で精力的に働いていたなら、私も押し出されるように一人暮らしを始めていたかもしれない。だが実際には価値観が半ばしか重ならず、決して居心地の良い家でもないのに、私はいまだ同居を続けている。年齢とともに両親の心身は確実に弱り、家を出るという選択肢はいつしか私の中から消えてしまったのだ。
幼い頃から、私の胸には複雑な葛藤が巣食っていた。父はプロ野球選手や歌手、巨大企業の経営者といった“スーパーマン”に憧れ、その道を私にも夢見た。対照的に母は、受験勉強で良い学歴を得て一流企業に勤める――いわば「正統派ホワイトカラー」こそが理想だと信じて疑わない。ところが私は、強豪少年野球チームにも入らず、ジャニーズ系のオーディションに連れて行かれることもなく、進学塾でお受験コースを走ったわけでもない。親の期待を感じながらも、具体的なレールは何ひとつ敷かれていなかったのである。努力する子どもを遠巻きに称賛しながら、その努力の場を用意しない――そんなジレンマが私の人格形成に濃い影を落とした。
そもそも「スーパーマンになる道」と「エリート会社員になる道」は、互いに排他的で両立し得ない。幼い私にその矛盾を解けるはずもなく、不機嫌な内向性だけが膨らんでいった。うまく昇華できれば文武両道の才気となったかもしれないが、現実には何もかも中途半端で終わりがちだった。
もっとも、この葛藤が自分だけの特別な苦しみではない、という事実にもやがて気づいた。答えに辿りつくまで長い内省の時間が必要だったが、人知れず同じような裂け目を抱く人は、世に雨後の筍の如く存在するのだと今では理解している。
尾崎豊のミュージックビデオ「Freeze Moon」をご存じだろうか。絵具を浴びた尾崎がぐしゃぐしゃになり、巻き戻しで元に戻り、再生でまた汚れていく――あの映像は、言語化しがたい心の泥濘を巧みに可視化していた。悩みぬき愛し抜いた者だからこそ放てる癒しがあるのなら、尾崎の存在は聖書にも等しい。
いま私は、精子提供を望む方とお会いする準備をしている。五百通ものメールを重ねた末の面会であり、その重みはボディブローのようにじわじわ効いてくる。同居の身ゆえに両親への説明も容易ではない。まして一度で妊娠に至るかどうか――性被害の被害者が妊娠してしまうのは、加害者の過剰な性欲を煽るほど精子が活発だからなのか。そんな疑問が頭を過る。
それでも私は今日も胸に手を当て、「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない。正しいものは何なのか、それがこの胸にわかるまで」と、冷たい街の風に向かって歌い続けている。
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