nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

三島由紀夫の足跡を辿る旅:下田東急ホテル訪問記


南伊豆休暇村への道中、私は下田の赤根島からまず下田東急ホテルへ立ち寄ることにしました。ここは、三島由紀夫が毎夏仮住まいとして過ごした場所です。しかし、5月31日まで臨時休業中で泊まることは叶いませんでした。坂道を上がっていった丘の上に位置するこのホテルには、特別な雰囲気が漂っています。




三島由紀夫とホテルの関係
三島由紀夫の小説『音楽』では、主人公の麗子が夏の保養にこのホテルを訪れ、その周辺が描写されています。数年前に改装されたと聞いていましたが、訪れてみると、描写とほとんど変わらず、当時の雰囲気を感じ取ることができました。

以下は小説『音楽』からの抜粋です:

汐見先生。
 どこまで私の我儘をゆるして下さるか、いずれ私は先生から見捨てられるのではないかと、ときどきすごい恐怖にかられるのですが、せめてこうして手紙で事細かに自分の気持の推移と、自分の責任でなく起った事件とを報告させていただくことに、私の忠実さを読み取っていただく他はありません。
 S観光ホテルの最初の一日、私は久々で何ものにも煩わされない孤独をたのしみ、先生の下さった脚本も読み、生意気に、これからは、今までとちがって多少自己分析の勝った手紙を差上げられるのではないか、と考えてみたりしました。
 このホテルは伊豆半島の南端の海に面した崖の上にあり、その景色の美しさはちょっと珍しいぐらいです。春の西風がかなり強いのが難点ですが、湾と深い入江と、湾内の程よいところにある岩に打ち寄せる白波と、沖をゆき交う船を、部屋の窓から眺めているだけでもあきないくらいです。ここへ来たとたんに、自分の現金さがわれながら可笑しいほど、食慾も進み、家族連れの多いお客が、アメリカ製の娯楽器具や、スロット・マシーンや、ジューク・ボックスに、つぎつぎと小銭を入れて興じているさわがしい娯楽室にも、そんなに異和感なしに入っていくことができました。ただ見渡すかぎり、女一人のお客は私一人らしいことが、気がさすといえば気がさしました。ただ夕刻ちょっとロビーで見かけたのですが、黒いスウェーターを着た1人ぼっちの陰気な青年がいて(青年といってもまだ二十そこそこですが)、どうやらその人も一人旅らしいのでしたが、その後は姿を見かけませんでした。
 あくる日、私は朝食のあと、ホテルの庭へ散歩に出ました。庭は南西にひらけていて、南のほうへ長い石段を下りていくと、途中の勾配に石垣苺を栽培していて、ビニールのおおいの下に、もう熟した赤い実が点々と見えます。それを見ただけで、苺のさわやかな酸味が口の中に移って来るように感じられるほど、私の体はさわやかでした。
 先生、私がこんな肉体的健康を死んだあの人にすまないと感じる寡婦らしい気持になっていたからとて、私を責める人がいるでしょうか? 青い輝やかしい空を見ても、そこに大きな喪章のイメージが浮んでくるくらい、あの人の死に憑かれていながら、へんに気分がさわやかなこの状態、これこそ幸福というのではないかと私は考えました。隆一さんがあんなにヤキモキして追い求めていた性的歓喜、私があんなに焦燥して聴きたがっていた音楽も、一度それをきいたあとでは、却ってこんな何も要らない浄福が訪れるとすれば、歓喜自体ははじめから虚しい無意味なものとも思われるくらいです。でもとにかく、私はあれほど憎んでいた又従兄に、今は感謝の気持ちを抱いていました。それはどんな男にも私のかつて持ったことのない感情でした。ああ、御免なさい。汐見先生を除いてはね!
 石段を下りきったところに、まだ西風の肌寒い陽気なのに、満々ときれいな水をたたえたプールがあります。夏ではあるまいし、プールのほうへ下りて行けば、一人きりでいられるだろうと思ったのは、私の目算違いで、プールのまわりは、大へんな賑やかさでした。新婚夫婦が写真を撮り合う。家族連れが子供の写真を撮る。又その子供が、ちっともじっとしていないで、プールのまわりを駈け回る。中に、子供づれの2組の若い夫婦がいて、旦那様同士が何か真剣な顔つきで相談しているようにみえたのは、コンクリートの地面でダイスを振っているのでした。そのうち一方が、
『畜生! 負けた』
 と言ったと思うと、するすると洋服を脱ぎ、その下にはちゃんと海水パンツを穿いていて、思い切りよく冷たいプールへ飛び込んでしまったのには呆れました。まわりの人は飛沫を避けて、笑いながら飛び退き、私は私で、こんな単純な人たちは永遠に精神分析などに縁がないことだろうとふと羨ましく思いました。そして一方、私の心には、子供づれでこんなところへ来て幸福そうに騒いでいるその2組の夫婦への、云いようのない軽蔑の気持ちを兆していました。
 私はそんな人たちを避けて、プールの外れの枝折戸から、海のほうへ下りる道へ出ました。道と言っても、危なっかしい九十九折りのそば道で、梅雨のころだったら滑って足を踏みはずしそうな斜面が、草木のあいだに見えがくれにつづいているのでした。幸いあとについて来る人もないので、私は孤独をたのしむためには海のほうまで下りてゆけばよいのだと思い、半ばほど下りたときに、海のほうを眺めました。
 そこは西のほうへ深く切り込んだ入江で、西風が波を押し返し、入江深く打ち寄せようとする波の丹念な努力を崩していました。午前の日光が入江いちめんにまぶしくかがやいていました。
 そのとき海へ突き出した大きな岩の突端に、黒い海鵜みたいな鳥がとまっているのを私は見ました。かなり大きな鳥で、まっ黒で、なかなか飛び立たないので、気味のわるい感じがしましたが、やがてそれは私の目が海のまぶしい光にあざむかれていたからで、紛れもない人間のうずくまった姿だということに気づきました。そう思ってみれば、それはたしかに人間でした。黒いズボンに黒いスウェーター、ワイシャツの白い襟の一線だけが首を取り巻いている。(中略)
あんなところで、1人で、物思わしげに海に見入っている人が、決して幸福なわけではありません。それに遠目にもわかるのですが、岩の突端は滑りやすい不安定な形をしていて、危険な場所に相違なく、その危険をわざと冒させるようなものが、あの人の心にはひそんでいるにちがいないのです。

天才のインスピレーション
三島由紀夫が『音楽』で描写したホテルの景色は、改装後もほとんど変わっていませんでした。彼がインスピレーションを受けた場所を実際に訪れると、その才能に改めて驚かされます。九十九折の道はコンクリートの階段になっていましたが、景色は描写のままでした。

ホテルのフロントには受付の女性が一人いました。三島が滞在した部屋を見たい旨を話しましたが、ロビーでしばらく待っていると、やはり見せてもらうことはできませんでした。

下田東急ホテルを訪れることで、三島由紀夫の足跡を辿る貴重な体験ができました。彼の作品の舞台となった場所を訪れることで、より一層彼の世界観を感じることができました。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村