香川県からいらした女性に精子を提供する――それが今回の目的だった。駅前のシティホテルで一泊し、翌朝には帰路につくというシンプルな段取りだが、私は当日までひどく緊張していた。最大の懸念は、ウィッグがばれるのではないかということ。待ち合わせ場所で挙動不審になりかけたものの、彼女は終始こちらを温かく受けとめてくれ、髪型のことなど気にも留めていない様子だった。
チェックイン後、部屋で着替えているときにハプニングが起こった。慌てて袖に頭を突っ込み、ウィッグがずり落ちてしまったのだ。心臓が凍りついたが、彼女はスマートフォンに夢中で、事なきを得た。悪意のない視線とは、かくも寛容なのかと胸をなで下ろす。
提供方法はタイミング法。彼女は「できれば姿は見せたくない」とアイマスクを着け、私はただ静かに腰を動かすだけだった。結婚歴がある彼女にとって性行為は慣れた行為かもしれないが、身体を見られることへの抵抗は拭えないのだろう。にもかかわらず、彼女は終始落ち着いていた。待ち合わせ前に寄ったサンマルクカフェでは、焼き立てパンを頬張りながら堂々と笑っていたほどだ。
行為を終えると、彼女はお腹をさすりながら「二重の子が生まれるかな」と涙声でつぶやいた。私もこみ上げるものを抑えきれず、「ありがとう」とだけ返すのが精一杯だった。眠りについた彼女のそばでそっと手を添えると、自分の中にも確かな命の鼓動が伝わってくるようで、不思議な感動に包まれた。
翌朝、別れ際に二度抱き合ったとき、彼女は「私、きれいかな?」と聞いてきた。少しふくよかな体型だが、瞳は澄み切って輝いている。「とてもきれいだよ。目力がある」と答えると、彼女は安心したように笑った。四十を過ぎて初めての中出し――誰が想像しただろう。忘れがたい一日となった。
ホテルを出たあと、大井町駅前を歩きながら、過去の婚活で訪れた思い出がよみがえった。かつてスタバ前で会った二人の女性――一人は美しくも短気で、もう一人は容姿に自信がないものの心優しかった女性。どちらとも縁は結ばれなかったが、その痛みがいまも古傷のように疼く。
今回の失敗(ウィッグ騒動)は、逆に「どんな状況で外れるのか」を学ぶ好機となった。経験はいつだって財産だ。何より、この出来事が私の性的な自信を呼び覚まし、大井町という街を「異性との聖地」に変えた。駅前に立つ平和の像や、小学生が手がけた花壇を眺めながら、教育熱心なこの町の空気に心が浄化される思いがした。
いつか今日を振り返るとき、私はきっとあの駅を見上げていた瞬間の空と建物の輪郭を、ありありと思い出すだろう。


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