【国立歴史民俗博物館】第3展示室「近世」感想・見どころ|江戸の旅・娯楽・学び

国立歴史民俗博物館の第3展示室へ入る。

江戸の暮らしを別の角度から見た記録として、江戸東京博物館の感想・見どころもまとめています。

国立歴史民俗博物館・6展示室シリーズ: 第1展示室第2展示室第3展示室第4展示室第5展示室第6展示室

第1展示室では、人間が狩りをし、稲を作り、国家をつくっていく過程を見た。

第2展示室では、荘園、武士、都市、商人、宗教、戦乱、海外との交流が生まれ、人間社会が急速に複雑になっていく姿を見た。

そして第3展示室。

ここまで来ると、人間は少し違うことを始めている。

ただ生きるだけではなくなっている。

旅をする。

着飾る。

美味しいものを食べる。

祭りを楽しむ。

面白いものを見る。

笑う。

勉強する。

世界を知りたがる。

「ここではない、どこかへ行ってみたい」と思う。

そこにいるのは、もうかなり現代の私たちに近い人間だった。

目次

「どこかへ行ってみたい」という欲望

特に印象に残ったのが、旅だった。

江戸時代になると街道が整備され、宿場があり、道標が立ち、人と物が日本中を動くようになる。

展示されていた石の道標には、

「右 東海道……」

といった文字が刻まれている。

今ならGoogleマップを開けば数秒で目的地までの道が出る。

けれど、その原型はこういうところにあるのだろう。

道がある。

宿がある。

地図がある。

行き先が分かる。

距離が分かる。

そうなって初めて、人間は安心して遠くへ行ける。

お伊勢参りもそうだった。

もちろん伊勢神宮への信仰がある。

しかし、それだけではなかったのではないかと思う。

一生同じ村で暮らすかもしれなかった人間にとって、

「一度くらい伊勢へ行ってみたい」

という気持ちは、今の私たちが、

「北海道へ行きたい」

「ハワイへ行きたい」

「ヨーロッパを一周してみたい」

と思う感覚と、それほど違わなかったのではないだろうか。

交通手段が広がれば、行きたい場所も広がる。

江戸時代の伊勢参りが、やがて鉄道旅行になり、海外旅行になり、現代では世界中へ飛行機で行けるようになった。

しかし、その根っこにあるものは同じだ。

人間は、知らない場所へ行ってみたい。

江戸には、もう「エンタメ」があった

そして面白かったのが、見世物や軽業である。

展示には、貝殻を組み合わせて作られた孔雀や、貝を積み上げた奇妙な造形物まである。

今ならテーマパークや大道芸、テレビ番組、YouTubeで見るような、

「すげえ!」

「なんだこれ!」

「面白い!」

という感覚だろう。

江戸の人たちだって、そういうものが見たかったのだ。

なかでも印象に残ったのが、早竹虎吉という軽業師だった。

1857年の錦絵には、とんでもない曲芸をする姿が描かれている。

棒の上に乗ったり、綱を渡ったり、身体能力を使って人を驚かせる。

今ならサーカスやアクロバット、あるいはテレビの超人企画のようなものだ。

「江戸時代にもこんなエンターテインメントがあったのか」

と思う。

そして早竹虎吉は、ついには海を渡った。

1867年に一座を率いてアメリカへ渡り、サンフランシスコやニューヨークで興行した。しかしニューヨーク滞在中に体調を崩し、翌1868年に異国で亡くなっている。

ここまで来ると、単なる「江戸の見世物」の話ではない。

日本人の芸人が世界へ出て、外国人の観客の前で身体を張って喝采を浴びている。

一方で、その時代の海外興行には、異国人を「珍しい存在」として見る好奇のまなざしもあったはずだ。

華やかな成功物語だけではない。

世界が広がるということは、可能性が広がることでもあり、同時に厳しい現実にさらされることでもある。

そこも妙に現代的だった。

「格好よく見られたい」という感覚

衣裳の展示も面白かった。

江戸時代には身分制度があり、身分や階層、職業によって着るものにも大きな違いがあった。

現代の日本では、街ですれ違った人を見ただけで、その人の社会的身分を判断することはかなり難しい。

高級車に乗っているからといって大金持ちとは限らないし、高価な服を着ていなくても資産家かもしれない。

しかし当時は、衣服や持ち物がその人の立場を今よりはるかに強く表していた。

それでも、そこにはもう「おしゃれ」がある。

少しでも美しく見せたい。

格好よく見せたい。

粋に見せたい。

流行を知りたい。

そういう欲望がある。

つまり人間は、食べ物と住む場所さえあれば満足するわけではない。

「自分をどう見せるか」まで考えるようになる。

現代のファッションも、ブランドも、SNSのプロフィール写真も、ずっと先には同じ欲望があるのかもしれない。

江戸の旅館の夕食が、意外とうまそうだった

宿場の食事の展示も楽しかった。

東海道新居宿や中山道妻籠宿の夕食が再現されている。

ご飯がある。

汁物がある。

豆腐がある。

魚がある。

野菜がある。

うなぎまで並んでいる。

これが意外なほど美味しそうなのだ。

もちろん現代のように肉料理が豊富にあるわけではない。

しかし魚は天然物だろうし、土地によっては近くで採れたものが使われる。

「これ、今でも普通に食べたいな」

と思った。

江戸時代というと、質素な食生活ばかり想像しがちだが、少なくとも旅人向けの宿では、かなり豊かな食文化が成立していたことが分かる。

もちろん、同じ時代にも貧困に苦しんだ人はたくさんいた。

第2展示室で見た飢餓や収奪の世界が消えたわけではない。

それでも社会全体を見ると、人々が食事そのものを楽しむ余地が確実に広がっているように感じた。

人間は「世界を正しく見たい」と思い始める

地図の展示も非常に面白かった。

初期の世界図を見ると、現在の地図とはかなり違う。

想像や伝承、宗教的世界観が入り込んだものもある。

しかし実測や観測が進むにつれ、日本列島や世界の姿が次第に具体的になっていく。

単純に「間違った地図から正しい地図へ」と一直線に進んだわけではなく、さまざまな世界観が同時に存在していたというのが歴博の展示の面白いところでもある。やがて実測による地図づくりが発達し、伊能忠敬のような精密な日本図へつながっていく。

