国立歴史民俗博物館の第5展示室に入る。
国立歴史民俗博物館・6展示室シリーズ: 第1展示室|第2展示室|第3展示室|第4展示室|第5展示室|第6展示室
ここからテーマは「近代」になる。
第1展示室からここまで見てきた歴史と比べて、急に私たちの現在との距離が縮まったように感じた。
学校がある。
会社がある。
工場がある。
鉄道がある。
港がある。
新聞がある。
大量の商品がある。
労働者がいる。
ストライキが起こる。
差別に抗議する人がいる。
女性の権利を求める人がいる。
そして、「日本人」というものが、それまで以上に強く意識されるようになる。
見ていて何度も思った。
ああ、今の日本はここから始まっているんだな。
「日本人になる」ということ



もちろん、江戸時代までの人々に「日本」という意識がまったくなかったわけではない。
ただ、人間の生活を実際に支配していたのは、村であり、藩であり、身分であり、地域の慣習だった。
それが明治になると大きく変わる。
1871年には廃藩置県が行われ、全国の藩が県へと再編される。同じ年には全国統一の戸籍制度がつくられ、1872年には近代的学校制度である「学制」、1873年には徴兵令が導入された。土地や税の制度も全国的に組み直されていった。
つまり近代国家とは、単に東京に新しい政府ができたという話ではない。
それまで地域ごとに生きていた人間を、
「あなたは日本という国家の一員ですよ」
と、全国共通の制度のなかへ組み込んでいく巨大な事業でもあったのだと思う。
歴博も、第5展示室の「〈国民〉の誕生」で、学校と軍隊を軸に人びとを〈国民〉としていく政策が進められた、と説明している。
展示されていた「明治初年の武士たち」の写真が印象的だった。
刀を差した男たちが写っている。
しかし、もう武士の時代は終わろうとしている。
やがて「藩の武士」ではなく「国家の軍人」になる。
これは服装が変わっただけではない。
自分は誰に属しているのかという、人間の意識そのものが変わっていったということなのだろう。



文明開化とは、建物が洋風になることだけではない



展示には、和洋折衷の建物の模型もあった。
瓦屋根なのに、窓や柱を見ると西洋建築のようでもある。
この少し奇妙な混ざり方が面白い。
新しいものが入ってきたからといって、古いものが翌日から全部消えるわけではない。
昔の生活の上に、新しい制度や文化がかぶさってくる。
だから最初は、どうしてもちぐはぐになる。
それは会社でも似ていると思った。
大きな会社に統合され、本部では新しい制度が決まったとしても、現場では昨日までの仕事の仕方が残っている。
「会社はこう言っている」
しかし、
「この店ではずっとこうやってきた」
という時間差が生まれる。
もちろん国家形成と企業統合を同じものとして扱うことはできない。
ただ、中央で決まった制度と、現場に残る慣習との間に摩擦が生まれる構造は、現在を生きる自分にも非常に想像しやすかった。
横浜港から世界へつながっていく日本

その変化を象徴するのが港だった。
展示には横浜新港埠頭の模型がある。
横浜港は1859年に開港し、貿易量の増大に対応するため近代的な港へ整備されていった。新港ふ頭は1905年に一部が完成し、1917年に完成する。現在の赤レンガ倉庫も、この新港ふ頭整備の一部として造られた。
以前、実際に新港地区を歩いたことがある。
赤レンガ倉庫があり、海があり、広い岸壁がある。
今では観光地だけれど、歴博の模型を見ると、
「ああ、ここへ本当に外国船が入り、人と商品が動いていたんだ」
と急に現実味が出てくる。
文明開化という言葉からは鹿鳴館や洋服を想像してしまう。
しかし、本当の近代化とはもっと巨大なものだったのだろう。
船が来る。
鉄道が走る。
商品が動く。
工場ができる。
金が動く。
人が故郷を離れて働く。
こうして、日本の生活そのものが世界経済のなかに入っていく。
国が豊かになる。その陰で人間の身体が壊れていく



