
「平和は声をあげ続けた者によってしかつかめない」
そう語った一人の被爆者がいた。
NHKスペシャル 『シリーズ 核の80年(2) ヒロシマ 世界を動かした2人の少女』 を観た。
そこには、広島で被爆した2人の少女――佐々木禎子と中村節子の姿が映し出されていた。
禎子は白血病に倒れ、病床で千羽鶴に命の希望を託して折り続けた少女。
その姿が世界に知られるきっかけとなり、やがて反核運動の象徴となった。
一方、節子は生き埋め状態から奇跡的に生還し、戦後はカナダに渡り被爆体験を英語で訴え続けた平和活動家となった。
その活動がやがて核兵器禁止条約の成立へとつながり、ノーベル平和賞という形で世界に評価された。
節子の受賞演説では、生死の境目で声をかけてくれた男性の言葉──「光の方へ行け」──が語られ、その言葉がいま平和の光につながっていることに胸を打たれた。
私自身、高校球児だった頃、勝った高校に千羽鶴を託す習慣があったが、その起源が禎子の物語にあるとは知らなかった。
禎子は亡くなる半年前まで駆けっこで一等賞を取るほど元気だった。
それが病魔に侵され、折る鶴がどんどん小さくなっていく姿は、生命の火が静かに消えていく残酷さと、それでも最後まで生きたいと願う力強さを象徴している。
長嶋茂雄が逝った──「プロ野球の神」の死と、私の原点
そんな映像に感動した夜、ニュース速報で長嶋茂雄の訃報が流れた。89歳だった。
「ミスタープロ野球」と呼ばれ、日本中の少年に夢を与えた存在。
私の親世代は皆、長嶋に憧れて野球を始めた。
その熱狂の余波で、東京郊外の団地育ちの私も野球少年になった。
プロ野球以外のスポーツ選手はテレビに映らず、ヒーローは長嶋だった。
その原体験が今の私を作っている。
そして思う。「結局、影響されるばかりで、自分自身というものはあるのだろうか?」
この文章を書いているのも、誰かに自分の存在を承認してほしいがゆえなのかもしれない。
平和と力は矛盾するのか?
被爆者の2人は平和を訴えてきた。
だが、核廃絶を叫んでも、隠し持つ国が力を誇示する現実は変わらない。
力と力の均衡の中にしか本当の平和は存在しないのでは?
そんな疑問が浮かぶ。たしかゲーテもそう語っていたはずだ。
『ヘルマンとドロテーア』のヘルマンが、平和のために力の歌をうたう姿を思うと、なぜか涙がこぼれる。
それは多くを生き、矛盾した世界を見てきた者の涙なのだろう。
いま核を握っているのは、プーチンや習近平といった個人だという現実が恐ろしい。
政治的勝利と倫理的正しさは決して一致しない。
だからこそ、声を上げ続けなければならない。
きれいごとで済まされる話ではない。
美と運命の残酷さに打ちのめされて
この映像の中で最も衝撃だったのは、ケロイド状に顔が焼けただれた「原爆娘」の映像の後に流れた、中村節子が外国人と結婚するエピソードだった。
そこに映る節子は、女優のような美貌を保っていた。
「これほどまでに運命の格差があるのか」
そう思わざるをえなかった。
神の采配とは残酷なものだ。
そして私は、いま何を祈るのか
この文章を書きながら、また自意識が疼きだす。
死か、愛か?
それとも、そのどちらでもない道があるのか?
禎子と節子のように、小さな声でも、世界を動かす希望を折り続けることこそ、いま私にできる唯一の祈りなのかもしれない。
コメント