母の耳、私の心 ~老化と向き合う日々~

新年を迎えると、さまざまな感情が巡ります。今年の元旦も例外ではなく、家族と過ごす時間の中で、母の耳の問題について考えさせられました。

母は今年77歳。テレビの音量が尋常ではなく大きいのです。その音が部屋中に響き渡り、私の耳まで痛くなるほどです。しかし、その音量の異常さに母自身も気づいている様子がありながら、特に改善しようとしない日々が続いています。それを指摘できない自分にもどこか歯がゆさを感じます。

ふと、母と一緒にテレビを見て笑い合っていた頃を思い出します。あの頃は、耳のことなど気にする必要もなく、ただ楽しい時間を共有していました。もう戻らない日々なのだろう、と感じると、少し切なくなります。母は「補聴器をつけるべきか」と言うこともありますが、父が「まだ必要ない」と強く否定します。老いを認めたくない気持ちが、そこにはあるのでしょう。

職場では、年齢を感じさせる話題も耳にします。例えば、40代後半の同僚がフランスパンをかじった拍子に前歯が2本折れてしまったというエピソード。私自身も、鏡の前で裸を見つめると、以前よりも肉付きが衰えているような気がしてなりません。若さは永遠ではない、そう実感する瞬間です。

しかし、母の老化は私にとって特に辛い現実です。父(88歳)よりも母の方が急速に衰えを感じさせるからです。それでも、まだ普通に会話ができ、大きな声で話せば理解してもらえる状況には感謝しなければならないのでしょう。

社会人になりたての頃、立川の居酒屋で目にした光景が思い出されます。娘2人が笑顔で認知症の母親に話しかけていた姿です。当時は他人事として眺めていましたが、今となってはその場面が自分の現実に重なります。他人の痛みは自分の痛みと感じないからこそ生きていける、そんな皮肉な真実も理解できる年齢になりました。

それでも、自分の耳の健康も無視できません。母の爆音を毎日聴かされていると、いずれ私も難聴になるのではないかと心配です。そのため、母にそれとなく伝えるか、隣の部屋に避難するか、あるいは静かに場所を移すべきか考えています。

おせち料理をつつきながら、そんな思いを巡らせた今年の元旦。家族の老いに向き合うのは簡単ではありませんが、それでも日々の中で何かしらの答えを見つけていけたらと思います。

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この記事を書いた人

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