もちろん、近代化には暗い側面もある。
第5展示室には『貧乏教員之手記』、足尾銅山の資料、輸出用マッチなどが並ぶ。
歴博も、近代になるにつれて農家や商家などの自営業中心の社会から、工場や鉱山に雇われて働く人が増え、農村から人間が移動していったことを展示の大きなテーマにしている。
国は豊かになる。
企業は大きくなる。
生産量は増える。
しかし、その数字の裏側には生身の人間がいる。
鉱山労働者の間では、粉じんを吸い続けることで珪肺になる「よろけ病」が大きな問題になった。戦後間もない1948年の国会でも、金属鉱山労働者の珪肺について、それまで十分な対策がとられてこなかったことが政府側から認められている。
ここには近代化の難しい問題がある。
生産を止めれば国の発展は遅れる。
しかし、生産のためだからといって、人間が壊れていくことを放置していいはずもない。
近代社会は、この矛盾を抱えながら進んできた。
だからこそ、労働運動や労働組合、労働法制というものも必要になっていったのだろう。
日本では大正期になると労働運動が活発化し、戦後1945年の労働組合法によって団結権・団体交渉権・争議権が制度的に保障されることになる。
マッチ一本にも、資本主義の歴史がある
意外に面白かったのがマッチだった。
こんな小さな商品にも、日本の近代化が詰まっている。
日本のマッチ産業は明治初期に始まり、一時は重要な輸出産業になった。しかし、初期には技術不足による粗悪品も出回り、輸出先からの信用を失って輸出額が急減した時期もあった。第一次世界大戦後になると国際競争が激しくなり、原料高や需要減に対応するための賃下げをきっかけに、数千人規模のストライキも起きている。
商品を作る企業が力を持つ。
しかし、消費者も買わないという意思表示ができる。
労働者も働かないという意思表示をする。
ここに、近代社会の面白さがある。
国家や資本の力が強くなる一方で、大衆もただ従うだけの存在ではなくなっていく。
「貧しい人間」が必ず「弱い人間に優しい」とは限らない

そして、今回もっとも強く残った展示の一つが、部落差別と全国水平社だった。
明治になって身分制度が法的に再編されても、近世以来の被差別身分に対する差別や排除は形を変えて残った。
歴博は今回のリニューアルで「『水平』をめざして」という独立した視点を設け、近代以降も続いた部落差別と、それに抗した人々の活動を紹介している。
展示を見ながら考えた。
人間というのは不思議なものだ。
自分自身が貧しくても、
「あいつよりは自分の方が上だ」
と思うことによって、自尊心を保つことがある。
経済的には苦しい人間が、さらに弱い立場の人間を差別することもある。
だから貧困と差別は単純に同じ問題ではない。
差別というものは、権力者が上から押し付けるだけではなく、日常生活のなかでも再生産されてしまう。
「自分より下の人間がいる」
という感覚が、人を安心させることさえある。
これはいじめやスケープゴートにもつながる、人間社会の非常に怖い部分だと思う。
だからこそ、1922年に全国水平社が結成された意味は大きい。
差別される側が「かわいそうだから助けてください」と訴えるのではなく、自分たち自身で尊厳を取り戻そうとした。
水平社宣言の最後にある、
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」
という言葉が、展示を見終わったあとも残った。全国水平社は1922年3月3日に創立され、宣言では被差別部落の人々自身による解放と、人間の尊厳が強く打ち出された。
100年以上前の文章なのに、恐ろしく新しい。
女性も「声を持つ側」へ


女性についても同じ流れが見えてくる。
ただし、ここは少し整理しておきたい。
戦前のこの時期に、女性が完全な参政権を獲得したわけではない。
しかし大正期になると、女性自身が政治参加を要求する運動が本格化する。
平塚らいてうや市川房枝らは1919年に新婦人協会をつくり、女性の政治参加を求めた。1922年には法律が改正され、女性が政治演説会に参加できるようになったが、参政権そのものの実現は戦後を待つことになる。
ここでも同じだ。
教育が広がる。
文字を読む。
新聞を読む。
社会を知る。
すると、
「なぜ自分にはこの権利がないのか」
という疑問が生まれる。
教養は人間を従順にするだけではない。
知ることは、怒る力にもなる。
これは第5展示室全体に流れているもののように思えた。
浅草――近代人は「楽しむ」ことも覚えていく


