【国立歴史民俗博物館】第4展示室「民俗」感想・見どころ|祈り・祭り・暮らしの記憶

国立歴史民俗博物館を、第1展示室から順番に歩いてきた。

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先史・古代では、人間が狩りをし、祈り、稲を育て、やがて国家をつくっていく姿を見た。

中世では、人と物と情報が動き始め、都市や市場が生まれ、社会が複雑になっていった。

近世では、旅をし、芝居を見て、祭りを楽しみ、笑い、遊ぶ人間の姿が一気に前面に出てきた。

そして第4展示室。

ここで突然、時間の流れが少し変わったように感じた。

「昔の日本」を見るというより、

いまの私たちの生活の奥底に残っているものを見る。

そんな展示だった。

第4展示室のテーマは「民俗」。

歴博自身も、この展示室を「列島の民俗文化」を考える場所と位置づけ、「民俗へのまなざし」「おそれと祈り」「くらしと技」という三つの大きな視点から構成している。おせち料理や名産品、祭り、妖怪、人生儀礼、住居、農業、漁業までが、同じ「民俗」という言葉の中に入っている。

最初は正直、「民俗学って、昔の風習を集める学問なのかな」くらいに思っていた。

しかし見ているうちに、全然違うものに思えてきた。

目次

民俗とは、「昔から残っているもの」ではない

たとえば、おせち料理。

正月になればおせちを食べる。

それだけなら昔から続いている風習に見える。

ところが展示されているのは、2009年末に百貨店で販売されていたおせち料理の複製だった。

百貨店が季節や人生の行事を商品化し、「特別な日に特別な料理を食べる」という民俗そのものが、消費文化の中へ組み込まれていく。

これは面白かった。

民俗というのは、古いものが冷凍保存されているわけではない。

社会が変われば、民俗も変わる。

観光が盛んになれば、お土産が生まれる。

広告が広がれば、「美しい身体」や「おしゃれ」のイメージも変わる。

実際、歴博には資生堂などの化粧品や広告に関する資料も所蔵されており、1960年代には日焼けした「健康美」が広告を通じて新しい美のイメージとして広がっていったことも展示資料から分かる。

