
──世界樹、龍、人間の戦争本能
東京・竹芝の自由劇場で
劇団四季
のファミリーミュージカル
はじまりの樹の神話
を観劇した。
正直に言うと、最初は「子ども向けの作品だろう」と思っていた。
しかし舞台が進むにつれ、この作品が単なるファミリーミュージカルではなく、神話と文明批評が重なった寓話であることに気づかされた。
観終わったあと、しばらく席を立つことができなかった。
神話的儀式から始まる舞台
幕が開くと、巨大な樹の前に呪術的な人物が現れる。
頬に赤い線を引き、祈りの歌を歌う。
その姿は
ライオンキング
冒頭で歌う祈祷師ラフィキを思わせる。
つまり、この舞台は最初から
神話の世界
で始まるのである。
このとき客席の前の赤ちゃんが突然泣き出した。
おそらく意味が分からず、少し怖かったのだろう。
劇団四季のファミリーミュージカルは、子ども向けでありながら演出が非常に本格的だ。
そのため、神話的な場面は子どもにとっては不思議で恐ろしいものにもなる。
しかし劇場には赤ちゃん用の防音室が用意されていた。
こうした配慮を見ると、劇団四季という劇団の成熟を感じる。
孤独な読書家スキッパー
主人公はスキッパー。
本を読むことが好きで、人付き合いが苦手な青年だ。
誰かに誘われても
「僕は本を読んでいるほうがいい」
と言ってしまう。
孤独で、どこか自閉的な人物。
この役を演じていたのが
鈴木努。
非常に繊細な演技だった。
ホタルギツネというトリックスター
そこに現れるのが、狐の仮面をつけた存在。
しかも大阪弁で話す。
神話では狐は
- 神の使い
- 異界の案内人
- トリックスター
として登場する。
このホタルギツネもまた、スキッパーを神話世界へ導く存在だ。
ハシバミという自然の象徴
もう一人の重要人物がハシバミ。
彼女は文明以前の世界から来たような存在として描かれている。
最初は村の生活に戸惑う。
畑を耕す。
武器を作る。
こうした文明の営みが理解できない。
つまり彼女は
自然と共に生きる世界
の象徴なのである。
龍の正体

村を脅かす龍。
村人たちは龍を退治しようとする。
しかし物語の終盤、驚くべき事実が明らかになる。
龍はハシバミの兄だった。
罪を犯したことで龍に姿を変えられていたのである。
つまり龍とは
悪ではなく、人間の変えられた姿
だった。
武器ではなく歌
村人たちは龍を退治するため武器を作る。
しかし最後に選ばれる方法は戦いではない。
歌である。
皆で歌うことで龍の呪いは解ける。
これは非常に象徴的な場面だった。
龍とは人間の本能
この舞台を見ながら私は思った。
龍とは人間の中にあるものではないか。
例えば
- 戦争
- 支配欲
- 縄張り意識
- 暴力
人間は文明を作った。
しかし同時に破壊も生み出した。
世界を見れば戦争はなくならない。
龍とは、人間の遺伝子に組み込まれた
戦争本能の象徴
なのかもしれない。
世界樹の神話

物語の中心にあるのが「はじまりの樹」。
これは世界神話に存在する
世界樹
と同じ構造を持つ。
北欧神話には
ユグドラシルという巨大な樹がある。
世界を支える生命の樹だ。
万博のマザーツリー
この舞台を見ながら思い出したのが、大阪万博の住友館で見た
マザーツリー
だった。
生命は一本の樹から広がる。
この思想は神話の時代から存在する。
三島由紀夫と神話
ここで思い出すのが
三島由紀夫
の思想である。
三島は、日本人の精神の根底には神話があると言った。
合理主義の社会になっても、人間は神話から逃れられない。
人間の中には常に
- 暴力
- 崇高さ
- 神性
が同時に存在している。
『はじまりの樹の神話』は、それを子どもにも分かる形で描いた作品なのかもしれない。
劇団四季の表現力
舞台の完成度は圧倒的だった。
特に
- 龍の造形
- 巨大な樹
- 役者の演技
自由劇場という比較的小さな劇場でも、観客を神話世界へ引き込む力がある。
これは劇団四季の実力だろう。
カーテンコールのとき、思わず涙が出そうになった。
最後の一言
物語の最後。
孤独だったスキッパーは、誘われてこう言う。
「じゃあ僕も行くよ」
たったそれだけの言葉。
しかしその一言は、人間の成長を示している。
人は一人では生きられない。
そのことを静かに語るラストだった。
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