nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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橈骨頭骨折をしてから、1ヶ月の経緯を書いてみた。

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一切は過ぎていくものだな。骨折して休職していた時に、多くの映画や本を読めた日が懐かしい。貯金も2000万円近くあるから、全く働かないで、本を読んだり書いたりするのだったら、一体、何年ぐらいしのげるのだろうかと思う。好きなことだけしたいとすれば、そのことが頭に浮かぶ。文学ほど楽しいものは、世の中にないだろう。
橈骨頭骨折をしたのが、6月27日であり、それから、本日、8月6日までの経緯を書いてみようと思う。橈骨頭骨折とネット検索をして、一番救われたのは、医者が書いたものではなく、実際、怪我をして、リハビリを経ていく過程を記録した個人のブログであった。私も、正直に書くことで、いつか誰かに、その想いが伝わる日がくるのではないか。
6月27日に、職場であるスーパーの廊下を走っていて、鉄台車につまづき前倒しに転んでしまった。刹那、左腕で受け身をしたために、左肘の橈骨頭に骨折(ヒビ)が入ってしまったのだ。18時を過ぎていたため、緊急病院で診察を受けることになった。レントゲンを撮り、再度、診察室から呼ばれると、4人の看護婦と医師が真剣な顔で立っている。
「今から固定しますから、ワイシャツを脱いでもらっていいですか?」
と看護婦が険のある声で目を合わせてくる。これはただ事ではないと感じた。肘は、動かすと身がすくむような痛みであったから、ただごとではないことはわかっていた。骨折だけは勘弁してほしかったがしょうがない。おそらく、手術の必要はないだろうと、夜間の研修医らしい男性に言われた。
ギプスがとれた後のリハビリの大変さが頭に浮かんで憂鬱になってきた。
翌日、医者がレントゲンをみて、仕事は何をしているかと聞いてきた。鮮魚の仕事で、魚を卸したり、販売したりする仕事だと答えると、
2ヶ月はできないんだと優しく諭すように話してきた。書いてもらった診断書には、橈骨頭骨折 3週間の固定と、2ヶ月間の左腕完全免荷と記入してある。この先、どうなるんだろうという不安になった。
1週間後に骨折部がズレていないか確認して、3週間後に、固定を外してもらった。これ以上、つけておくと、肘が永遠に動かなくなるから外すんだからね、死ぬほど気をつけてね、簡単にズレるんだからねと念を押された。
すぐに復職とならず、人事部が間に入ってくれて、固定が外れてから、7日後に出勤することになった。鮮魚の現場は荒いから、固定が外れてすぐでなくて、やはり良かった。左腕が全くいうことをきかず、白く細くなった状態でやることになるとしたら、想像するだに怖いことだ。
固定を外す時に、伸びと曲げをやってみてと言われた。曲げは自然になるだろうから、伸びを意識的に、1日数回はやっておいて欲しいと言われた。1週間後に再度レントゲン写真を撮ってみた。ズレは無いが、まだ左腕がしっかり伸びていないらしく、しっかりやっておいてと言われた。手を伸ばして、手首を上に向けて、5指を下に向けるように力を入れるだけでいいそうだ。反動をつけて、伸ばそうとする必要はないということで、毎日、努力しているのだが、これ以上、真直ぐ伸びないようで、リハビリも壁にぶつかっている。朝起きると、また、腕が硬直して、何度か腕を伸び曲げをしないと、柔らかくなってこない。6年前、親指の腱を切った時も、柔軟性を取り戻すまで、数年かかった。左肘は、残り1ヶ月で元に戻るのだろうか? いや、仕事が出来るようになるのだろうか?
逃げ出したくなるけれど、前を向いて取り組んでいかなくては!

