初恋の記憶と、愛情空間の空白について

この頃、学生時代の初恋の記憶が、ふいによみがえってくる。

それは懐かしさというより、むしろ私を苛むものに近い。
あの頃の私は、女性をどこか聖女のように見たかったのだと思う。芸術の神としての女性。ミューズ。あるいは、現実の女性ではなく、自分の内面を照らしてくれる存在としての女性。

もちろん、そんなものは現実にはいない。

学生時代、その世間知らずな願望は、さんざん現実に叩かれた。こっぱみじんになったはずだった。けれど、それでもなお、あの頃に少しだけ言葉を交わした女性のことが、今になって気になって仕方がない。

数分間話しただけのような関係だった。
それなのに、なぜこれほど強く記憶に残っているのだろう。

最近、いろいろな人の恋愛や性体験の話を見聞きするたびに、私は余計なことを考えてしまう。あの初恋の女性も、どこかで傷ついたのだろうか。誰かにひどく扱われたことがあるのだろうか。そんなことを考えること自体、彼女にとっては迷惑でしかない。わかっている。わかっているのに、考えてしまう。

結局、私は女性に対して、聖母の理想を強く抱きすぎているのかもしれない。

現実はどんどんしんどくなっていく。
人は年を取り、生活に追われ、身体も心も汚れていくように感じる。にもかかわらず、私の中の聖母の理想だけが、逆に大きく膨れ上がっていく。

そして、しまいには思ってしまう。
私が本当に求めているのは、あの女性なのではないか、と。

私は四十代半ばになった。
これから自分に何ができるのだろうと思う。

五十歳前後が人生で最も幸福度が低い時期だという話を聞いたことがある。そのカウントダウンが、いよいよ始まっているようにも感じる。

高齢の両親のこともある。
私がいないといけない、という思いがある。一方で、両親に飴を与えられ、甘やかされ、その代わりに支配されてきたという実感もある。

ただ、それを一方的に責めることもできない。

私はその環境の中で文学の勉強もできた。お金も貯めた。ある意味では、かなり功利的な打算もあった。だから、結局はお互い様なのだろう。

けれど、ふと考える。

奥さんもいない。
子供もいない。
私の愛情空間とは、一体どんなものなのだろうか。

橘玲の『幸福の資本論』を読んでいる。彼の理屈には、正直、首肯できない部分もある。少し思いつきで書いているのではないかと感じるところもある。

それでも、幸福の三つのインフラという考え方は面白いと思った。

金融資産。
人的資本。
社会的資本。

金融資産は自由を支える。
人的資本は仕事や自己実現を支える。
社会的資本は絆、友情、恋愛、家庭を支える。

そう考えると、私は金融資産と人的資本については、人並みには持っているのかもしれない。けれど、社会的資本があまりにも弱い。

両親がいなくなったとき、私の社会的資本は一気に貨幣空間へ流れ込んでしまうのではないか。
つまり、お金でしか人とつながれない状態になってしまうのではないか。

そういう危機感がある。

幸福のポートフォリオを、愛情空間、友情空間、貨幣空間に分けて考えるなら、私には愛情空間と貨幣空間があり、友情空間がほとんどない。

そして、その構造は、確かに私の内面と合っている。

だからこそ、その空白を埋めるものとして、初恋の彼女の存在が異様に大きくなってしまうのだと思う。
本当は彼女そのものというより、私の中に空いている穴が、彼女の姿を借りて現れているのかもしれない。

以前、このブログで彼女のことを詳しく書いたことがあった。けれど、手紙を送ったことへの返事らしきものが、どうも親のところへ来ているようでもあり、もうあまり公に書けなくなっている。

もしこのブログを彼女が見たら、きっと「もう関わりたくない」と思うだろう。

それでも、私は書いてしまう。

隠し事の多い人生を送ってきたこと。
自信のない生き方をしてきたこと。
その結果として、誰かの愛をまっすぐに受け取る資格が自分にはないのではないかと思ってしまうこと。

そんなことを考えると、苦笑するしかない。

それでも、まあ、死なないように努力はしている。

もし読んでくれている人がいるなら、何かコメントをください。
叱責でも、共感でも、ただの一言でもいいです。

今の私は、誰かの声を少しだけ必要としているのだと思います。

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この記事を書いた人

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