
■ なぜ今、あの子を思い出すのか
40代になって、ふとした瞬間に思い出す。
大学1年の頃、準硬式野球部にいた
栄養学科のマネージャーの女の子。
話したのは、たった一度。
それなのに、なぜか忘れられない。
――いや、正確に言えば
今になって、やたらと思い出すようになった。
■ あの頃の彼女は「真面目さの塊」だった
日大鶴ヶ丘出身の進学校。
明大前から通っていた彼女。
特別美人だったわけじゃない。
特別仲が良かったわけでもない。
ただ――
- 真面目だった
- 真剣だった
- どこか、擦れていなかった
その空気が、妙に印象に残っている。
そして今、思う。
あの頃の自分も、まだ“可能性の中にいた”のではないかと。
■ 現実は、あまりにも重い
今の自分はどうか。
- スーパーで働き
- 会社は吸収され
- 収益改善のための「駒」のように扱われ
- 問題のある人材ばかり押し付けられ
- 理不尽な予算を背負わされる
“異常な数字”を基準に、今年の予算が組まれる。
達成できるわけがない。
でも、やらなければ評価は落ちる。
頑張れば頑張るほど、
求められるハードルは上がる。
――これは、仕事なのか?
それともただの生存競争なのか?
■ 気づいてしまった「会社員ゲームの正体」
会社員として評価されるのは、
👉「給料以上の価値を出す人間」
つまり
- 出せば出すほど
- さらに出すことを求められ
- 楽になることはない
これはもう
“ゲーム”ではなく、“搾取構造”に近い
そう感じてしまう瞬間がある。
■ だから、人は過去に戻る
未来に希望が持てないとき、
人はどうするか。
👉 過去に戻る
しかも
👉 「まだ選べた地点」に戻る
自分にとってそれが
大学1年、あのとき、あの場所、あの彼女だった。
■ でも、本当はわかっている
彼女に会いたいわけじゃない。
連絡先を知りたいわけでもない。
手紙を書いても意味がないこともわかっている。
それでも思ってしまう。
「どんな人生を送っているんだろう」
「幸せになっているんだろうか」
――違う。
本当は
👉 あの頃の自分を、もう一度見たいだけだ
■ 思い出は、やがて「観念」になる
一度しか話していない。
だからこそ、現実の彼女ではなく
- 理想
- 純粋さ
- 可能性
そういったものの象徴として、
頭の中で“保存”されていく。
そしてそれはやがて
懐かしさではなく、「縛り」になる。
■ それでも、人は前に進むしかない
過去には戻れない。
あの時の分岐も、
選ばなかった未来も、
もう存在しない。
ただ一つだけ言えるのは
👉 「今」もまた、分岐の途中にあるということ
■ 結論:それは恋ではなく、「喪失の自覚」だ
40代になって思い出す「あの人」は
恋ではない。
👉 失われた可能性への、静かな悼みだ
そして同時に
👉 まだ終わっていない人生への、かすかな抵抗でもある
■ 最後に
だから、思い出していい。
ただし
そこに戻ろうとしてはいけない。
過去は、取り戻すものではなく
言葉にして、乗り越えるものだから。歌を作りました↓もし良かったらお聴きください。
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