古代のアポロのトルソー

そこで二つの眼球が熟れていた
アポロの比類のない首をわれわれは知ってはいなかった だが
その胴体(トルソー)はいまもなお燭台(カンタラ)のように燃えているのだ

そこには彼の物を見る眼が ねじこまれたまま

失われずに 輝いている さもなければこの胸の隆起が
お前の眼を眩ますことはできないだろう そして腰の
かすかな回転にひそんでいる一つの微笑が
生産を孕んでいたその中心へ向ってただよってゆくこともないだろう

さもなければ この石は畸型で
両肩の透明なまぐさの下の不様な石にすぎないだろう
そしてこんなに猛獣の毛皮のようにきらめくこともなく

そのあらゆる隈々から まるで星のように
輝きでることもなかろう なぜならこの像にはお前を見つめていない
部分は何処にもないからだ お前はお前の生を変えなければならない

夜の散歩↓
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明日から復職! 自殺者は都市への解放を試みた先駆者である!

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いよいよ明日から仕事を始めることになった。骨折をしてから、骨が完全にかたまるまで、2ヶ月はかかるというから、本格的な始動は、8月30日以降ということになる。この1ヶ月は、重たいものも持てず、左手で身体を支えるなどしてはいけないということだ。果たして仕事になるのかと考えると不安で居たたまれない。
産業医との面接では、8月16日からにすればいいのでは? と聞かれたが、今の労働力を説明して、所属先の店長・チーフが良しとすれば、せざるをえない立場ではあるのだ。私とて、今の状況で商売戦線に復帰すれば、みじめで情けない思いをするのは知れている。
たとえば、産業医が耳の病気にかかり、聴力が回復するまで1ヶ月かかるとして、医院のオーナーが、筆談でもいいから出てきてくれ、あらかじめ患者には許可をとっているからと言われれば、出なければいけないというのに似ている。
私は今回の怪我で、仕事は嫌いではないが、職業意識が希薄であることがわかった。産業医との面接を近くで聞いていた保健師の人を例にとれば、心身にアクシデントが起こり、仕事から遠ざかっている人を復職までサポートすることに、生き甲斐をもっているということであれば、周囲の評価というより、仕事の内容そのものに価値をもっているといえるだろう。
スーパーの現場で働く人は、そういう人は少ない。生活の資を得るのに困らない給料を貰えて、商品を売るのが楽しくて、周囲や会社から認められれば満足といった輩が多い。それは、セルフサービスというのが大きい。日曜日鮮魚の商品を140万円ぐらい販売しても、思い浮かぶお客様の顔が、10人いればいいほうではないか。消費者の顔が不鮮明な寂しさを覚えるのである。
今、私は、これまで6年間積み重ねてきた信頼や評価の半分以上を崩してしまったところがある。職場復帰において、モチベーションも半分になってしまったと言っても過言ではない。しかし、6年間、色々な店で働く人達のことを思うと、言葉は悪いけれど不良社員が、1店舗に4人ぐらいいる。人事コストの垂れ流しになっている。
私は今、向き合っている壁、そこで進もうとする力の蓄積は、今後、会社にとって有益なものになる可能性を秘めていると信じる他ない。
店に立ち寄った帰り、京王線で人身事故が起きていた。運転再開まで、100分かかるそうだ。
私が鬱々とした不安の中で、職場を訪れるために乗っていた電車の後に、1人の女性が線路に身を投げたのだ。
即死であるから、苦しくないのだろうか?
