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日々に出会った美を追求していく!

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『金閣寺』を巡る旅 1-苔寺

 
金閣寺』の舞台を巡る旅に出たが、寄り道をした。三島由紀夫が25歳頃に訪れたことのある、京都の苔寺西芳寺)を最初に行くことにした。
『親切な機械』という作品の重要な一場面につかわれていた。猪口という学生が、苔寺鉄子に結婚を申し込み、断わられたことで、深く考えてから彼女を殺害する話である。

「嵐山には例によって漫然と人間がいるだけのことである。名所というものはどこでもそうであるが、ここは別して今日だけ茶店が休みの日の劇場のような様子をしている。
 そこに23時間いてから西芳寺へ行った。苔庭は冬枯れのままだった。訪れる人はまだなかった。猪口はそれを目当てで誘ったのである。
 初夏になると苔寺の庭は、その凸凹が青い馬の背を連ねたようにみえ、苔の感触といい、光沢といいサラブレッドの名馬の毛並みを思わせる。泰西の人なら、日本ではローンの美しさが、いずれも仮構のものであることに愕くであろう。遠目には美しく刈られたローンとしか見えないものが、近くで見ると歩くこともできない水田なのである。ところが苔寺を訪れる異邦人は、殆ど夢想的な芝生(ローン)の美しさ、これもひとしく仮構の美しさを見出すであろう。なぜならこの庭は妖精のための芝生(ローン)だからである。これは人間の規模を千分の一に縮小したデリケートなローンの微細画である。彼らは波斯密画の繊巧をきわめた庭草の描法を見るであろう。
 しかし庭はまだ赤土色のの枯色を湛えていた。廻遊式の庭園は、荒涼とした径の上に2人を導いた。鉄子が礫(こいし)を戯れに池へ投げ入れる。すると鯉がものうい動きで黒ずんだ鰭をはためかして消えた。
鉄子さん、一寸』
 すこし遅れぎみになった猪口が常に似ぬきんきんした声でこう呼びとめた。ふりむくと、たださえ圧縮された漢字の顔が、赤らんだ肉がぎっしり詰まったようにこわばって、目ばかり光っているさまが異様である。鉄子は戦慄した。足を早めた。
『なあに?……いいから早く出ましょうよ、こんなつまらないところ』
 言いながらますます足を早めた。猪口は黙って追って来る。廻遊式庭園は径が迂回し曲折して歩き尽すことが容易でない。彼女は夢の中で追われているような恐怖を味わった。径の紆余曲折が、無我夢中で歩いていると記憶や夢の構造とまざり合うので、時間も距離もあいまいな延長の上に消えてゆくように思われる。彼女は枯山水の岩間に漏れている水のような早春の日ざしや、竹藪に落ちている斑ら雪めいた日ざしを縫って、ほとんど駆けんばかりにしてもとの玄関の前へ出た。床几に掛けると胸くるしい微笑で鉄子を見下ろした。鉄子は彼の目も憚らずに、ジャケツの襟元深く、大仰にハンケチをさし入れて汗を拭っていたのである。
『ああ、疲れた。鬼ごっこをしてしまいましたな。この庭園で鬼ごっこをしたのは僕らがはじめてでしょうな』」

私が訪れたのは9月下旬であった。
申し込んだ往復ハガキに日時が書かれていて、和尚さんの話とお経を聞いてからでなければ、庭を見ることができない。隣に座っていた西洋人のカップルが、お経の後で喜んで話していた。異国情緒に触れた喜びであろうか? 言葉を連ねていく中で独特のリズムに招かれて、無我の境地に誘われるようである。ここに来る新幹線の中で一人旅の解放感から性欲が募り、西芳寺の簡素なトイレで自慰に耽ろうかと勃然と思っていたのが嘘のように、射精前に賢者モードになれた。
苔は庭にビッシリと敷かれて、確かに微細を極めたローンの美しさを放っていた。庭園は意外と小さく、10分もしないで一巡りできるだろう。
かがみこんで苔を懸命に写している女性がいる。研究でもされているんですか? と聞くと、いいえと黙って首を振った。案内をする和尚さんに質問している人がいたが、一言二言の説明で終える。清掃の仕事の人に毎日されているんですか?と聞くと黙ってうなずくだけだ。
この場の空気がそうさせているようだ。作中で「この庭園で鬼ごっこをしたのは、僕らが初めてでしょうな」とあるけれど、その通りだと思う。きっと三島由紀夫も同じようにこの雰囲気を感じとったのだろう。