テレビで広告を見る。

「こんなふうになりたい」と思う。

商品を買う。

いまならInstagramやYouTube、TikTokなのかもしれない。

媒体が変わっただけで、人間の心の動きは案外変わっていない。

「沖縄らしさ」だって、ずっと同じではない

沖縄の展示も印象に残った。

シーサー、祭り、船、色鮮やかな衣装。

私たちが見れば、すぐに「沖縄らしい」と思う。

しかし第4展示室の最初のテーマそのものが、産業開発や消費文化によって変化していく民俗である。

子ども向けの展示解説にも、現代の沖縄を象徴するものとして、沖縄名物を抱えた「回転式のシーサー」が紹介されている。

そこで考えた。

私たちが「昔からこうだった」と思っている地域のイメージも、本当に何百年も同じだったのだろうか。

赤瓦。

シーサー。

青い海。

南国。

そうした「沖縄らしさ」もまた、観光や商品、メディアを通じて選ばれ、強調され、再構成されながら現在の姿になっているのではないか。

これは沖縄だけの話ではない。

京都らしさ。

北海道らしさ。

東京らしさ。

そして「日本らしさ」。

文化というものは、保存されるだけではなく、人間によって何度も作り直されていくのだと思った。

アイヌも沖縄もある。「日本人」という一枚岩では語れない

アイヌ文化の展示もある。

しかも「昔のアイヌ」だけではない。

現代のアイヌの人たちが伝統を生かしながら、新しい作品を生み出していることまで展示されている。

沖縄には沖縄の文化がある。

アイヌにはアイヌの文化がある。

東北にも、北陸にも、九州にも、それぞれ違う祭りがあり、食べ物があり、家があり、死者の弔い方がある。

第4展示室を歩いていると、「日本文化」という一言でまとめてしまうことの乱暴さがよく分かる。

日本列島には、最初からものすごい数の「違う暮らし」があったのだ。

だからこの展示は、国の歴史というより、

無数の土地で生きた無数の人間の歴史

なのだと思う。

なぜ、人間はあれほど激しく祭るのか

そして、この展示室で最も強烈だったものの一つが「祭り」だった。

写真の宇出津の「あばれ祭」。

巨大なキリコ。

火。

神輿。

人間。

ものすごい熱気である。

石川県能登町の宇出津で行われるあばれ祭では、キリコが乱舞し、神輿を海や川、松明の中へ投げ込むという。歴博には実際に祭りで使われた神輿も展示されている。

冷静に考えれば、すごいことをやっている。

なぜ、そこまで激しくしなければならないのか。

けれど展示を見ているうちに、祭りというものが単なる娯楽ではないことが分かってくる。

病気になる。

作物が実らない。

嵐が来る。

海で人が死ぬ。

子どもが死ぬ。

理由の分からない不幸が起きる。

人間にはどうにもできないことが、昔は今以上に多かった。

その巨大な不安に対して、人間は黙って耐えていたわけではない。

火を焚く。

叫ぶ。

踊る。

神輿を担ぐ。

面をかぶる。

神に祈る。

つまり祭りとは、

人間が制御できない世界に対して、それでも何かをしようとする行為

なのではないかと思った。

河童は、本当に「迷信」なのだろうか

河童の展示も面白かった。

水辺には河童がいる。

人間を水中へ引きずり込む。

相撲が好き。

キュウリが好き。

現代人なら笑ってしまう話だ。

歴博でも河童は「水の妖怪」として紹介され、水をめぐる民俗の一つとして展示されている。

でも、考えてみれば昔から水難事故はあった。

昨日まで元気だった子どもが川へ遊びに行って帰ってこない。

泳ぎの得意だった人間が死ぬ。

「なぜだ?」

残された人は考える。

しかし答えがない。

そこで、

「河童に引かれた」

という物語が生まれる。

もちろん科学的な説明ではない。

しかし、人間は理由のない死に耐えられないのかもしれない。

何か原因をつくりたい。

物語にしたい。

意味を与えたい。

そうしなければ悲しみを処理できない。

そう考えると、河童という妖怪が急に恐ろしいものではなく、

人間の悲しみから生まれた存在

のようにも見えてきた。

死者を「死んだまま」にしておけない

そして私は、供養絵額の前で立ち止まった。

岩手県遠野市の長泉寺に奉納されたものだという。

若くして亡くなった人などを供養するため、死者が死後の世界で理想的な生活を送っている姿を描いた絵である。

そこには御馳走や、その人が好きだった道具などが描かれた。歴博の資料解説によれば、不幸な死が続いた場合などにも描かれ、やがて肖像画や遺影へと移り変わっていったという。