楽に死にたいと誰もが考えたことがあるだろう?
安部公房が自殺者のことについて、一つの答えを出している。以下、『都市について』の抜粋です。
「ぼくの考えでは、都市が悪夢のイメージしか結びえない理由は、要するにぼくらが、まだ都市を十分に表現しつくす、都市の言葉を持っていないせいだと思う。ぼくらの血の中には、古い共同体の言葉が、すぐにも沸騰しかねない圧力をひめて、まだ息づいている。都市を語るときにも、ついその共同体的思考を借用してしまうことになる。すでに無力になった共同体の言葉で、共同体の対立物である都市を語ろうとするのだから、そのイメージが悪夢めいてくるのも、しごく当然のことなのだ。
 とくにおびえを感じさせるのは、人間関係の変化かもしれない。都市(産業社会)は、自己の成長の能率化のために、共同体的人間関係をすっかり再編成してしまった。比喩的に言えば、隣人の組織から、他者の組織へと、編成替えをしてしまったのである。おかげで市民は、共同体的な価値の固定から解放され、おのれの価値を拡大していく、自由競争の可能性を与えられることになった。可能性にすぎないとしても、ともかく可能性は与えられたのだ。そして、その自由に対t応するものとして、勝者には社会的地位という、栄冠が約束されはしたものの、それは同時に、幸運な例外を除く大多数の頭上に、苦い荊棘の冠を自覚させる結果にもなったわけである。
たぶん、そのせいだろう、自殺者を敗者の代表とみなし、同情よりも非難の目をむける点においては、どんな体制のモラルも、奇妙なくらいに通っている。敗者の存在は、体制の如何を問わず、社会にとっての恥部だからだろう。だが、敗者と自殺者を同一視すること自体、共同体的な思考に馴れた、偏見の現われにすぎないのではあるまいか。共同体にとって、自殺はつねに許すべからざる批判であり、挑発である。社会が自殺者に対して、つい保守的になってしまうのも、考えてみれば無理からぬことなのだ。
だが、隣人を受付けない、他者の組織の孤独に耐えられなくなったとき……無限の競争地獄に耐えられなくなったとき……はたして人は、まっすぐ死におもむくものだろうか。そんなことはない。人々はむしろ、偽の共同体にしがみつこうとする。閉鎖的ではあったが、気を許すことが出来た共同体へのノスタルジアから、内容のない共同体のシンボルにだけでも、しがみつこうとする。家庭、宗教、国家、その他もろもろの紋章の旗のもとに……。あげくのはてには、異端征伐という、まことに充実した生の目標さえ手に入れてしまうのだ。おかげで現代の都市は、その冷酷な本質にもかかわらず、現象的にはむしろ、疑似共同体のスーパー・マーケットの観さえ呈している。
 そう、自殺者はけっして単なる敗者ではないのである。現にしばしば、世間的には栄光の冠を与えられたと見える者さえ、自殺への道を選んでいる。おそらく彼等の失望は、一見都市の陽気を支えているように見える、雑多な疑似共同体の虚妄を見抜いてしまったせいにちがいない。その意味では、健康な生活人などよりも、自殺志願者のほうが、はるかに生の真実に近づいていたとも言えるのだ。と言うのも、都市が勝者に成功者の栄冠を用意しているという、そのこと自体、じつは共同体的発想の単純な裏返しにしかすぎず、けっして都市自身の言葉で語られた、都市の素顔などではないのだから。
だからぼくは、書きたかったのだ。なんとか、都市の言葉を見つけ出し、都市の孤独を病気だと錯覚している、その錯覚に挑戦してみたい。いま必要なのは、けっして都市からの解放などではなく、まさに都市への解放であるはずだ。自殺者や、失踪者たちは、たぶんその挑戦に敗れた先駆者だったのだろう。」
京王線に飛び込んだ無名の女性に哀悼の意を捧ぐ。