小説『金閣寺』を巡る旅 プロローグ


三島由紀夫の『金閣寺』に出会ったのは、大学1年生である。梅ヶ丘商店街の地下にある書店であった。今から20年前、スマホもなかった当時は、梅ヶ丘駅周辺にいくつも本屋があり、多くの人が立ち読みしていた。コンビニのバイトをしていたけれど、人間関係がうまくいかず、火をつけてやりたいという怒りが湧いていた。知ってるつもりで特集していた金閣寺に火をつけた男を思い出した。大学生活を送りながら、ストレスで怒りが始終湧いてくる自分の感情を持て余していた私は、その答えが書かれているのかもしれないと救いを求めるように、『金閣寺』を手にとったのである。
記憶する限り、自分でお金を出して初めて買った本である。結果、この本に出会うために生きてきたのではないかと考えてしまうほど衝撃を受けた。
一昨年の秋に、私の人生で大きく影響された2つのものを、この目で見てこようと思った。1つは、甲子園であり、もう1つは、金閣寺である。甲子園球児になり、阪神タイガースの選手として活躍する夢、『金閣寺』のような小説を書いて、一世を風靡したい夢、この2つの夢が36歳までの私を支えてくれた。しかし、1度もその場に行ったことがないのだ。2泊3日の京都旅行のプランを立てた。
苔寺渡月橋近くの小督の局の墓→亀山公園→妙心寺南禅寺→柊家別館(1泊)→建勲神社大谷大学飛田新地(1息吐いて)→甲子園(阪神巨人戦)→大阪から東京新宿駅までの夜行バス(2泊)→新宿歌舞伎町でクライマックス(アゲアゲで)
という計画を立てた。京都観光する人に興味を持ってもらうように、また、してみたいと思えるように、人情を交えて書いていきたい。

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高校野球にはディオニュソスの神がいる!

 
西東京高校野球、夏予選ベスト8を決める試合を観てきた。1年に1度は高校野球を観て元気を貰うようにしている。母校が早くも負けてしまったために、世田谷学園創価の私学同士の試合を観ることに決めた。 
12時30分試合開始とあるから、25分ぐらいに球場横の坂をゆっくり上がっていると、打者を応援する歌が流れている。金属バットに白球の当たる音が響いてくる。試合が始まっている。プロ野球のように時間に厳密ではないのだろう。
 プロ野球を見過ぎたせいか、高校球児が随分小さく見える。両校共に守備のミスが少なく、ピッチャーが安定した投球を続けていく。
 創価高校のエースナンバーをつけた投手が、2回表に1点を失い、なお1アウト満塁のピンチになる。ここでショートゴロを打たせ、ダブルプレーをとって切り抜けたことが大きかった。
 世田谷学園の投手に、打者1巡目において、まったく手がでなかった創価打線が、2巡目において、甘く入ったストレートを積極的に打ちにいくことで、3回に一挙3点をもぎとった。
 この打撃の修正ができる基本の形が身についているのかというのが、強豪校で背番号をとれるかどうかの分かれ目なのだろう。
 打てなかった理由を考えて次の打席に生かせるかということにおいては、創価の方が上だったと思える。どちらが勝ってもおかしくない試合に見えても、同じような高校生の体力で勝負している場合、より考えてプレーできる総力が問題になってくる。
 創価高校は3回以降、背番号10番の右の速球投手がゼロで抑えた。世田谷学園の投手も3回以降、ストレートが甘くならないようにコントロールし、縦スラを中心に投球することで、同じくゼロで抑えた。
 隣の中年女性はスコアーを一所懸命につけている。高校の関係者ですか? と失礼ながら聞いてみると、笑って首を振って、好きなんですと応えた。酒の酔いが入って顔を赤くした中年男性が興奮して、打ってみろと叫ぶ声が聞こえてくる。
 世田谷学園ブラバンの演奏にのせて、声変わりをして太い声になったばかりのスタンドの選手達が歌う応援歌は真夏の日光の下に素晴らしく似合っている。共学の創価高校は私が高校球児だった20年前には、チアガールが健康な柔肌を日光にさらして舞っていたような気がするのだが、この度はいなかった。赤いポロシャツを着たブラバンを力強く指揮している女性が目立っているだけだった。
 夏の日光、白球を懸命に追う球児達の姿、ブラバンの演奏、応援歌、観客の様々な姿、球場の自由なまでの広さが視覚、聴覚、触覚を刺激して、酔いに似た心地にさせる。
 進路に関わる高校三年間を野球ばかりして大丈夫なのか? という疑問は、社会人生活で苦労している私としては脳裏に浮かんでくる。進学、進路に命をかけている人達からすれば無智蒙昧にも見えるだろう。しかし、それを讃美している観客の姿は、力を蓄えている強さが垣間見えるのだ。生の充実した怒りに似た表情をしている。きっと、高校野球は素晴らしいものだ。日本のディオニュソス的な力が現れている。高校球児が懸命にプレーする姿の向こうに、ディオニュソスの神が現れることを期待して……