これは非常に大きな変化だったと思う。

自分がどこにいるのか。

目的地はどこなのか。

日本という国はどんな形なのか。

その外には何があるのか。

人間が空間を正確に認識できるようになる。

それによって移動も、物流も、政治も、経済も変わっていく。

現代人はスマートフォンのGPSで、自分が地球上のどこにいるかをほとんど瞬時に知ることができる。

そこへ至るまで、人類は途方もない時間をかけて、

「自分たちは一体どこにいるのか」

を調べ続けてきたのだ。

寺子屋――知識が庶民へ降りてくる

そして寺子屋。

ここも非常に重要だと思った。

「啓蒙」という言葉をそのまま江戸時代に当てはめるのは少し乱暴かもしれない。

しかし、文字を読む。

文字を書く。

そろばんを使う。

社会の決まりを知る。

そうした能力が、特別な身分の人間だけのものではなくなっていく。

これは大きい。

身分制度そのものは残っている。

それでも、庶民の子どもが文字を学ぶ社会になる。

知識を持つ人間の母数が増えれば、そこから新しい商人も、職人も、思想家も出てくる。

明治維新の後、日本が急速に近代化できた背景を考えるときにも、こうした江戸時代の教育文化は無視できないのだろう。

展示では寺子屋を体験できる場所まであった。

一人だったので、さすがに少し恥ずかしくてやらなかった。

今考えると、やっておけばよかった。

祭りとは、人間が不安と戦う方法でもあったのかもしれない

祭りの展示では、実際に楽器を鳴らすこともできた。

シャッ、シャッ、シャッ、シャッ。

独特の乾いた音がする。

現代では祭りというと「楽しいイベント」という感覚が強い。

しかし昔の祭礼には、豊作を祈ること、疫病や災厄を遠ざけること、神仏に願うことなど、さまざまな意味が重なっていた。

病気の原因も分からない。

天候も制御できない。

飢饉が起こるかもしれない。

そんな世界で、人々は音を鳴らし、踊り、明るく騒ぎ、祈った。

もしかすると、

「みんなで明るく振る舞うことによって、邪気を追い払う」

という感覚もあったのではないか。

科学的に正しいかどうかとは別に、それは不安だらけの世界を生きるための人間の知恵だったようにも思える。

江戸時代になると、「人間」がはっきり見えてくる

第3展示室を歩いていて思った。

江戸時代になると、資料の中から人間の顔が急にはっきりしてくる。

面白いものを見たい。

笑いたい。

旅に出たい。

美味しいものを食べたい。

きれいな服を着たい。

人から格好よく見られたい。

勉強したい。

世界がどうなっているのか知りたい。

病気になりたくない。

豊作になってほしい。

神様に願いたい。

知らない土地へ行ってみたい。

考えてみれば、全部いまの私たちがやっていることだ。

道具が変わっただけなのかもしれない。

伊勢参りが海外旅行になった。

道標がGoogleマップになった。

見世物小屋がテレビやYouTubeになった。

錦絵が写真やSNSになった。

寺子屋が学校やインターネットになった。

旅籠がホテルになった。

けれど、人間の欲望そのものは、それほど変わっていない。

「偉人の歴史」ではなく、一生活者から見た江戸

そして、やはり国立歴史民俗博物館の面白さはここだと思う。

徳川家康が何をした。

何代将軍が何年に何をした。

そういう歴史だけではない。

一人の旅人は何を食べていたのか。

女性はどんな着物を着ていたのか。

庶民は何を見て笑ったのか。

子どもは何を勉強したのか。

道に迷わないために何を見ていたのか。

祭りではどんな音を聞いていたのか。

村に暮らしていた一人の人間にとって、「江戸時代」とはいったい何だったのか。

そこから歴史を見ている。

だから面白い。

第1展示室から歩いてくると、人類がゆっくり、ゆっくり進んできたことも分かる。

石器を作るところから始まった。

農耕が始まった。

国家ができた。

市場ができた。

都市ができた。

街道ができた。

文字を学ぶ人が増えた。

地図が正確になった。

人が旅をするようになった。

そして人間は、

「ただ生きる」だけではなく、「どう生きたら楽しいのか」を考えるようになっていった。

第3展示室で僕が一番面白いと思ったのは、そこだった。

江戸時代の人たちは、教科書の中にいる遠い人間ではない。

笑い、驚き、着飾り、学び、旅に憧れ、美味しいものを食べたがった。

その姿を見ていると、

200年前の人たちも、思っていた以上に僕たちと同じだった。

そう感じた。

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この記事を書いた人

鮮魚の現場で働きながら、美術館・博物館、文学、映画、旅、仕事や人生について、実際に見たこと・経験したことを自分の言葉で記録しています。検索でたどり着いた方にも、何か一つ持ち帰れる文章を目指しています。

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