オリンピック開会式は詩であった!

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東京オリンピックの開会式は、概ね、海外の記者からは好評だったようだ。国民の大体は不評というところだろう。オリンピックは、多様性を認め、人種差別のない世の中のための平和の祭典といった世にもおめでたい言葉が並ぶ。先日、柔道の銀メダルをとった渡名喜選手が、カメラの前で悔しくて泣いている姿を見ると、私も少なからず貰い泣きしてしまった。また、悔しさを押し殺して、勝者を称える世界各国の選手たちを見ると、微笑ましくもなる。戦争ではなく、スポーツを通して、正々堂々と争うという姿は、美しくもあると感じてしまう。
しかし、メダルにかかわる多くの選手達は、先進国でスポーツに専念していい環境を与えられている。アフリカでメダルが何枚というものは、どれも、母国でスポーツをしているのではなく、同じく先進国のチームに所属して、そこで生活をしている。ヨーロッパの各国が産業革命を達成してから、植民地開拓に乗り出していった傷が、まだ癒えずに、被支配国のほとんどは、国の態をなしていない。あの植民地の単一生産単一労働から、脱却できずに、いまだに国としての健康状態はさっぱりである。その国から、世界に誇る文化一つ出てこないのだ。オリンピックの入場行進にみられる世界の国々の方達が笑顔で手を振る姿は、先述した現実をカモフラージュするように思えてならない。勝てば自国の国旗があがるなんて、民族主義の宣伝ではないか。多様性と人種差別とは、そごをきたしているのだ。
国民に支持されるオリンピックとは何か? これは、国旗が掲揚されるように、自国の文化がいかに迫力があり、素晴らしいかに特化してやり続けることである。聖火に点灯するのは、オリンピックのレジェンドで、メダルを最も獲得したアスリートがやる等すれば文句はでないだろう。
コロナ禍で、自国開催の意義が、内外から問われている状況で、打ち出した答えが今回の開会式に表れていると思う。
木材とタップダンス、海老蔵とジャズ、イマジンの歌唱者にアジアの歌手がいない、日本の旗手の一人は、八村塁にする等、コロナ禍の時世、選手の葛藤、人種・民族の差別ない多様性を認め合う社会にしていこうとする表現にはなっていたと思う。
私は木の箱を子供達がエンブレムの形に組み替えて、イマジンを謳うと、空にエンブレムが浮かび上がり、地球の形になるところに感動した。開会式のハイライトとしてふさわしい内容だった。
海外の評価↓
24日付フランス紙フィガロは「感動的な式典の最後、聖火が東京を赤く染め、『疫病五輪』を開会させた」と報じた。開会式は「普通より簡素だったが、感動的だった」
仏国営テレビは23日、開会式を生中継で放送し、「これまでの五輪開会式より簡素だが、詩的、文化的側面は劣っていない」
イギリスの大衆紙ミラーの記者「ドローンで大会エンブレムを空に表現するなど、芸術的でとても素晴らしかった」
アメリカのワシントン・ポスト「現在の日本の多様性を感じさせた。移民について、人種やアイデンティティーの異なる人々が一つの国をつくるという考えについて、まさに取り組み始めたばかりの国であるとうなずかせるものだった」
イギリスのガーディアン紙「この夜、視覚的に最も印象的だったのは、ドローンを使って東京2020大会のシンボルマークを描いたことだ」

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大本営地下壕でお偉いさんは命ごいを考える。市ヶ谷記念館の旅4