「アニーホール」男女関係の究明を試みた映画


内容
この映画はニューヨークとロサンゼルスに舞台を置く。
ウディ・アレンは死に取りつかれたコメディアン、アルビー・シンガーを演じる。明るい性格のアニー・ホールダイアン・キートン)との関係を保とうとしている。2人の数年にわたる関係が語られ、それぞれの過去にあった様々な出来事を途中に挟みながら進行する(アニーはアルビーが子供のころの家族を「見る」ことができ、アルビーも同様にアニーの過去の恋人とのやりとりを観察している)。彼はブルックリンで育ち、彼の父はバンパーカー(bumper cars)の営業をしていて、彼の家はコニーアイランドのローラーコースターの下にあることが、アルビーの回想場面からわかる。

数年後、口論と仲直りが何度も続き、自分たちは相性がわるいし、別れるだろうと2人は悟る。アニーはハリウッドレコード会社の経営者(ポール・サイモン)のもとに引っ越してしまう。アルビーは結局、未だに彼女を愛していることに気付き、ニューヨークの自分の所に戻ってくるよう説得するが、うまくいかない。あきらめたアルビーは自分たちの関係について芝居を書くためにニューヨークに戻る。この芝居のエンディングは、彼が彼女を取り戻すのに成功するというものだった。のちに彼らは友人として良好な関係で再会し、そのとき2人にはすでに別の恋人がいた。愛と人の関係はしばしば痛みをともない、複雑なものにもかかわらず、誰もが必要としているのだと思いを巡らせながら、アルビーは映画を終わらせる。 wikipediaより

感想
『アニーホール』は、死に取りつかれたコメディアンのアルビー・シンガーが、アニー・ホールとの関係を保とうとする難しさを表した映画である。神経症のアルビーは、思ったことを難しく言い回す。冒頭からカメラに向かって、インテリでノイローゼを患った姿はかくあるものかと言わんばかりにアルビーを熱弁を振るう。この会話がうるさく感じられ、早々に脱落しそうになった。名作ということだから、最後まで観よう。1時間40分だから、最後にはっとさせるオチがあるのではと期待して観ていく。
 アニーホールとの関係が難しいとお互い合意の上で別れても、寂寥感に苛まれ、アルビーは飛行機に乗ってまで会いに行く。なぜ、それほどまでに彼女が大切なのかが、いまいち伝わってこない。しかし、会話における難しい言葉の絶え間ない羅列によって、両者の間隙にも、理屈があるのだと考えたくなってくるのだ。
 男女の関係で、何故、二人は別れたのか(一緒にいるのか)? と問いかけられ、答えられる人は少ないのではないか。なんとなく、お互いピンときてという曖昧な言葉でしか表すことしかできないだろう。アルビーはアニーホールをいつまでも必要としているが、伝える言葉が見つからない。この葛藤にさらされない人などいないのではないか?
 アルビーの最後の言葉
精神科医に男が、『弟は自分がメスドリだと思い込んでいます』医師は、『入院させなさい』男は、『でも、卵は欲しいのでね』男と女の関係も、この話と似ている。おおよそ火生定期で、不合理な事ばかり。それでも付き合うのは、卵がほしいからでしょう」
 と煙に巻いて物語りを終える。

歴史上最高のダンディはリックだ!


