【国立歴史民俗博物館】第6展示室「現代」感想・見どころ|戦争・闇市・団地・テレビ

国立歴史民俗博物館を、第1展示室から順番に歩いてきた。

国立歴史民俗博物館・6展示室シリーズ: 第1展示室第2展示室第3展示室第4展示室第5展示室第6展示室

最終氷期から古代国家へ。

中世の飢えと信仰と交易。

江戸時代の旅と娯楽。

人々の日常に残された民俗。

そして近代国家の成立。

ここまで来ると、歴史というのは将軍や天皇や政治家だけが作ってきたものではなく、その時代を生きていた無数の普通の人間によって作られてきたものなのだということが、だんだん分かってくる。

そして最後の第6展示室。

「現代」。

歴博では、1930年代から1970年代を中心に、戦争と敗戦、高度経済成長、都市生活、大衆文化、公害までを、生活用品、出版物、映像、復元模型などから見せている。

ここまで来て、少し奇妙な感覚になった。

もはやこれは、

遠い昔の歴史ではない。

僕が生まれる直前の世界であり、親の世代が生き、そして僕自身の生活へ、そのまま地続きになっている歴史だった。

目次

戦争は、突然始まったわけではない

第6展示室の前半は「戦争と平和」である。

兵営。

軍服。

入営を祝う幟。

兵士たちが使った品々。

兵舎の中にはベッドが並び、棚には荷物が置かれている。

意外なほど「普通の生活」に見える。

だから逆に怖い。

戦争というと、戦場の爆撃や死体を想像する。

しかし戦争は、最初から戦場の顔をして日常へ入ってくるわけではないのだろう。

若者が入営する。

家族や近所の人が見送る。

幟が立つ。

「立派になって帰ってこい」

「国のために頑張れ」

そうやって、軍隊に入ることそのものが、家族や地域にとって祝われる出来事になっていく。

歴博自身も、当時の日本が中国との戦争から第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争へと進み、日本人だけでなく他国・他民族にも大きな犠牲を強いたことを展示の前提としている。

これは動かしようのない部分だと思う。

しかし同時に、展示を歩きながら考えた。

戦争というものを、

「国家が勝手に始めて、国民はただ被害を受けた」

という一行だけで理解するのも、やはり十分ではないのではないか。

勝った。

また勝った。

領土が広がった。

日本は強くなった。

新聞や雑誌がそれを伝え、人々が万歳する。

もちろん同じ時代にも戦争に疑問を持つ人、恐れる人、沈黙せざるを得なかった人がいた。

それでも、国家の政策、軍、メディア、地域共同体、人々の熱狂や同調、そして恐怖。

それらが複雑に絡まりながら戦争は社会の中へ入り込んでいったのだろう。

これは国の責任を薄める話ではない。

むしろ逆で、

なぜ社会全体が戦争を止められなくなっていくのか。

そこを考えなければ、戦争を過去の特殊な出来事にしてしまう気がする。

1941年の日米交渉でも、米側は中国や仏印からの日本軍撤退などを求めていた。日本側にも撤兵をめぐる提案は存在したが、交渉はまとまらず、その後、日本は対米英戦争へ入っていった。