f:id:nyoraikun:20210724134802j:plain戦争末期、本土空襲に備えて、壕ができたそうだ。終戦の会議もここで行われたというが、証拠となる資料がないらしい。500kの爆弾にも耐えうる構造になっているという。
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緑の光が当てれている場所は、地上にある石見灯篭のところで、通気口となっている。
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最奥が、皆が食事をしたところだそうだ。
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戦争末期の頃の様子が絵になっている。
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丸い痕は、便器だという。水洗トイレというから驚きだ。
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緑の光が当てられている場所、鉄筋コンクリートが見える。日本にはない原料であるから、海外から取り寄せたものだろう。
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ガイドの方に聞いてみた。
「ここは、空襲にあわなかったのでしょうか? 上空を航空隊が防御していたということですか?」
「皇居とここは、米軍の攻撃目標からは外されていたのです」
随分と余裕があるものだ。
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戦没者を祀る神社である。日本のために戦争に行き、命を失った者があって、現代があるのだから、それを祀る神社を参拝しないというのは、間違っているだろう。
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靖国神社創建の功労者である大村益次郎銅像がある。46歳で凶刃に倒れ死去している。私は、彼の年齢まで後6年をきっている。
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靖国神社をあとにして、地下鉄九段下駅に向かう途中に、また銅像があった。大山巌の像である。陸の大山、海の東郷と言われ、日ロ戦争の英雄らしい。『深夜特急沢木耕太郎著で、モロッコのバーで、東郷は凄い奴だ、ロシアに勝った東郷は偉い奴だと言われるシーンがある。東欧や中東の人達の歴史観は、日本と大きく違う。欧米、ロシアに翻弄されてきた歴史から、日本に対して、日本人が思うほど嫌悪感はなく、むしろ好意的である。
ロシアとの戦争に勝利し、アメリカに宣戦布告し、原爆まで落とされているのだから。
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品川弥次郎は吉田松陰松下村塾で学んだそうだ。大臣まで出世して、日本の近代に貢献した人物らしい。
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この灯籠が、東京湾から見えたというから驚きだ。明治4年の当時は、軒はどこも低かったということか。
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お堀に草が異常に浮いている。これでいいのだろうか。
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新宿駅アルタ前に、人だかりができている。多くの人がカメラを向けている。撮り逃した人、私もそうであるが、次に猫が現われるまで、待っていた。写真だとうまく伝わらないが、猫が画面から飛び出してきたようで、そのたびに歓声があがった。
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違法行為であるが、電車の中でみかけた綺麗なお嬢さん達である。オシャレである。私も20代、結婚に価値を持ち、必死に相手を探せば、彼女のようなお嫁さんを手にいれることができたのかもしれぬ。しかし、一緒になれば、嫌なことの方が多いのだろうなぁ。男女って合わないものだよ。この髪をかきあげる姿に、男性の手がついていない初心な品格の良さを見る。手の組み方も女性的で、絵描きであったら、こういう手弱女ぶりを描きたい。
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これも初心で自分の世界に入っているお嬢さんである。この頑なさは、近寄りがたいものがある。しかし、電車の中でも、魅力があるのは確かである。
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市ヶ谷の旅もここで終わる。
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三島由紀夫切腹の地 市ヶ谷記念館の旅3

三島由紀夫切腹した地に、ついに来た。扉にのこる3箇所の刀傷が生々しく残っている。白いテープで場所を示してある。
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三島由紀夫切腹した場所からの眺めである。外へ出るのに、左の窓を開けて出たそうだ。
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ここから演説をしに出ていった。
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切腹をしたのは、女性ガイドと順路の掲示板の真ん中より、やや掲示板よりだろうか。今回ツアーに参加したのは、8人であったが、ガイドと担当者も7人いたのだから、防衛省ということもあるけれど、結構、お金はかけているなぁと思う。民間なら考えられない人件費である。
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もとの市ヶ谷1号館は、このような建物であった。3階建である。天皇の部屋も見ることができた。写真撮影は禁止ということであった。
建物内のドアは、普通、室内に引くように作られている。招き入れるというものだが、天皇の部屋は、外に押し出すような作りである。それは、天皇は招き入れることはなく、すべて、参上するのであるからという理由である。また、クーラーがない時代であったので、両側の壁が空洞になっていて、下からスプリンクラーのようなもので風を起こし、天上の通気口から涼しい風を送り、部屋を冷やしていたそうだ。天皇陛下は特別扱いなのである。
安倍晋三総理大臣が訪れた時の様子。レーザーポインターをつかって説明している男性が、私の時もガイドでいて、説明に心がこもっていて、感心する内容だった。
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大本営陸軍部と木板に書いたが、縦に割れ目があるのに縁起でもないと、書き直したのが、右の板である。実際につかっていたので、字が薄くなって、ほぼ消えている。
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天皇が座るところである。
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東京裁判が行われたところである。
天皇の視点からはすべてが低く見えるように設計されているのだ。
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硫黄島玉砕戦の総指揮者である栗林中将が、大本営に電報した辞世の3首のうち、1首が新聞に掲載された。
1,国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
2,仇討たで 野辺には朽ちじ 吾は又 七度生れて 矛を執らむぞ
3,醜草(しこぐさ)の 島に蔓る 其の時の 皇国の行手 一途に思う
1番が新聞に掲載された。戦意高揚のため、悲しきは適当でないと判断され、口惜しに変えられている。
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栗林中将の家族への絵葉書である。家族想いで、新聞記者になりたいという時期もあったらしく、文才も優れていたという。
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16日に大本営にお別れの電報をうった際に、17日に史上最年少で大将に昇格した。首の徽章の星が3つになっている。
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大山元帥や国民に絶大な人気を誇った乃木大将の写真がある。
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天皇からの賞状の絵はすべて手書きである。半世紀以上たっても色あせないのは、そのためらしい。
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武運長久と読める。弾が当たらないように、とまるようにということで、糸玉で文字をつくっている。
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皇后から贈られた義足である。
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死刑判決を受ける東条英機である。やりきれない思いがあっただろう。A級戦犯で死刑宣告を受ける連中は、皆、戦争で勝てると考えていたものは一人もいないはずなのだ。
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陸軍市ヶ谷1号館にかつてついていた菊の紋章である。左上の写真を参照。
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三島由紀夫が演説していたところだ。
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インドネシアの初代総統の銅像である。オランダと共に戦い、独立のために貢献した日本への感謝の気持ちをこめて、日本にだけ贈ってきたものである。
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三島由紀夫が演説した広場は、現在では儀仗前にあたる。この広さである。樹々の間に、石見灯篭がある。それは地下豪の通気口となっている。庭園に見せかけている、カモフラージュをしているのだ。
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性病の薬を貰った。女性を学ぶための風俗の授業料は高い!