概要
第二次世界大戦アメリカが参戦した翌年の1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された、物語の設定時点の1941年12月時点では親ドイツのヴィシー政権支配下にあったフランス領モロッコカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画。監督はマイケル・カーティス。配給はワーナー・ブラザース

ストーリー

1941年12月、親ドイツのヴィシー政権の管理下に置かれたフランス領モロッコの都市カサブランカ。ドイツの侵略によるヨーロッパの戦災を逃れた人の多くは、中立国のポルトガル経由でアメリカへの亡命を図ろうとしていた。

アメリカ人男性のリック(ハンフリー・ボガート)は、パリが陥落する前に理由を告げずに去った恋人イルザ・ラント(イングリッド・バーグマン)と、彼が経営する酒場「カフェ・アメリカン」で偶然の再会を果たす。パリの思い出である『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』が切なく流れる。

イルザが店を去って再び過去の痛みに苦しむリック。

イルザの夫で、現在はドイツに併合されたチェコスロバキア人のドイツ抵抗運動の指導者ヴィクトル・ラズロ(ポール・ヘンリード)は現地のオルグ接触、脱出のチャンスをうかがっていた。フランス植民地警察のルノー署長(クロード・レインズ)は計算高い男だが、流れに逆らうように異郷で生きるリックにシンパシーを感じ、かつてスペインのレジスタンスに協力したリックに、ラズロには関わるなと釘を指す。現地司令官であるドイツ空軍のシュトラッサー少佐は、ラズロを市内に閉じ込める。

イルザは、夫を助けられるのは闇屋のウーガーテ(ピーター・ローレ)からヴィシー政権の発行した通行証を譲り受けたリックしかいないと、必死に協力をお願いする。そして通行証を渡そうとしないリックに銃口さえ向ける。しかし引き金を引くことが出来ないイルザ。2人はお互いの愛情を確かめ合う。

リックは、ラズロとイルザが通行証を欲しがっている事実をルノー署長に打ち明け、現場でラズロを逮捕するようにと耳打ちする。手柄を立てるために、約束の閉店後の店にやってきたルノーだが、リックの本心は、2人を亡命させるためにルノーを空港まで車に同乗させて監視の目を欺く点にあった。シュトラッサーを射ち殺してでも彼女を守ろうとするリックは、過去の痛みに耐えていた彼ではなかった。

愛を失っても大義を守ろうとしたリックを前にして、実はレジスタンスの支援者であったルノーは、自由フランスの支配地域であるフランス領赤道アフリカブラザヴィルへ逃げるように勧めて、見逃すことにする。

2人と連合国の未来に希望を持たせながら、彼らは宵闇の中へ消えていく。 wikipediaより

感想
 パリにおいてファシズムと闘う男二人と女一人の三角関係を描いた作品であろう。ドイツが悪役で敵国として描いており、フランスの三色旗(自由・平等・博愛)の精神を讃美し高揚させる内容になっている。
 戦意高揚のプロパガンダ映画という点からすれば、とても良く出来ている。世界情勢の不安が過度に高まったゆえに、現状打開の策として、このような名作が生まれたともいえるだろう。
 勇気とユーモアはセットであるというが、リックはところどころでユーモアを発揮して、落ち着きを保っているように見える。日本映画の主人公にほとんどいないタイプではないだろうか?