第5展示室には浅草の街並みの実物大再現もある。
これも面白かった。
近代というと国家、戦争、産業化という硬い言葉ばかりになりがちだが、人間はそんなことばかり考えて生きているわけではない。
遊びたい。
笑いたい。
映画を見たい。
恋をしたい。
酒を飲みたい。
刺激的なものも見たい。
明治・大正期の浅草六区には芝居小屋、寄席、映画館が集まり、東京を代表する大衆娯楽の街になった。浅草オペラなど、新しい都市文化も生まれている。
こういう展示を見ると、歴史上の人間が急にこちら側へやってくる。
明治の人間だって、真面目な顔をして国家のことだけ考えていたわけではない。
くだらないことで笑い、異性に惹かれ、流行を追い、面白そうな場所へ出かけた。
人間そのものは、案外変わっていない。
そして、近代都市は炎に飲み込まれた
関東大震災の展示も忘れがたい。
当時の子どもが描いた絵を見ると、街の向こう側が炎の壁になっている。
「火事」というより、炎そのものが押し寄せてくるように見える。
1923年の関東大震災では、死者・行方不明者は約10万5000人。そのうち約9万人が火災によるものと推計されている。
鉄道ができた。
港ができた。
工場ができた。
近代都市ができた。
しかし、その巨大な都市そのものが一夜で燃える。
近代化とは、人間が自然を克服していく物語だけではない。
人が密集し、建物が密集し、巨大な都市を作ったからこそ発生する、新しい弱さもある。
しかもそれを描いたのが、有名な政治家や軍人ではなく、そこにいた普通の子どもだったりする。
歴博らしい展示だと思った。
「国民」をつくることは、「境界」をつくることでもあった
そして近代日本は、やがて植民地や勢力圏を持つ帝国へ進んでいく。
歴博はここを単純な「日本の発展」としては描いていない。
本国と植民地、都市と農村、男性と女性、中心と周辺。その関係は対等ではなかった、と展示は説明する。また「アイヌにとっての近代」「琉球・沖縄からみた近代」という別の視点も設けられている。
これは非常に重要だと思った。
「我々はみんな日本国民だ」
という考え方は、人を一つにまとめる力を持つ。
しかし同時に、
「では誰が日本人なのか」
「同じ国民なら、本当に同じように扱われるのか」
という新しい問題も生み出す。
統一とは、必ずしも平等と同じではない。
近代とは、「大衆」が歴史の主人公になっていく時代なのかもしれない
第5展示室を見終わって、最も強く感じたのはそこだった。
明治政府が国家をつくった。
資本家が企業をつくった。
軍隊がつくられた。
学校がつくられた。
港がつくられた。
しかし、その制度の中に入れられた人々も、次第に黙ってはいなくなる。
労働者がストライキをする。
女性が政治参加を求める。
差別された人々が自ら立ち上がる。
消費者が商品を選ぶ。
新聞を読み、社会について語る。
娯楽を楽しむ。
そして、自分の人生について考える。
近代とは、国家の力が強くなった時代であると同時に、
普通の人間が「自分にも社会について何か言う権利がある」と気づき始めた時代でもあったのではないだろうか。
それまで歴史の教科書では、明治維新、富国強兵、文明開化、日清・日露戦争、大正デモクラシーという言葉を覚えてきた。
しかし歴博を歩いていると、その言葉の下から大量の人間が出てくる。
貧しい教師。
鉱山労働者。
工場で働く人。
差別された人。
権利を求める女性。
浅草へ遊びに行く人。
震災から逃げる子ども。
彼らもまた近代を生きていた。
そして、その人たちが作った社会の延長線上に、私たちがいる。
だから第5展示室は、それまでの展示以上に「昔の話」という感じがしなかった。
むしろ、
現在の日本社会を少し後ろから眺めている。
そんな感覚になる展示だった。
会社と個人。
中央と現場。
経済成長と労働環境。
多数派と少数者。
国家と個人。
権利と義務。
差別と尊厳。
100年以上たった現在でも、ほとんどの問題は形を変えて残っている。
近代は終わった時代ではない。
私たちは今も、その続きを生きているのだと思う。
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