
■「戦争なんて起こらない」と思っていたあの頃
なぜ、こんなことになったのか。
ウクライナとロシアの戦争は、世界の“核の均衡”を破った象徴だった。
核兵器を持っていても、力で領土を奪おうとする国が現れたという現実に、私たちは向き合っている。
ロシアは「キーウは我々のもの」という幻想を持ち続けていた。ゼレンスキー政権になってから、その幻想は暴力という形で噴き出した。NATOの支援が戦争を長引かせ、一般市民の命と、若者の人生が消えていく。
■国民の命が“商品”として扱われる国が、すぐ隣にあるという恐怖
北朝鮮は、国民の命をまるで使い捨ての駒のように扱う。
先日、出張で鹿児島に行ったけれど、地図で見れば、北朝鮮とはそれほど離れていない。それでも、そこには天と地ほどの自由の差がある。考えるだけで、寒気がした。
少しでも「おかしい」と口にすれば、即逮捕。体制に逆らう者は、見せしめとして消される。
そんな恐怖政治が、2025年の今も堂々と続いているのだ。
■日本は大丈夫なのか?――“考えないこと”がもたらす快楽
娯楽に溺れ、危機感もなく、流されて生きる。
それが日本の“快適な日常”だ。私は今、AIスクールに通っているが、参加者は少ない。なぜなら、みんな考えたくないからだ。
「考えるAI」ではなく、「考えなくて済むAI」にすがる。そんな姿を、見たくない自分もいる。
■S&P500を買ったことを、こんなに後悔する日が来るとは
トランプが再び武器供与を表明したというニュースを見た。
「第三次世界大戦」が、もはや冗談に聞こえない。
私はS&P500に全力投資していた。戦争が本格化すれば、資産が吹っ飛ぶかもしれない。
そんなとき、心の奥から出てきたのは――
「核兵器なんて落ちないでくれ。お金が減るから」。
自分のエゴに、吐き気がした。
でも、それが人間なのかもしれない。
■甲子園は、今も平和だった
その日、テレビでは阪神と中日が延長戦をしていた。
甲子園には、笑顔があった。声援が響き、ビールが売れ、勝敗に一喜一憂する。
――これが平和なんだと思った。
44年間、大病もなく生きてきた。そんな平和の恩恵を受けてきたのだ。
でも、ふと思う。「この幸せって、あとどれくらい続くんだろう?」
■大阪万博の日本館が当たるか、それすらも“運”の世界
今、私は大阪万博の日本館の抽選に応募している。
当たるだろうか。外れたらどうしよう。
…いや、そもそも前日に体調不良の人が出たら、自分が出勤して行けなくなるかもしれない。
流通業は、最後まで何があるかわからない。
でも、それが“今”を生きている実感なのかもしれない。
■人気が一極集中するのは、どこも同じ
万博でも、人気パビリオンは予約なしでは入れない。
教室でモテる子に視線が集中するのと同じ構造だ。
「結局、社会は変わっていないんだな」
そう思ったら、なんだか笑えた。
▼あとがき:混沌の時代をどう生きるか
世界が不安定になっている。
でも、私たちはまだ笑えるし、阪神戦を応援できるし、万博にワクワクできる。
その「日常」が、実はとんでもなく貴重で尊いのだと、ようやく気づいた。
あなたは、何を守りたいですか?
そして、そのために、今、何を考えていますか?
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