女「昨夜はどこにいたの?」
リック「そんな昔のこと、覚えていないね」
女「今夜逢える?」
リック「そんな先のこと分からない」

ウガーテ「2人のドイツの特使は気の毒だったね?」
リック「2人はラッキーだったさ。昨日は単なる2人のドイツの役人だったのが、今日は名誉の死を遂げたのだから」
ウガーテ「君は本当に皮肉屋だね。そう呼んでも許してくれるかい?」
リック「許すよ」

シュトラッサー「愛するパリにドイツ軍がいることなど想像もできない人々の1人かね」
リック「特に私が愛するパリにはね」

ルノー「いったい、なんだってカサブランカなんかに来たんだね?」
リック「健康のためさ。カサブランカの水のために来たんだ」
ルノー「水?何の水だ?砂漠の真ん中だぞ」
リック「情報が間違ってたんだ」

 リック役のハンフリー・ボガートが恋人イルザ・ラント役のイングリッド・バーグマンへの恋心や葛藤の中で、「俺は何者でもないが、世界が悪くなるのを見過ごすわけにはいかない」という大義のために、恋を断ち切る姿はしびれるほど格好いい。 

カサブランカ・最後の場面/ Casablanca Final

 この映画は筋立て(起承転結)がしっかりしているし、テーマが細部までしっかりと浸透している。「時の過ぎ行くままに」「Knock On Wood」「ラ・マルセイエーズ」「ラインの守り」の歌が場面に効果的につかわれているため感情移入しやすい。

カサブランカ (1942) As Time Goes By  フランク・シナトラ

Knock On Wood - Dooley Wilson (Casablanca - 1942)

ラインの守り vs ラ・マルセイエーズ 1942

私的な幸福(恋愛)と大義の葛藤を乗り越えていくリックの男気溢れる姿、作中に4度もリックが口にする「君の瞳に乾杯」という言葉にうなずけるだけの美しい容姿をしたイルザがあって、『カサブランカ』を不朽の名作にしている。
 婚活でコンタクトを申し込んで承諾してくれた女性と次々会っていると、このような恋愛を一生に一度はしてみたいと憧れてしまうのである。戦争はいけないけれど、死と隣り合わせの中に生の充実が現れることは揺るがし難い事実であろう。

婚活 お見合い後の浮足立つ思い!


婚活でお見合いをした。また会えると嬉しいという相手からの返事に浮き足立って、新宿駅西口の小田急百貨店に沿って道を曲がる。Rolexの腕時計の広告を目にする。以前は、こんなものつけているだけで、なくすことを心配するだけで、時間を知るには、スマホでいいだろうと考えていた。しかし、婚活で女性と会うと、これだけで、一種のステータスシンボルの代わりを成すのだ。
大企業に就職して、少しでも良いものを着よう、良いものを持とう、良い場所に住もう、良いものを食べようとする姿に、女性は安心するものだと知った。くそっ、Rolexよ、高みの見物をしやがって!

政治家がマイク一つで演説しているため、人だかりができている。山本太郎である。これだけの影響力を持っていることは羨ましい。
みなさんの生活が本当に楽になっていますか?
と山本が問いかけると、全然良くなってねぇよと興奮して大声で応えている者もいる。


れいわ新選組 山本太郎 街頭演説会 新宿駅西口

そのまま小田急百貨店に沿って道を直進する。
思い出横丁を右手に進んで、交差点を渡り、右に進むと、昔、ダンボールにくるまって寝ている乞食がたむろしていたトンネルに入る。


乞食はいなかった。ダンボールをくり抜いたアートがガラス越しに見られた。まるで死んだ乞食を弔うように!
歌舞伎町の有名なアーチを通る。一人焼肉のお店に入ろうと中をのぞく。客席がいっぱいのため、席が空き次第、携帯に電話を掛けますということ。隣には、毎日、マグロの解体ショーを行う店がある。

スマホで一人焼肉OKの店を他に探した。新宿一丁目の和牛専門店で食べることにした。

食べ終えて、臭い消しのスプレーを吹きかけてくれた中国人の専門学校生の店員に頑張ってねと声をかけた。外は霧雨である。傘はない。
新宿駅東口の前で、年齢差関係無しの男女が義援金を求めて合唱していた。振り出した雨と力の無い声が、ジメジメした陰気な雰囲気を醸し出している。

キリスト教系の宗教グループらしい。きっと異端なのだろう。日本人によるキリスト教というのは、色々なものを勝手に混ぜていないかなぁという印象を、ハモらない歌唱に思う。

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