いま結果を知っている僕たちは、

「なぜアメリカと戦争などしたのか」

と思う。

圧倒的な国力差だった。

しかしその時代を生きていた人間は、1945年の結末を知らない。

それまで積み上げてきたもの。

死んでいった人間。

国威。

面子。

資源。

軍事的判断。

世論。

それらを背負った社会が、一度進んだ方向から引き返すことがどれほど難しいのか。

そんなことを考えた。

「死ねなかった」という感覚

入営祝いの展示を見ながら、戦争を生き延びた青年たちのことも考えた。

死にたい人間など、そうはいないだろう。

死ぬ瞬間まで、生きたいと思うのが人間だと思う。

しかし、自分と同じ世代の人間が戦場で次々と死んでいった社会では、

生き残ったことそのものが、複雑な感情を生むこともあったのではないか。

戦後文学にも、戦死者と生き残った者との距離は何度も現れる。

僕はそこで三島由紀夫のことも少し思い出した。

もちろん、1970年の三島の死を単純に戦争体験だけから説明することはできない。

それでも、「戦争に間に合わなかった世代」という彼自身の問題意識を考えると、兵営の展示を前にして、どうしても頭をよぎった。

自分が所属していた世界そのものが敗れ、

昨日まで正しいと言われていたものが、

ある日突然、正しくないものになる。

それはどんな感覚なのだろう。

そして、玉音放送が流れる

戦争は終わる。

展示の中で玉音放送を聞く。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」

その有名な部分だけは知っている。

しかし実際に長く聞いてみると、僕には簡単には意味が取れない。

当時これをラジオで聞いた人たちは、いったいどんな気持ちだったのだろう。

そして、その翌日からも腹は減る。

家も必要だ。

仕事もしなければならない。

国家が敗れても、

人間の生活は終わってくれない。

ここから展示の空気が大きく変わる。

闇市――国が壊れても、人は商売を始める

僕が特に面白かったのが、実物大で再現された戦後の闇市だった。

歴博では、終戦後に各地に生まれた闇市を、当時の写真をもとに再現している。

靴を磨く少年。

物を売る人。

路上で食べ物を商う人。

雑然としている。

秩序が崩れている。

もちろん、飢えがあり、混乱があり、決して「いい時代」などではなかったのだろう。

それなのに不思議と、

ものすごい生命力を感じる。

国家が負けた。

街が焼けた。

昨日までの価値観も壊れた。

それでも翌朝になれば、人間は何かを売り始める。

食べる。

働く。

恋をする。

子供を育てる。

もう一度店を作る。

なんというか、

カオスの中に、むき出しの希望がある。

現代に生きていると、ときどき妙な閉塞感を覚える。

制度もある。

食べ物もある。

家もある。

スマートフォンもある。

それなのに、未来だけがぼんやりしている。

逆に、何もなかった時代の写真から、猛烈な未来への力を感じる。

この逆説が面白かった。

豊かさは、突然やってきた

そこから日本は高度経済成長へ向かっていく。

歴博が「戦後の生活革命」と呼んでいる部分だ。

1950年代半ばから70年代初頭にかけて産業が急成長し、農山漁村から都市へ大量の人口が移動し、電化された都市生活が広がった。

展示には、

ホンダ・スーパーカブ。

Aラインのワンピース。

インスタントコーヒー。

テレビ。

CM。

映画。

雑誌。

東京オリンピック。

そして団地。

僕たちが「昭和」と呼ぶ世界が、一気に姿を現してくる。

海外、とりわけアメリカの生活や音楽や映画が映像として入ってきて、

「こんな暮らしがあるのか」

と日本人が見た時代でもあったのだろう。

テレビスタジオの復元を見ると、それがよく分かる。

映像は単に娯楽を運んだのではない。

服装も、

家電も、

食べ物も、

音楽も、

「豊かな生活とは何か」というイメージそのものを大量に運んだのだと思う。

しかし、その「豊かさ」の下に沈んだものがある

ここで展示は、単純な成功物語にはならない。

水俣病。

ダム建設。

公害。

地域社会の変貌。

熊本・水俣病を告発する人々の衣装が展示されていた。

高度成長とは、

新幹線が走りました。

テレビが普及しました。

所得が上がりました。

めでたし、めでたし。

ではない。

工場によって生活を奪われた人がいる。

公害によって健康や命を奪われた人がいる。

田子倉ダムの建設によって水底に沈んだ集落も、模型として残されている。歴博の展示では、1956年のダム建設に伴って水没した山村を復元している。

ここで難しい問いが残る。

ダムがなければ電力や産業の発展は遅れたかもしれない。

工業化がなければ今の生活水準もなかったかもしれない。

だが、

だから誰かの故郷を沈めてよかったのか。

誰かの健康を犠牲にしてよかったのか。

「発展には犠牲が必要だった」

と後世の人間が簡単に言ってよいのか。

むしろ、