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御殿山病院は、南大沢駅と八王子南野駅の間に位置して、交通の便が悪い。祝日で唯一開業しているのは、収益上の問題なのかと勘繰りたくなる。白い教会に似た建物は、博愛の精神を表しているようで、心の安らぎを覚える。
以前、クラミジア感染症にかかったが、最初に出された薬が淋菌性のものだから、一切きかずに、症状をかなり悪化させたことがあった。今回も、おそらく淋菌性のものだから、医者にも話してみようと思った。
診察に呼ばれた。
「6月23日にソープランドに行きまして、27日に骨折しました。利き手にギプスをつけることになりまして、右手でマスターベーションをしていたこともあり、荒く擦るため、傷がついたのか、炎症をおこしたのか、2週間ぐらいして、痒くなってきたんです。もしかして、亀頭包皮炎ではないかと思い始めて、7月19日にギプスが外れて、2日後の21日に、ソープランドに行ったんです。」
「盛んだな」
と医者は下を向いて、こらえるように笑った。
「それから、排尿時に軽い痛みと灼熱感と痒みを感じるようになりました」
「性病をもらったんじゃないかな。膿は出ている?」
「出ていません」
「ちょっと、見せてくれる」
 年増の看護婦、飛田新地のやり手ババァに似た看護婦が、私の顔から目を離さず睨んでいる。女性が一番怒ることをしているのだろう。
「淋病とクラミジアにかかったことがあるのですが、これはクラミジアだと思うんですよね」
とズボンをずりおろして、パンツの割れ目から、医者にペニスをさらした。
クラミジアの薬出しておこうか。尿をとって検査に出すから」
「淋菌は大丈夫ですか?」
「だって膿がもっと出るよ」
処方箋と審査表を受付でもらい、検査の内容に、クラミジア・淋菌の検査薬と書かれていて安心した。クラミジアだけの検査だと思って、勝手に慌てて、先生に問いかけていたのだ。
診察料で2580円もとらえた。そして、タクシー代だけで、3500円もかかったけれど、安心・安全のためなら安いものだ。
医者はもうかるなぁ。何か、自分で仕事を始めたいと思う。
市議会議員になりたいと思い始めたけれど、立候補でもしたら、このブログを消去しないと、絶対に落選するだろう。
ルソーの孤独な散歩者の夢想で、私がどんなに私利私欲にまみれて、弱くて情けないと思うかもしれないけれど、それを心から笑える人はいるだろうか? というようなことが書かれていた。私も生きる希望が持てなくて、目をつむって寝て起きれないまま、死んでいたというのが、本当のところ理想のようである。
南大沢のサンドラックで処方箋を出すと、受け付けてくれた薬剤師の女性の目は鋭くなった。怒りが存分に含まれているようだ。
ジスロマックが4錠である。1日1錠だけで良いということだ。以前は、ジスロマックドライシロップという1回で1週間効く薬をのんで、猛烈な副作用があったけれど、今回はそんなことないようだ。
ネットで調べてみると、1錠250gの場合、クラミジア治療には、1回で4錠をのむそうだ。1日1錠で4日間ということは、医者は、副作用を最小限に抑えようという配慮と、症状が悪化していないということだろう。
1錠のんで、少し尿道の違和感、妙な感じが少なくなった。この調子で完治したい。
骨折もそうだし、性病もそうだし、一度病気になると、前の健康な状態がなんて幸せだったのだろうと思えてくる。でも、また同じ健康になると、昔の大変だった時のことなど忘れてしまうものだ。だから、人間は生きていけるのだろう。忘却するから、日々を楽天的に生きていけるのだ!