この展示には妙な迫力があった。

死んだ人間が、

まだそこで暮らしている。

御馳走を食べている。

働いている。

誰かと一緒にいる。

現実にはもういない。

だから絵の中で生かす。

少し不気味でもあった。

だが同時に、ものすごく人間的だった。

人間は、大切な人が死んだからといって、

「はい、いなくなりました」

とはできない。

頭では死を理解しても、心が追いつかない。

だから仏壇をつくる。

写真を飾る。

墓へ行く。

好きだったものを供える。

そして昔の人は、絵の中で死者をもう一度生きさせた。

90歳に近い親を持つ自分には、他人事ではなかった

ここからは完全に個人的な話になる。

私は今、90歳に近い親がいる。

当然だが、いつまでも一緒にいられるわけではない。

頭では分かっている。

でも、

「その後、自分はどうやって生きるのだろう」

ということを、ときどき考える。

供養絵額を見ていると、そのことが突然、自分の問題として迫ってきた。

昔の人も同じだったのだろう。

親が死ぬ。

子どもが死ぬ。

夫が死ぬ。

妻が死ぬ。

どうしていいか分からない。

だから絵を描く。

祈る。

祭る。

墓をつくる。

つまり民俗とは、単なる「昔の風習」ではない。

人間が喪失に耐えるためにつくった仕組み

でもあるのだと思った。

結婚、出産、死――人生そのものが「儀式」だった

展示には婚礼もある。

子どもの誕生もある。

雛人形もある。

成人。

結婚。

出産。

葬式。

昔の社会では、人間の人生の節目には必ずといっていいほど共同体が関わっていた。

自分は結婚していない。

子どももいない。

だからなのかもしれない。

婚礼や出産の展示を見ていると、少し胸がざわついた。

自分が通らなかった人生の道が、展示ケースの向こうに並んでいるような気がした。

「ああ、人間というのは、こうやって生まれて、誰かと結ばれて、子どもを育て、老いて、死んでいったんだな」

当たり前のことなのだが、博物館でまとめて見せられると、不思議な重さを持って迫ってくる。

そして、自分自身の過去の人間関係や、誰かと身体を通じて関わった経験まで思い出した。

人生は、予定表通りには進まない。

結婚する人もいる。

しない人もいる。

子どもを持つ人もいる。

持たない人もいる。

それでも、人と人が関わった時間そのものまで無意味になるわけではない。

第4展示室を歩きながら、そんなことまで考えていた。

民俗学は、人間を「一人ずつ」見る学問なのかもしれない

日本民俗学の形成に大きな役割を果たした柳田國男は、古文書や遺物だけではなく、同時代に生きている人びとの生活や伝承そのものを研究対象にしようとした。

歴博では、民俗学を、人びとの話を聞き、生活を観察することで、文化や暮らしがどのように変わってきたかを研究する学問として説明している。

それを見ていて思った。

一人の人間と本気で話したら、その人の中にはどれほどの情報があるのだろう。

生まれた土地。

親。

祖父母。

学校。

仕事。

結婚。

恋愛。

食事。

祭り。

葬式。

病気。

戦争。

災害。

信仰。

恨み。

喜び。

後悔。

一人の人間だけでも、一冊の歴史書どころではない。

だから民俗学は面白いのだろう。

英雄や将軍を調べるだけでは、人間の歴史は分からない。

名も残らなかった一人の農民。

漁師。

母親。

子ども。

職人。

そういう人間一人一人の生活の中に、歴史が沈殿している。

きれいなものだけを残したら、人間は分からない

第4展示室には、少し暗さがある。

妖怪。

死。

供養。

疫病。

祈り。

恐怖。

嫉妬。

災害。

不安。

人間の中にある、あまり見たくないものが出てくる。

だから私は、見終わったあと少し暗い気持ちになった。

でも、それでいいのだと思う。

人間は明るいだけではない。

祝福だけでもない。

恋愛や結婚だけでもない。

人を愛する。

失う。

妬む。

恐れる。

死にたくないと思う。

家族には生きていてほしいと思う。

どうにもならないものを前にして、それでも何かを祈る。

そういう、少しドロドロしたものまで含めて人間なのだ。

民俗というものは、それを消毒しない。

きれいごとにもしない。

面にする。

妖怪にする。

祭りにする。

供養絵にする。

そして外へ出す。

考えてみれば、それはものすごく強い文化なのかもしれない。

第4展示室で見たのは、「昔の風習」ではなかった

第4展示室を出て、一番強く残ったのは、

人間は、理解できないものに意味を与えながら生きてきた

ということだった。

なぜ死んだのか分からない。

河童のせいにする。

なぜ災害が起こるのか分からない。

神に祈る。

死者を忘れられない。

絵の中で生かす。

豊作になるか分からない。

祭りをする。

幸せになれるか分からない。

婚礼を祝い、子どもの成長を願う。

科学が発達した現代では、昔より説明できることは増えた。

それでも、

「なぜ自分は生きているのか」

「なぜこの人と出会ったのか」

「なぜ大切な人が死ぬのか」

「この先、自分はどう生きればいいのか」

という問いには、科学も答えてくれない。

だから私たちも、形を変えながら同じことをしているのかもしれない。

写真を残す。

墓参りをする。

旅に出る。

SNSに思い出を書く。

誰かの名前を何年経っても覚えている。

第4展示室にあったのは、消えかけた昔の風習ではない。

どうにもならない人生を、それでも生きようとしてきた人間の知恵だった。

そしてそれは、昔の人たちだけの話ではない。

自分にもつながっている。

だからこそ、この展示室は少し怖くて、少し寂しくて、そして忘れがたいものになった。

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この記事を書いた人

鮮魚の現場で働きながら、美術館・博物館、文学、映画、旅、仕事や人生について、実際に見たこと・経験したことを自分の言葉で記録しています。検索でたどり着いた方にも、何か一つ持ち帰れる文章を目指しています。

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