犠牲を「仕方ない」と処理することでしか実現できない発展とは、いったい何なのか。

歴史博物館は答えを教えてくれない。

だから面白い。

そして突然、「僕の家」が現れた

その先へ進んで、一番奇妙だったのが団地だった。

歴博には1962年に建設された赤羽台団地のダイニングキッチンなどが実物大で再現されている。

見た瞬間、

「ああ、知っている」

と思った。

僕も小学校、中学校、高校の頃まで団地で暮らしていた。

もちろん時代は少し後だ。

それでも構造も空気も妙に近い。

僕にとっては歴史資料ではない。

記憶だ。

ここで第6展示室は決定的に、それまでの展示室と違ってしまった。

縄文人は僕ではない。

中世の農民も僕ではない。

江戸の旅人も僕ではない。

けれど団地に入った瞬間、

展示ケースの向こう側にいたはずの歴史が、

こちら側へ出てきた。

僕自身も歴史の中にいる。

なぜ僕は、それほど金持ちになりたいと思わなかったのか

団地で育ったことは、自分にどんな影響を与えたのだろう。

子供の頃、ものすごく金持ちになりたいと思った記憶があまりない。

周囲も団地住まいの子供が多かった。

家の広さも似ている。

生活も大きく変わらない。

少なくとも子供の僕には、極端な貧富の差が見えなかった。

衣食住は足りていた。

だから、

「もっと上へ行かなければ」

という欲望が、それほど強く形成されなかった部分もあるのかもしれない。

僕は長い間、それを単に自分の性格だと思っていた。

でも本当にそうなのだろうか。

住んでいた家。

親の収入。

学校。

地域。

テレビ。

時代。

そういうもの全部に包まれて、

「自分」というものができているのではないか。

僕は金魚鉢の中にいる

第6展示室を出ながら考えた。

人間は、

自分の時代の外に立つことができない。

戦前の青年は、戦前という水の中にいた。

高度経済成長期の人間は、

「明日は今日より豊かになる」

という水の中にいた。

そして僕も、

2026年という水の中にいる。

自分では自由に考えているつもりでも、

実はその社会から与えられた言葉でしか考えていないのかもしれない。

男とはこういうもの。

仕事とはこういうもの。

恋愛とはこういうもの。

成功とはこういうもの。

国家とはこういうもの。

幸福とはこういうもの。

見えない金魚鉢の中に金魚がいても、

金魚にはガラスが見えない。

僕も同じなのだと思う。

戦後日本は、自衛隊を持ち、日米安全保障体制の中で安全保障を構築してきた。現在もその在り方をどう考えるかについて社会的議論が続いている。日米安全保障条約は現在も日本の安全保障体制の柱の一つである。

けれど、僕がここで答えを出す必要はない。

むしろ重要なのは、

自分がどんな水の中にいるのかを疑うことなのだと思う。

歴史を学ぶ理由は、過去を覚えることではない

ここまで6つの展示室を歩いてきた。

石器。

稲作。

国家。

宗教。

武士。

旅。

市場。

娯楽。

近代国家。

戦争。

敗戦。

闇市。

団地。

テレビ。

公害。

そして現在。

最初は「日本史を勉強しに来た」と思っていた。

でも最後まで歩いてみて、少し違う気がした。

歴史を学ぶというのは、

昔の年号を覚えることではない。

自分が当たり前だと思っている世界が、どうやって作られたのかを知ることなのだ。

そしてそれを知った瞬間、

「当たり前」は少しだけ揺らぐ。

僕はAIにもいろいろ話す。

考えたことを吐き出して、

整理してもらう。

けれどAIだって万能な外部ではない。

僕が投げた言葉を受け取り、それに応じて答える。

結局、最後に自分の殻を破るのは自分なのだろう。

ヘッセの『デミアン』を思い出す。

あの作品にある、殻を破って外へ出ようとするイメージ。

いま自分を包んでいる世界が世界のすべてではないと気づくこと。

それが最初の亀裂なのだと思う。

国立歴史民俗博物館を一日歩いて、

最後に僕が持ち帰ったものは、

歴史の知識だけではなかった。

僕自身もまた、歴史によって作られた一人の人間なのだという感覚だった。

そして、

自分を作った時代を知ることができれば、

そこからほんの少しだけ、

外へ出ることもできるかもしれない。

第6展示室を出る。

これで六つの展示室が終わった。

けれど妙なことに、

ここから先が、

いちばん見てみたくなった。

この先の「現代」を作る展示物の一つとして、僕たちは今、生きている。

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この記事を書いた人

鮮魚の現場で働きながら、美術館・博物館、文学、映画、旅、仕事や人生について、実際に見たこと・経験したことを自分の言葉で記録しています。検索でたどり着いた方にも、何か一つ持ち帰れる文章を目指しています。

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