妙だな!これは性病かもしれない? 1分のオーラルでうつるものなのか? 

f:id:nyoraikun:20210723120935j:plain6月23日にソープランドに行き、27日に骨折した。利き腕がつかえない状態が3週間つづき、その間、右手でマスターベーションをしていた。手のつかい方がどうしても荒くなってしまい、亀頭の包皮が痒くて仕方なくなった。7月19日にギプスが外れて、21日に市ヶ谷記念館の帰りがけにソープランドに立ち寄った。バルボラのソープランドで、元々90分6万7千円かけて遊べた女の子が、今は、4万円で大丈夫だし、50分コースだと、2万3千円で済むのである。だから、前々からいた女の子が辞めないうちに遊びにいこうと欲をかいたのが裏目にでたのかもしれぬ。彼女は超人気嬢である。男性の回転率が多いほど、性病を貰う可能性があることを考慮に入れなかった。私は馬鹿である。
もちろん性交時は、コンドームをつけていた。オーラルセックスは、つけていない。いつもは、着けるようにお願いしていたのだが、前に、
怒り出したソープ嬢がいた。病気を持ってくるのは、男性側なんだよ、私達は悪くないんだよと苛々を隠せないようだった。淋病もクラミジアも普通の風邪のようなものなんだからいいよねという言葉に、妙な説得力があって、安心安全を確保して性交に及ぶことは、どこか卑怯な気がしてきたのだ。
昨日、排尿時に軽い痛みが走った。何度もトイレにいき、排尿するたびに、妙な違和感を感じる。病院に行こうとして、今日、近隣の泌尿器科を探したけれど、祝日はほとんどやっていない。御殿山クリニックが唯一やっているようだ。亀頭包皮炎がフェラチオで悪化したという可能性が高く、それであって欲しいとも思う。しかし、淋病やクラミジアに感染していたとして、淋菌性の治療薬を貰っても、実はクラミジアだったとしたら、29日からの職場復帰の際に、いかんともしがたいのである。あのじりじりとくるペニスの違和感は、仕事の集中力を完全に奪うのだ。
コロナの感染を報道機関は騒ぐほど、私のはしたない行動による病菌は、何の同情もされないと言われている気がして、孤独感が募ってくる。事実、近くの薬局で、尿道口が赤く腫れていて痛いから、塗り薬が欲しいと男性の店員に相談すると、知的で綺麗な女性を呼んできて、私に同じ話をさせるのだ。私の顔を見るのも忌まわしいというように、嫌々ながら説明しているようだった。私は、そんな変態に見えるのだろうか。
骨折のリハビリも身が入らない。勉強をしていても頭に何も入らない。
23日11時にもう一度、小便をしたが、それほどの痛みではない。診察に行くのを1日待てば、近場の泌尿器科も営業しているのだ。
どうしようか迷っている。午後から痛くなったらどうしよう。
私はゲスな人間なのだ。すべての堅気の女性を敵に回すことをしているのだと、自己嫌悪に陥った。

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